三話 いつか
後から聞いた話では、あの時リリーは闇組織の男達複数から目を付けられ、詳細は省くが下劣極まりない要求をされていたらしい。
それを拒否し反抗した事で怒りを買ってしまい、男達は彼女に対して暴力を振るい、無理矢理従わせようとしていたという。
あまりにも身勝手な理由に、またも殴り掛かりたい衝動に駆られるが、もう奴等は居ない。
現在は、情報を吐き出させる為に穏健派である傷の男から拷問を受けているらしい。
拷問という辺り穏健派と呼ぶのは少し首を傾げるが、罪の無い一般人を不幸に落とす悪党よりはマシという事か。
あの悪党共がどうなろうと心底どうでもいいし、痛めつけられた所で微塵も可哀想とは思わないが、それはそれとして拷問という言葉には忌避感がある。
傷の男からは、「仇に復讐したいとか言ってた割に考えが甘ちゃんだな」と言われたが。
現在、ウルガーは全身に負った傷を癒やす為、獅子の亜人の知り合いの医者の下で治療を受け身体を休めていた。
木造の小屋の様な病院内、ベッドで絶対安静を言い渡され、翌日の事。
「身体の調子は、大丈夫ですか?」
「あぁ」
リリーが見舞いに来てくれていた。彼女も怪我の跡が残っているものの、動く事は問題ない範囲だったらしい。
更に聞かされた話では、彼女は無事に親元へ帰る事が出来たそうである。
「良かったな。もう変な奴等に騙されない様に気を付けろよ」
「そうですね。ありがとうございます」
長い事ちゃんと笑えていなかったのだろうリリーは、ぎこちなくも笑みを浮かべもう一度感謝を伝えて来る。
そしてベッドの横の椅子から立ち上がり、少女が帰ろうとした、その時だ。
――ベッドの近くの窓、その向こう側から一瞬、何者かの視線を感じ取った。
「待て。まだ帰らないで、座っててくれ」
「は、はい!? え、な、何、ですか……!?」
「そこまでビビらないでくれよ。――ちょっと話がある」
ウルガーはベッドから腰を上げ、リリーの耳元に口を近づけ、小声で囁く。
「外からこっちに視線を感じた。何かあったら駄目だから、一応まだ座っててくれ」
「――! わ、わかりました」
耳元から顔を離すと彼女の顔が少し赤くなっていた気がするが、暫く人と話し慣れていなくて緊張していたのだろうか。
先程、感じた視線と気配はもう既に消えて無くなっていた。
こんな一瞬で気配を消せるなど、只者では無いと身構える。そして、より一層外への警戒を強めようとした、その時だ。
ベッドの横、リリーが腰を掛けている方角から声がした。
「俺の視線に気が付くとは、なかなか鋭いな」
「うお!?」
「あ、レオンさん」
そこには、先日世話になった獅子の亜人が佇んでいた。リリーが呼んだレオンというのが、彼の名である。
「あの視線、アンタのだったのか。何でわざわざコソコソ覗き見る様な真似したんだよ」
あまりに予想外の登場に対し溜息を付きながらそう返した後、リリーへと視線を移し、
「レオンさんだったみたいだから、もう大丈夫だ。気を付けて帰れよ」
「あ、はい。ではウルガーさん、お大事に」
リリーは椅子から立ち上がりそう応え、その後レオンにも頭を下げてから、出入り口となる玄関扉へと歩いて行く。
少女が立ち去るのを見届けてから、残ったレオンはウルガーへと視線を向け、先刻のウルガーからの疑問に答える。
「俺がここへ来たのは……一週間安静にしろと言われたにも関わらず、無断で抜け出しそうな気がしたからだ。昨日、お前はそういう顔をしていた」
「…………そんな事、するわけ無いだろ……」
とは言ったが、実際は図星だった。
医者を紹介してくれて、手当てしてもらった上に休ませて貰えるなど、心から感謝しているのは本当だ。
良くして貰っておいて、無断で抜け出し脱走しようと考えている事を申し訳なくも思っている。だが、それでも、ゆっくりなどしていられないのだ。
こうしてベッドに寝ている間にも、奴等は……故郷の人達を殺し、傷付けた憎きあの男は、他の地でも悪事を働き、また死人を増やしているかもしれない。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。
「――まあいい。とにかく言われた通り安静にしていろ。分かったな」
「分かってるよ」
そう言葉を交わしてからレオンは席を立ち上がり、「失礼する」と病室から出て行く。
わざわざ来てくれた事に一言感謝を伝えて、彼が病室から出て行くのを確認してから、ベッドの上に仰向けになった。
そして、やはり、ジッとはしていられないのが自分の本心だと痛感する。念を押された後だと言うのに、焦る感情を抑えられそうに無い。
レオンの足音とニオイを感じなくなったのを確認し、腰を上げて、窓へと手を伸ばした。
「……ごめんなさい」
小さく、誰にも聞こえていない謝罪を口からこぼしながら、窓を開け身を乗り出し、なるべく足音を立てない様に地へ足を付けながら走り去って行った。
我ながら馬鹿な事をしていると思う。それでも、止まれなかった。奴等を追わなくてはならないと、感情が焦りを増す。
そして奥底から何かが、『追え』と、呼び掛けている気がする。
とにかく走って、走って、街から出ようと人気の無い裏通りを真っ直ぐ進んで行き、目指す。次の場所を、一秒でも早く奴等の情報を得るために、次の場所へと――――
「よお、兄ちゃん」
「――ッ!?」
その道中、眼前から声を掛けられた。
すぐ真横に立っていたのは、顔全体にピアスをした人当たりの良い男。
確か彼は傷の男の仲間――名前は知らないのでピアスの男と呼んでおく。
ピアスの男から声を掛けられ、足が咄嗟に止まる。
何故ここに居るのか、そう問い掛けようするより早く、相手から先に口を動かす。
「兄ちゃん、魔導会について調べてんだってな?」
「は? 魔導会……って、何だよ」
「……? あ、もしかしてその名前知らなかったの?」
「初耳だよ。まさかそれが、俺の探してる奴等の名前……」
「ふーん……まあいいや、どっちにしろ魔導会について調べてんなら、消すわ。今なら見られてないから丁度いいし」
「あ?」
妙に会話が噛み合わない事に違和感を覚えた直後、周囲の建物の陰から三人の男達が武器を振りかざしながら現れた。
「な、んだよっ!?」
まさかの奇襲にウルガーは咄嗟に迎撃態勢へと入り、一人の放つ一閃を腰を屈め回避しながら反撃の拳を相手の顎下から打ち込む。
それと同時、ウルガーの両足を二つの刃に切り付けられ、鋭い激痛が襲いかかる。
「ガァァァッ!?」
まだ身体が回復しきれておらず、対応が間に合わなかった。地に足を付けたままに保てず、膝が崩れ倒れ込む。
「本当は病院を奇襲するつもりだったんだけど、まさか自分から来てくれるなんてラッキーだったよ本当。なるべく目立つ事したくなかったし」
「テメェ、ら……騙してたのか、お前も、あの傷の男も!」
「傷の男? あぁ、ジンさんの事か? いや、あの人は俺とは全然関係ないから、兄ちゃん騙してたの俺だけよ? ごめんね、世界中にある大きな組織って大抵一人は魔導会の関係者紛れ込んでるのよ。ジンさんも気づいてないんだけどね」
「じゃあ、紫髪の、あの野郎も……『魔導会』って奴の一員なのか……」
「あぁ、ベルモンドさんの事なら、そうだね」
「古代魔晶石だかを集めてんだってな、ふざけやがって! その為に罪の無い人間を殺して、それを食い止める為に、俺は――!」
「あ、ごめんね。それもう終わってんの」
「…………………は?」
「いやだからね、古代魔晶石集めるのはもう全部終わったのよ。だから今から止めようとしたって既に手遅れよ。ごめんね、本当に。もう準備は次の段階に進んじゃってるからさ」
あまりにも呆気なく、悪気もなく軽い調子で、残酷な事実を告げられる。
手遅れだった。もう、故郷と同じ様に理不尽に殺された命が、既にたくさんあるという訳だ。
間に合わなかった、助けられなかった……
だが、もう、島を出た時から止まる事は許されない。それでも、進むしかない。
絶望しかける心を、闘志と怒りで奮い立たせ、
「テメェら全部ぶっ潰すまで、止まるかよ!」
「ヒュウっ、威勢が良いねえ――ごぶふっ!」
声を上げると同時、ウルガーは湧き上がる怒りの感情をぶつけるかの様に、俯せの状態から立ち上がり地を蹴りつけ、身体を回転させながら跳躍――そのままピアスの男の顔面に一撃の拳を叩き込んだ。
ピアスの男は鼻血を吹き出しながら膝を崩し、周りから囲い込む様に武器を持った三人の男達が斬り掛かって来る。
治りきっていない身体の重さを、全身に残る痛みを、両足の激痛を全て気合のみで耐えながら、咆哮する。
「オオォォォーーッ!」
窮地の中で、感覚が冴え渡っている気がした。
迫る複数の刃を視覚、聴覚、嗅覚を駆使しながら全ての攻撃を回避し、一撃ずつ反撃を加えていった。
足の関節を叩き折り、顎を割り、建造物の壁へと叩きつけ、戦闘不能へと追い込んで行く。
「やるじゃん君、悪ぃね、油断してたよ」
「あとは、テメェか」
声が聞こえた方向へ振り返ると、立ち上がっていたピアスの男は両手から水を生成していた。それらを彼は水の弾丸にして、放つ。
そのうち二発を身体を捻りながら避け、そのまま脚を止めず敵の懐まで飛び込んで行き――
「うーん、速さは立派だけど、動きがまだ未熟ね」
「――ッ!?」
拳を握り締め殴りかかろうとしたその瞬間、ウルガーの顔面を水の塊が襲いかかる。その魔力の込められた水はウルガーの口へ、両鼻へと入り込み、肺まで到達しようとしていた。
「ぐぼ、ガッ、ガハァッ!」
息が、出来ない。喉と鼻からの呼吸水にせき止められ、肺にまで侵入しようとしてくる。溺れる、少量の水に溺れる、溺れて、死ぬ。
「ハッハッハ、水魔法をこんな使い方されるなんて思わなかった? 戦場では割と有名な使い方なのよ、コレ。一番効率的な殺し方だから」
そう悪気もなく、人の良さそうな顔で笑いながら、ピアスの男が語る。
確かにそうか、わざわざ肉体を傷つけなくても、息を止めれば、生き物は死ぬ。
苦しい、苦しい、苦しい、呼吸、息、息が、息を、足りない、空気が足りない、早く、早く、息をしないと――
「――――ッ、ガァァァーーーーッ!!!!」
「な……っ!?」
水で満たされる前に、肺に残った空気を出来る限りの外へと押し上げ、侵入しようとしていた水ごと一緒に外まで吐き出し、咆哮した。
「はぁっ!? 何だよそれ、デタラメ過ぎんだろ!? どんな肺してんだよ!!」
「ゴホッ、ゴブッ、グゥウッ!!」
まだ残る苦しさから意識を逸らし、再び地を蹴って接近する。
「チィッ!」
ピアスの男からもう一度放たれた水の塊を拳で叩きつけ粉砕し、もう片方の拳を相手の鳩尾へ抉る様にぶつける。
「ぐフゥッ!」
「ダァァアアッ!!」
朦朧としそうな意識を声を上げる事で保たせながら、続けて頭部にもう一撃を叩き込み、地面へと叩きつけた。
「かっ……ハッ……!」
ピアスの男は、まだ意識はある。だが、今の攻撃は響いた筈だ。その証拠に彼はもう足が震え、立てそうにない。――が。
「クッ、クク、クククッ」
「なに、笑ってやがる」
「いんや、俺と戦う事に夢中になって、周りに気付かなかったのが滑稽でさ」
「――!?」
周囲へ意識を向ける。すると、四方、そして頭上の屋根の上に、計十人の弓矢を構えた男達がウルガーへ狙いを向けていた。
「囲まれた――!」
「ハッ、だから言ったろ、未熟だって……ガハッ! ハア、ハァ、どうするよ兄ちゃん。もう逃げ場は、ねぇぜ?」
「ぐっ……」
狭い場所で全方位から飛び道具で囲まれ、逃げ場は完全に失われた。脚が万全な状態でも厳しかっただろうに、今は両足を怪我している。
「終わりだよ兄ちゃん、魔導会を探ろうとしたのが悪かったな。もう死になよ」
「――ッ! まだ、死なねえ!!」
歯を食いしばり、覚悟を決める。やるしかない、抗い、戦わなければ、死ぬ。まだ死ぬ気など無い。まだ負けるわけにはいかない。
ピアスの男の合図と共に、全方位から逃げ場の無い矢の一勢射撃が襲いかかる。
そして――――
「全く、やはりこうなるか」
次の瞬間、落ち着いた大人の男性の声がした。そして、ウルガーに飛んで来る筈だった矢は尽くが止められ、叩き折られ、弾き飛ばされ、一撃も命中する事無く、その全てが防がれた。
全ての矢が地に落ちたのち、ウルガーを守る様にして佇む男の姿――それは獅子の亜人、レオンだった。
彼は、呆れた様にウルガーを見下ろして。
「レオン、さん……!?」
「見ていろ、少年。一人で戦うというのならば、こんな下らん素人集団くらい、無傷であしらえる様になれ」
――そこからは、あっという間だった。
男達が次の矢を装填する前に、レオンは凄まじい速度で移動しながら地上の敵を一瞬の一撃の元に撃破して行く。
その後、屋上から降り注ぐ矢を再び受け止め、弾き飛ばして防ぎ、そのまま地を蹴りつけ跳躍。
反撃も逃亡も許さぬ間に、まるで突風が通り過ぎたかの様に、一瞬で男達は下の地面まで叩き落されていた。
「マジ、かよ……」
圧倒的な強さを再び目の当たりにし、理解する。
自分は本当に、まだ、未熟でしか無かったのだと。
「ちょっと、なに、意味わかんねえ……」
ピアスの男が愕然とした表情で呟いた直後、もう一つの声が新たに聞こえて来た。
「ったく、まさかよ、俺んとこまで紛れ込んでたとは……」
傷の男、ジンだった。
彼は地面に倒れ込むピアスの男へ視線を向けながら、心底ガッカリした様な声で語りながら現れる。
「……ごめんよ、ジンさん。俺ぁ、アンタを裏切ってた」
「あぁ。テメェは後で処理する。覚悟しとけ。――で、ガキ。お前また無茶やろうとしたのかコラ」
「……ごめん……」
「素直に謝るくらいには、悪いって思ってんだな」
ジンは面倒くさげに頭を掻きながら、ウルガーを見下ろし、言葉を続けて、
「チッ、もう隠しても意味はねぇか。テメェが探してんのは魔導会って奴等だ……今、世界中で悪事を働いている犯罪組織だよ。ったく、本当は教えたく無かったんだがな。死なれたら寝覚めが悪いし」
どうやら、知っていたが、わざと知らないフリをして誤魔化していたらしい。
確かに、彼が教えたく無かった気持ちも今ならば、我ながら理解できる。
未熟で、まだ弱い癖に、無茶をしようとする、子供同然の存在など……
「ハッキリ言うぜ。今のお前じゃ無駄死にするだけだ。……じゃ、レオンさん、あと頼むわ。魔導会のスパイ共は俺と部下で連れてくから」
「あぁ」
そう言い残し、ジンはピアスの男を担ぎ上げ、連れ帰ろうとする。その後ろ姿へウルガーは声を掛け、
「――ありがとう」
「分かったならさっさと病院帰って寝ろ、バカタレ」
口は悪いが、どこか気遣いも感じる声でそう返された。
そして、そのまま足をふらつかせながら歩こうとするウルガーを、レオンが横から受け止める。
「もう限界だろう。俺が連れて行くから、お前は大人しくしていろ」
「大丈夫、だ……自分で……」
「――何でも一人で出来ると思うなよ、小僧」
「……ッ!」
頑なに一人で行こうとするウルガーへ、レオンが静かながらも怒りの籠もった声を返して来る。叱責を受けているのだと、分かった。
「そうやって誰にも頼らず、狭い視野で、これからも一人で進もうとする気か? その結果が今さっきの、あの絶体絶命の窮地だ」
「……」
「あのままなら間違い無くお前は死んでいた。こんなざまで、世界中で活動している巨大な犯罪組織を相手にするなど、単なる自殺行為だ」
「でも、じゃあ……どうすれば……ッ!」
「本当に視野が狭くなっている様だな。もっと先を見据えろ。魔導会相手に挑むなとは、俺は言わん。だが、力を付けろ。戦う為の力をな」
「……修行しろって、事かよ。その間にも、奴等は、また……!」
「その通りだ、被害は増えるだろう。が、今のお前に何が出来る。理想だけでものを考えるな、現実を受け入れて、決断しろ」
「……ッ」
「未熟なまま挑み、無駄死にで終わらせるか。力を付け、挑むか」
「――――」
本当は嫌だった。奴等の悪事を放置するなど。今すぐにでも探し出して、叩き潰したい。だが、それは自分の理想でしか無い。
彼の言う通り……現実のウルガーは弱い。あの状況で死にかける様では、とても、巨大な犯罪組織と戦える筈が無いのだ。
悔しさに歯を食いしばり、血の滲む勢いで拳を握り締めた。
そして、決断する。
「――レオンさん。俺に、戦い方を教えてくれ」
「……うむ。心の苦しさを耐え、よくぞ決めた」
そう言いながらレオンは一度、ウルガーの頭に掌を置き。
「いいだろう。俺がお前を、今よりも強くしてやる」
今すぐにでも挑みに向かいたい心を抑えつけて、暫しは力を付ける事に専念する方を選択する。
今は、まだ、我慢の時だ。いずれ必ず、奴等を――
「いつか絶対、ぶっ潰してやる」
――――こうしてウルガーはサンドラを離れ、レオンの住まいがある隣国のウォレストへと旅立って行った。
それから、ウルガーはレオンの仕事を手伝う様になり、その過程でサンドラにもたびたび訪れる。
現在、親元へ戻ったリリーは、パン屋で働いていた。
どうやらウルガーは故郷が酷い目に遭い、その敵討ちの為の修行を重ねているらしい、という事は知っている。
その日も店の中から、リリーは外を歩いている彼の姿を見つけた。
仕事中なので今は話し掛けられ無いが……代わりに、小さく祈る。
「いつか、彼にも幸せな日々が訪れますように」