十三話 ケイミィとの対話
夜の静寂の中、突如現れた黒い髪の少女――ケイミィと名乗った人物の言い放った要求は『施設の受け渡し』だった。
丁重な言葉使いで敵意もあまり感じられないが、ビッキーの横顔を見てみればその表情は強い緊張感に彩られていた。
魔力を感じ取る事に人より長けている彼女が額に冷や汗を滲ませる程の相手という事だ、油断は出来ない。
それにこのタイミングだ、彼女がどこの所属なのかも何となく検討は付く。
「ケイミィさんも、魔導会の人なのね?」
「……大人しく引き下がってくださるのなら、こちらから手は出しません。ニアさん以外なら殲滅しても良いとは言われていますが……私はあまり荒事は好みませんので」
「心遣いには感謝するけれど、お断りよ。貴女達の思い通りにはならないわ」
「そうですか。そちらのあなたはどう思われますか?」
ニアから即座に拒否され、黒髪の少女は続けてビッキーへと視線を移し問い掛ける。要求を投げ掛けられた彼女は、背筋を伸ばし真っ向から言い返した。
「そちらのあなた? 名前で呼びなさい失礼な」
「そうですね、失礼しました。お名前は何と言うのでしょう」
「いや、素直に反応されても困るんだけど。私の名前はビッキー、用心棒としてここから先には行かせないよ」
「……嘘ですね」
「いや嘘じゃないし。確かに胡散臭いとかよく言われるけど本当に行かせないし」
「そっちではありません。貴女の名前です。名乗った時に貴女の脳波や脈拍、心拍数に一瞬だけ変化を感じました」
「何それ怖……人のプライバシーは守りなさいよ」
ビッキーは軽口で流しているが、黒髪の少女の指摘を否定はしなかった。結局名前が嘘という話は本当なのか違うのか、突然出てきた情報に頭が混乱しそうになる。
「ちょっ、待って、ビッキー。名前が嘘って、どういう事?」
「今はそれどころじゃないでしょ、ニアちゃん。切り替え切り替え」
「う……分かったわ」
特に否定しようとはしないが、はぐらかそうとはする。何故名前を嘘ついているのかは分からないが、今は彼女の言う通りそれどころでは無い状況だ。
まずは現状の危機を脱しなければならない。
一方、ケイミィはまだビッキーに視線を向けており、続いて別の話を持ち掛ける。
「……では、名前はビッキーさんとしておきましょう。ところこの感覚、貴女も魔女ですよね? 出来れば、魔女の刻印を持つ方には私達の元に付いて欲しいのですが……」
「まぁそれは隠す必要も無いし、確かに魔女だよ。私は鏡の魔女の……」
「その名前も嘘ですね」
「何なのアンタ」
ケイミィの言う事が真実であるならば、つい先程名乗った『鏡の魔女』という呼び名もどうやら偽名であるらしい。
ビッキーはまたも指摘を受け不機嫌な表情になり始めているが、嘘と言われた事を特に否定はしない。
しかし、これまでの接してきた彼女の姿までもが全部嘘だとはどうしても思えなかった。たぶん普段の性格は素だと思うし、悪い人だともニア達を騙そうとしている様にも見えない。
なのに何故、名前ばかり嘘をつくのか疑問が湧いて来るが
「ビッキー。これが終わったら話を聞かせてもらうわよ」
「うん、いいよ」
「軽いわね!?」
あまりに軽い返答に少し拍子抜けする。しかしどこか安心した気持ちもあった、やっぱり普段見ていた彼女の姿は嘘では無いのだろうと。
そのやり取りを見ながら、眼前の黒髪の少女は微かに唇を緩め――笑っていた。
「すみません、何だか微笑ましいやり取りだったもので。やはり気が進まないです、貴女達と戦うのは」
「ならもう帰ってくれた方が私達にはありがたいわよ……」
「ニアちゃんに同感」
「――ですが、そうも行きません」
次の瞬間、ケイミィから感じていた、アーレと同様の異様な気配が膨れ上がって行くのを察知する。
「――っ!」
全身から肌に突き刺さる様なプレッシャーに冷や汗が滲み始める。柔らかい物腰からは想像の出来ない圧であり、マトモにぶつかるのは危険だと本能が警鐘を鳴らしている気がした。
「ま、待ってケイミィさん! 質問したい事があるわ!」
「……何でしょう」
膨れ上がった強大な異様な魔力の気配は保持されたままだが、彼女はいったん動きを止めた。
話は聞いてくれる様で一先ず安堵し、前々からきになっていた事を口に出し問い掛ける。
「貴女達のトップは、『光の魔女』だと聞いたわ。何故、魔導会に悪い事をさせているの? そんな事をしていたら、魔女への悪評や差別意識が高まるだけにしか思えないわ」
「…………そうかもしれませんね」
「え」
正直こんな事を言って怒られるのも覚悟していたが、こちらの考えを否定する様な反応は示さなかった。
しかし、それでも別の何かを強く信仰しているかの様に――
「彼女は多くを語りません。ですからその心の内を読むことは不可能……しかし、全ては美しき未来の為だと、そう仰っていました」
「美しき……未来?」
「古来より続いてきた文明の破壊と再生、繰り返される悲しきこの世に、光をもたらす事が使命だと」
「……何を言っているのか分からないわ。そのためなら、普通に暮らしている人達の生活を壊してもいいの?」
「申し訳ありません。私はほとんどを外に出ず過ごしているので、ヒトの普通の暮らしというものを知らず……」
「家族と暮らしたりとか、友達と遊んだりとか、好きな事をやったりとか、えーと……畑を耕したりとか、んー……とにかく色々よ! ケイミィさんにも、居なくなったら悲しいヒトとか居ないの?」
「悲しい……ですか。――アーレさんの戦死を聞かされた時は、胸が痛む様な感覚がありましたが」
「あっ、う……」
以前に鉱山の街クリストにて戦いその結果戦死したのがアーレだ。その彼が死に、胸が痛んだと言われ言葉に詰まってしまうが、
「恨みはしません、なので気になさらず。それに今は世界中に悲劇が起きていたとしても、あの方が神となれば……破壊の先の再生によって、やがて悲しみの無い美しい世界が、来ると……」
よく分からない事を言い掛けた直後、ケイミィの口が止まった。固まったまま目を見開き、唇を閉じ、刹那の沈黙が訪れる。
「え、何? どうしたの?」
いきなり話を中断し固まる少女の姿に困惑する。ニアの言葉に視線を返した後、「いえ」と口を開いて。
「何でもありません……少々、エラーが発生しただけです」
「エラーって……」
何だかよく分からないが彼女にも迷いでも生じたのだろうか、そうであって欲しい。
そういえば、口出ししてきそうなビッキーがさっきからだんまりだ。どうしたのかとチラと視線を向けてみれば
「……ビッキー?」
その横顔は、様々な感情が渦巻いた様な、特に怒りを滲ませる形相へと変化していた。そして――
「あのクソババア」
そう、小さな声で呟いていた。
「ば、ババア? ケイミィさんに対しては失礼よ」
「その子に言ったんじゃない」
明らかに表情からも態度からも普段の余裕が抜けている。
そして彼女は足を一歩前に出し、ケイミィへと視線を合わせ、何かを呟いた。
「クルル……」
「はい?」
「『光の魔女』の名前。もしかしてクルルじゃないの?」
「……あの方は名前など無いと仰っていましたが」
「そう。じゃあ直接会えば分かるね」
「会わせはしませんよ。そろそろ、話も終わりにしましょうか」
次の瞬間、ケイミィは視線を鋭くし再び強烈な魔力の圧を発する。対するビッキーも静かに高めていた魔力を全身に纏わせた。
やはり衝突は避けられない。自分もビッキーの横へ並び立ち、戦闘態勢に入る。
その最中、ケイミィは視線をこちらに向けたまま他の第三者へと声をかけ、
「気配を消しながら近付いている方が居ますね。無駄ですよ、体温で分かります」
「――こちらにもあまり余裕が無いので早く終わらせようと思ったのですが、気付かれていましたか」
声のした方角を振り向けば、そこには夜の闇に紛れながらすぐそこまで距離を詰めてきていたテッドの姿があった。
テッドは意を決して鞘から騎士剣を引き抜き、それと同時。ケイミィの黒い長髪の先端が幾重にも重なり絡まり合いながら変形していき、
「髪の毛が大蛇に――!?」
黒い長髪が硬質化し大蛇へと変化したそれは大口を開きながらテッドへと襲いかかり、ニアは咄嗟に青年へと回避を呼び掛ける。
「危ないわ、テッド!」
テッドは黒い大蛇の牙を後退しつつ避けながら、騎士剣の一閃を大蛇の頭部へと向けて振りかざしその首を切り落した。
地に落とされた大蛇の首はボロボロと崩れ去り、大量の頭髪へと姿を戻し地面に散っていく。が、頭髪の切断面が瞬時に伸びて再生し、先刻と同様の黒い大蛇が復活する。
「こうなるだろうとは想定していましたが、再生速度が速い……!」
テッドと大蛇の攻防が繰り広げられる一方で、ケイミィの正面からはもう一人――ビッキーが全身に魔力を纏わせながら突撃し攻撃を仕掛けていた。
「はぁあっ!」
足を回転させ、ケイミィの横腹を目掛け蹴りを放つ。しかし、それは突如眼前に現れた大量の茨で形成された緑の壁により妨害される。その茨は、ケイミィの衣装の袖から放出されていた。
「魔法使ってなかったら危なかったでしょうがぁ!!」
茨の壁に足が直撃したが、ビッキーの魔法で肉体が守られていた事により茨の棘は刺さらなかった。まともに受けていたら足が悲惨な状態になっていただろう。
「そいやぁ!」
掛け声と共にビッキーが腕を振ったと同時、茨の壁が千切れケイミィの姿が露出した。
その瞬間に、ニアは溜め込んでいた闇の魔力を解放し、指先に小さな魔力の塊を生成していく。
「今よっ!」
指先から放たれた闇の魔力の弾丸は、ビッキーの横を通過し破られた茨の壁を通り抜けて、ケイミィの胴体に直撃――
「させません」
魔力の弾丸がぶつかる直前、ケイミィを中心に風が巻き起こり、砂煙が舞い上がる。砂が掛かり反射的に目を瞑って、瞼を開いた時には先刻までいたはずの黒髪の少女の姿が消えていた。
――否。消えたのでは無かった。
テッドとビッキーは上空へと顔を向けており、ニアも同じく頭上へ視線を移す。するとそこに映り込んだのは……
「嘘でしょ……空、飛べるの……?」
背中からニ枚の翼を生やし浮遊しながらこちらを見下ろしている、ケイミィの姿だった。