四十一話 戦いの後①
――王城の頂点に位置する王室。
そこで行われていた戦いもまた、終焉を迎えていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ニアの姉であり魔導会に協力する女、イオナは胸を深く貫かれ、壁に背をつけながら床に倒れ込んでいた。
その女を見下ろす金髪の魔女、ビッキーは負傷した右腕の痛みを堪えながら呼吸を整える。
イオナの幻覚魔法で意識を乱されている隙に、何ヶ所か刺し傷を負ってしまった。早く止血した方がいいだろう。
が、その前に――
「トドメは、刺す」
普通ならば放っておけばやがて死ぬ傷だ。しかし、相手はおかしな生体兵器を研究している様な連中。念には念を重ねるくらいでいい。
床に落ちていた短剣を拾い、イオナの眼前へ立ち止まり、最期の前に告げる。
「一応聞いといてあげるけど、言い残しとく事はある? 家族とかにさ」
「――フン、家族なんて、私には……どうでもいいわ。誰がどうなろうと」
「……」
家族の事も、ニアの事も、本当に何とも思っていないのだろう。
イオナを殺して、ニアには後でどう伝えておこうかと考えていると、
「……フレデリック様も、きっと……私の事なんてどうでもいいと、思っているんでしょうね……」
イオナは、どこか悲しげに、弱まった声でそう語り始める。
「あの人は、王の事しか見えていないもの……」
「――どうでもいい女なら、恋人にはしないんじゃないの?」
「……どうせ、私の家を利用しやすくする為に、擦り寄る私を、受け入れただけよ……でも、それでも良かった…………私は、フレデリック様を、愛して……いたから……」
「……」
正直あの男のどこがそんなに良いのか理解出来ない。とはいえ、死ぬ寸前の人間の前でそんな事をわざわざ口に出す様な悪趣味も無いので、ただ黙って聞いていた。
「――殺るなら、早く、しなさい……生き延びたら、またアンタらを、殺しに行くわよ……」
イオナはもう言いたい事は言い終えたらしい。
ビッキーは短剣を構えて、急所を狙い、刃を向け――
「痛みは無いよ」
フレデリックが息絶えたのと同時刻。
イオナもまた、自分の大事な人間を想いながら、戦死した。
――――西の大国で研究されていた、ゴーレムに並ぶ古代兵器の一つ『キマイラ』。
その試作品の一体であるケイミィは、例え頭部を失っても核となる結晶さえ残っている限り死ぬ事は無い。
とはいえ、脳を司る重要器官を失えば思考力も再生能力も極端に落ちてしまう。
温度と魔力の感知でゴーレムが破壊され溶けて消えた事は理解した。
しかしまだ、ケイミィは治らない。まだ、元に戻らない。まだ、動けない。このままでは捕まるか、殺されてしまうかもしれない。
光の魔女の元へ帰らなければいけない、だから、まだ死ねない。
視覚も聴覚も嗅覚も認識出来ない暗闇の中で、指先に柔らかい何かが触れるのを感じた。この気配は――
………………アーレ?
同じ『キマイラ』だった青年の気配を残す柔らかい物質、それがケイミィの内部へと入り込み、全身に流れ、再生力を活性化させる。
そして――
「……あり、がとう……アーレさん……」
頭部の再生速度も上昇し、やがて本来の人の形へと戻っていく。口から声を出せる様になり、血と泥の混じった様なニオイがして、耳に人間の大声が届いて来た。
その大声は少し前までの悲鳴や恐怖の声では無い、これは、歓喜だ。
視界が元の状態へ戻りかける寸前、肩に女性らしき手の平が置かれて、耳元に囁く声が聞こえた。
「見つかる前に、早く退散しましょう。ケイミィちゃん」
「……カトレア、さん……」
そのまま再生途中の身体をカトレアに背負われて、その場から離れる。
再生した目を背後へ向け、ニアの姿を確認する。
傷を多く負い、力を使い果たして疲労が限界を迎えているのがその様子から分かる。しかし、命に別状は無い。休めば回復するだろう。
彼女が無事な事に、内心ホッとしていた。
「すみませんね〜、ケイミィちゃん。せっかく出来たお友達と話す暇も与えずに」
「ニアさんは、友達、では……」
カトレアから言われた「友達」を咄嗟に否定しようとしたが、途中で言葉に詰まってしまう。
なぜかそれを、否定したくなかったのだ。
「あの……カトレアさん。ベルモンドさんは、助けなくていいんですか? まだ生きている気配がありますが……」
「はい、大丈夫ですよ〜。私が助けなくとも、ベルモンドさんは帰って来ますから〜」
「……?」
戦場だった場所で意識を失い地に倒れ伏しているベルモンドは、現在、黒い髪の騎士に身柄を拘束されていた。
何を根拠にカトレアが「大丈夫」と判断したのかは分からなかったが、これまで彼女の言う事はその通りになっていたので、それ以上は何も言わずに信じる事にした。
「ケイミィちゃん。空を飛んで帰る力は、まだ残っていますか〜?」
「……はい。もう少し回復すれば、本拠地へ帰るまでの力は残っています」
「では、回復出来たらでいいので〜。ランド君を連れて先に帰っておいてください〜。あの子、自分の傷を焼いて無理矢理塞いでましたけど、手当した方がいいくらいには重傷でしたから〜」
「わかりました。カトレアさんは?」
「私はまだ、この国でやるべき仕事が残っているので〜」
「そうですか……」
彼女の仕事とやらを手伝った方がいいだろうかと少し迷ったが、万全な状態では無いので却って足手纏いになってしまうかもしれない。
そう判断し、自分は言われた通り怪我人のランドを連れて先に帰る事にした。
そして最後に、ケイミィの脳裏に一人の少年の姿――銀髪の亜人の少年、ウルガーの顔が過ぎる。
おそらく、自分の元になっている人間の記憶に居る人物なのだろうと……察する事は出来た。察する事は出来ても、やはり「知らないのに知っている」というのは奇妙な感覚だが。
何より、彼の姿を見ると、彼の事に思考を向けると……自分が、ケイミィがケイミィという存在では無くなる様な、気がする。
だからあまり考えないようにして、すぐに思考から遠ざけた。
――もし、元になっている人間の感情に思考を上書きされてしまったら、今ここに居る自分はどうなってしまうのか。
もしケイミィという人格が、この世から消滅してしまったら。
それがケイミィは、
「…………怖い…………」
東の大国イースタンの王都で繰り広げられた戦いは終結。
国内でも特に高い実力を持つ兵で構成された国王軍と、反乱軍の兵士達は八割以上が死亡。
マグナス含む生き残った者達も多くが重傷を負い、イースタンは主戦力の多くを失ってしまった。
そして、王都全域に響き渡り明かされた国王の本性は避難していた記者達の耳にも当然届いており、 瞬く間にその情報は国中へと広がって行く。
それだけでは無く、騎士団長として長い間活躍し、本性を知らない人間からは尊敬の念も向けられていた男フレデリックが国王と協力関係にあり、犯罪組織『魔導会』との繋がりも発覚。
そして王だけでなく上層部の多くが国王フレデリックに協力し裏で暗躍していた事が明かされる。
王政府はマトモに機能しなくなり軍事力の要であった筈の騎士団は存続の危うい状況へと立たされてしまった。
数々の隠されていた国の闇の部分がイースタンに広がり、不安や混乱が国全体を渦巻いて行く。不満が爆発し、近い間に暴動が起きても不思議では無い。
こんな時に、国を助けてくれる、国民達に安心を与えてくれる存在が、イースタンに来てくれれば――
「――それが、残る三大国の存在です。分かりますよね? アンドレアさん」
「……」
ニアの祖父アンドレアは現在、国王との繋がりを自白した事で、多くの上層部の人間達と共に地下牢へと捕らえられていた。
アンドレア一人が幽閉されている牢のすぐ外には女……魔女カトレアが作った様な笑みを浮かべながら、周りには聞こえない静かな声で語り掛けて来る。
「だから、貴方はまだ余計な事はしなくていいんですよ。貴方と国王が協力し悪事を働いていた事だけならばいくら話しても構いません。ですが、それ以上はまだ話さないでください」
「……確かに、残る三大国の王達ならば、人々からの強い信頼を得る為にイースタンを助ける行動に出るだろう。だが、所詮それは一時だけの、仮初めの平和だ」
「それでも構いませんよ。今、貴方に全てを話される方が絶対に危険なんです。――今この状況で四大国全てが協力関係にあって、四人の王の欲望を満たすためだけに国が作られたなんて情報を広めたら、本当に取り返しのつかない状態になりますよ」
「まるで、未来がどうなるのか分かっている様な口振りだな」
「はい。分かりますよ。何も知らない国民にはまだ残る三大国に騙されたままで居て貰います。余計な情報まで広める方が、数えきれない程の死人が出ますから」
「……」
確かに目の前の女の言う通りである。
その本性を暴かれたのがイースタンの王だけならば、わざわざ王を助けようとするよりイースタンの国民の味方をした方が彼等にとっては都合が良い。
一方で、もし全ての四大国の王が悪であると暴かれたならば――その情報を知る者を皆殺しにするだろう。
しかし、ただ黙っているだけでは、これまでと何も変わらない。
「情報は明かして、それを国の外に出さない様にすれば……」
「無理に決まっているでしょうアンドレアさん。情報とは一度広まってしまえば、もう止められませんよ」
「……」
「貴方が罪を償いたいとお考えなのは分かります。ですが、今、全てを話すのは更に深い地獄へ国民を落としてしまうだけですよ」
「そう、か……」
アンドレアは目を瞑り、冷静では無くなっていた自分の思考を落ち着かせる。
話したいという『欲望』に駆られていた。そんな自分は、結局まだ愚かな人間のままなのだと自省し、謝罪を口にした。
「すまない」
「いえいえ、分かっていただけたならいいんですよ〜」
カトレアは軽く手を振りながら「それでは〜」と牢から顔を離し地上へと帰って行く。
アンドレアは頭を抱え、今まで自らがヌエルと共に行ってきた悪行を思い返し、孫の顔が浮かび上がる。
「今では無い。いずれ時が来れば……必ず、罪を償おう。この命を犠牲にしてでも」
カトレアがアンドレアの元を去り、それとほぼ同時刻。
身体中に傷を負い病院のベッドで数日寝ていたニアは、ある程度回復したため自由に動いても良い許可を医者から貰った。
その足で先ず最初に向かった病室――一時期は命も危うい状態だったらしいテッドの寝かされている場所へと入って行く。
もう意識は回復し命の危険からは脱した様だと話には聞いていたが、それでもやはり不安だった。
恐る恐るテッドの寝かされているベッドへと歩いて行き、やがて見えたその顔を見て、安堵する。
腕に続き脚まで失ってしまった事はとても悲しく痛ましいが、彼の顔は元気そうだった。
「良かった……いつも通りの顔で……」
「はい。ニア様もお元気に回復して何よりです。動くのには少し難儀しますが、すぐに慣れますよ」
「確かにテッドなら義足でも直ぐに動ける様になりそうだけれど。無理はしちゃダメよ?」
「いえ、無理をしない訳には行きませんから」
「……テッド?」
その口振りに少し、違和感を覚えた。
普段は冷静にものを考えて話す彼の口から、今までに無い焦燥感の様なものを感じ取ったからだ。
そしてそれと同時に気が付く。
テッドの体内から、負の魔力の気配を感じる事に。
「ちょっと、負の魔力の感じがするわよ、テッド! 何があったの!?」
「ニア様、病院ではお静かに」
「あ、そうね。ごめんなさい」
注意を受けひとまず反省しながら声を小さくして、もう一度、彼に問い掛ける。
「何で、負の魔力の気配がするの?」
「……一応抑えるように意識していたのですが、やはり感付かれましたか。フレデリックに捕われた際に、少々体内に負の魔力を入れられてしまいましてね」
その知らなかった出来事を聞いて、ニアは動揺しながら咄嗟に魔力を手の平へ集中させ始める。
「そんなの放っといちゃ危ないわよ! 私が負の魔力を消してあげるわ、黒炎で消せると思うから……!」
「いいんです、まだ消さなくて……」
「何でよ、危ないから駄目! 早く黒炎で」
「いいんです、やめてください!」
「!?」
珍しくテッドが頑なになっていて、少し言葉に詰まる。
どう話しかければいいのか迷っていると、テッドは申し訳なさげに謝罪を口にした。
「申し訳ありません……ニア様。貴女は善意で言っているのに、突き放す様な言い方を。みっともないですね」
「い、いいのよ、たまには……ほら、テッドはいつも頑張ってくれてるし……」
「――今、私の身から負の魔力を消せば、もう戦えなくなるんです」
「え?」
これ以上はもう少し様子が落ち着いてから踏み込んだ方がいいかと考えていた矢先、テッドは僅かに落ち着きを取り戻した様子で語り始める。
「既に私の体はボロボロです。普通ならばもう引退しなければならない。しかし、負の魔力があればまだ、この状態でも力を引き出す事が出来るんです」
「……」
「アンネリー様もまだ助けられていない。その上、ニア様を守る事すら途中でやめて引き下がるなど……そんなみっともない真似はしたくないんです」
「テッド……」
「ですからニア様。まだ私を戦場で立たせる為に、体内の負の魔力はこのままにしておいてください」
彼の焦燥感の理由が、なんとなく分かった。
もう彼の体がギリギリの状態なのは見れば分かる。それでもまだ、戦い続けなければならないと思っているのだ。
その気持ちはありがたい。が、やはりニアは……テッドには無茶をしないで欲しい。これ以上、その身と命を削らないで欲しい。
彼も大切な、家族なのだから。
「お願いします、ニア様」
「いえ、絶対に無茶は許さないわ」
「――――」
懇願を即座に拒否されて、今度はテッドが固まり返答に困った表情を見せる。
そしてニアは続けざまに、自分の意志を真正面からぶつける。
「このままじゃテッドは、自分の身を滅ぼすまで戦っちゃう。負の魔力なんて凄く危険だし……死んじゃう、かもしれない。そんなの嫌! 私はテッドに、死んでほしくない!」
「……しかし私は、アンネリー様を助け出すまで、ニア様をお守りしなければ……」
「いいのよ、もう! いっぱい頑張ったでしょ! 私にももう、一緒に戦ってくれる友達も居るし、自分の事も少しは大切にしてよ!」
「ですが、敵は強大だ! 私の命を使い切り、犠牲にしてでも……!」
「だからそれが嫌だって言っているのーー!!」
「!?」
感情が昂りつい、叫んでしまった。
病院の人には後で謝っておこうと、そう思いながらそのまま口を動かそうとした直後。
背後から突き刺す様な視線と共に、声がした。
「うるさいぞ、ニア。教育はどうなっているんだ全く……」
「ひえ、ごめんなさい!」
咄嗟に謝りながら振り向けば、そこに立っていたのは赤い髪の青年――ニアの兄、ジークヴァルトだった。
「あ……お兄ちゃん」
「すみません、テッドさん。こいつが騒がしい声を上げて……」
「ねぇ。私が寝ている間に果物置いててくれたんでしょう? ありがとう、お兄ちゃん。病院の人に聞いたわ」
「あの看護婦、黙っておけと言ったのに……。いや、いい。今はそれより」
一瞬緩み掛けた空気を引き締め直しながら、ジークヴァルトは真剣な眼差しをテッドへと向けながら、
「テッドさん。ニアの言葉に、俺も賛同します。もうこれ以上の無理は、止めてください」
「な……」
テッドは、家族から差別を受け迫害されていたジークヴァルトにも優しくしてくれた。
ジークヴァルトは彼の事を尊敬して、テッドの元で強くなるために努力を重ねて、やがて騎士団に入る。
彼はこれまでテッドに対して、その意志を否定する様な発言はしてこなかった。だが、ジークヴァルトは今日初めて、真っ向から対立する意見をぶつける。
「何かを守る為には死物狂いになることも必要だとは俺も思います。ですが、今の貴方がやろうとしている事は、その守りたい人を……余計に悲しませてしまう事ではありませんか?」
万全な状態で戦った結果死ぬのと、ギリギリの体に無理をさせて自らを痛めつけ、命を削り死ぬのとでは、全然違う。
限界の体に無理を重ねさせている方が、見ている側には辛いだろう。
「テッド……お願いだから、もう休んで……」
「ニア様……」
ニアは抑えていた感情が決壊し、涙を流しながら懇願する。
流石にこの体でまだ戦わせるのは、辛くて心が耐えられない。
言ってしまえば、テッドもニアも、どちらの意見も我儘だ。だからどちらが正しいかなんて、決めつける事は出来ないが。
「私は、やっぱり、死んで欲しくない……!」
「……」
テッドは迷いの表情を浮かべ、ニアを見る。
その二人へと歩み寄りながら、ジークヴァルトは意を決して、テッドの迷いを払拭しようと力強く宣言した。
「――あとの役目は、俺に任せてください」
「……ジークヴァルト……」
「アンネリー伯母さんを救い出し、ニアを守り、必ずここへ帰って来てみせましょう」




