八話 港街からの脱出
桃色髪の魔女、カトレアの魔法は恐らく『時間』に関連するものだ。
現行の時を止める『時間停止』に、未来を先読みする『未来視』――ここまでに見た異様な光景の正体はそれだろう。
ウルガー、ニア、テッドといった一部の人間にだけ『時間停止』を掛けなかったのは、時間の止まっている相手に干渉する事は出来ないから。
そして街全体の時間を停止させる程の規模の魔法だ、単純に考えて魔力の消耗は激しいだろう。魔力の消耗が激しい魔法は基本的に効果時間は短く乱発も行えない。他にも何かしら制約はあるかもしれないが。
そして、未来の読める相手に対し攻撃を加えた所で、その尽くを回避され続け一方的にこちらの体力を削がれてしまうだけだ。
それならば逃走し時間を稼いだ方が良い、それに集中するべき事柄が多くなる程、魔法を維持する事へ回す体力の消耗も大きくなる。
だから、逃げの一手を打ち敵の体力を削ってしまうのがベストだと判断した。
それがテッドの思い至った結論と作戦だと語り。
「あらあら、まぁ〜、そこまで考えていただなんて 感心して開いた口が塞がりません〜」
「お前は少しは誤魔化すなりしろよ……」
変わらず女はのんびりとした口調で返答し、隣に佇む猫の亜人は呆れた様に溜め息をつく。
途中で駆け付け参戦した用心棒のビッキーは「なるほど」と納得した様に首を縦に振りながら。
「それで、私目線からしたらいきなり近くの窓ガラスが割れた状態になってて硝子片や石ころが散乱して、災害でも起きたかの様に外の地面やらがボコボコだった訳ねぇ」
時を止められていた彼女からすれば瞬き一つの間にいきなり世界が変化していたのだ。
気配に全く気が付けぬままカトレアとランドのニ名がすぐ目の前に出現していた時も、その間に『時間停止』を全員に掛け時を止めていたからなのだろう。
だがしかし、能力のカラクリの一部を暴かれたとて眼前の敵の戦意は一向に落ちていない。
猫の亜人ランドは自分の栗色の髪の毛を掻きながら息を深く吐いて
「ま、バレちまったもんは仕方ねぇか。別にカトレアの能力を明かされた所で負けたわけじゃねえし、こっから勝てば良い」
「そうですね〜、流石はランド君。何事も前向きに考えましょ〜」
ウルガーの今まで出会って来た魔導会の敵は表面上は余裕かましていながらその実感情的になりやすい相手ばかりだった気がするが、今回の相手は精神的な余裕を一切崩す事が無い。
性格も今の所大して悪人には見えず、今までの敵とは違う意味でやり辛い相手だ。
「本当、調子狂うなこいつら……」
ウルガーはボソリとやり辛さを呟くが、そうも言っていられないし加減するつもりも無い。
この中で一番判断が的確に出せそうなテッドへと視線を向け指示を仰ぎ
「テッドさん、どうする?」
「……隙を見て逃げ、身を隠しましょう。この国では目立つ戦闘はなるべく避けた方が良い」
「そうだな、了解した」
この国、イースタンの軍隊は裏で魔導会と繋がっている疑いがある。あまり戦いを長引かせて、もしも軍から増援を呼ばれ逃げ道を塞がれてしまえばもうどうにも出来ない。最悪、国全体が敵になる恐れだって有り得る。
あまり目立つ様な事を続けるのは得策ではないだろう。今ならビッキーも動ける様になり合流している、行動に移すなら今が好機だ。
「オイオイ、待てや! 逃がしゃしねぇよ!」
――が、こちらを制止しようとする声が響き、地面を踏み付ける音が聞こえる。
獣の耳と優れた聴覚を持つ亜人、ランドにはやはり会話の内容は筒抜けだったらしい。逃げに徹すれば恐らくカトレアの相手はそこまで怖くない、厄介なのはランドだ。
「ここは俺が時間を稼ぐ、後で追い付くから先に――」
ウルガーが殿を務めようと名乗り出たその時、言葉の途中で少女が「ちょいちょい」と止めに入る。
「そこは私の出番でしょう? ここは私に任せて行った行った。後で追い付くからさ」
「ビッキー……!」
ビッキーはそう言いながら、ウルガーの肩を抑え足を一歩前に出しランドと向かい合う。
「ウルガー君、ここは彼女に任せましょう。逃げるなら君の脚があった方が良い」
「……分かった、テッドさん。そうする」
テッドの言う通り、目的が逃走ならこの力は逃げる事に全力で使った方が良い。戦闘しても体力を大きく消耗してしまうだけだ。
考え足らずだった事を内心反省しながら、行動に移る前にもう一度ビッキーへ顔を向けて。
「俺達は逃げる、絶対に合流しに来いよ!」
「ビッキーさん、頑張って!」
背後からのウルガーとニアの声援を聞き「はいはーい」とビッキーは手を振りながら応える。そしてその直後、地面を蹴りつける音がした。
「逃さねえつったよなぁ!!」
ランドが凄まじい速度で追撃を開始し、一瞬の間に距離を詰める。殿を務めるビッキーに対し拳を振り上げて
「俺ぁ強い奴なら女だろうが加減しねぇ! どけろ!!」
「いいよ、来なさい!」
その超人的な速さに目で追い付くのは至難の業だ。ビッキーは両手に魔力を溜め、それを全身に纏い――
そのまま、ランドから繰り出された驚異的な速度を乗せた拳による強烈な一撃を頬に受け
「――ッ!?」
ランドは、眼前の信じられない光景に目を見開いていた。
攻撃に手加減などしていない、本気で拳を打ち込んだ、それなのにビッキーの顔にはダメージを受けた形跡が一切なく。
「お返し」
ビッキーの口からその一言が呟かれた瞬間、ランドの顔面に一撃の重たい不可視の衝撃がぶつかった。
「ぐぶぉあッ!?」
そのまま衝撃に身体ごと吹き飛ばされ、鼻血を撒き散らしながら地面に転がり、途中でカトレアが転がる彼を両手で受け止める。
「危なかったですね〜」
「危なかったつーか、モロに受けたわ!」
ランドは鼻血を手で拭いながら即座に立ち上がり、ビッキーへ鋭く視線を突きつけながら。
「妙な魔法を使う女だ……、魔女かテメェ」
「魔女だよオメェ」
「言い方真似すんな!」
「ランド君、ランド君。あの人は無視して早く追い掛けるのが、良いと思いますよ〜」
「同感だ! カトレアはあの女を頼む!」
「お任せください〜」
のんびりとした口調とは裏腹に、カトレアは素早い動きで三節棍を構えながらビッキーへと飛び掛かる。
「うわ、ちょっ、怖ぁっ!」
第一印象とは違い過ぎる一流に近い戦士の動きに驚きを隠せない。三節棍に回転を加え速度を上げながら幾つもの打撃をぶつけて来て、手で受け止め防御、回避を繰り返し攻撃を防いで行った。
「ん〜? 素手で受け止めて何故ダメージが無いんですかぁ?」
全力で攻撃を加えたはずだが、手で受け止めたビッキーには傷も痛みも入った様子は無い。その事を不思議に思いながら、カトレアはランドへと目を向けて。
「今の内ですよ〜」
「感謝すっぜ!」
交戦するビッキーとカトレアを横目に、ランドは地面を蹴り付け驚異的な速度で走って行き――
「行かせないって言ったでしょうが!」
ビッキーは叫びながら、背後へ向け手を振るう。その直後、ランドの両脚と背中に不可視の衝撃がそれぞれ一発ずつぶつかり、体勢が崩れ地面に倒れた。
「痛ってぇな、またかよ!?」
その光景を見たカトレアは「ん〜?」と考え込む仕草をした後
「あらら〜、もしかして、今の私のせいですか〜?」
「ゆっくりした口調の割に察しが早いなぁ、もう存在が詐欺でしょアンタ」
「ちょっと意味がわかりませんが〜……あら?」
「……!」
その時、周囲に多数の人間の気配と視線き気が付く。見てみれば街の住民達が周りに集まっていて、衛兵達も押し寄せて来ており混乱が広がり始めていた。
「おいおい、何の騒ぎだぁこりゃ!」
「あの桃色髪の女、額に変な模様付いてる……魔女じゃないのか!?」
「もう一人の女も魔女だぞ、さっき一瞬手の平に刻印の模様が見えた!」
「怖いわ、早くあの魔女達捕まえてよ衛兵さん!」
「ハイハイ、皆さん危ないから下がってっ!」
周囲に集まった人間達に気を取られ、カトレアとランドの動きが一瞬止まる。その二人の目から窺えた感情は躊躇……どうやら二人は、進路を邪魔する一般人を叩き潰せる程の非情さは持ち合わせていない様だった。特にカトレアの表情からはおっとりとした笑みが消えていて、何か様子がおかしい。
その隙を見計らいビッキーは、ランドの背中へ一気に飛び掛かる。そのまま地面へ押し倒し、羽交い締めにしながら抑え付けた。
「クソっ、しくじった!」
「アンタら一般市民見たくらいで行動に躊躇するとか甘過ぎでしょ……っと」
「離しなさい!」
ビッキーは背後から三節棍を振りかぶって来たカトレアの攻撃を背中で受け止め、その直後不可視の衝撃がカトレアに襲い掛かる。ぶつかった衝撃に歯を食いしばりながら耐え、足をふらつかせながらも地面を踏み締め体勢をすぐに立て直す。
「表情に余裕が無くなってるよ、カトレア」
「……そう、ですね。ふぅ、これじゃ、いけませんね〜。冷静に、冷静に〜」
どこか様子が変だったカトレアは、深呼吸しすぐに平常心を取り戻した。そして
「凄く疲れるので、あまり連続しては使いたくないんですが〜」
そう言いながら全身から凄まじい魔力を発し始めたカトレア、それを見たビッキーは直様警戒態勢に移ろうして――
「待て、カトレア」
その時、声がした。男の声だ、それは周囲を囲む群衆の中から聞こえた。
カトレアは魔法を発動する前に止めて、声がした方向へと顔を向けていた。ランドも同様の位置に視線を移している。
そこへ目を向けてみれば、竚んでいた人物は腰に一振りの騎士剣を携えた金髪で隻腕の男。その男はすぐ近くに居た酔っ払いの衛兵に何かしら声を掛けた後、周囲の住民に向けて叫ぶ。
「あの桃色髪の魔女は我々の味方です、安心してください! しかし、あの黄色い髪の魔女は敵だ、他にも悪の魔女とその魔女の仲間がこの国に忍び込んで来ている! ここは危険、皆様はすぐに避難を!」
「オイオイ、悪い魔女が国に入って来たってマジかよ!」
「いいから早く逃げるわよ! 怖い魔女に巻き込まれたらどうするの!」
周囲の住民達は衛兵に指示されながらその場から離れていき、やがて群衆の居た場所に残ったのは隻腕の男一人となった。
それから隻腕の男は腰の騎士剣に手を掛けながら口を開き。
「カトレアとランドの二人相手にそこまで戦えるとは、流石だな……魔女の傭兵ビッキー」
「名前を知っててくれてどうも。アンタの名前は?」
「私の名はフレデリック、軍に居れば君の話くらいは聞くさ。――さて、闇の魔女ニアがこの国に来たとの報告があったのだが……」
「は? ニア? 誰それ?」
「しらばっくれても無駄だ。我々には優秀な『占術使い』が居る」
ビッキーの返答を即座に切り捨てながら、隻腕の男フレデリックは腰の騎士剣を手に取って
「まずは羽交い締めしているランドを解放したまえ」
直後、フレデリックは風を切りながら真っ直ぐ距離を詰めて、ビッキーの首へ向けて剣を振り抜いた。
放たれた高速の銀閃をビッキーは寸前の所で手の平で受け止め
「せやぁっ!」
掛け声と共に不可視の斬撃がフレデリックに襲い掛かる。が、相手は咄嗟に全身を後退させており、手の甲に薄い切り傷が付いたのみだった。
「ふむ、聞いていた通り厄介な能力だ。攻撃してすぐに回避行動を取っていなければ危なかった」
そう言った後、殺気を更に高めたフレデリックは幾度にも及ぶ高速の斬撃を放って来た。
最初の二発は素手で受け止めるも、この超人的な速さと数の連撃は防ぎきれないと刹那の間に理解し
「流石にこれは無理!」
せっかく羽交い締めにしたランドを解放してしまう事になるが、命には代えられない。斬撃の射程内から離れ、距離を取る。
解放されたランドは「ありがとよ」と感謝を伝えたのち逃走した者達を追い掛けようとするも、それを背後からフレデリックに呼び止められ。
「もう追わなくていい、ランド。それよりあの女を捕らえ人質に使った方が奴等には効くだろう」
「女を人質……って、卑怯じゃねえか?」
「仕方ありませんよ、ランド君〜。お仕事です、気持ちを切り替えて行きましょ〜」
そうして、三人の敵がビッキーに視線を突き付けて来る。
最初の二人が相手だったらまだ逃げられる可能性はあった。しかし、新たに強敵がまた一人追加されてしまい、状況はかなり悪くなってしまった。
「流石に、これはキツイね」
どうするべきか思案するビッキーに、フレデリックは足を前に進めながら二択を突き付ける。
「おとなしく投降し人質になるならば手荒な真似はせん。抵抗するならば、指の何本かは落として――」
「――んな事させっかよ」
フレデリックの言葉を途中で遮る様に少年の声がした。
それと同時に突風が吹いたかの様にフレデリックの目の前を何かが通り過ぎて行き、そこに居たはずのビッキーの姿が居なくなる。
そして近くの建造物の屋根の上に気配を感じ取り、上を向けばそこには一人の少年と彼に抱えられたビッキーが居て。
「ウルガー! 何してんの、まさか私を助けに来たの!? 私に任せてって言ったのに!?」
「何か嫌なニオイがしたから一応戻って来てみたら大ピンチだったろ。――フレデリックもいやがるか」
ウルガーの向けた視線の先には以前交戦した剣士の男が居た。
その男、フレデリックはこちらへ目を合わせ冷たく微笑し
「ほう、やはりお前も居たか、久しいな。ベルモンドがお前の事をやけに気にしていたぞ」
「知るか! ――全速力で行くぞ、掴まってろビッキー!」
「用心棒が雇い主に助けられるなんて情けない……っ! でもありがとう!」
フレデリックの言葉も、カトレアの視線も、ランドがこちらに向けてきていた闘志も気にしている暇など無い。
先に遠くまで逃したニアとテッドの元へと向かい、建造物の屋根を跳躍して移動し全速力で風を切りながら駆け抜けて行く。
それを見ながらランドも走り出そうとして、
「待て……っ!」
「ランド、深追いはやめておけ。焦らずともまた探し出せば良い」
「……クソ、わかったよ」
フレデリックから呼び止められ、ランドは悔しげに拳を握り締めながら足を止めた。
カトレアは、立ち去った者達の向かった方角へ目を向けたまま静かに呟く。
「あの亜人の男の子……銀色の体毛……。――まさかね」
それは小さな声で呟かれ、周囲の誰にも聞こえてはいなかった。




