二話 ありがとう
女性達を背後に庇う様に立ち、床を踏み締めて、握り締めた拳を振り上げる。
「テメェ、何のつもりだオラァ!!」
眼前から迫る、ナイフを手に取り襲いかかって来る人相の悪い男。
怒りと殺意を乗せた切っ先を向け、躊躇なく命を奪うつもりなのが理解出来た。
相手がこちらを本気で殺す気で来るのなら、
「俺も加減はしねぇ」
亜人の血特有の鋭い聴覚で刃の迫る距離を、視覚で動きを捉え、回避し、同時に相手の顔面へと鼻の骨を砕く勢いで拳を叩きつけた。
「ンブッ!!」と出血と共に苦鳴が響き、殺意を更に燃え上がらせた他の悪漢達がそれぞれ武器を手に取り、容赦の無い攻撃を一斉に放つ。
「女の身体目当てかクソガキ、帰るか死ね!!」
「んな目的じゃねぇよ!!」
男達の動きはウルガーからすればどれも遅く、動きも単調で、難なく全てを回避出来、回避と同時に一撃ずつ重たい拳を、蹴りを加えて行き、悪漢達は掠り傷さえ負わせる事もできずに次々と倒れて行った。
「黙って見てりゃ調子に乗りやがって、コラァ!!」
「俺達、『ポイズデス毒殺兄弟』がテメェをぶっ殺してやる!!」
その名の通り、相手二人が取り出した短剣からは毒物の刺激臭がした。
そのニオイを感じ取り、左右から迫る斬撃を後退し、跳躍しながら回避し、反撃態勢に入る。
「分かりやすい、避けやすい毒は怖くねえ……」
「な、何故、俺達が毒を使っていると分かったあ!?」
「自分で毒って言ってただろうが!!」
答えながら左右の拳を二人の顔面へとぶつけ、そのままの勢いで床の上まで叩きつける。
「故郷の森に住んでる獣や虫の方が、もっと強かった」
それだけ言い、残る最後の一人へと視線を向けた――その時。顔に入墨のある男が、金髪の少女リリーの右目に刃を向け人質に取っていた。
「な――っ、お前!」
「動くんじゃねえ! この女の片目抉り取るぞ!」
動けば少女を傷付けると脅され、足が止まってしまう。相手の目に一切の躊躇も良心も無い事を悟り、一歩でも動けば、本当に片目を抉るだろうというのが分かった。
「……クッ、ソ……ッ!」
怒りに、悔しさに、守れなかった自分の不甲斐なさに、ただ奥歯を噛むしか出来なかった。
もっと注意していれば、もっと周りに意識を向けていれば、こんな状態にはならなかった筈だ。
「俺等の要求に逆らおうとした女への罰は後でいいや。最初にその生意気なガキ殺っちまえ」
入墨の男が悪意を込めた音色でそう言った直後、背後から鼻血を流しながら立ち上がった男が棍棒を振るうのを、聴覚と肌で感じ取った。普段なら避けられる遅い攻撃だ――が。
「避けんなよ。この女の目え潰すぞ」
「グゥ――ッ!」
脅しに、大人しく屈するしか出来なかった。
故郷での惨劇の様に、罪の無い人間が理不尽に痛めつけられるのを、見たくなかったから。
「ヒャッハーっ!!」
背後から、男の笑い声と共に、ウルガーの頭部に勢い良く棍棒が叩き付けられる。
「グッ、アァァッ!」
頭部を襲う重たい衝撃に、意識がふらつき、地面に倒れる。頭部から、出血している。怒りが沸き起こり、立ち上がろうと――
「立つんじゃねえよ、ガキ!!」
入墨の男はリリーの目に更に刃を近づけた。あと一センチでも動けば、彼女の目に切っ先が当たってしまう。
「――ッ!」
やはり、他人を傷付けさせる事は出来なかった。
悔しさに歯を食いしばり、地に手を付けた態勢のまま。そこへ、今度はウルガーの左手の甲に一本のナイフが突き刺される。
「ウゥゥッ!?」
「ヒャッハハ、痛いか? 痛いかあ!?」
新しく立ち上がった二人の男、そのうち一人から手の甲にナイフを深く刺され、更にもう一人からは鳩尾への蹴りを食らってしまう。
「グッ……、ブッ!!」
「オイオイ、さっきまでの威勢はどうしたんだよ、クソガキぃ!!」
「オラ、謝れや! 謝ったら楽に殺してやるからよぉ!!」
「ヒャハハハハッ!!」
三人の男から次々と、棍棒で、ナイフで、脚で、暴力を全身に受けていく。
わざと致命傷を避け、長く暴行出来るようにして楽しんでいるのが分かった。どこまでも腐った連中だ。
このまま好きな様にやられるつもりなど無い、どうにかしなければ、理不尽な悪事を、このままにさせておくわけにはいかないから。
だが、どうすればいい。どうすれば、この窮地から脱する事が出来る――
「もう、いいですから! 私の事は気にしないで戦ってください! 貴方が死んでしまいます! 私は、いいですから!」
リリーが恐怖に涙を零しながらも、覚悟を決めた様にウルガーへと向けて叫んだ。
彼女の覚悟に報いる為に、戦うべきか。だが、片目を失うなど、肉体的にも、精神的にも、尋常では無い苦痛があるはずだ。
他に方法があるなら、他の方法を選びたい。
迷いが生じる中で、更に大人の女性達がリリーを庇う様に声を上げる。
「その子は、リリーは解放して、私が代わるから!」
「いえ、わ、ワタシが……代わりに!」
「私達はいくら傷付いてもいいわ! リリーだけはやめてあげて!」
女達の訴えに、入墨の男は暫し考える仕草をした後、悪辣な笑みを浮かべ応えた。
「分かった。じゃあ人質はこのリリーちゃんのままで続行な。お前らの顔が悲痛に歪むとこ見たいから」
「な……っ!」
「ふざ、けんな!」
「もういや、やめてよー!!」
その時、ウルガーは気付いた。入墨の男の殺意は、声を上げ訴えた女達へも向けられている事に。
このままでは、あの女性達も入墨の男の刃で容赦なく傷付けられ、最悪命までも奪われてしまうかもしれない。
そもそも、自分が大人しく暴力を受けて、リリーが解放されるとも限らない。いや、確実に、彼女も酷い暴力を受けるだろう。
ここに来て最初に目に映ったのが、髪を引っ張られ殴られた跡の残る、リリーだったから。
「選ぶ、しか、ねえのか……ッ」
棍棒で殴られ、切り付けられ、蹴られて、このままでは、やがてウルガーも死ぬ。
死ぬつもりは毛頭ないが、仮に自分が死んだら、悪漢達の対象はリリーと女性達に向かうだろう。
そうなれば、今以上の惨状になる事は間違い無い。最悪死人も出るだろう。
それならば、リリーの片目を犠牲にして、入墨の男と残る敵を潰し、他の犠牲を抑えるのが、最善手なのか。
「最善手なんて、言いたくねえけど……!」
彼女は泣きながらも覚悟を決めた。ならば自分も、他人を犠牲にする覚悟を、決めなければ……いけない。
躊躇と迷いと罪悪感を、奥歯を噛んで抑え込む。そして、少女へ向けて叫んだ。
「――リリー!!」
「……!」
「本当に、ごめん! ――耐えてくれ!!」
「……はい」
少女は涙を流したまま、受け入れる。
彼女の覚悟を見届けて、ウルガーは全身ボロボロの身体を無理矢理動かし、立ち上がると同時に男三人全員を蹴り飛ばした。
「ギャアアア!!」
それを見た入墨の男は、表情一つ変えずに。
「あーあ。じゃあ抉るね」
微塵の躊躇も無く、その刃は少女の眼球へと突き刺さ――
「そこまでだ」
突如、新たな知らない男の声が聞こえて、それは一瞬の事だった。
入墨の男のナイフを持った右手が少女の目から遠ざかり、気付けば彼の右腕は関節の逆方向へと曲がっていた。
「――は?」
目の前の入墨の男は自分の身に何が起きたのか分からぬまま、続けて彼の腹部に一撃の重たい衝撃が叩き込まれる。
そのまま入墨の男は身体ごと吹き飛ばされ、壁と衝突し、理解の追いつかぬまま床へと倒れ気絶した。
――そしてそこには、獅子の顔をした、亜人の大人が立っていた。
「……なんだ、今の……」
亜人の視覚を持つウルガーには何が起きていたのか、分かった。だが、それは動きを目で追い掛けるだけで精一杯だった。
先刻の入墨の男を襲った一連の流れは、新たに現れた獅子の亜人の手によるもの。
彼は先ず、常人では目で認識するのも困難な速度で足音も立てずに接近し、リリーを襲おうとした右腕を逆方向へとへし折り、その後、男の腹部に一撃の拳を叩きこみ一瞬にして倒したのだ。
あんな驚異的な速度で戦える者を、ウルガーは今日初めて目にした。
「大丈夫ですか!? 早く、手当てをしないと!!」
そして解放されたリリーが、真っ先にウルガーの心配をしながら駆け寄って来る。
さっきまで自分が窮地に陥り、片目まで失う所だったのに……とことんお人好しな少女だ。
「大じょ……ッ、つぅう!?」
大丈夫だと立ち上がろうとした時、全身から戦意が抜けた影響か、一気に身体の至る所に激しい痛みが襲いかかる。
全身には棍棒や蹴りによる打撲、痣がついて、深くは無いが身体中に切り傷が刻まれていた。頭部からも出血していて、意識してみれば自分の身体はかなり酷い有様になっている。
「動いちゃ駄目よ、坊や!」
「直ぐに医療道具持って来るからジッとしてて!」
リリーだけでは無い。他の女性達も、重傷のウルガーの為に動き出して、心配する様に視線を向けて来る。
その中には、最初に出会った時、敵意の様な目を向けていた女性達も含まれていた。
結局、何も出来なかったのに、彼女達は、自分なんかに優しくしてくれるのか。
悔しさに拳を握り締め、自らの不甲斐なさを呪いそうになって……。
そこへ、更に新たな男の足音が玄関から近付いて来るのが分かった。
「……アンタ、は……」
新たに現れた、頬に傷を付けた男。ウルガーにはその男に見覚えがあった。
少し前に、魔導会の情報を聞き出そうと話をした、闇組織の穏健派の構成員だ。
「あーらら、だから関わるなっつったのに。チッ。聞き分けのなって無い子供はこれだから困るんだよ。案の定酷い目に遭ってやがる」
舌打ちを混じえながら、床へ倒れるウルガーを見下ろしながら厳しい言葉をぶつける。
だが、何も言い返せなかった。人質を取られ、何も出来なくなり、情けない醜態を晒してしまったのは事実なのだから。
傷の男は床に倒れる入墨の男を一発蹴り飛ばしてから、獅子の亜人へと顔を向けて。
「今日も依頼受けてくれてありがとさん。悪さやってる残党狩りの手伝い、いつも助かってるぜ」
「うむ。新たに見つかった別の拠点はどうなった?」
「そっちには俺らの精鋭を向かわせてる。そろそろ潰して返って来るだろ」
どうやら二人は知り合いだった様だ。獅子の亜人は依頼を受けてやっているみたいだが。
傷の男は女性達へと視線を向けて、大きな声で全員に伝える。
「姉ちゃんら、もう安心してくれ! 多額の背負わされた借金は、こいつ等の持ってる金から全員に返す! もう怯えて暮らす必要はねえ!!」
その言葉を聞き、女達の顔に安堵の表情が浮かび、喜びに泣き出す者も居た。
そしてより一層、自分が情けなくなる。
「俺、何のために、来たんだよ……!」
少女を人質に取られ、何も出来なくなり、暴力を受け、ボロボロにされて、最後は獅子の亜人に助けられた。更には、そもそも自分が来ずとも、こいつらは今日で潰される運命にあった。自分が来なくても、女性達は助かっていた。
「俺は、何しに来たんだよ!」
グチャグチャとした感情が胸中を渦巻き、自分への不甲斐なさに、愚かさに、自分自身を引き裂きたくなるような感覚に襲われて――
「ありがとう」
「……あ?」
そんな中、リリーが感謝を伝えて来た。
意味が、分からなかった。自分は何も出来ていない。ただ無駄に騒いで、無駄にボロボロにされ、彼女達に迷惑を掛けただけで……
「貴方が来なければ、私は、私達は、もっと酷い目に合っていました。私達の為に戦ってくれて、ありがとうございます」
「……いや、俺は、俺は……何も、出来ていなくて……」
自分は何も出来なかった役立たずだ。そう言おうとしたのを遮る様に、他の女性達もウルガーに声を掛けて来る。
「そんなこと無いわ。貴方が来ていなければ、リリーはあのまま、私達の目の前で……」
「あの男達に暴行され弄ばれた後だったら、今もこうして解放される事に喜べる程の余裕は無かったよ」
「こんなになるまで無理させてごめんね。本当に、ありがとう」
「い、や……俺は……っ」
尚も自分は何も出来ていないと言い張ろうとするウルガーへ、今度は重たい足音が近付いて来る。あの、獅子の亜人だった。
「いや、彼女達の言う通りだ、少年よ。今回は来るのが遅れた俺の失態だ。君が居てくれなかったら、俺が到着した頃には既に手遅れで、取り返しの付かない事態になっていただろう」
「……」
「俺からも感謝する。君が居てくれたお陰で、彼女達の受けた被害は最小限に抑えられたのだ」
「まあ、そこは確かに、俺からも感謝を伝えておく。だがもう、ガキンチョが無茶すんなよ」
獅子の亜人に続き、傷の男もぶっきらぼうな口調でそう伝えて来る。
「俺は、何か、出来てたのか……ちゃんと……」
自分の行動は無意味じゃなかったと、そう思ってもいいのだろうか。
故郷で、何も出来ずに、大事な人を死なせて、たくさんの人を傷付けられた時と違って――何か、役に立てたのだと。
「ありがとう……」
涙声で感謝する少女の声が、また聞こえた。




