二十九話 魔巌の鎧
身体中が重い。更に、水魔法で咄嗟に応急処置はしたものの、左腕は広い範囲に火傷を負っていた。
激しい苦痛が常に襲い掛かり続けている。
それでも、故郷に残して来た人々の味わっているであろう苦痛に比べれば、全然耐えられた。
エルフの村の皆は今も、『負の魔力』による心身への汚染で苦しみ続けているだろう。一日たりとて、忘れる日は無い。
これくらいの傷や痛みなら、時間や薬で治せる。
まだ身体は動かせるし、頭もちゃんと動く、魔力も少なくなっては来たがまだ使える。
そして、荒みかけていた心を救ってくれた、ウルガーとニアの力になりたいと、誓ったから。
まだ、戦える。
戦う覚悟を決めて、眼前の敵対者へと視線を向ける。
すると、その相手――ランドはこちらへ視線を返しながら、
「オイオイ、マジかよ、エルフ君。その身体で、しかも一人で俺に挑むって?」
「……僕の名前はカイです」
「あぁ、そりゃ失礼したな、カイ。つーか、お前一般人じゃないのか? 確かになかなか強いが、戦士って雰囲気がまるでしねぇぞ」
「でしょうね……こんな戦いなんて、したことがありませんし」
つい先刻、ジークヴァルトから頼まれた事。それは、一分の時間稼ぎだ。
その事は当然、同じ場に居たランドにも筒抜けだった。が、
「そこの、ジーク……なんとかだか言う騎士が魔力を溜めて、お前がその時間稼ぎをしようってんだろ? ハッ、面白え。お前らの作戦に乗ってやらぁ」
ジークヴァルトはおそらく、わざとランドにも聞こえる様に作戦を話した。
案の定、彼は先ずカイに狙いを定めている。正々堂々と戦おうとするその性格を利用したのだ。
これで、ジークヴァルトを真っ先に狙われる心配は無くなった。
背後からは小さく土の魔力を感じ始め、更に前方に佇んでいたランドが、地を踏み締めながら――獰猛に笑みを浮かべる。
「さァて、始めるぜ」
次の瞬間、ランドの姿が突然消え――否、消えたのでは無い。
人間業とは思えぬ程の速度で、一瞬にしてすぐ目の前まで距離を詰めて来ていた。
「ぅ――っ!」
反射的に、両手に溜めていた魔力から水の弾丸を生成し、迎撃。
しかし、両手から放たれた水の弾丸はランドの驚異的な動体視力により回避され、次なる行動へ移ろうとする暇も無く――カイの腹部に強烈な一撃が叩き込まれる。
「かはァッ!?」
重たい衝撃がぶつかり、呼吸を無理矢理せき止められる様な感覚が襲い掛かって来た。意識が飛びそうな程の苦痛に膝が崩れ落ちるも、痛みに耐えながら再び溜めていた魔力を、眼前の敵に向ける。
「くぅ……ぁあっ!」
必死に声を上げながら、両手を合わせ前に出し、水の激流を放つ。それは相手の身体に真正面から直撃し、「うっ」と顔を歪め苦鳴を上げていた。
多少の効果はあった筈だ、が――ランドの動きは衰える事なく、続けて繰り出された拳が右頬へとぶつけられた。
「――――っ!」
口の中から出血し、痛みに声を発する間もなく、体ごと吹き飛ばされ床を転がって行く。
まだ倒れてはいけないと、直ぐに床に両手を付け、乱れる呼吸を整え、震える膝を無理矢理立たせた。
痛い、痛い、苦しい、痛い……時間、時間はどれだけ経った。一分は、まだ――
「まだ十秒くらいだぜ。どうする? 降参するか?」
ランドが、そう語り掛けながらこちらを見下ろして来る。
まだ半分も時間が経っていない事に絶望しかける心に、故郷の人達を思い浮かべる事で喝を入れ、自らを奮い立たせる。
皆が今もなお味わっている、逃れられない苦痛に比べれば――こんな痛みくらい、
「まだまだ、へっちゃらです……!」
「ハッ。降参するならこの辺りで見逃してやったが、やるってんなら容赦しねぇぞ」
そう言い、再び床が割れる程の勢いで地を蹴りながら凄まじい速度で一直線に突撃してくる。
カイは両手を床に着けたまま、全神経をランドの動きを見る事に集中させ、
「オイオイ、んなカッコしてたらもっとボコボコにされ――――あ?」
床に手を着けたままのカイへ警告しようとしたその直後、すぐ足元の床を割りながら波の塊が姿を現し、股下からランドの身体へと直撃。
「うぉオッ!?」
いくら高い運動神経を持つ彼でも、足が地から離れれば抵抗は出来ない。
波の塊にぶつかり身体を弾き飛ばされたランドに向けて、更に龍の形を成した水流を放った。
「行けぇ!」
水魔法『水龍』はランドの全身を呑み込む様にしてぶつかり、勢いのまま彼の身体は屋外の大通りまで叩き出される。
相手の状態を確認するため、急いで自分も大通りの真ん中まで出ると、道中で水びたしになり倒れていたランドを発見。
彼は「いって」と小さく呟き立ち上がりながら――カイへと視線を突き付けた。
「ハハッ、やるじゃねえかよ。今のは、なかなか効いたぜ」
「――本気でやっつけるつもりで、やったんですけどね……」
「オウ、頑丈なオレじゃなきゃヤバかったかもな。ンじゃ、次はこっちの番だ」
全身を振るい水を払った後、ランドは両手に集中させた魔力から左右それぞれ一つずつの、巨大な炎の玉を生成した。
どちらもとんでもない魔力量が込められた一撃だ、一度でも喰らえば命すら危うい事を察し、全身の血の気が引く。
「オレの出せる最大火力で行く、ぜッ!」
そう叫びながら、先ずは右手に生成された巨大な火球を一つ投げる様にして放つ。
咄嗟に氷の盾を前方に張り巡らせ防御するが、接近してきた際の火球の熱で既に溶解を始めていた。ぶつかれば、一瞬で氷の盾は溶かされ消えてしまうだろう。
氷の盾による防御は意味を成さないと悟り、それを放棄して、火球の弾道から避ける為に地を蹴りながらその場を離れる。
その直後、カイが移動した地点に向けて、二撃目の火球が放たれていた。
「ぁ――」
もうすぐ目の前まで火球は迫っており、息が詰まる感覚が襲い掛かる。思考が空白になりかける。
それでも諦めてはいけないと、止まりそうになる思考をギリギリの所で奮い立たせる。が、最早考えている時間さえ残されていない。
カイは自らの生存本能に従い、周囲に大量の水を発生させ、自身の身体を水の球体で包み込み、身を守る。
それと同時に、燃え盛る巨大な火球が、カイを包み込む水の玉と衝突。熱風が巻き起こり、身を守る為の水は高熱の炎により瞬く間に温度が上昇していく。
このままでは水の玉が火傷を負いかねない熱湯となり、やがて蒸発してしまう。
「っあぁァーーッ!」
カイは無意識に口から叫び声を上げながら、次なる一手を打った。
自分を包み込む水の玉を破裂させ、その衝撃で自身を無理矢理その場から弾き飛ばし、火球の弾道から離れ、回避に成功した。
「ッ、ハアッ、ハアッ……!」
自分の魔法を自身にぶつけ、痛みが全身に襲いかかる。それでも、先刻の巨大な火球を直接受けるよりは何倍もマシだと自らに言い聞かせる。
震える両膝を両手で抑えつけ、立ち上がり――
「三発目だ」
視線を前方に向けた瞬間、すぐ目と鼻の先まで接近していたランドが小さく呟いていた。
そして、彼の右腕から放たれる一撃の鉄拳が、カイの顎下から上へ向かって叩き込まれる。
「――――ッ!!」
頭部を揺さぶられ、強い衝撃が走り、声を発する暇も無いまま身体ごと後方まで吹き飛ばされ、地面に叩きつけられてしまった。
意識がボヤけそうになり、背中から地面に落ちた衝撃で呼吸が苦しくなる。身体に、力が入らない。息が苦しくて、そこら中が痛くて、魔力を練る事に集中出来ない。
地に背を着けたままの状態で必死に呼吸を整え、意識を保とうと努める。
その最中、ランドがこちらの顔のすぐ真横まで近付いて来ていて、見下ろしながら語り掛けて来る。
「もういいだろ、カイ。お前は充分頑張った、褒めてやるぜ。――さて、あとは騎士の奴をぶちのめすだけ……」
このままでは、魔力を溜めているジークヴァルトの所まで行かれてしまう。それはいけないと、カイは、咄嗟に右手でランドの片足を掴んでいた。
「…オイオイ、やる気あんのはいいが、もう無理はやめとけって。んな身体でそれ以上何が出来……」
そう言いかけた瞬間、ランドの片足に鋭い一つの痛みが走った。
「グァッ!?」
反射的にランドは、カイの右手を蹴り飛ばし、その場から跳躍しつつ距離を取った。彼は、痛みの走った自らの足の部位を確認し、驚きに目を見開く。
「コリャ、氷の針……、待て、アイツが魔力を手の平に溜めてる感覚は無かったぞ。いつの間に、こんなモンを……!」
「――ハァ、ハァ……」
ぶっつけ本番で今までに使った事の無い魔法の使い方に、成功した。
ランドの片足に突き刺さった氷の針、それはカイ自身の体内にあった水分を利用し生成したもの。
魔力によって空気中に水を生成する通常の過程と違い、これならば時間も掛からず、相手には感付かれ難く発動出来る戦法だ。
しかし、自分の体内の水分も抜けて無くなってしまう為、多用は出来ないやり方でもある。
「もう、これ以上は……」
限界だ、と、そう言おうとしたその時。
労うような青年の声が、重たい足音と共に横から耳に届いて来る。
「よくやった」
その声のした方角へ視線を向ける。すると、そこには――
「ジークヴァルトさん」
そこに現れたジークヴァルトの頭から足元までの全身は岩の鎧に覆われており、騎士剣も本来の刀身より一回り以上大きな岩の大剣と化していた。
彼は庇う様にして地に倒れるカイの前に立ち、岩の大剣を構え眼前の敵へと突き付ける。
「『魔巌の鎧』――これで、貴様を倒す」
その姿に、ランドは「ハッ」と楽しげに、更に獰猛に笑みを浮かべ、
「それがテメェの奥の手か。おもしれぇ……が、長くは持たなそうだな、それ」
「……!」
「ま、安心しな。時間切れまで逃げるなんざつまんねぇ手段は取らないからよ。真っ向から相手してやらァ!」
地を蹴り抉りながら、一直線に距離を詰め、ランドは凄まじい速度の拳を連続的に叩き込んで行く。
その連撃は、ジークヴァルトの全身を覆う岩の鎧の至る所に傷を付けていく――が、鎧を破壊するまでには至らない。
「むしろオレの拳が傷付くってか」
皮が抉れ傷付く自分の拳を眺めながら呟き、ランドは戦法を切り替えた。彼は両手から巨大な炎を生成し、二撃の燃え盛る火球を放つ。
一撃、二撃と連続して岩の鎧へと直撃し、激しい炎に包まれ焼かれて行く。
しかし、それでもジークヴァルトの足を止める事は出来なかった。
鎧の隙間に入った炎で多少はダメージがあるはずだが、それを声には出さず、岩の大剣を握り締めながら走り出す。
燃え盛る炎の中から出現したジークヴァルトは敵対者へと飛び掛かり、その手に握り締められた大剣を振るった。
「ハアァッ!」
ランドは後方へと跳躍しながら重たい一閃を回避し、それを追撃する様に岩の大剣が更にもう一度振るわれ、続け様に刺突が放たれる。
「いてッ!」
刺突は相手の左肩を掠り、抉られながら出血していた。
この機を逃すまいと大剣による連撃を緩めず、更にもう一閃、岩の大剣を敵対者目掛けて叩き込む。
ランドは両足を上げ跳躍しながら一閃を避け、そのまま中空から片足を振るい、『魔巌の鎧』の兜の部分を狙い一撃の蹴りを放った。
頭部を襲う重たい衝撃に、ジークヴァルトは意識が揺らぎかける。
「ぐぅぅっ!」
岩の鎧と兜で攻撃そのものは直撃せずとも、襲いかかる衝撃はその内部にまで伝わる。
それを利用したランドの一撃に、足がふらつきかけるのを何とか堪え――頭部にぶつかり接触した相手の足を、強く握り締め動きを止めた。
「チィッ――!」
「今だっ!」
この至近距離では大剣は振るえない――即座にそう判断し、剣を地に投げ捨て、岩の手甲で覆われた握り拳で相手の顔面目掛けて殴り飛ばす。
「ぐぶァッ!!」
苦鳴と鼻の骨の砕ける音が聞こえ、牙が二本折れ、血塗れになりながら、ランドの身体は地面に打ち付けられる。
しかし、警戒を解いてはいけない。まだ攻撃の手を緩めてはいけないとジークヴァルトは直ぐ様に岩の大剣を拾い、全速力で敵対者へ向かい接近した。
そして警戒していた通り、ランドは顔面が血で塗れながらも怯む様子なく、むしろ闘志を更に湧き上がらせながら瞬時に立ち上がり、より獰猛な笑みを浮かべて叫ぶ。
「ハッハッハッ! 久しぶりだぜ、こんなに血が騒ぐ、身体が熱くなる戦いはよォ! いいぜ、オレも奥の手を使ってやろうじゃねえかッ!!」
その直後、ランドの両手に生成された炎がそのまま彼自身の肉体を包み込む。全身を熱く燃え盛る炎で纏いながら、一直線に突撃して来る。
大振りに放った岩の大剣で迎撃するも、先刻より更に上昇した驚異的な速度で剣閃を潜り抜け、真正面まで距離を詰めて来た。
「クッ、更に速くなるのか――!?」
「オレもこの状態は長く持たねぇからよォ! さっさとケリ付けちまうぜェッ!!」
反撃に移る暇も無く、凄まじい速度で幾度にも鎧の全身に炎で纏われた拳が叩き込まれる。
殴られる毎に激しく削られて行き、鎧が保つのは時間の問題だ。更に、炎の熱により、鎧そのものが高温になっていく。
――このままでは押し負ける、反撃しなければ、このまま終わってしまう。
「まだ、終わるものかぁあーーっ!!」
ジークヴァルトは咆哮の如く叫び、一瞬の攻撃の隙間を掻い潜る様に大剣を突き付けた。
それはランドの横腹を抉り、僅かに相手の動きに遅れが生じる。その機は逃すまいと、岩の大剣を即座に構え直し、次は心の臓を狙い続けて攻撃に出た。
「やッら、せるかよォオ!!」
迫る大剣を、ランドは両側から拳で刀身を挟む様にして叩きつけ、剣を覆っていた岩を粉々に破壊し、更に内部の騎士剣にヒビが入った。
――その次の瞬間。
「『飛礫』」
ジークヴァルトが静かに詠唱した直後、砕かれた大量の岩の破片は礫の弾丸と化し、ランドの全身へと襲いかかる。
「づぅアッ!」
礫の一つが左目にもぶつかり、ランドは苦痛に顔を歪めながら反射的に片手で目を抑えていた。
「これで、終わらせる!」
もうすぐ、魔法の効果が切れる。
そう悟ると残る魔力を使い切り、傷付いた騎士剣の刀身を再び土で覆い尽くし、刃の形が生成されて行き――岩の剣が再び出来上がる。
残るは数秒、動きの鈍くなっている今しか無いと、重たい足音を立てながら直進し、斬り掛かった。
「ハアァーーッ!」
「――ッ! 負けるか、ッよォ!!」
ランドは全身に覆っていた炎の魔力の全てを右拳のみに集中させ、その右手は巨大な炎の拳へと変化を遂げる。
激しく、熱く燃える炎の拳を、迫る岩の剣に真正面からぶつける事で迎え撃つ。
「あああァァァーーッ!!」
互いの咆哮が同時に轟き、互いの最後の力を込めた一撃、岩と炎が激しくぶつかりあった。
岩の熱が高まり、特に温度の上昇している剣の部分から、ジークヴァルトの手の平が火傷を負い始めて来る。それでも、離さない、力を緩めない。ここで――
「俺が勝つ!」
ジークヴァルトが叫んだと同時、岩の剣が粉々に砕け散り、岩の鎧も砂となりながら消え、相手の炎の拳は熱風を発しながら掻き消えた。
それでもランドの攻撃は止まらず、
「勝つンは、オレだァッ!!」
放たれた鉄拳がジークヴァルトの鳩尾に食い込む。襲いかかる苦痛を、歯を食いしばりながら耐え抜き、ボロボロの騎士剣を握り締めた。
「俺、だっ!!」
柄にも無く、感情のままに、ただ叫んでいた。
地に着きかける膝を無理矢理奮い立たせ、既に限界の足を動かし、距離を一気に詰めて――
放たれた騎士剣の刺突が、ランドの腹部へと食い込み、突き刺さる。
「ガッ、アァアッ!」
ランドは苦鳴を上げながら吐血し、騎士剣を刺された腹部を手で抑えながら、フラフラと背後へ二歩、三歩と下がり、背中から地に倒れ伏した。
ジークヴァルトも、もう限界だった。最早どれが何の傷なのか分からない程に全身のあらゆる場所が痛み、魔力も完全に底を尽きた。
握り締められていた騎士剣を手放して地に落とし、両膝を地面に着け、そのまま力尽きた様に地面へ倒れる。息も苦しい、迅速に呼吸を整えなければならない。
「ハア……ハア、ハア……ッ」
そんな中、微かに一つの笑い声が「ハッ」と聞こえ――
その声の主、ランドはどこか満足した様な声で、
「チクショウ、オレの……負けだ、ジークヴァルト……」
「……ふん」
大通りでの戦い、勝者はジークヴァルト、カイの二人。
ただし、三人全員が力を使い果たし戦闘続行不能。




