三十二話 勝利の後味
この男が憎い。ケイトやアラン、親しい人々の命を奪う原因を作ったベルモンドが憎い。
故郷の皆、ニア、この街に住む住民達……多くの人々を理不尽に不幸な目に遭わせる魔導会にも、強い憤りを覚える。
放置しておけば別の場所でも同じ様な事件を起こし更なる被害者は増すばかりだろう。こいつらは徹底的に叩き潰し、止めなくてはならない。
この感情には嘘は付けない。憎しみも怒りも本物だ。しかし、復讐だけに心を支配されて生きるのも……良くないのかもしれないと、思う様になった。
「血生臭いだけの生き方してたら、皆に……顔向け出来ねぇ」
だが今はまだ、人生を楽しむ余裕なんか無い。無理に決まっている。それでもいつかは、心に平穏が訪れる日が来ると信じて――
「まずは、お前をぶっ飛ばしてから魔導会もぶっ潰す。普通に生きる事を考えるのはそれからだ」
ゆっくりと上半身を起こすベルモンドは、鼻の骨が砕け出血しながらこちらを睨み付けていた。そして足を震わせながら立ち上がり、怒りの籠もった声で叫ぶ。
「私の、計画を邪魔しただけでなく……私のこの思いまでも、踏み躙るというのか、お前はぁ!?」
「あ?」
「何故だ、何故そんな落ち着いた顔をしている! もっと怒りに顔を歪ませてくれ! 私にもっと憎しみをぶつけてくれ! その憎悪が私に届かぬまま、悔しそうな顔で無様に死ぬ所が見たいのに!!」
「趣味悪すぎんだろ……」
つい先刻こんな悪趣味な人間と同類扱いされた事により一層不愉快な気持ちが湧き上がって来る。
ベルモンドはもう立ち上がるのもやっとな状態だ。いい加減にトドメを刺そうと、再び拳を握り締め、地面を踏み込む。
対するベルモンドも右手に風の魔力を高め始めて。
「これで決着をつけるぞ、ベル――」
「君がそんななら、私も君の思い通りにはなってやらない!」
「ッ!?」
直後、ベルモンドは高笑いを上げながら自分の体を風魔法で覆い、速度を底上げしながら走って逃亡した。
「あのクソ野郎、逃げんな!」
風魔法により動きの軽快になったベルモンドは建造物の上まで跳躍し、屋根の上を次から次へと渡って移動し遠くまで逃げて行く。
見失ってはいけないと、残る僅かな力を振り絞り全速力で駆け抜け逃亡するベルモンドを追い掛けた。
その道中で、街の上空に異変が起こる。
「……! なんだこりゃ!?」
上空を覆い始める黒い霧が現れ始めた。一瞬身構えたが――その黒い霧からは、嫌な気配は感じられなかった。
「ニアの魔法に、似てるな……一体何が」
気が付けば、遠くから感じていた醜悪なニオイも完全に消えて無くなっている。誰かが以前にも見たあの黒い鎧の怪物を倒してくれたのかと内心ホッとしていると、今度は前方を走るベルモンドから更に強い怒気が発せられていた。
「まさか、全滅したのか!? 残りの一匹だけでも、回収しようと思った矢先にぃ! 何でこんな邪魔ばかり、邪魔ばかり!!」
ベルモンドは癇癪を起こした様に怒鳴り散らしながら、広大な黒い霧が漂って来た方角を目指して移動し始めた。
あの男からは強い殺気を感じる。向こうにニアや皆がいれば不味いと、更に脚の速度を上昇させウルガーも後を追い掛ける。ベルモンドにはもう既にほとんど力が残っていないとは言え、危険である事に変わりは無い。
「絶対に、誰も、殺させはしねぇぞ!」
屋根を移り渡りながら進んで行くベルモンドの後を追い続けていると、よく知るニオイが近付いて来た事に嗅覚が反応を示す。
ニア、カミル、マチルダと、もう一つは確かニアの父親のニオイだったはずだ。
やがてベルモンドが屋根を降り、その姿が見えなくなる。降りた地点にニア達が居るのだろう。力を振り絞り全速力で向かって行く。
あの建物を曲がった向こう側だ――急げ、これ以上の被害を出される前に。
建造物の角を右に曲がり、ニオイのする地点へ体を向けたその直後。
「ガァァァァッ!!」
断末魔の様な声と共に、ベルモンドが目の前に飛んできて地面に転がり落ちる。その胴体には一筋の切傷が付いていた。
「うお!?」
何事かと前方へ目を向けると、剣を構えながらベルモンドへ向かって歩いてくる人影が一つ――マチルダだった。
「動かなかった脚も、ニアの黒い霧を浴びたら治った……今のお前くらいなら殺せるぞ、ベルモンド」
「う……ぐぅ……っ!」
「……無事だったか、ウルガー。そのままベルモンドを逃がすな、私が殺す」
「――口調が変わってねぇか、アンタ」
マチルダの口調も雰囲気も、自分の知っていたものとは別人の様になっていた。が、今はそれを気にしている場合では無いだろう。
勿論、言われた通りベルモンドを逃がすつもりはない。
「カミルさんも、ニアも……皆、無事か」
他の人達の健在な姿も遠目で確認した。近くの避難所の中からも死体のニオイはしない。もう気にする事は、何も無くなった。
そして、マチルダ達の背後から、更に新たな人物が脚を引きずりながら現れる。
「見つけたぜ……!」
それは金髪の老剣士といった風貌の人物だった。その気配から、相当の手練であることが分かる。
ここまで追い詰められれば、もうベルモンドも逃げられないだろう。
マチルダは剣を構えながら地面に尻をつき奥歯を噛んでいるベルモンドへ向け冷たい声で
「最後に言い残す事はあるか?」
それを聞いたベルモンドは、何かを閃いた様にニアの居る方へと顔を向けて悲痛な声と涙目を作りながら訴え始めた。
「ニアさん、助けて下さい! こんな、弱った人間を複数で囲んで虐殺する様な事が、許されていいと思いますか!? 私はもう怖いんです、やめてほしいんです! 心優しい貴方なら分かりますよね? 他にもっとやり方はある、そう、話し合いましょう! ニアさん、あなたからもこの人達に訴えて下さい! 戦いはいけない、話し合いで解決しましょう、と!」
「――あなたふざけてるの?」
ベルモンドの訴えを、ニアは即座に切り捨てた。睨み返し、怒りに手を震わせながら言い返す。
「私なら情に訴えたら行けると思ったんでしょうけど……あなたの言うことなんかこれっぽっちも聞いてあげる気は無い! 街をめちゃくちゃにして、皆を傷つけて、今更よくそんな事を言えるわね!」
ニアのすぐ隣には気を失った状態の、彼女の父親が寝転がっていた。顔色はあまり良くないが、命に別状は無さそうだった。
「あの怪物に仕込まれていた負の魔力の爆弾だって、たまたま私の知らない新しい魔法が発動してなければ、もっと酷い事になってた。お父さんもきっと、助かって無かったわ……! 絶対に許さない!」
涙を目に浮かべ怒りに声を震わせながら、ベルモンドの訴えを真っ向から否定し、情けなど一片も見せることは無かった。当たり前の結果である。
「う……ぅ、うぅぅ、ぐぅうっ!」
ベルモンドは怒りと悔しさに、ただ全身を震わせながら殺気を放つしか無かった。もう、抵抗する力も残されて居ない様だ。
そして、喚き散らす様にして涙を流しながら絶叫する。
「何故だ、何故、何でえ! やだ、嫌だ、嫌だ、死にたくないぃ!!」
それは嘘偽りの無い本物の感情から来たベルモンドの言葉だった。
そんな泣き言を聞く気も無く、マチルダは右手に握り締めた剣を振り上げて――
「あらあら、大変。ベルモンドさん、お助けしますね〜」
突如、どこか場の空気に合わないのんびりとした何者かの声が割って入り、マチルダが剣を振り下ろすよりも先にベルモンドの姿がその場から見えなくなっていた。
「――っ!?」
何かが前を通った気配はしなかった、ベルモンドが動いた気配も感じなかった。なのに目の前から突然消えていた。
マチルダは驚き目を見開いて、ウルガーは新たに増えたニオイのする方角へと視線を向ける。
すぐ近くの建造物の屋根の上に、ボロボロの状態のベルモンドとその両隣に並ぶ二つの新たな影が佇んでいた。
「危なかったなぁ、ベルモンドさん。もうちょいで死ぬ所だったぜ」
「ちょっと未来が見えたので、助けに来てみて良かったです〜」
一人は、ヒトの外見に猫科の耳とシマ模様の尻尾を生やし口には鋭い牙が見えている亜人の若い青年。
そして、もう一人は20代前半くらいの女だ。桃色の髪を長く伸ばしたおっとりとした雰囲気の美女で――その額には、何かの模様が刻まれていた。
「魔女の、刻印……!?」
同じものを見て、そう声を震わせながら呟いたのはニアだ。彼女は、桃色髪の魔女へ目を向けながら立ち上がり。
「貴女、今の魔導会が何をしてる組織なのか分かっているの!?
「あらあら、可愛らしい貴女はだ〜れ? 知り合いだったかしら」
「初対面よ! でも、貴女も魔女なんでしょ? その力を今の魔導会なんかに貸しちゃいけないわ!」
「うふふ、そうね〜。けれど人がどう生きようと、自由では無いかしら〜?」
「それは、そうだけど……いや、駄目! やっぱり良くない!」
ニアと桃色髪の魔女のやり取りの最中、痺れを切らした様にベルモンドは増援に来た味方二人に怒鳴り散らし
「無駄話をするな、お前ら! さっさと彼奴等を全員殺せ! 惨たらしく、地獄に落とせ! 早くしろ!」
「――ッ!」
突如現れた新たな二人の敵。今の状況では、あまりにも厳しい。だが弱音は吐いていられない。やらなければと、戦闘態勢に入って――
「いえいえ〜、ベルモンドさん。私はお仕事以外の争い事はやらない主義ですので〜」
「おうよ。今日は戦う気はねぇよ。つーか怪我人と戦っても面白くねーし」
「お前らはあ! 何しに来たぁ!?」
「いや、だからベルモンドさん助けにだって」
「落ち着いてください〜、いい子いい子してあげますから〜」
戦闘態勢に入った体から一気に力が抜ける。どうやら、新たに現れた二人はあくまでもベルモンドを助ける事が優先で、戦う気は無いらしい。
だが、せっかくここまで追い詰めたベルモンドを、逃してしまうと言うことでもある。
どうするべきかと思考を巡らせていると、マチルダは全身を殺気立たせながら屋根の上の三人を睨み付けて
「ベルモンドは置いていけ。逃がすわけにはいかない」
今にも斬り掛かりそうな殺気を放ちながら、低い声で言い放つ。それに対し桃色髪の魔女は顔からおっとりとした笑顔を崩さないままマチルダを見返して。
「あらあら〜……そちらから仕掛けて来るなら、私達も応戦せざるを得ませんが〜」
「――やめろ! マチルダ!」
「う……!」
敵対心に満ち今にも飛び掛かりそうだったマチルダを引き止めた声は、刀を持った金髪の老剣士だった。
マチルダは申し訳無さそうに大人しく従い、老剣士は屋根の上に居る三人を見上げて。
「万全な状態ならいけたかもしれんが、今の状況で挑むのは自殺行為でしかねぇ。猫の亜人の兄ちゃんも、桃色髪の魔女も、只者じゃない。悔しいだろうが、戦うんじゃねぇ」
「……っ」
悔しいのはマチルダだけでは無い。本当ならば、ここで完全にトドメを刺しておきたかった。しかし、あの老剣士の言う通り今の状態で戦うのは自殺行為にしかならないだろう。
新たに現れた二人が強敵であるのは――気配やニオイからも分かったから。
だが、ただ逃がす前に、言っておくべき事があった。
ウルガーは新たに現れた二人――猫の亜人と桃色髪の魔女に指差しながら宣言する。
「オイ、お前ら! ちょっと待て!」
「あらあら、困るわね〜、今度はなぁに?」
「帰ったらテメェらのボスに伝えとけ、いつか全部ぶっ潰してやるから覚悟しとけってな」
その発言に二人は一瞬目を見開いたのち唇を緩め
「あら〜〜」
「ハッ、堂々としてて面白いじゃねーか兄ちゃん! いいぜ、伝えといてやる!」
そう言い残した後、猫の亜人と桃色髪の魔女とベルモンドの姿は、一瞬にして目の前から居なくなっていた。
先刻の出来事と同じ現象だ……ニオイ、音も、気配すらも無かった。
「――クソ……!」
感情のままに勢い良く息巻いたはいいが、それだけだ。何もすることが出来ず、逃がすのを指を咥えて見ていただけだった。
悔しさが今更ながら込み上げて拳を強く握る。その時、隣に近付いて来る気配を感じた――ニアが、心配気にこちらの顔を覗き込みながら
「――悔しいよね。でも、この街を、街の人達を、守る事は出来たよ」
「……そう、だな」
彼女の言う通りだろう。この街は守れた、死人も出ていないはずだ。まずはそれを喜ぶべきなのかもしれない。
――鉱山の街クリストでの戦いは今、幕を閉じた。




