二十八話 反撃
連れ去られた少女の行方を探るべく、ウルガーとビッキーの二人は、先ず軍事施設内のニアのニオイが一番濃く残されている地点へと到達する。
その場所は殺風景な地下の個室。
血の臭い等は全くしないため、拷問を受けたりといった事はされていないのだろうと安堵する。
おそらくここがニアの先刻まで幽閉されていた場所であり、ここから更にニオイを辿って行けば、ニアの連れて行かれた経路も分かる筈だ。
「私達の嗅覚合わせ技なら、楽ちんに探せるね!」
「そうだな……でも気は抜くなよ」
実際、ビッキーの言う通り、ここまでは難なく短い時間で来られた。
しかし、相手は魔導会も絡んでおり、フレデリックも居る。警戒はし続けた方が良いだろう。
ニアの残り香を辿りながら、二人の足音以外の物音が一つもしない殺風景な廊下を歩いて行く。
施設内の遠く離れた地点からは、血や死体のニオイが微かに臭うが、少女のニオイが残されているこの周辺一帯には血の臭いも無く、戦いの形跡が一切無い。
戦場から離れた場所に居たという事なので、彼女は巻き込まれておらず無事なのだろう。
「――ん?」
早足でニアのニオイを辿って窓一つ無い廊下を進んでいると、道中で突如、続いていた少女の残り香がプツンと途絶えていた。
隣に居るビッキーもその事に気が付いた様で、
「あれ、おかしいね。ニアちゃんの魔力の残り香が途中から消えてるよ」
「ずっとニアのモノと同時に感じてた、もう一人のニオイも無くなってやがる……」
ニアのニオイと同時に感じるもう一つは、おそらく魔導会に所属する魔女、カトレアのニオイだ。
周囲を見渡してみるも、視界に映るものは窓も扉も装飾も何も無い、殺風景な壁と廊下ばかり。
人が出入り出来そうな場所などどこにも無い。ならば二人は、いったいどこに消えて――
「――隠し通路」
ふと脳裏に過ぎり、ウルガーの口から出たその言葉。少し前に、襲撃してきた所を返り討ちにし、倒した敵兵から聞き出した情報の中の一つだった。
あの男は、軍事施設内には隠し通路が在ると言っていた。
国王とも繋がりがあるらしい魔導会の構成員ならば、その存在を知っていたとしても不思議ではない。
側に居たビッキーも、ウルガーの発した一言に反応を示し、
「隠し通路か、確かにそんな事言ってたね。ここから急にニオイが無くなったって事は……すぐ近くに、ソレがあるかも知れない」
「あぁ。壁や床のニオイをもっと慎重に調べてみる」
神経を嗅覚に集中させ研ぎ澄まし、鼻を床に近づけ、そこから壁までゆっくりと残されたニオイを嗅ぎ取って行く。
床から顔を上げ、壁へと鼻を近づけながら上へとあがって行き――
「……見つけた」
壁面に一箇所だけ、ニオイの強い部分を見つけた。これはおそらく、カトレアのものだ。
すると、横から顔を出すビッキーが同じ地点へ視線を向け、指を差しながら
「この位置から微かに魔力のニオイがする」
「本当か? じゃあ、ここが怪しいな」
隠し通路の可能性に思い至り、何かしら反応が無いかと、カトレアのニオイが残されている位置に手を触れてみる。が、何も変化は無かった。
試しに壁を力強く押して、叩いてみるも、反応らしきものは一切無い。
「クソ、ここに隠し通路の入口があるかもと思ったんだが……まさか、見当違いだったか?」
途方に暮れそうになっていると、ビッキーが続いて前へと出ながら残り香のある位置に手の平を置く。
「ちょっと私が試してみる」
「何か分かったのか?」
「そういえば以前、傭兵として働いてた時に聞いた事があるんだよね。扉の鍵として使われてる魔導具の存在」
「鍵の……魔導具?」
「うん。壁の中から薄っすら感じるこの魔力……埋め込まれた魔導具のものかもしれない」
そう呟きながら、ビッキーはニオイのする位置に手を触れたまま、手の平へと魔力を集中させ始めた。
深呼吸し、数秒の沈黙の後、溜まった魔力を掛け声と共に壁の中へと向けて流し込む。
「ふんっ!」
彼女が壁の中へと魔力を送り込み、直後。そこに大きな変化が訪れる。
重たい音が鳴り響き、一帯が小刻みに揺れ始めた。
「うぉ!?」
ビッキーの佇んでいるすぐ左側の壁の一部が、地鳴りの様な音と共にゆっくりと、縦向きに開いて行く。
そこに、先刻までは無かった、もう一つの道への入口が新たに出現していた。
「こいつが、隠し通路か……!」
出来上がった新たな道に嗅覚を集中させてみれば、そこにはニアとカトレア、二人のニオイが感じ取れた。
間違い無い、ここから先へ連れて行かれたのだろう。
王城内部となれば、護衛の兵士も精鋭が配備されているだろう。強敵であるカトレアも居る。それらの手から、拐われたニアを救い出さなくてはならない。
そして――もしかしたら、逃げたケイミィも、この向こう側に……
「……」
ケイミィの事を考え、またも複雑な感情が、胸中を渦巻き支配していく。進む足が重たくなりそうな、そんな時。
横からビッキーが、突然バシバシと背中を叩いて来た。
「えへへへ、まさかの隠し通路で当たりだったよ、ウルガー! 褒めて褒めて!」
「……あぁ、凄いぞ。ありがとうな」
「もっと褒めて!」
「うん、よくやった」
「まだ足りない!」
「いや、しつこいな!?」
しかし、ビッキーの騒がしさで、少しだけ気を紛らわす事が出来た。
おそらく、ウルガーの考えが表情に出ていて、それに気が付き、気を遣ってくれたのだろう。
「お前にも助けられてるな、本当に……」
「ふふん。ようやく私の有り難さが分かった様だね。ビッキー様と呼んでくれてもいいのよ」
「いや、それは呼ばんけど」
今は、余計な事を考えてはいけない、優先するべきはニアの救出だ。テッドにも頼りにされている……期待を裏切る訳にはいかない。
「行くぞ、ビッキー」
「了解」
開かれた隠し通路を、ひたすらに真っ直ぐに、駆け足で進んで行った。二人の足音のみが一帯に響き、どこまでも細長い一本道のみが続いている。
五感を周囲へ張り巡らし、罠や伏兵を警戒していたが、それらの気配も特に感じられない。
走り出してから数分――細長い通路の先に光が見えた。
通路を抜けて、二人は殺風景な開けた空間へと足を踏み入れる。そして同時に、目の前に九人の人影が現れた。
「――まさか、待ち構えてやがったのかよ」
ウルガーの呟きに反応を示したのは、眼前の屈強な騎士の集団の中心に立つ、一人の女。――魔導会の構成員、カトレアだ。
「うふふふ、よく来ましたね〜。実は、侵入者の気配を感知する魔導具も通路に設置されていたんですよ。気が付きませんでしたか〜?」
「マジかよ……」
「ヤバいね、全然気が付かなかった」
「お二人共、正直ですね~」
そう、穏やかな笑みを浮かべながら語るカトレアからは、強い戦意を感じた。
表面上はおっとりしている様に見えるが、あくまで見えるだけだ。
本能的に危険を察知し、無意識にウルガーは戦闘態勢へと移っていた。
「あらあら、いきなりやる気いっぱいで怖いですね〜」
相変わらず穏やかな口調を崩さないカトレアに、ビッキーが指を差しながら口を開く。
「やる気いっぱいはアンタもでしょ、カトレア。右手に持っている武器、以前に会った時よりも随分物騒じゃない」
そう、現在目の前に居るカトレアの持っている武器は、以前の三節棍では無い。軍人の使う槍を、その右手に握り締めていた。
その指摘に、カトレアは笑みを崩さぬまま答え、
「本当は私も刃物は好きじゃないんですよ。けれど、『銀狼』さんが相手となれば、そうも言っていられません〜」
「銀狼……俺の事か?」
「はい。私はずっと、貴方を探していました」
「――は?」
突如、彼女の口から告げられた、『探していた』という一言。意味が分からず呆けそうになるが、気にしている場合では無いと頭を振る。
対するカトレアは、小さく、誰にも聞こえない声で囁き、
「銀狼、闇の魔女、光の魔女、そして二つのイレギュラー。全てが揃えば……」
その言葉を途中で中断させて、カトレアは槍を構えながら、ウルガーへと視線を向ける。
「ウルガー君、この世界の未来の為に、ここで私に捕まって貰います」
その言葉の直後、カトレアが槍を前方に突き出すと同時に、周囲に佇んでいた八人の騎士が一斉に飛び掛かる。
その全員から強い戦意と肌に突き刺さる鋭い殺気を感じる。気配から察するに、おそらく全員が精鋭だ。
特に最も警戒すべき強敵、カトレアはウルガーへと狙いを定めているのが分かった。
「皆さんは金髪の魔女の子をお願いします。先刻、伝えた弱点は覚えていますね?」
「はっ!」
兵達はカトレアの指示に応えた後、ビッキーを狙いそれぞれ剣を構える。そしてカトレアは一直線にウルガー目掛けて槍を振り向けて来た。
「ウルガー、騎士団は私が相手するから、カトレアは頼んだよ!」
「一人で大丈夫か!?」
「戦場で生きて来た私を舐めないでよね!」
そう言い残し、ビッキーは高い反射神経で兵の突き付ける騎士剣を躱し、防御しつつ、応戦していく。
「他人を気にしている余裕はありませんよ〜。ウルガーくん」
「分かってらぁ!」
眼前からは、カトレアの放つ槍の刺突が凄まじい速度で迫る。
それを身体を回転させながら避け、回避と同時に床を蹴り相手の懐まで一気に接近する。
「ッだあァアアッ!」
出せる最高速度で次々と両拳を振り放つ。が、眼前の女はその尽くを全て見透かした様に回避し、反撃の槍の一閃を振るった。
床を蹴りながら中空へと逃げ、跳躍しつつ再び相手との距離を詰めて行く。そしてまた、先刻と同じ様に、全速力の連撃をぶつけていく。
カトレアは魔法によって未来が分かり、全ての攻撃を見透かされ避けられる。とはいえ、身体は普通の人間。魔力にも体力にも限界はあるはずだ。
「なら、どっちかが切れるまで攻撃を続けてやる! 体力には自信があんだ!」
「あらあら〜。確かに亜人さんの体力には勝てる自信はありませんね〜。それなら〜」
と、カトレアは攻撃を次々と回避しつつ数秒考え込む仕草を見せる。
繰り出される連撃、次は右拳を避けられた後、再び左拳をぶつけようとした、その時だった。
その左拳を、カトレアは右手の平で受け止めて――
「部分停止」
そう女が囁いた後、ウルガーの左腕が、完全に感覚が無くなりピタリと止まった。
「――あ?」
「隙アリです」
一瞬見せた戸惑いの隙をつかれ、カトレアの放つ槍が右脚に突き刺さる。
「ぐぅウッ!」
苦痛に唸り声を上げながらも歯を食いしばりなから耐え、刺された刃先を無理矢理引き抜き、急いで後退し距離を取った。
激しい痛みが襲い、傷も深い。この出血量を放置するのは、不味い。
負傷の度合いを確認し、息を整え、先刻止まった自分の左腕を確認する。手の平は、動く。腕もしっかり動く。もう問題は無い。だが――
「ビックリしましたか〜? 私の能力、一瞬だけならそういう使い方も出来るんですよ〜」
先刻の左腕の停止はやはり、カトレアの魔法によるものだったらしい。一瞬だけとは言え、動きを止められるのは非常に厄介だ。
強者との戦いでは、その一瞬が命取りにもなり得る。
足に受けた傷は深く、このまま戦闘を続行するのは厳しい。今のままでは、勝てない。
「なら、使うしかねぇか……『獣人化』を、今ここで」
「はい〜、どうぞ、してください。私もそのつもりで、挑んでいますので〜」
「女だからって、加減はしねぇからな――!」
怒りを、想像する。
魔導会への怒りを。そいつらと協力し、裏で悪事を行い続けるこの国の王政府への怒りを。
怒りに呼応し、魂の奥底に眠る存在が呼び掛けに応える。
命が熱くなる。全身に力が湧き上がり、体温の上昇と共に、右腕と両脚の筋肉が膨張、銀毛の体毛が覆って行く。
「オオオォォォーーッ!!」
『銀狼』の力の一端が顕現され、咆哮と共にウルガーは反撃を開始した。
――――隠し通路の道中での戦いが激化を始める最中、王都の街の大通り。
現在、ここでは今も尚ランドと、ジークヴァルト、カイの戦いが続いており……
その戦いは、まもなく大詰めを迎えようとしていた。
「――さん! ジークヴァルトさん!」
「……っ!」
自分の名を呼ばれ、目を覚ました。眼前から心配気に顔を覗かせて来るのはエルフのカイだ。
どうやら僅かな間、気を失っていたらしい。魔導会の一人である敵対者、ランドの一撃により建物のガラスを突き破りながら屋内まで吹き飛ばされた事を思い出した。
「まだ、立てますか?」
「あぁ……、問題、ない」
カイも、ランドからの打撃により痣や汚れが幾つも付いており、繰り出された強力な炎魔法を受け左腕全体に火傷を負っている。
問題ないと、強がり咄嗟にそう返したが、本当は既に身体中が激しく痛む。
更に、先刻まで握り締めていた筈の騎士剣が見当たらない。
呼吸をするだけで痛み、肋骨が何本か折れているかも知れない。手足の骨はまだ無事なのは不幸中の幸いだが。
「――クソ」
舌打ちしたい気持ちを堪えつつ、小さく悪態をつきながら呼吸を整える。
今まで強者と戦った事は何度もある。――が、今回の敵。亜人ランドはこれまでに自分が戦って来た者達の中でも最も強い。
攻撃の一撃一撃の威力も、耐久力も、何より速さも、全てが相手の方が上回っている。
「ジークヴァルトさん。もう、戦うのは止めた方がいいです。……逃げましょう」
カイが、撤退を呼び掛けて来る。だが、逃げる気など毛頭ない。
「カイが一人で、逃げればいい」
「そんな、怪我人を置いて一人で逃げるなんて、流石に出来ません!」
「元より貴様には関係のない戦いなんだ。逃げた所で俺も、他の奴等も、それを攻めはせん」
だが、ジークヴァルトは騎士だ。国の為に、誰かの力になる為の騎士。そんな男が、ここで逃亡するなど許される訳が無い。
――だからこそ、自分だけは絶対に退かない。
そう自らに言い聞かせ、身体を起こし立ち上がると同時、屋内に足音が近付いて来て、その亜人が高ぶる戦意を強く発しながら姿を現した。
「オー、オー、そこまでなってもまだやる気満々な目じゃねえか。態度だけは偉そうな奴だと思ってたが、感心したぜ」
「……当然だ。俺は、国を、人々を守る騎士団の一人。――この場を任されたからには、最後まで立ち上がり続けるぞ」
「ハッ。そのご立派な精神は褒めてやるぜ。マジでな。――だが、実力が追い付かないんじゃ、意味はねぇ」
まだ戦おうと立ち上がるジークヴァルトに、ランドは指先を突き付けながら言い放つ。
――が、それと同時に、ランドは戦意を少し落ち着かせた。
「……どうした。気配が大人しくなったぞ。怖気付いたか?」
「違ェよ。お前よく見たら剣持ってねぇじゃねえかよ。先に剣を拾って来い、それまで待ってやるよ。そこの崩れた棚の下にニオイがあるぜ」
「……手加減のつもりか。馬鹿にするな」
「オイオイ、勘違いすんじゃねぇよ。剣士が剣を離した隙を狙って倒すとか、普通にダセェだろ」
ランドの口振りからして、本気でそう思っての判断だろう。
「後悔するなよ」
「このままダサい勝ち方する方が後悔するっつーの」
そのままランドは宣言通り動かなくなった。
一方、剣を拾いに行こうとするジークヴァルトを、後ろからカイが引き留め、
「待ってください。僕が拾います……」
「俺がやる。貴様は逃げるか、逃げないなら戦う準備をするか、どちらかにしろ」
「は、はい」
カイは心配気にしながらも静かに引き下がり、両手に微かに魔力を高め始めていた。
ランドの待っているこの僅かな時間で、考えねばならない。
このまま正面からぶつかっても、この場に居る二人では勝てない。相手は何よりも動きが速すぎる、集中すれば動きそのものは目で追えても、身体が追い付かない。
速さでは勝てない。力も相手の方が上だ。更には魔法による飛び道具まで備えている。
カイは身体能力も魔法の扱いも優秀だ、が、戦闘慣れはしていない。まだ自身の力を使いこなせていない印象を受ける。
――床に倒れた家具を両手で退かし、その下から騎士剣が現れる。
時間の余裕はあと数秒、何か手は無いか。全てが上回っている強敵を、倒す方法――
「――これしか、無いか」
それは始めから頭に浮かんでいた方法だ。
だが、上級の魔法をまだ上手く使いこなせていない自分では、発動までの時間が掛かってしまい、ランド相手に魔力を高めている時間的な余裕が無かった。
一つだけ、方法があるとすれば……
「……カイ、貴様は結局逃げなかったか」
「はい!」
落ちていた騎士剣を手に取り、立ち上がりながら、背後のカイへと声を掛ける。
「ならば、カイ。頼みたい事がある」
振り返りながらそう言い、カイは真剣な表情でその言葉の続きを聞こうとする。
ジークヴァルトは内心に過ぎった躊躇から目を逸らしつつ、続けた。
「一分でいい。一人で、ランドの相手を任せられるか?」




