十一話 ジークヴァルト
森の中央に存在するイースタン国軍技術班第五施設。そこから施設で管理されている馬車を借り20分進んだ先に、危険地帯と称されるゴロゴロ山が存在する。
ゴロゴロ山とは、山頂に咲く希少なシュオン花の特徴を由来に付けられた名前だ。
シュオン花は雷鳴や猛獣の咆哮等の音を吸収し、他の虫や獣から身を守るために取り入れた音を外に放出して追い返すという特性を持っている。
その時に発せられる音は、離れた場所にある町からも聞こえる事があると言われている。
猛獣の居ない麓に馬車を停めてから、ウルガーとジークヴァルトのニ名は山頂を目指し足を進めて行った。
亜人の優れた聴覚と嗅覚を研ぎ澄まし、周囲に気配を巡らせる。そこら中に生き物の気配は感じるが、どれも遠巻きに警戒しているだけで襲い掛かって来る様子は無い。
「俺達を見ちゃいるが、襲ってくる気配は無いな」
「獣も馬鹿ではない。実力差のある勝てない相手に自分から攻撃する様な愚かな真似はしない」
「分かってるよ――だから、つまり」
その時、目の前に牙を剥き出しにしながら大量の唾液を垂れ流しながら、五メートル程の巨大な熊が姿を現した。
敵意と空腹感に満ちた獰猛な視線を突き付けて来る。
「こういう奴は強いって事だな。倒して進むか、ジークヴァルト」
「聞かずともそれ以外に選択肢など無いだろう。俺の足は引っ張るなよ、亜人」
「何でいちいち上から目線なんだよ……」
相変わらずこの青年は、テッド以外の人間に対してはどこかピリピリとしている。
特にウルガーに対してはここまでの道のりでの猛獣との戦闘を見て、動きに無駄の多い戦い方が気に食わなかったらしい。
二人きりは非常に空気が悪いがそんな事も言っていられない。
眼前の大熊は咆哮を上げ唾液を撒き散らしながら、その巨体を突進させて来た。あの巨体とスピードを相手に正面から拳で返すのは危険だ、自分の拳が砕かれかねない。
大熊の皮膚は堅い、ジークヴァルトの手に持っている騎士剣も折られてしまう可能性がある。
「ジークヴァルト、回避するぞ!」
「うるさい、命令するな」
「命令じゃねぇよ! こんな時にお前……!」
「黙って見ていろ」
青年は右手に握られた騎士剣の切っ先を真っ直ぐ地面に打ち立てた。そして、青年の全身から魔力の高まりを感じ取る。
「突撃するしか能の無い獣風情が――足元の気配にも気付いていないとは」
「――――ッ!」
直後、大熊の足元の地表が盛大に音を立て砂を排出しながら捲れ、地盤は巨大な土の壁となって起き上がる。
足場を保てなくなった大熊はそのまま浮上する土の壁に投げ出され、巨体は背中から地面に衝突し衝撃に地鳴りが起こる。
「はぁぁっ!」
その巨体が再び動き出す前に、ジークヴァルトは騎士剣を握り締め一気に相手との距離を詰める。そして巨体が身体の自由を取り戻す前に、刃の切っ先を大熊の右側の眼球に突き刺した。
大熊は激痛に苦しみ咆哮を上げ、急いで巨体を立ち上がらせた後、反撃する事も無く山の木々の中へと凄まじい速度で逃亡し姿を消す。
「ふん。片目を失った程度で戦意を喪失したか」
ジークヴァルトは騎士剣を地面に向けて振り刀身に付着した血液を払い落として、逃亡する大熊からは意識を外しこちらへ振り返る。
「何をボサッとしている。さっさと行くぞ」
「あぁ……やっぱり凄いんだな、お前。戦ったのが俺だったら、怪我してたと思うぜ」
「俺は幼少から修練を重ねて来た。美しくない戦い方をする貴様とは違う」
「俺だって師匠の元で一年は修行したぞ」
「俺は十ニ年だ」
「お前……他人と張り合ったりするんだな…………、ん?」
青年との張り合いが始まりそうになったその時、聴覚が異様な気配を感知した。そして次の瞬間、空気を震わせ引き裂く様な轟音が、雷鳴が頭上から鳴り響く。
「うぉッ!?」
落雷が起きたかの様な空気の振動が、轟音が何度も鳴り、鼓膜に突き刺さる。
突然の出来事に思考が停止しかけるのを堪え、頭上を見上げた。空には端から端まで無数の星が広がっており月の輝きもハッキリと見える。
これは、雷のなる様な空模様ではない。
「……これが、頂上に咲いてるシュオン花って奴から出てる音か。本当にデカいんだな」
「ほう、案外冷静に対応出来るのだな。その通りだ」
やがて轟音が鳴り止み、聴覚が回復したその直後
「――ッ!」
空中から新たに三つの気配を感じ取る。
先刻見上げていた空とは別の方角から、高速で迫る三体の巨大な赤い鳥――赤鷲が迫って来ていた。
こちらを餌と認識し、嘴を大きく開けながらすぐそこまで接近している。
「デケェ音に気を取られて気付かなかった……!」
「情けないな。少々認めてやったと思えばすぐにそのザマだ」
「クッソ、今回は言い返せねぇよ!」
空腹状態の赤鷲は非常に凶暴であり、捕食が完了するまで徹底的に追い詰めようとしてくる。
上空から落下してくる巨体と嘴による特攻を回避し、そのまま嘴は地面を軽々と抉る。そして赤鷲は再び上空へと戻って行き、また同じ様に攻撃してくる――それの繰り返しだ。
回避する事は困難では無いが、すぐに上空へ行かれる為こちらの攻撃を与える暇が無い。逃走してもしつこく追いかけて来るだろう。
「このままじゃ埒が明かねぇな、お前の魔法で撃ち落とせないのか?」
「……無理だ」
「無理なら仕方ねぇか」
「だが、作戦は思い付いた。こっちへ来い。俺の前に立て」
青年はぶっきらぼうに言いながら指示を出す。指示の意味が分からず、怪訝な顔になり
「まさか俺に盾になれってんじゃねぇだろうな」
「無駄口を叩くな、時間の無駄遣いだ。早くしろ」
「わかったよ!」
恐らくこの青年は無駄な指示は出さないはずだと信じ、言われるがままジークヴァルトのすぐ目の前に足を着け仁王立ちする。
すると、先刻まで二人をバラバラに狙っていた三匹の赤鷲が同じ一点に狙いを付けて来た。まさかこれが青年の目的だったのかと考え
「来いや、赤鷲ども!」
挑発する様に叫び、それと同時に三匹の赤鷲が羽を広げながら一箇所を狙い突撃してくる。
そうして三匹が一点に向かい収束していき、やがて巨大な羽と羽とがぶつかり合い散り散りになっていた。
お互いに邪魔された左右のニ匹が空中で喧嘩をし始め、残る中央の一匹は狙いを地上の人間二人に定めたまま突撃してくる。
「まだ動くなよ、亜人」
「オイオイ、待て、何か作戦あるならもっと詳しく――」
「――今だ!」
一匹赤鷲がすぐ眼前まで迫った直後、ウルガーの足元の地面が一気に浮上し土の壁へと変化する。赤鷲の嘴は土の壁の表面へと突き刺さる。
そして壁の上に足を着けていたウルガーへと青年は指で指示を出す。指示を受け取り、壁の上から飛び降りて赤鷲の頭上へと向かい拳を握り締めた。
「始めからちゃんと口で説明しとけぇ!」
青年の説明不足に対する文句と共に、赤鷲の頭部に一撃の拳を打ち込んだ。そのまま地表に勢い良く叩きつけられ白目を向きながら赤鷲は気絶する。
「はぁ、はぁ……上空のニ匹は、まだ喧嘩してんな。終わったか」
「正気に戻られたら面倒だ。さっさと行くぞ」
「そうだな。……説明不足には文句言いたいが、また助かったよ」
「ふん」
それ以後もほとんど会話は続かず、地面から現れた十メートル以上の長い体を持つ毒ムカデ、鋼の様な長い牙を持つ猪の集団等を退け進んで行った。
ジークヴァルトの冷静な対応力により、戦闘量に比べて怪我は少なく済んだ。やがて二人は目的の場所へと足を踏み入れ――
「ここが頂上か」
山頂は広い草原の様になっており、周囲には木々が生え、中央には見るからに目立つ花が幾つも咲いていた。
その花はニメートル程あり、紫の花びらが円を描くように付いている。これこそが、シュオン花で間違いないだろう。
「花びらや茎や葉には触れるなよ。取るなら地中から一気に根こそぎだ、余計な事をすればあの大音量を間近で聞く事になる」
「分かってるよ。あんなデカい音を至近距離で聞いたら耳が壊れそうだ」
あの轟音を出すのはシュオン花が身を守るための行動だ。慎重にいかなければならないと、足を進めようとしたその時。
背後から数人の人間の気配を察知した。
「――誰だ?」
ジークヴァルトも気配に気が付いていた様で、二人同時に背後へと振り返る。
視線を向ければそこには五人が立っていた。四人はこの国の騎士団の服装をしており、中央の人物は赤い長髪の男。目付きが悪く、品の無い笑い顔でこちらを見ていた。
何者かとウルガーから問われた赤い長髪の男は、ジークヴァルトへ視線を合わせながら口を開く。
「よぉ、こんな所で何やってんだぁ? 泣き虫ジーク君」
「……知り合いかよ? ジークヴァルト」
突然現れた男が何者なのか聞こうと隣の青年へ視線を向ける、すると彼は見たこと無い表情で赤い長髪の男を見ていた。
その顔は、恐怖や怯えといった感情だった。
顔を青くしたジークヴァルトは声を震わせながら
「兄、さ……」
「オイオイ、兄様なんて言うなって教えたよな? お前みたいな出来損ないの兄弟なんか血筋の恥なんだよ」
耳をほじくりながら言い放たれる長髪の男の発言に、ジークヴァルトはより一層顔色を悪くさせ黙り込んだ。
つい先刻までとは別人のような姿だ。まるで、怯えた子供の様で――
「ま、泣き虫ジークはどうでもいいや。俺フレデリックさんに依頼されてさぁ、念の為シュオン花全部焼き尽くせって。だからそこどいてくんない? 銀髪の坊主」
「……どけねぇよ。俺達の邪魔はさせねぇ。おい、ジークヴァルト。こいつらぶっ飛ばすぞ」
「……」
「おい、黙って本当にどうしたんだよ!?」
二人の様子を見て、長髪の男は下品な笑い声を上げた。
「ギャハハハハ! いいぜ、銀髪の坊主、教えてやるよ! そいつさぁ、騎士団じゃ偉そうにしてるみたいだけど実際は出来損ないなんだよ!」
「は? どういう意味だよ」
「勉強できねぇ、運動できねぇ、友達も出来ねぇ。剣もマトモに振れねぇし魔法もド下手クソ。ガキん頃のそいつは本当価値の無いクソ野郎だったぜ。生きているだけで家の恥だった!」
「分かったもういい、聞いた俺が悪かった。もう喋んな」
「いいや、まだ喋るね! それでそいつは必死こいて勉強して剣と魔法の特訓して、最高にダサかったぜ。俺達兄弟は楽に出来た事もジークヴァルトは必死に努力しなきゃ出来なかった!」
「……」
「そして、そんな必死な努力の末に辿り着いたのが今の半端な状態さ! 頭も剣も魔法も、それぞれ他に特化してる戦士は居る。そいつはそのどれも極められていない半端者! 騎士団での地位も未だに中堅だ!」
「……」
「弱者はどんだけ努力しようが弱者なんだよ! 無駄な努力なのさ! ギャハハハハ!!」
「……」
ジークヴァルトは今にも泣き出しそうな表情で黙り俯いていた。それだけ、子供の頃の記憶がトラウマとして心に刻み込まれていたのだろう。
だが、目の前で見たから知っている。この青年は、ジークヴァルトは
「強ぇぞ、ジークヴァルトは」
「あぁん? 話聞いてたか? もしかして坊主も馬鹿なのか?」
「俺が馬鹿なのは否定しねぇ。だが、俺はここに来てコイツに何度も助けられた」
「は? こんな奴に? 恥ずかしいなお前」
「オイ、さっきから黙ってねぇでお前も何か言い返してやれよ。あんな奴の言う事を真に受ける必要はねぇ」
「……あの人が言っている事は、事実だ。過去の俺は、何も出来なかった。それを努力で重ねて、何とか誤魔化して……」
「それって恥ずかしい事なのか? 俺はそうは思わねぇぞ」
ウルガーから返された一言に、ジークヴァルトは驚いた様な顔で言葉に詰まっていた。
自分を変える為にする努力が、恥ずかしい事な訳が無い。
「出来ない事を出来る様に努力すんのは立派だろ。それで実際に出来る様になってんだから尚スゲぇじゃねぇか」
「だが、他にもっと優れた人間は、居る……」
「何で他人と比べんだよ。上を見りゃもっと凄いのが居るのは当たり前だろ」
「……」
青年はまだどこか納得出来ていないようだった。長年、歪んだ価値観の中で生きてきたのだろうから、簡単にはその劣等感は拭えないだろう。
自分には言葉で人を説得できる様な頭は無い。自分が思った事を口に出すくらいしか出来ない。
「今日、俺はお前の剣技と魔法と判断に何度も助けられた。お前が居たから、大した負傷も無くここまで来れた。それで充分じゃねぇかよ、ジークヴァルト。お前の努力は無駄なんかじゃない」
青年は目を見開いた後、相貌を閉じて再び黙り込み何かを考え込んでいる。
長髪の男は心底どうでも良さそうな顔で耳の穴をイジり、こちらの様子を窺っていた。
数秒の沈黙が流れ、青年の雰囲気が少し変わる。恐怖や怯えの感情は落ち着いて来た様だった。
「そろそろ戦えるか? ここで立ち止まってる暇はねぇぞ」
青年はゆっくりと相貌を開き、先刻までと目付きが変わった。そして
「――感謝する。ウルガー」
そう、小さく呟いたのだった。




