七話 動き出す刻
カトレアの持つ魔法の詳細はいまだ不明だ。現在分かっている事といえば、まずは周囲の停止。周りの景色をまるで絵画の中の世界であるかの様に人々の動きは止まったままの状態である。
更にたまたま気が付いた事ではあるが、停止している状態の人間にはものがぶつかっても傷や跡すら付かず、周りからの一切の干渉を受け付けない硬まった状態と化していた。
そして桃色髪の魔女カトレアだけではない。もう一人の敵、猫の亜人ランドも気を抜けない強敵だった。
「ハーッハッハッハ! 面白くなって来たぜぇ!」
凄まじい速度で繰り出される拳と足の連撃は直撃を避ける様に回避し、防御してダメージを軽減する事で精一杯。反撃の糸口が見つからない訳では無く、こちらの攻撃も通っているが、一進一退の攻防になっているのが現状だ。
「クソ、こいつも強え……っ!」
ニアとテッドの戦況ばかり気にしていられる余裕など無い。ランドは一度攻撃を打ち止め、後退し距離を置く。そして、こちらへ指を差し
「ウルガーとか言ったな、兄ちゃん。まだ隠してる力あんだろ? 見せてみろよ、俺ともっと楽しもうぜ」
「……楽しむ気なんかは毛頭無いが、確かに力は使った方が良さそうだ」
ランドの言いたいものは、ウルガーの持つ「獣人化」の力の事だろう。
アレは体力の消耗が激しく、力と同化しすぎると意識が消えかけるデメリットもある。無闇矢鱈と使えばこちらが不利になる可能性があるためなるべく温存しておきたいのだが……そうも言っていられない状況だ。
「行くぞ、ランドッ!」
眼前の敵の名を叫びながら、魂の奥に眠る力へと呼び掛ける。叫び声と全身から溢れる闘争心で空気が震え、両脚の付け根から爪先に銀色の体毛が生え渡り、筋肉が膨張し、二本の銀狼の脚が顕現する。
「ッだぁアァッ!!」
地面を蹴り、音速に達する速度で一瞬の内に敵との距離を詰めた。
ランドは反応に間に合わず、銀狼の体毛で覆われた右脚から繰り出される音速の蹴りを鳩尾へ直撃する。
「ぐぅ、オェッ!」
ランドは苦痛にえずきながら、そのまま蹴り飛ばされ全身で地面を転ばされて行く。更に追撃を掛けようとウルガーは再び地を蹴り付け、一気に接近して行き――
「――俺もそろそろ、隠し玉を出す頃合いか」
その独り言が耳に届いた後、ランドは両手を広げながら前方へ向ける。そして
「双炎弾」
詠唱が聞こえた直後、ランドの両手の平から急激に二つの魔力が高まり、膨れ上がって、それぞれの手の平から計二発の巨大な火炎の弾が放たれた。
「な――ッ!?」
一発は咄嗟の回避に成功したが、突然の想定外の不意打ちに対応しきれず、二発目は避けきれなかった。腕を交差させ盾の様にし炎の弾を受け止めるも、そのまま魔力の高熱は一気に広がり全身を焼いて行く。
「グウウゥッ!」
声を上げ苦痛を堪えながら地面を転がり火を直様に鎮火させる。
すぐに立ち上がり体勢を整えながら、再び相手を睨み付け
「ハア……はぁっ、クソ、魔法まで、使えたのかよ……!」
「おうよ、俺ぁ一度も『魔法が使えない』とは言ってないぜ。油断しちゃあいけねぇな」
魔法という手札をここまで伏せていたという事は、簡単には使用出来ないデメリットもあるという事だと思う。しかし、ただでさえ素早く接近戦も得意な敵が魔法まで使えるというのは厄介だ。
とはいえ、厄介だがどうにもならない程の敵では無いはずだ。 そしてこんな場所で止まって躓いている場合でも無い、やるべき事に変わりはない。
「これくらいで、止まってられっかよッ!!」
銀狼の両脚へ力を込め、バネの様にして地面を蹴り抉りながら瞬く間に敵との距離を詰め接近する。
ウルガーの音速の動きをランドは目視で捉え、再び両手に炎の魔力を溜め込む。そして、炎の魔力と共に拳を握り締めながら――お互いの間合いは目と鼻の先まで距離が縮まり
「ウオオオォッ!」
「ハッハアぁっ!」
お互いの声が一斉に響き、音速の一撃と炎の塊とがぶつかり大きな衝撃が空気を震わせた。
魔力の炎へ銀狼の右脚をぶつけながら粉砕し掻き消した。そしてそのまま相手の顔面、腹部へ数発の打撃を撃ち込む。ランドは歯を食いしばり眉間に皺を寄せて
「いってえなぁ!」
ランドの魔法は威力が高く、受けて相殺した銀狼の右脚も焼かれており結構なダメージを受けてしまった。が、幸いにもこの脚は再生力が高い為すぐに動ける様になる。
このままゴリ押して行けば、勝てるはず――そう思い拳を握り締めながら殴りかかろうとした、その時だった。
「ランド君、少し力を分けますよ〜」
カトレアののんびりとした声が聞こえた。その直後だ。
「ありがとよ! こっちも仕事だ、ズルとか言うなよ!」
敵の、ランドの動きが明らかに変化した。
相手の顔に撃ち込もうとした拳が、銀狼の脚による追撃が、こちらの攻撃の尽くが急に全て躱され始めたのだ。
まるで、攻撃の軌道を初めから知っているかの様に、こちらの行動を全て先読みされ始める。
「マジかよコイツ――!」
「さあ、こっちも反撃開始だぜ、ウルガーよぉ!」
――一方その頃、魔法による援護に徹するニアの眼前では、もう一つの戦闘が繰り広げられている。
「はぁアッ!」
テッドの握る騎士剣の切っ先が、桃色髪の魔女カトレアへと向けて振り払われた。
しかし、その攻撃は初めから読まれていたかの如く三節棍で防がれ、そのままカトレアは三節棍を円状に回転させて受け止めた騎士剣を弾き返す。
「いけぇっ!」
ニアは右手に溜めていた闇の魔力を小さな弾丸に変化させ、人差し指の先から放つ。
が、これは恐らく防がれてしまうだろう――案の定、すぐに気が付いたカトレアは身体を捻りながら軽々と魔力の弾丸を回避して
「今よ!」
そこから更に闇魔法を畳み掛ける。
認識阻害の『黒い霧』を纏わせ気配を消しながら忍ばせていた『影の鞭』をカトレアの背後から発生させ叩きつける。更にそれと同時に前方からはテッドの銀閃が女の首元へと向かって行く。
カトレアは頭上から来る影の鞭を目も向けずに避けながら前方から迫るテッドの剣を三節棍で防ぎ、切っ先を弾き飛ばしながら頭上の影の鞭へ棍棒の先を叩き付け地面に落とし、続けて放たれたテッドの剣戟による追撃を三節棍で受け止めながら急いで背後に後退した。
「ふ〜っ、今のは危なくてドキドキしました〜」
女の表情から少し笑みが消えた、危なかったというのは本当だろう、が。
「これでも、まだ駄目なんて……!」
歯を食いしばり、表情に悔しさが滲み出る。だが悔しに震えるだけでは何も事態は解決しない。すぐに気持ちを切り替えてニアは再び魔力を高め始める。
とはいえ、このまま同じ様な戦い方を続けても勝てない気さえした。
鉱山の街クリストでただただがむしゃらに発動した魔法、街を覆った闇色の霧もあれから自分の意思で発動出来た事は無い。
この状況を好転させる事が出来る様な何か良い方法は無いかと、頭を回してみてもなかなか良い考えは浮かばず。
「せめてビッキーも居たら……」
用心棒として雇った少女、有名な傭兵としても活躍していた彼女もいたら事態はもう少し良かったかもしれない。そんな事を考えながらすぐ近くのビッキーが居る建造物内へチラと目を向けると
「ん?」
あることに気が付いた。止まっているのは人間だけでは無く、壁に掛かっている時計もだった。
「時計……」
ふと、ある考えが脳裏を過ぎる。ニアはすぐに羽織った黒いローブの内側をまさぐりながらテッドへ声を掛け
「テッドごめんなさい、ちょっと時計見るから目を離すわ!」
「こんな時に何を言ってるんですか!?」
ニアは急いで懐中時計を取り出し、それを開いた――すると
「時計が、止まってる……」
この懐中時計はすぐ先刻、船を降りる時も動いていた。それが今は止まってていて、時刻は建造物内で止まっている時計の時間と同じだった。
そしてカトレアの、まるで未来が見えているかの様な異常のまでの勘の良さが思い出された。――否、恐らく、『まるで』でも『かの様な』でも無い。
あの女には、本当に未来が見えている。
「分かったわよカトレア、貴女の魔法は時間を操ってるのね!?」
「――」
ニアの指差しながらの発言に対しカトレアはこちらを見ながら、一瞬黙り込んだ。そして再び口に笑みを作って
「ふふ、おめでとうニアちゃん、正解で〜す、パチパチパチ〜。けれど、分かった所でどうにか出来ますか〜?」
「う……それは、何とかして頑張るわ!」
「あらま〜」
カトレアはニアの返答に口を当てながらのんびりとした口調のまま笑う。
そこへテッドが「時間……」と呟いた後、何かに思い至った様にハッと顔を上げた。
「お手柄です、ニア様。何とかなるかもしれません」
「え?」
そう言いニアを労ってから、テッドは騎士剣を握り締めたままカトレアに視線を向けた後、ウルガーの居る方へと顔を向け声を上げた。
「ウルガーくん、ここから全速力で逃げます! 私達に付いてきてください!」
突如テッドはそう叫び、ウルガーはすぐにその声に反応する。
そしてニアの手を即座に掴んでテッドはその場から走り出した。
カトレアの能力を暴いた事とテッドの突然の行動の意味が頭の中で結び付かず、「ちょっとちょっと!」とテッドに訊ねて
「いきなり逃げるってどういう事よ!?」
「説明は後です、付いてきてください!」
テッドが意味もなく変な行動を取るとは思えない、何か考えがあるのだろう。ウルガーも、テッドに言われた通り戦場から離れようと動き始めた。
ならば意味がまだ分からずとも言われた通り行動した方が良いだろうと思い至り
「分かったわ、とにかく逃げたらいいのね!」
「はい、逃げてください!」
その行動にカトレアは目を丸くしてから困った様な表情を浮かべて
「あらま〜〜、一番困る行動を取られちゃいましたね〜」
口調はのんびりとしているが、女の行動の移り変わりは速い。
三節棍を構えながら、口調とは裏腹に素早い動きで逃亡を企てるテッドとニアを追跡する。
「えいやー!」
テッドに手を引かれながら振り返り、ニアは闇の魔力の弾丸を背後から迫るカトレアへ向けて撃つ。魔力の弾丸は三節棍に弾かれ、カトレアはそのまま助走をつけ地面を蹴りテッドへと襲い掛かる。
背後から迫る三節棍をテッドは気配だけで察知し、騎士剣で受け止め弾き返した。
「予想通りですね、カトレア。貴女の能力は防戦に関してはほぼ無敵な様ですが、追撃には向かないみたいだ」
「んん〜、困りました〜」
カトレアは困った様な顔で思案する仕草を見せる。
防戦特化の能力とはいえ、それでもカトレアの身体能力が高いのもまた事実だ。長年鍛えているはずのテッドに走りでのんびりとした顔のまま追い付いて来ているのだ。
どこまで同じ様に逃げ切れるのかは分からない。だから
「私も援護するわ! 影の鞭!」
「あらら〜、ニアちゃん、貴女から私に攻撃しても当たらないって……」
言い掛けた直後、ニアの発動した影の鞭はカトレアの想定とは違う動きを見せる。
発動され顕現した二本の影の鞭はテッドとニアの身体に巻き付き、カトレアの近くから引き剥がしてそのまま二人を遠くまで放り投げたのだ。
「あら、あらら、あら〜〜」
予想外の事をされ、驚きをのんびりとした口調で表現しながらカトレアは目を丸くした。
「テッド、着地できる!?」
「余裕です」
影の鞭で飛ばされたテッドは涼しい顔のまま着地し、続けて飛んで来たニアを受け止める。
「ありがとう!」
「このままどんどん逃げますよ、ウルガー君も来ました!」
「……!」
背後を見れば両脚を獣の姿に変貌させたウルガーが、とても目では追えない速度ですぐ側まで駆け抜けて来ていた。
更にウルガーの背後から猫の亜人も追い掛けて来ており、彼もまた同様にとんでもない足の速さで追い掛けて来る。
――その道中、周囲の景色に変化が訪れる。
「あ、風……」
止まっていた風が再び肌に当たり始め、草木の揺られる音が耳に入り――
「時間が動き始めましたね」
テッドの声を聞き、懐中時計を取り出す。秒針が再び動き出していた。
「クソっ、逃がすかよぉ!!」
背後から声が聞こえた、猫の亜人の青年が焦りに声を震わせる。そして、背後から大きな魔力が膨れ上がって行くのを感じた。
「炎の塊が飛んで来るぞ、気を付けろ!」
そう呼び掛けるウルガーの声が響いた。
目の前のモノを破壊するために生み出されたかの様な巨大な一つの炎の塊が、猫の亜人の手の平から生み出され三人を飲み込み焼き尽くそうと迫って来て――
「凄い魔力量だけど、形が粗い魔法だねぇ」
その声は突然聞こえた。声のした背後へ目を向ければそこには一つの人影。――用心棒として雇っていた少女ビッキーの姿だった。どうやらビッキーも動ける様になったらしい。
彼女は三人を庇う様に炎の塊のすぐ前に立ちはだかっていて、細い腕を前方に向けながら
「危ないわビッキー、避けて!」
「大丈夫、大丈夫」
軽い調子で言いながらビッキーは炎の塊を細い腕で受け止めて、その直後。
「どんっ」
擬音を口走りながら素手で魔法を押し返し、巨大な炎の塊はランドとカトレアへ向かい放たれて行った。
「フンガアッ!!」
掛け声と共に、ランドは返された炎の塊に対し、更に新たに生成した炎をぶつけ相殺させた。
ビッキーは炎を受け止めた右手をブンブンと振りながら足を一歩前に踏み出してから、背後の三人へと振り返り。
「――そんでこれ、どういう状況?」




