十九話 人身御供の洞窟
はぐれた仲間との合流を果たすため向かう先は、王都近辺に存在する小さな研究施設。
そこにビッキーとチャックが一足先に移動していると、手紙に記してあった。
王都近辺へ向かうなら『クリファイス洞窟』が近道になるとジークヴァルトから提案を受け、そこを目的地に定め馬車を走らせて行った。
クリファイス洞窟の内部は多く生息する発光虫の発する光によって昼夜問わず明るく、洞窟の広さに比べて凶暴な獣の数も非常に少ない。
唯一の心配事と言えば『鬼大蛇』と呼ばれる生物の存在だが、その大蛇は年に一回しか洞窟内に姿を現さないと言われており今年は既に一度姿を現したのが確認されていたらしい。
「それなのにまさか、その鬼大蛇に遭遇しちまうなんてよ……!」
ウルガーは鬼大蛇と実際に遭遇したのは今日が初めてだったが、その存在自体は前から聞いた事があり知っていた。
かつて遭遇した鬼土竜とは地中で縄張りを争い合う敵対関係にある大蛇だ。
全長十メートルもの巨体の全身は硬い緑の鱗に覆われており、鉄をも引き裂く鋭い牙、致死性は無いものの噛まれた部位に激痛と強烈な痺れを引き起こす強力な毒と持っている。
ジークヴァルトの話では、イースタンに生息している鬼大蛇は世界でも特に強い個体であるらしい。
「その上ここまで、追い詰められるとはな……」
ジークヴァルトは、出現した大蛇に応戦した結果、毒の牙に噛まれた右腕を抑えながら自らの選択を悔いる様に奥歯を噛んで呟く。
しかし、彼の判断が間違っているとは思わない。何としてでも急がなければならない程に余裕が無いのが今の現状だ。
それに何より、年に一度しか現れないはずの生物と遭遇してしまうなど、運が悪かったとしか言いようが無い。
「気にすんなって言っただろ! お前は休んでろ!」
「……すまない」
毒によりマトモに腕を動かせなくなった彼には無理せず身体を休めて貰っておいた方が良い。
一方、迫り来る鬼大蛇を迎撃するべく、荷台から背後へと水魔法による攻撃を繰り返しているカイだったが。
その攻撃の尽くは強固な鱗には大した傷も与えられない状態だった。
「どうだ、カイ、まだやれそうか!?」
「ちょっとキツくなってきました! やり方を変えます!」
カイはあまり効果の望めない攻撃を中断し、別の魔法の使用へと切り替える。
両手に溜め込んだ魔力から生成される水を氷へと変化させて行き、馬車と大蛇との間に氷の壁を発生させた。
「円状氷壁!」
展開された円状の氷壁に大蛇の頭部がぶつかる。その衝撃に耐えきれず、張り巡らされた氷の壁は文字通り薄氷の如く砕け散ってしまう。
「それでも、多少は進みが遅くなった!」
単純に攻撃を加えるよりも確かな効果が感じられ、カイは次々と新たに氷壁を展開していく。だが、少年の顔にも疲労が濃く見え始めて来ていた。
あまり彼一人に重荷を背負わせるのは良くない、ジークヴァルトも戦うのは難しいだろう。
鬼大蛇と遭遇して最初は三人で挑み、決定打を与えられず埒が明かなかった為に、今こうして作戦を逃走へと移行していたが……
このままではカイの体力が尽きる方が、先に来てしまうかもしれない。
「カイ、もう無理だと思ったら直ぐに言えよ。俺が交代して戦う」
「えっ、けど……!」
「誰かが取り返しのつかない目に遭うくらいなら、俺一人が力を使い切る方がマシだ!」
獣人化の力を解放させ今持てる全力で挑めば恐らく勝てる。ただし、力を使い切って何時間かはまともに戦えなくなってしまう可能性が高いだろう。
この先戦わなければならないであろう魔導会の強者達も待ち構えている状況で数時間動けなくなるのは厳しい、そして何より早くニアやテッドを助けたいが――
「ここで全滅したら、助けることすら出来ねぇんだ」
状況を冷静に分析するのは大事だが、慎重になりすぎて全滅してしまっては本末転倒だ。いざとなれば獣人化の力も使い切ると、覚悟を決めたそのときだった。
亜人の嗅覚が、真正面から一つのニオイを感知する。
「……何だ?」
ウルガーの様子に気が付いたジークヴァルトは、毒に蝕まれている右腕を片腕で抑えながら
「どうした? 何か感じたなら言え」
「人のニオイがする」
これは人の、恐らく女性のニオイだ。それも戦士の雰囲気もしない、一般人の可能性が高い。
「若い女の、それもたぶん民間人だ」
「何だと! こんな時に余計な手間をかけさせる……クソ、助けて家に帰してやらねばならんだろうが」
口調がキツい割に助けようとする辺りお人好しが隠せていないが、今はそんな所に触れている場合では無い。
馬車が前進すればニオイはどんどんと近くなり、やがてその姿も目に見えて来る。そしてそこに映る光景に、目を見開き驚愕する。
「は――!?」
ニオイから察していた通り、その人物は若い女性――だったが、彼女の全身は拘束されており意識を失っている状態で通路のど真ん中に倒れ伏していたのだった。
「マジかよオイ! ヤベェ、このまま突っ込んだら馬車で轢いちまう!」
「え、どうしたんですか、ウルガーさん!?」
「こっちはいい、カイは大蛇に集中しててくれ!」
「は、はい!」
自分の目的の為に民間人を見殺しにするなどあってはならない。馬車を止めるべきだと、馬に指示を出そうとした時。
ジークヴァルトが激痛を堪える様に歯を食いしばりながら立ち上がり
「止めなくて良い」
「いや、止めないと駄目だろ!」
「この数分間でも休んでる間に、小さい一発分の魔力くらいは回復した」
それだけ言ってからジークヴァルトは左手に土属性の魔力を集中させ、手の平に砂粒を集めて行く。
倒れ伏す女性へ向けて集まった砂粒を放ち、彼女の全身を柔らかく包み込む。その柔らかな砂で覆いながら、女性を馬車の上まで引っ張り上げジークヴァルトの左腕で受け止めた。
「土魔法ってそんな器用な事も出来るんだな、ありがとよ」
「ああ。――この女の頬に刻まれているのは、魔女の刻印か」
「魔女? 何で、こんな場所で――」
何故魔女である女性がこんな場所に拘束され寝かされていたのか、そう疑問が脳裏を過ぎると同時に、イースタンへ入国する前に聞かされていた話を思い出す。
魔女は、この国では特に強い差別意識を持たれていると。
「いや、だからといって、こんな」
まさか、いくらなんでもここまではしないだろうと、そう信じたい。何か犯罪に巻き込まれたりした可能性だって有り得る。
この女性をどうするべきか思考している最中、ウルガーは背後の異変に気が付いた。
「はぁ……はぁ……っ、く……!」
カイが本格的に息切れをし始め、体力が底を尽きかけているのが分かった。直ぐに背後を振り向き少年へ戦闘の交代を呼び掛ける。
「カイ、もういい! 後は俺がやる!」
「は、はい……後は、お任せします!」
カイは最後にもう一枚の氷壁を展開させてから後退し、続いてウルガーが迫り来る鬼大蛇と対峙する。
右腕と両脚、現在出来る獣人化を最大まで解放させた。
「オオオォォォッ!!!」
咆哮を上げながら馬車の荷台から飛び降りる。右腕の両の脚の筋肉が肥大化し、銀色の体毛がそれぞれを覆い、太く鋭い爪が伸びて、闘争心が増幅されて行く。
正面からは、氷壁を頭突きで叩き割りながら迫る鬼大蛇。
大蛇はウルガーへと狙いを定め、大口を開きながら鋭利な毒の牙を差し向けた。
「ラアァァッ!」
毒の牙を剥き出しにしながら接近する大蛇の顔面を、銀狼の右腕で横から殴り付ける。その威力に大蛇の頭部は洞窟の壁面に叩きつけられ、鼓膜を突き刺す様な鳴き声を発した。
「――ッ!」
反撃の暇を与える前に、更に続けて右脚を大蛇の顎下から蹴り上げ、瞬時に左脚を大蛇の鼻頭へと叩き込む。
そして聴覚を研ぎ澄まし、その音を、鼓動を聞き取った。
「お前の心臓部分は、そこか!」
獣人化により生み出された大爪を振るい、大蛇の腹部を引き裂いた。心臓部分までは届かなかったが、もう一撃、次はこの大爪を深く突き刺せば届く筈だ。
が――
「ぐぁッ!!」
その瞬間、大蛇の硬く巨大な尾を全身に叩きつけられ、勢いのままに盛大に弾き飛ばされる。地面の上を転がり全身が土汚れで塗れ、痣もそこかしこに付いた。
立ち上がり態勢を立て直そうとしたその時、既に大蛇は眼前まで迫っており、咄嗟の反応が追い付かず人間体のままである左肩に毒の牙で齧りつかれた。
「チィッ!」
鬼大蛇は、強い痛みを受けた怒りでより一層戦闘力が上昇していた。先刻より巨体の速度も数倍跳ね上がっている。
一方でウルガーは、毒の痺れと痛みが左肩から左腕を襲い掛かり、その苦痛に身体の動きが微かに鈍くなる。
大蛇は再び毒の牙を剥き出しにしながら大口を開け、次は首に狙いを定め襲い掛かり
「やらせませんよ!」
背後からカイの声が届いたと同時、大蛇の大口の中に巨大な水の塊が放り込まれ、それは口の中で氷の塊へと変化して行く。
大蛇は自身を襲う突然の事態に混乱の色を見せ動きが一瞬だけ止まるも、すぐに大口の中に出来た氷の塊を噛み砕き、攻撃を続行――
「助かった、カイ!」
しかし、その一瞬の隙が出来れば勝機はあった。
大蛇の毒の牙が届くよりも僅かに速く、銀狼の右腕から生える鋭利な大爪が心臓部へと突き刺さる。
「――――――ッ!!!」
鬼大蛇は断末魔を上げ、その巨体を地面に倒し、やがて息絶える。
「お前も、腹空いてただけだったんだろうけど……俺達も死ぬわけにゃいかなかったんだ」
大蛇の骸に向かいそう言い残して、獣人化を解き毒による激痛を堪えながら仲間達の元へと歩いて行く。
今の状態で魔導会の幹部と戦闘になればまず勝機は無いだろう。せめてあと半日は遭遇しない事を祈りながら馬車へと歩み寄り、ジークヴァルトとカイの二人へ視線を向け
「出発しよう、さっさと洞窟から出たい」
「そうですね。お二人の毒も早く治せる方法があればいいのですが……」
「――だが、この女はどうする。関係ない者までいつまでも連れては行けんぞ」
「分かってるよ。近くに村や町でもあるならそこで降りて貰うか……」
そう言い掛けながら、拘束の解かれた女性を見下ろした時だった。
「ん」と、か細い声が微かに聞こえ、閉じていた彼女の瞼がゆっくりと開かれる。
最初はぼんやりとした表情をしており、三人の姿にそれぞれ目を配ってから、段々と意識がハッキリしてかの様にその双眸に生気が宿り始めて。
そして混乱した様に目をキョロキョロさせ涙目になりながら、
「あ、あれ、あれ!? 私、死んだ筈じゃ……!? まさか、ここが死後の世界!?」
「ちょっと落ち着いてくれ。あんたは死んでなんかいない」
女性の言っている事がよく分からなかったが、まず死んでいない事は間違いない。だからそれを指摘し彼女を落ち着かせようとする。
死んでいないという言葉を聞き、女性は自らの心臓に手を当て「本当だ」と呟きながら溢れかけた涙を拭う。
拘束された上に誰かから殺されかけた、という事だろうか。
「ありがとう、ございます……みなさん。本当にもう……駄目かと……」
「一体、何があったんだ?」
ウルガーからの問いかけに女性は一瞬黙り込む。そして悲しそうな顔で視線を俯かせ――
「いや、話したくないなら話さなくても……」
「生贄にされていたんです」
「――あ?」
話しにくいなら話さなくても良いと制止しようとした時、あまりにも突飛な単語が聞こえて一瞬思考が空白になる。
「生贄、って……」
「はい、生贄です。これは、偉い人達も隠している事で、私も先日知ったばかりなんですが……魔女を生贄に捧げて安寧を保つ風習が、この国にはあるんです」
「――何だと?」
彼女から語られた発言を聞き愕然としているのは、ウルガーだけでは無かった。
ジークヴァルトもまた表情が混乱から、怒りの混ざった様な表情へと変化していき握り締めた拳を震わせている。
どうやら生まれてからずっとイースタンで暮らしていた彼すらも、こんな風習があるなどとは知らなかったらしい。
再び空気が張り詰め始める中、その場に更に新たな人物の声が届いて来る。
「神の、使いを、殺したのかぁ! 貴様等!」
「は……?」
その老人は地に倒れ死体と化した大蛇を指差し、「神の使い」と言った。
「いや、こいつ鬼大蛇だろ。別に珍しい生物ではねぇよ」
「黙らんか! 魔女を解放し、どこへ連れ出す気じゃあ!」
その怒声を勢い良く発する主は一人の老人だった。その左右には中年の男が立っており、戦慄の表情を浮かべている。
魔女の女性は新たに現れた男達を見て言葉に詰まり俯いており、何となくだが状況の一部を察した。
「お前らが、この人を生贄だかにしようとしたんだな?」
「何で、こんな酷い事をするんですか!」
ウルガーとカイに問い詰められた老人は一層眉間に皺を寄せ、表情を歪ませながら叫んだ。
「黙らんかぁぁ! 貴様等に何が分かる! ワシは今まで多くの魔女を捧げて来たのだ、邪魔をして、タダで済むと思うなぁ!!」
「もういい、黙れ」
老人が叫ぶ最中、ジークヴァルトが折れた騎士剣を左手に握り締め刃の残った部位を老人の首元へと突き付ける。左右に立つ男達が青年へ飛びかかろうとするが、殺気を宿した視線を返され、
「お前達も動くな、このジジイの首を掻っ切るぞ」
飛びかかろうとした男達は黙ったまま立ち止まり、老人は冷や汗を掻き声を震わせながら青年へと脅しを掛ける。
「ワシを、殺してみろ……小僧。神からの天罰が下るぞ」
「神? 馬鹿馬鹿しい。ならば首を落とし確かめてみるか?」
老人の脅しを心底どうでも良さげに一蹴した。
流石に不味そうだと感じたのか、カイはジークヴァルトへと焦った声で呼び掛ける。
「ま、待ってください、ジークヴァルトさん! 流石にそれは……」
「いや、カイ、止めなくていい」
「ウルガーさん……」
ジークヴァルトと関わりまだ一日も経過していないが、少しはあの青年の人間性は理解したつもりだ。
口は悪いし態度も悪いが、怒りのままに自分より弱い人間を殺す様な真似はしない。あれはただの脅しだ。
「ひっ! ま、待て、首に刃が当たっておる! 離さんか、オイコラァ小僧!!」
「まだ当てているだけだ。血も出ていないだろうが」
脅す様に声に怒気を込めながらジークヴァルトは、微かに顔が怯えている老人へと顔を近付け問いかける。
「強がっておいて、結局死ぬのが怖いのか。死にたくないのならば全て話せ。魔女を生贄に捧げるなどという……ふざけた風習の事をな」
「くっ、クソガキがぁ! 地獄へ堕ちろ!!」
「貴様は今まで何人の魔女を生贄に捧げて来た。何人殺した」
「黙らんか!! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れえぇぇ!!!」
老人は追い込まれれば追い込まれると同時に、感情がグチャグチャになった様な形相を浮かべひたすらに叫んだ。
流石にジークヴァルトも扱いに困った様な表情をし始めたその時、黙り俯いていた魔女の女性が言葉を発し制止する。
「もう、やめてあげてください! その人も、利用されているだけなんです!」
「なに……?」
魔女の女性がそう叫んだその後、呼吸を荒らげていた老人は、双眸から涙を流し声を震わせる。
「これが、王から与えられた……ワシの、偉大な仕事、なんじゃ……」
それはまるで、自らに言い聞かせている様にも聞こえた。
 




