六話 急襲
その場は一瞬にして凍り付いていた。
鉱山の街クリストで初めて遭遇した時と同じ、その人物は気配も音もニオイも悟らせず、意識した瞬間にはもう目の前に居たのだ。
同じく信じられない光景を目にしていたテッドも、警戒心を強めた目で眼前の二人を睨み付けながら腰の騎士剣に手を置いていた。
ニアも緊張感に汗を浮かべて相手から目を離せずに居る。
一方、目の前にいる二人のうち一人、猫の亜人の青年は干し魚を噛み砕き飲み込んでからその腰を上げ
「ふー、美味かった。ほら、カトレアも立てよ」
「は〜い、よっこいしょっと〜」
緊張感の無い声でもう一人の人物――カトレアと呼ばれた桃色髪の女も尻に付いた汚れを手で払いながらゆっくりと立ち上がる。
相手の態度があまりにもマイペースで調子が狂いそうになるが、絶対に気を抜いてはいけない状況だ。目の前に居る二人は魔導会の一員、敵だ。
実力も未知数、何の前触れも無く眼前に現れて来るカラクリも分からない。
――ビッキーは何をしている、こちらに気付いていないのか。
ふとそう思い、背後の駐屯所の屋内へ目を向けた……その時見えた光景に、目を疑った。
「は……?」
背後で先刻まで話していた筈のビッキーと衛兵の上官三名が、話している最中の状態のまま硬直しついた。それはまるで絵画の一場面かの様な状態で硬直しており、普通では考えられない光景だった。
意識してみればそこだけではない、少し離れた先に見える兵士や通行人の人影を見てみれば彼等も同じく全身が硬直しており、草木や葉は風に揺られた様な形のまま停止している。空を見れば羽を広げた状態の鳥や雲も動かずにそのままの状態となっていた。
「全部、止まってやがるのか……?」
どうやらテッドも、その周辺の異常に勘付いたらしく眼前の敵へ視線を鋭くを突き付けながら口を開いた。
「この場に居る私達三人と、貴方方二人意外は全て動きが止まっている様ですね――一体何をしたんですか」
「あらら〜、さっそく気付きました?」
周辺の異常事態に気が付いたテッドへ向けて、桃色髪の女カトレアが笑みを浮かべたまま言葉を返す。
「皆に何をしたのよ、今すぐ元に戻しなさい!」
遅れて周りの状況に気付いたニアも、身体を立ち上がらせ相手に指差しながら訴えかける。
「まぁまぁ落ち着いてください〜」と、桃色髪の女は口に手を当て笑いながら言葉を続けて
「心配されずとも周りの皆さんには少し止まって頂いているだけです、すぐに解けますよ〜。それよりも皆さん自身の事を心配された方がよろしいかと〜」
桃色髪の女がのんびりとした口調でそう語った直後、そのすぐ隣にいた猫の亜人の青年が足を一歩前に出し。
まずウルガーへ視線を向けながら指を舐め、呟いた。
「俺の名前はランドだ。――さて、仕事初めっぜ」
次の瞬間、猫の亜人の姿は消え――
瞬き一つする暇も無く、猫の亜人は一瞬にしてウルガーのすぐ顎の下まで接近していた。
「――ッ、チィッ!」
接近と共に、猫の亜人は身体に回転を加えながら顎下に向けて超高速の蹴りを放つのが視認出来た。
だが、身体が追い付かない、回避は追い付かない。刹那の思考で判断を下し、両腕を交差させ盾の様にしながら顎への直撃は寸前で止める。
しかし、その衝撃は殺し切れず、そのまま身体を弾き飛ばされ背後の建造物の壁へ衝突した。
「ウルガー!」
ニアは警戒しながら溜めていた闇の魔力を解放し、影の鞭を出現させ――それより更に速く、テッドは左手で騎士剣を抜きながら猫の亜人の青年へと斬り掛かる。
「はアァッ!」
掛け声と共に振るわれた騎士剣の一閃――並の戦士なら反応出来る暇も無い程の早業だ。が、その全力の一閃は猫の亜人が両手から伸ばした爪により正面から防がれ金属の擦れる音が鳴り響く。
「クッ……!」
「はえー剣だな、剣士の兄ちゃん! ちょっとでも気い抜いたら当たっちまいそうだ……っと!」
テッドの放った銀閃に続き、魔力の気配を消しながら迫る影の鞭の存在を察知し地面を蹴りながら猫の亜人はその場から退く。
そのまま影の鞭は既に誰も居なくなった地面の上へと二回叩きつけられる。
「あの亜人の男の子、すごく速いわ」
「えぇ、反射神経も並ではありませんね……注視していなければ追いつけそうに無い」
「ウルガーも、大丈夫?」
「あぁ、受け身取ったから問題ない……」
あの猫の亜人の運動神経と反射神経は凄まじい、ウルガーとテッドでも神経を研ぎ澄まして追い付くのがやっとだ。身体能力に関しては並のニアでは到底追い付けないだろう。
相手の出方を窺い意識を集中させていると、猫の亜人の青年は隣の桃色髪の女へと声を掛け。
「オイ、カトレア、もう良いぞ。流石に俺一人じゃキツそうだから二人でやろう」
「そうですね〜、ランド君。では、私も戦うとしましょうか〜」
桃色髪の女――カトレアは懐から鎖で繋がれた三本の短い棒を取り出し、それらを連結させ、一本の長い棒状の武器へと変化させた。あれは三節棍と呼ばれるものだ。
「ウルガー君はあの猫の亜人を頼みます。あの魔女らしき女は私とニア様で戦います」
「あぁ、了解した」
「任せて!」
猫の亜人――ランドへ意識を集中させ拳を構えたと同時、ランドは再び地面を蹴り一瞬で至近距離まで距離を詰めて来た。
視覚で動きを捉え、聴覚で出方を察知し、嗅覚で距離を把握し相手の行動を予測する。
「そこ、かッ!」
地面に顎が付く程に体勢を屈めながら超高速で迫って来ていたランドに、頭上から踵を落とし迎撃する。
ウルガーの落とした踵は地表を粉砕し、その場からランドは驚異的な反射神経で回避し離れていた。
そして気が付いた時には既に背後へ回り込まれており、背部に四本の引っ掻き傷が出来上がる。
「――ッ!」
が、ただ攻撃を受けては終わらせない。そのまま右腕を背中側へ回しランドの片腕を掴み捕らえて、そのまま腰に回転を加えながら背後へ足を突き出し蹴りつけた。
「ッだぁあ!」
足がぶつかる直前、ランドは両脚を盾の様にして蹴りを受け止め、衝撃と共に吹き飛ばされて地面を転がって行く。
そして地面を回転しながらの勢いで相手は直様立ち上がり、深く息を吐いてから楽しそうに笑い。
「やるじゃねえか、今のは避けきれなかった!」
「俺としちゃ直撃していて欲しかったんだがな」
背中に受けた爪の傷が痛む、が、出血量はおそらくそこまででは無いだろう。
ふと、テッドとニアが戦っている女、カトレアに目を向ける。すると、その女もまた尋常では無い動きで戦っていた。
鉄の刃と硬い棍棒の激しく打ち合う音が何度も響き、テッドの放つ銀閃は尽くがカトレアの三節棍で弾かれ受け止められている。
それだけではない、ニアから続け様に放たれる魔法の気配を消した『影の鞭』も、フェイントを混ぜたテッドの攻撃も、それら全てが、まるで初めからどう来るのかが分かっているかの様に防がれていた。
「テッド、あの女の人の動き、何か妙よ!」
「そうですね……こちらの全部の攻撃を見透かされている様な……。周りの動きを止めたり、いったい貴女が使っているのはどういう魔法ですか?」
対するカトレアは額に刻まれた魔女の刻印に指を触れながら「ふふふ」と笑い
「教えませんよ〜。けれど、三節棍の扱いは長年の練習の賜物ですね〜、褒めてくれて良いんですよ〜」
「褒めないわよ!」
「あら〜」
二人がかりでいまだに攻撃は一度も通っていない様だった。おそらく何かしらカラクリはあるのだろうが、あの女の魔法の詳細が分からず突破口を見つけられずに居る。
それだけでは無い、あの女自身の戦闘力が高い事も動きを見れば分かった。長年の練習とやらもハッタリでは無いらしい。
「余所見してる暇はねぇぜー!」
「ッ!」
ランドが地面を蹴りつけ跳躍しながら頭上から爪を伸ばし迫って来る。降り下ろされた両手の爪を寸前で回避し、その場から二、三歩の距離まで後退。その直後――
「オーラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」
後退したウルガーを追撃するように、ランドは真正面から超高速で何度も何度も隙を一切与えない間隔で連続的に拳を打ち込んで行った。
「こんなもんで、負けるかよッ!」
幾つかの打撃を顔や肩、腹等に受けそれに耐えながら、こちらからも僅かなか細い隙間を狙い拳を打ち返す。
「ぶっ、ガ、ぐゥ!」
ランドの鼻と口にそれぞれ一撃ずつ、計二発がぶつかり鼻血を撒き散らす。だが、攻撃の勢いは収まらずランドの追撃に背後を駐屯所の壁まで追い詰められ
「おーらよ!」
ランドの拳が顔面を狙い放たれ、直撃する寸前の瞬間首を傾け回避に成功する。放たれた拳はそのままウルガーの真後ろの窓ガラスにぶつかり、細かい硝子片となって粉々に砕け散った。
その時脳裏で建物の中に居る人々の姿が浮かび、怪我をさせてはいけないと咄嗟に背後を振り返り――ウルガーはあることに気が付いた。
「――あ」
割れた硝子片が勢い良く飛び散り、その幾つかが部屋の中に居る三人の酔っ払いの上官と、用心棒として雇った少女ビッキーへと襲い掛かる。
しかし、硝子片は上官やビッキーの肌には刺さる事も無くそのまま肌の上を無傷なまま滑り地面へと落ちて行った。
今のは飛び散った硝子片が刺さっていてもおかしくない状況だった。怪我が無いに越した事は無いが、先程の光景には何か違和感を覚え……
「まさか」
試しに足元に落ちていた小石を拾い部屋の中に硬直しながら座っている酔っ払いの上官へ石を投げ付けた。
「――っ!? どうした、お前、敵は俺だぞ!?」
突然関係ない対象に小石を投げつけるウルガーを目にし、ランドは驚きを隠せずに居る。
ウルガーの手から放り投げられ離れた小石は、椅子に腰を掛け座ったままの酔っ払いの上官の頭部へと直撃する。
しかし小石はまるで強固な壁に当たったかの跳ね返り、そのまま床へ落ちて転がる。小石をぶつけられた上官の頭部には出血も腫れも、傷一つ付いておらず、石がぶつかった形跡すら残ってはいなかった。
まだ桃色髪のあの女が持つ能力の詳細は不明だ、が――
「止まってるもんには、こっちからの干渉が出来なくなってるのか」
ウルガーがそう静かに呟いた後、カトレアがこちらを見る視線に気が付いて
「あらあら〜、あまり長引かせると気付かれちゃうかもしれませんね〜」




