十五話 撤退
その黄色髪の少女は『四大国』の一つ、北の国ノーゼンにて生まれ山奥の小さな農村で育った。
元気でよく喋り非常に人懐っこい性格だった少女は、ある日遠くから老婆と共に引っ越してきた物静かで気弱そうな雰囲気の少女にも初対面からグイグイと友好的に接していた。
「やっほー! 私の名前は●●●●●だよ、よろしくね。貴女の名前も聞かせてよ〜」
「あ……はい、えっと……」
元気一杯にまくしたてる勢いで喋って来る黄色髪の少女に戸惑いながらも、気弱そうな少女は一拍置いてから、その名を名乗る。
「クルル、です」
白い髪に、青い双眸が特徴的な少女だった。
白髪の少女は大人しく運動も得意でない様子だったが、頭が良く幼くして魔法の才能に恵まれていた。
そして何より性格が穏やかで一緒に居ると暖かい気持ちになれた。だから、黄色髪の少女は白髪の少女と一緒に居るのが楽しくて、毎日の様に遊んでいた。――やがて無慈悲に終わりが訪れるとも、知らずに。
かつて、どこにでも居る様な普通の村娘だった黄色髪の少女はビッキーと名を変え、一人で生き始めてからは戦いを生業とするようになった。
現在は用心棒として雇われ、東の国イースタンにて襲撃者と交戦している真っ只中に居る。
「はああぁぁーー!!」
叫び声と共にビッキーは上空へ向けて不可視の衝撃を飛ばす。それの放たれた先に居るのは、ニ枚の翼を広げながら浮遊している魔導会の刺客、ケイミィ。
翼の一枚で放たれた不可視の衝撃を払い除け、ケイミィの黒い長髪が絡み合い一本の太い大蛇へと変化する。
大蛇は地上に立つビッキーを喰らいつこうと牙を見せ襲いかかるが、その牙は身体を通らず無傷のままだった。その直後、ビッキーの腕を払う動きと同時に大蛇は頭を真っ二つにされバラバラになる。
更に施設の屋根の上からも一人の青年、テッドが姿を現し、高く跳躍する。左手に握り締められた騎士剣の狙う先はケイミィの背中から生えた翼だ。
しかし、それを阻もうと無数の棘の生えた茨が少女から伸び迎撃する。
テッドは襲いかかる茨を切り払い、棘と棘の隙間に足を乗せながら次々と斬り落としていく。
「流石ね、テッドとビッキー。私もやるわよ」
上空を飛ぶ敵対者の姿を見上げるニアは、認識阻害の効果を持つ『黒い霧』で全身を包み込み指先へ出来る限りの力を込めて闇の魔力を集中させていく。
指先にて高められた魔力は闇の弾丸となり、背後からケイミィの翼へと標準を合わせ、狙い撃つ。
「――!」
右からは茨を切り払いながら刃を振るい、更に地上からはもう一人の少女が大蛇の胴体を高速で駆け上がりケイミィへと迫る。
そのほんの一瞬、彼女の意識はテッドとビッキーに集中していた。故に背後から放たれた闇の魔力の弾丸を察知する事に一秒の遅れが生じる。
その結果、ニアの指先から放たれた魔力の弾丸は翼の根元へと命中した。
「う……っ!」
空中にてバランスを崩し、大蛇を駆け上がりながら前方より殴りかかるビッキーの攻撃を茨で防御、そこへ同時にテッドの一振りの剣閃が放たれケイミィの翼を一枚切断する。
翼を失い浮遊不可能になった彼女は全身を蔓で包み込みながら地上へと降下、着地し茨の防護を解除した。
背中の翼は既に再生を始めている。だが、再生速度は速くは無い。今が好機だ。
「影縫い!」
ニアは影の糸を伸ばして、ケイミィの影を捕捉し拘束、その動きを引き止める事に成功する。
「……動けませんね」
だが、おそらく身体を止められる時間は持って数秒。それでもテッドとビッキーならば微かな時間を有効に使ってくれるはずだ。
期待通り、二人共すぐに攻撃態勢に入り地面を蹴り駆け抜けながらケイミィへと迫って行く。
唯一動く棘の茨が迎撃するが、影縫いの影響か動きは鈍くなっておりテッドに切り払われ、ビッキーには魔法で防ぎながら突き進む。
「まだ、力を抜いちゃ駄目! もう少しー!」
解除されそうな影縫いを、振り絞る様に魔力を込めて拘束の引き千切れそうなギリギリの所で何とか引き止める。
テッドの騎士剣と、ビッキーの魔法が、それぞれケイミィの直ぐ眼前まで迫り――
「これはなるべく使いたくありませんでした」
「え?」
ケイミィの、静かに呟く声が聞こえた。
そして、鳥肌の立つ嫌な気配を感じ取る。これは、以前にも何度か感じた事のある――負の魔力の感覚だった。
悪寒がする、本能が警鐘を鳴らしている、だから咄嗟に口が開き、二人を呼び止めた。
「テッド、ビッキー! 駄目、その子から離れて!」
「!!」
ケイミィの動けない右手から負の魔力が増幅されていく。
「ビッキーさん、離れましょう!」
「そうする!」
ニアの指示に従い二人は攻撃を中止して後退し、その直後、
「逃げられませんよ」
ケイミィの眼前に一つの禍々しい色合いをした球体状の負の魔力の塊が出現する。そして球体は、勢い良く破裂した。
「くぅ――!?」
破裂したそれは無数の散弾となりニア、テッド、ビッキーへと降りかかる。防ごうと影の鞭で迎撃に入るが数が多い、自分の力では間に合わない――
「ニア様! 乱暴にしますが許してください!」
「きゃっ!?」
その時、テッドが服を掴み、少し離れた芝生の上までニアを投げ入れる。
芝生の上を転がる身体を止め、口に入った土を吐き出しながら両手をつき顔を上げる。テッドの機転により射程圏外まで一人逃げ延びたが、あの負の魔力の散弾を浴びて二人は無事なのか不安だった。
早く二人の様子を確認せねばと視線を向け、
「……あれ?」
無数の負の魔力の散弾を浴びた筈のテッドとビッキーにはこれといった外傷は見えなかった。出血も無く、意識もあるし、しっかり地面に足を付け立っている。
まさか、実は大した事の無い攻撃だったのか……と、そう思いかけた時だ。
「私の魔法でも防げないとか、インチキ過ぎんでしょ」
そう言ったのはビッキーだった。しかし、どういう事なのかニアには分からなかった、この目には彼女の体に異常は感じられない。
そしてその疑問の回答をするかの様に、ビッキーはそのまま言葉を続け、
「頭以外全身動かせないんだけど、どうしてくれんの?」
「動けない、って、まさか……!」
ニアの脳裏に浮かぶのは、鉱山の街クリストにて遭遇した漆黒の怪物だ。負の魔力を取り入れ作られているらしいアレは、攻撃を受けた部位の感覚を奪い動きを止めさせる特性を有していた。
おそらくケイミィの先刻の攻撃も、それと同様のモノなのだろう。自分がもっと早く思い立っていればと強い後悔が心を蝕みそうになる。しかしそうも言っていられない、自ら頬をつねり気合を入れ直した。
「じゃあ、テッドも!?」
「はい、申し訳ありません。試してみましたが、私も左手と右脚が動かせそうにありません」
「――! 私が、あの時みたいに……やるしか無い!」
テッドも、ビッキーも、もうマトモに戦えない。おそらくケイミィは無抵抗の人間を殺す様な真似はしないだろう……それでも、このまま負けるわけにはいかない。
クリストで発動した――負の魔力を打ち消したあの魔法が使えれば、逆転の機はある。
「お願い、発動して!」
祈るように、あの時の感覚を思い出しながら魔力を高め、発動しようとする。しかし、自分の中から何かが出てくる気配は感じられなかった。それでも諦めない、歯を食いしばって、魔力を集中させ続けた。
「もういいです、チャックさんと共に、ニア様だけでも逃げてください!」
「嫌よ、まだ逃げないわ!」
「嫌ってニアちゃんアンタねぇ!」
「逃げるのは、最後までやりきってからなのーー!!」
大きく声を上げながら、限界まで高めた魔力を放出させる。すると、ニアの両手から闇色の靄が微かに発現し始めていた。
クリストの時と比べ量は非常に少ないが――
「これよ!」
これならば二人を蝕む負の魔力を打ち消せるはずだと、両手の魔力を保持したまま一気に駆け出す。
「――痛くても我慢してください、ニアさん」
様子を見ていたケイミィは何かを感じ取ったらしく、棘の茨を伸ばしニアへ狙いを定め伸ばし攻撃して来た。
相手の狙いは手足、命を奪う気は無いのだろう。両手に発現させた闇色の靄で茨を受け止める――すると、茨はまるで感覚が狂ったかの様に軌道が曲がり地面へ突き刺さる。
「ひえっ、何っ!?」
狂った様に変な動きを取る茨に驚くが、おそらくその原因はこの闇色の靄だ。両手で触れる度に軌道がめちゃくちゃに曲がり地面へと落ちていく。
これなら、行ける。
「テッド! ビッキー! 今助けるわ!」
まずは被害の大きいビッキーから回復させようと駆け寄り、ニアの左手が彼女の背中へと触れ――その瞬間。
ニアの両足に二つの何かが突き刺さる様な衝撃と、激痛が走る。
「いぃぃっ!?」
ビッキーの背中に触れながら、ニアの足は体勢を保てなくなり地面の上に倒れ込む。
「ニアちゃん!?」
「ニア様ッ!!」
ニアの魔法に触れた事で身体の感覚が戻ってきたビッキーは倒れたニアに体を向けて、テッドは焦った表情を浮かべ声を上げる。
ニアは脂汗を掻きながら痛みの原因を探ろうと自分の右脚へ視線を向ける。するとそこには、二本の鉄製の細長い矢が突き刺さっていた。
これは、ケイミィの攻撃では無い。
「ニア様に矢を放ったのは何者だ!?」
「出てきなさい!!」
テッドとビッキーの視線の先、森の闇の中から複数の人影が現れる。十数人の兵士だ、剣や槍、斧を装備した者に、矢を構えた兵も四人確認出来る。
「――私一人で良いと、フレデリックさんにはお伝えした筈ですが」
「お前は甘いから信用ならないと、フレデリック様はお考えなのだ」
どうやら複数の兵士による奇襲はケイミィも知らなかったらしい。兵から返された冷たい声にケイミィは「そうですか」とだけ答え、ニア達へと視線を戻す。
「命を失いたくは無いでしょう、諦めて投降してください。この施設を引き渡してくれるだけでいいんです」
ケイミィはこちらに投降を呼び掛けて来る。
今の状況は、非常に不味い。ケイミィはまだ万全の状態、それに加えて十数人の兵が武器を構え戦闘態勢に入っている。
一方こちらはテッドはまだ回復出来ておらず動けない、ニアも足に矢を受けてしまい立つ事が困難だ。先刻回復出来たビッキーしか、戦力的な頼りは居ない。
あとはチャック――――そうだ、チャックは、彼は今どうしているのか。
そう思い至った時、その声がした。
「残念無念、そうは行かない。この施設は渡せないな」
眼鏡の青年、施設の管理者であるチャック本人が堂々と歩きながらこの場に姿を現した。
「チャック……さん」
「フレデリックめ。どうせ僕の居場所を潰して、研究データを悪用しようって腹なんだろ。誰が渡すかい、あんな奴に。帰って『バーカ』とでも伝えておいてくれ」
「いえ、帰るわけには行きません」
「今から、その欲しい施設が無くなってもかい?」
「はい?」
彼の言った言葉の意味が分からず呆然としていると、突如、大きな爆発音が施設の中で何度も起こり、複数の激しい火柱が上がった。
「な、何だ!?」
奇襲に来ていた兵達にも動揺が広がっていく。ケイミィも驚いた様に目を見開き、何が起きているのか、頭が混乱しそうだった。
そんな中、チャックは凶悪に表情を歪めながら笑い声を上げる。
「アッハッハッハ!! こんなときの為に炎魔法の爆弾を仕掛けておいたのさ! これでお前達の欲しがった研究データは消えてパーだ! ざまあみろ!!」
「え、待って、何これぇ」
激しい火柱に燃え上がる施設、悪人面で高笑いを上げるチャックに唖然とする兵士達、明らかに困惑した表情へと変化していくケイミィ、そして最早何がなんだか分からないニア。
そんな混沌とした状況の中で真っ先に言葉を発したのはテッドだった。
「ビッキーさん! 一人で兵を相手に出来ますか!?」
「余裕のヨッさん!」
青年の呼び掛けにビッキーは即座に応答し、固まっていた軍勢に飛びかかって行く。
兵達は一斉にそれぞれの武器を構え迎撃態勢に入り、一方ビッキーは全身に魔力を纏わせながら警告した。
「今、私も加減とか出来ないからさ。死にたくない人は今のうちに逃げてよ」
「あの女の脅しに乗るな、全員掛かれぇ!!」
「あっそう。あの世で文句吐いたって聞かないからね」
警告を無視し、まず弓を装備した四人の兵が一斉に鉄の矢を放つ。
放たれた四本の矢は同時にビッキーの頭部から胴体へと直撃――するが、女の体には傷一つ付く事は無い。
「まず四人」
ビッキーのその呟きと同時、前衛に居た四人の兵士の胴体に一斉に何かで突き刺された様な穴が空き、男達の断末魔が響き渡っていた。
――その頃、テッドの声を聞き、予想外の展開に呆然としていたニアもハッと我に返っていた。
唖然としている場合では無い、今の自分に出来ることを考える。脚は痛くてろくに立てないが、手はまだ動かせる。魔法ならば、まだ使えるはずだ。
「影縫い――!」
周囲に聞こえない様に口の中だけで技名を叫び、右手から自らの影を伸ばしてケイミィの影を捉えた。
施設の炎上に気を取られて集中が乱れていたケイミィは反応が遅れ、回避される前にその影を拘束する事に成功する。
「いけませんね、私もまだ未熟です」
自省する様に呟いてから、ケイミィは唯一動かせる棘の茨を伸ばしてニアを狙う。
「予定を変更します。ニアさんだけでも連れて撤退しましょう」
「私!?」
どうやら次はニアを連れて帰る事に目的が変わったらしい。もし連れ去られたら大変だ、具体的に何をされるのかは思い浮かばなかったがとにかく大変なのは間違いない。
「そんなこと、させるもんですか!」
茨を迎撃しようと、『影縫い』を維持したまま左手を動かし『影の鞭』を発動する。同時魔法は非常に神経と体力を使うが、そうも言っていられない状況だ。
何度か『影の鞭』で茨を叩き落とした所で、そこに新たな人影が割り込んで来る。――ニアを庇う様に現れた、その人物は
「テッド!?」
地面に落としていた剣を口で咥えたテッドが、唯一動かせる左足で地面を跳ねながら茨の迎撃に加わっていた。
片足だけで何とか体勢を保ちつつ、口に咥えられた騎士剣で複数の茨を切り刻んでいる。
「もう少し、持たせられますか!?」
ニアへ呼び掛けて来る。まだ影縫いを持たせらるか、という事だろう。勿論すぐに解放させるつもりは無い。
「大丈夫よ! あと五……いえ、頑張って十秒は持たせるわ!」
「分かりました、急ぎます!」
テッドはそのまま茨を切り裂きながら片足で何度も地面を蹴り、ケイミィとの距離を詰めて行く。
「不味いですね――また使うしかありませんか」
表情に焦りを見せ始め、再び負の魔力の塊を作り出し――
「――ッ!」
ケイミィの腕に、横から飛んできた何かが刺さった。それは細長い一本の針……飛ばしたのは、戦いを傍観していたチャックだ。
そしてケイミィの魔力に、僅かな乱れが生じる。
「何を、したんですか?」
「『抗魔の錠』の造りを転用したものさ。一本しかない貴重品だからなるべく使いたくなかったんだが……君には少ししか効果が無いみたいだね」
チャックの助力もあり大きな隙が生まれ、テッドは一気に懐まで入り込み口に咥えたまま騎士剣を振るった。
「うっ!」
ケイミィの左腕が一筋の剣閃により落とされる。同時に『影縫い』の効果は切れ、続けてテッドがもう一撃を振るおうとした時だった。
彼女は呼吸を荒げながら、静かに口を動かし
「再生速度、加速」
次の瞬間、再生途中だった羽根が一気に伸びて本来の姿を取り戻し、もう一撃の刃を受ける直前に空へと飛び立ち回避した。更に、先刻失った左腕も再生していく。
眼前で起きたその光景に、テッドは上空を見上げて
「ここまでして、また一からやり直し、ですか……」
「再生速度を上げるのは身体への負担が大きいので、本当ならばやりたくないんです。貴方達は頑張りましたよ」
そう労ってから羽根を大きく広げた後、ケイミィが地面へ向かい――否、ニアの元へと急降下してきた。
立ち塞がろうとしたテッドを再生した大量の茨で止めながら、一直線にニアを目指して行く。
「やらせる、もんですかぁ!」
ニアは残る力を込め、『影の鞭』で迎撃する。しかし、その尽くを黒髪から生成された大蛇が牙で潰して行き――
ケイミィは棘を無くした蔓を大量に生み出し、足を動かせないニアの身体を包み込む。
「ニアちゃん! くそ、あんたらどけぇ!!」
ビッキーは複数の敵兵に囲まれ、間に合わない。
「ニア様ぁ!!」
茨への迎撃の末、左脚を負傷し剣を落としたテッドは最後の力を振り絞り、ニアの元へと向かう。そして、蔓は青年の身体も呑み込んで。
――数分後、燃え尽きた施設の側で敵兵は全滅していた。しかし、ニアとテッドのニ名はケイミィに連れ去られてしまい、その場には居なかった。




