四話 出航、イースタンへ
「で、結局雇うのはあのお姉さんにするの?」
酒場を出て町の中を歩き港へと向かい行く道中、ニアが両側の二人に訊ねる。
鉱山の街クリストでの事件が影響し国民の危機感が高まった結果、既に用心棒のほとんどが雇われ済みだった。
そんな中、唯一残っていたのが先刻出会った黄色い髪のを二つに結んだ少女、若い傭兵の魔女として有名人らしいビッキーと呼ばれる人物である。
性格にどこか難のありそうな気配はしたが、一般人を守る為に戦う所から悪人では無いと思う。実力も申し分ないはずだ。
「ただ、どこか胡散臭いニオイもするけど……まあ、雇うならアイツか」
「雇える人が見つかって良かったわね。魔女の友達も出来そうだし」
「いきなり友達扱いは早計な気もするが……テッドさんはどう思う?」
「私も彼女で賛成です、ウルガー君。実力の高い噂は聞いていますし、金額が足りなければ私も出します」
「ありがとう」
ビッキーは傭兵と用心棒と掛け持ちで働いているらしく、実力は高いが、問題点として要求する金額が高いらしい。それも、その場の気分で急に値段の上下が激しく変わったりする。
「――俺の要求された金二十枚は機嫌が良いから安かったんだろうと店主さんに言われた時ぁビックリしたが」
「今は大丈夫かしら……衛兵に連れて行かれてご機嫌斜めになってなければいいけど……」
「充分に可能性としては有り得ますが、覚悟して掛かりましょう。いざとなれば貯金も崩します」
現在、港へ向かう理由は船の時間が近いからではない。まあ、それもあるにはあるのだが、港の方角からビッキーのニオイを感じ取ったからだ。おそらく事情聴取から解放されたのだろう。
新鮮な魚介類や海藻類の並ぶ出店の列を通り抜け、海岸が見えて来る。複数の大きな船が停泊しており、通行人や出航を待つ人間、船員に釣り人等が行き交っている。
人波を掻き分けた先、波打ち際に佇む少女が一人――ビッキーだ。
彼女もこちらの様子に気が付いたらしく、視線を動かし目を合わせてきて。
「アンタは――魔女の傭兵、ビッキーで間違いないな?」
「ふふ、よく知ってるねお兄さん。そんなに私に興味が出ちゃったのかな」
「いや、衛兵からそう呼ばれてただろ……や、無駄話はいい。アンタを用心棒に雇いたい、これから行く場所で、危険な目に遭うかもしれないんだ」
単刀直入に接触した目的を伝える。
するとビッキーは両腕を組みながらこちらへ身体ごと向けて、数秒程度思案した後
「勿論雇ってくれるのは嬉しいけど〜〜、んー、じゃあ金貨三十枚」
「三十……っ!」
「これでも普段よりは控えめだけど」
どうやらその場の気分で値段が変わるという話は本当だったらしい。
しかしすぐ横に立っていたテッドは動じる事なく即座に懐から金貨を取り出し
「ウルガー君、私からも受け取りください。これなら足りるはずです」
「テッドさん、悪い……」
「お気になさらず」
「わ、私も……!」
「ニア様はいいですよ、あまり持ってないでしょう」
テッドの協力もあり、金貨三十枚なら何とか足りた。一先ず安堵するが、やはり気になる事がある。
「――何で最初俺に言った時は安かったんだ?」
その問い掛けにビッキーは一瞬黙り込んだ後、笑顔を作ってからクスクスと笑い
「ごめんごめん、君が知り合いに似ててね〜。ちょっと意地悪してみたくなってさ」
「意地悪!?」
「用心棒の契約をやらしい感じに言ったらどんな反応するのかと思って。二十枚って値段は適当、ハハハ」
「な、何だよそれ……!」
悪気も無さげに笑いながらそう語る。あまりにもふざけた理由に頭に血が上りそうになるが、関係を悪化させて用心棒の契約を破棄されても駄目なので抑え込んだ。
その時、突如ビッキーは顔を近付け、頭から足の下まで見てから
「うん、特にこの髪色とか知り合いと似て……あ、よく見たら銀色か。あの子の髪はし……まあいいや。ニオイは似てるし」
「お前もしかして『知り合いと似てる』ってのも適当に言ってないか?」
「流石にそれはないし! 私の嗅覚舐めんなよ!」
「へえ、ビッキーさんも鼻がいいの? もしかして亜人のヒト?」
途中からのどうでもいいやり取りの中で出てきた嗅覚という言葉にニアが興味津々で飛び付いた。
ビッキーは少し困った様子で「いやいや」と手を動かしながら
「私が分かるのは魔力とか、……そういう概念的なモノのニオイだからさ。亜人とは違うよ。詳しくは企業秘密」
「そっかぁ」
ニアの後ろからテッドが顔を出し、咳払いしながら逸れた話を本題へと戻す。
「では、ビッキーさん。用心棒として我々に同行して貰える――という事でよろしいのでしょうか」
「うん、いいよ〜」
「やったわね、テッド、ウルガー!」
「いや、軽いな返事」
受け取った金貨三十枚を数えながら何とも軽い口調で少女は即答する。
あまり実感の湧かないまま、魔女の傭兵ビッキーの同行が決定した。
――それから数十分後、港に汽笛の音が鳴り響き、イースタン行き客船の出航時間が訪れる。
船体が海岸から離れ、広く感じた港町マリンサイドは少しずつ景色の中へ小さく溶けこんで行った。やがて甲板から見える景色は周囲一面に広がる広大な青へと変化する。
潮風を全身に浴びて鼻には潮水のニオイが充満し、海の中へ目を向ければ、大小入り混じりながら泳ぐ魚達が見える。空はよく晴れており、今日の海は非常に穏やかだ。
甲板にはどこからか侵入してきたらしい小さな蟹が一匹うろついている。
ニアは手すりを握りしめながら海を眺め、テッドは向かうべき目的地へ思いを馳せる様に遠くを見つめていた。
ビッキーはしゃがみ込み木の床に尻を付け座っている。
こうして船で海を渡るのは人生で二回目だ。――が、一回目に乗った時とは全然違う。
始めて乗ったのは故郷の島の数人しか乗れない小さな客船で……そして何より、呑気に海を眺めていられる様な精神的余裕など全く無かった。頭にあったのは幼馴染や友や島民を殺され、祖母や皆を傷つけられた怒り、憎悪、悲しみ、悔しさ、憎い敵への殺意――ただそれだけだった。
勿論あの激しい怒りの炎はまだ収まってはいない。消えるはずが無い。けれど今は、それ以外の事にも心を向けるべきなのだろうと思う様にもなった。
それは、あの青年――アーレから聞いた、かつての友人アランの遺言に答えたいと思ったから。
「――遠くから見る海とこっから見る海って、全然違うんだな」
二回目のはずなのに、まるで初めてかの様に呟いていた。
その直後、ニアがこちらの服の袖を引っ張りながら数十メートル離れた海上へと指を差す。その方角を見てみれば、虹色で大きなヒレの付いた魚が一匹跳ねながら泳いでいるのが見えた。
「見て見て、あの魚珍しいのよ! 虹翔び魚って言うの! 図鑑で見たわ!」
「へえ、そんな珍しい奴なのか、確かにあんな色の魚は見たこと無いな」
「見た人には幸運が訪れるって噂らしいの、幸先が良いわね」
「そうだな。順調に行ける事を信じよう」
そんな会話をしていると横から一つの声が介入してくる。それはあからさまに声が不機嫌な少女――ビッキーのものだった。
「はぁ……魚を見たくらいで幸先が良いとか、いいねぇ平和で……」
「え、ビッキーさん……どうしたの?」
明らかに機嫌の悪そうな表情とした濁った声の少女にニアは心配気に声を掛ける。
船に乗る前は割と機嫌が良さそうだったのに対し現在はいきなりこの様子。
流石に何か違和感を感じて
「どうしたアンタ、いくら変な性格してても流石に平和な空気壊す発言やるタイプには見えないが」
「……うっ……」
「う?」
「――――吐きそう」
よく見たら悪いのは表情と声の音色だけで無く、顔色もだった。そうして一つの答えに行き着き、それを背後からテッドが代弁する。
「もしかして船に酔いましたか?」
「――――」
ビッキーは口に手を当てたまま首を縦に振り、ニアも事態を察する。
「オイオイオイ、マジかよ!」
「大変じゃない、誰かバケツ持ってませんか〜!? 袋でもいいで〜す!!」
「船酔いの薬なら念の為に持って来たものが……」
用心棒が船酔いをしている事に不安を抱きながらも、客船はイースタンへと向けて進み続けるのだった。