三十一話 戦いのその先
「最後に、少し、聞いて欲しい事があるんだ……ウルガー。すぐに話し終わる」
「――え?」
「君の友人……アランの、最期の記憶の話だ。やっぱりこれは、君には伝えた方が良いと、思ってね」
アーレとの決着が付き、全身を襲う毒の痛みに耐えながら近付いた時、彼は最後の力を絞り出す様にして語り掛けて来た。
島で過ごしていた頃の友人、アランの最後の記憶だという。
正直、聞くのが恐かった。彼が何を思い、どんな感情を抱いて死んでいったのか。もしかしたら、見ているだけで何も出来なかった不甲斐ないウルガーに、怒りを抱いていたかもしれず――
「――いや」
それでも聞かなければいけない話なのだろうと、意を決して首を縦に振り答えた。
「分かった、聞かせてくれ……」
アーレの身体は、指先から少しずつ崩れ始めていた。そんな中で彼は穏やかな表情を変えぬまま口を動かし始め
「君の友人、アランは――死の間際まで、君の未来を案じていた」
「――え?」
それは身構える必要の無かった程に、想定外の答えだった。アーレはそのまま話を続け
「親や他の友人達は勿論、君にも悲しい顔をさせてしまったことを悔やんでいた。そして、君は優しくて感情が激しいから――助けられなかった自分自身を責めて、復讐に心を囚われてしまうのではないかと、最後まで心配していた」
「……アラン……」
アランは優しい人間だった。だが、ここまで底抜けの善人だったとは……死の間際まで、他人の心配をして
「そして、君には生きて夢を叶えて欲しいと考えていた」
「……」
夢。それは、島の外の世界を旅して回りたいというものだった。だが現実は、これだ。楽しんでいられる余裕なんか無い。自分だけが外の世界を楽しむなど駄目な事だと自らを戒め、あの日から今日まで生きてきた。
だが、アランは……
「せめて君だけでも、いつか夢を叶えて、幸せに生きて欲しいと……願っていたんだよ」
「そんな、こと……」
そんな事をいきなり言われても、無理だ。ケイト、アラン、他にも多くの人が殺され、身も心も傷を負い、祖母も酷い目に遭わされた。
いくらアランの願いだとは言え、楽しめる余裕などあるわけが無い。
「――アランは、これを伝えられなかった事も悔やんでいた。だからこれだけでも、君に話したかったんだ」
アーレは掠れ始めた声でそう言った後、背中を地面に倒した。身体中の至る所が崩れ出している……もうすぐ、この青年も死ぬのだ。
ウルガーは拳を握り締め、アーレに感謝を伝える。
「教えてくれて、ありがとう……アーレ」
「……うん」
声が弱くなり、もうじき完全に力尽きるだろう。
アランの最後の思いを脳内で反芻し、迷いが表情に出る。それを見たアーレは最後に、すぐにでも消えそうな声で
「今は、無理でも、いい……でも、終わった先の、いつかなら……」
「……!」
その後アーレはウルガーから視線を外して、天を見ながら別の人物を脳裏に思い描きつつ、口を動かし
「――僕は、ここまでです……申し訳……ありませ……」
声は途中で掻き消え、アーレは完全にこの世から消滅した。
「……」
アーレの最期を見届けて、一気に身体中の力が抜けていき、地面に膝をつく。様々な感情が心と頭の中をグルグルと巡り、落ち着かない。
「はあっ、はあっ、ぐぅ……っ!」
更に激しい毒の痛みが体中の至る所を襲い、脂汗が出る。死に至る訳では無さそうだが、もうまともに歩けそうに無い。
更に先刻聞いた、アランの事――また、昔と同じ様に夢を見て生きてもいいのかと、迷いが生まれ始めて。
「クソ、今は早く、皆の所に……いてぇ!」
動こうとすれば余計に痛みは強くなる。頭がおかしくなりそうだ。そんな時、近付いて来る獣の足音が聞こえて来る。
足音の正体は小さな鬼土竜、その背にはリシェルが乗っかり、周囲に複数の虫を連れていた。
リシェルは不機嫌そうな目でこちらを見下ろしている。
「何だよ、この期に及んで俺に攻撃加えようって腹じゃ……」
「うっさい、黙れ」
そう言いリシェルがこちらを指差した次の瞬間、周囲に居た虫達が一斉に飛び掛かって来た。
虫は体の至る部位に引っ付き、齧り付き始める。
「テメっ、本当に攻撃してくるとか何考えて――!」
やり返そうと拳を握り締めた直後、体の異変を感じ取る。虫に齧り付かれた部分は痛むが、全身の毒が段々と弱まっていくのが分かった。
「――あ? 体が、軽くなって……」
「『毒葉虫』……植物性の毒を主食にしてる虫だよ。ちょっとは楽になったでしょ」
体内から『毒牙草』の毒は無くなって行き、残るのはスライムの溶解液による痛みのみだ。これで、また身体を動かせる。
「……何で助けた」
「うっさい、終わったならさっさとベルモンド追い掛けろ。シッシッ」
「ちったぁ、まともにコミュニケーション取れよ!」
リシェルは追い払う様に手を振るい顔を歪ませながら吐き捨てる。
いちいち態度が癇に障るが、今はそれどころでは無い。身体が動かせる様になったのは今の状況では非常に助かったのもまた事実だ。
「まあいい、毒抜いてくれたのは助かった。けど、余計な事だけはすんなよ」
「あっそ」
お互い見向きもせずにそう言い合い、ウルガーは急いで下山するべく走って街の中を目指す。
「そういや、まだ体の力は残ってるな……」
今までは獣人化の力を使い人間体に戻った後はしばらく体を動かせなかった。しかし今は、僅かではあるがまだ体力は残っており体も動かせる。
おそらく獣人化はしばらく無理だろうが、まだ戦える。
自分の体が、力に慣れてきたのだろうか――ふと脳裏に、魂の奥底から聞こえた声の主を思い出した。
このまま体が完全に慣れていけばどうなるのか。まさか、心まで、怪物になってしまうのでは……
「いや、今は、余計な事は考えんな」
想像した最悪の展開を今はいったん頭から振り払い、ベルモンドを追い掛ける事に意識を集中させる。
亜人の嗅覚でベルモンドのニオイを辿り、静まり返った街の中を走り抜け、遠くから以前にも嗅いだ事のある醜悪なニオイを感知した。
「ウッ……これは、まさか」
以前にも戦った、漆黒の鎧の異形のニオイだった。まさかまた同じ様な奴が現れたのか――と、警戒心を強める。
そして、段々とベルモンドのニオイが近付いて……目の前に、その男は現れた。
「お前がそんな必死な顔してるの、始めて見たぜ」
ベルモンドは全身ボロボロで眼鏡も無くなっており、何かから逃げるように走っている最中だった。更に今までに見たことの無い余裕の消えた表情をしており――
「今なら君の気持ちがよく分かりますよ……これが憎しみですか、ウルガー君」
こちらを恨みと殺意の籠もった目で見ながら、ベルモンドはそう言い放つ。
「この短時間に何があったか知らねえが、恨みがあるのは俺の方だ。お前に恨まれる事した覚えはねぇぞ」
「計画をめちゃくちゃにした張本人が、ほざくなよ」
口調からも完全に余裕は消えており、殺意を突き刺して来ながら魔力を高め始め
「君を殺して、ニアも殺す。そうしなければ、この気は済まない」
「めちゃくちゃだよお前……ニアは、殺させねぇ」
これ以上、被害を拡大させるわけにはいかない。ニアは絶対に死なせない。何故ここまで憎しみを向けられているのかは理解に苦しむが、目の前の敵を倒す事だけを考える。
「死ねぇ!」
そして、衝撃波が放たれた――が、その力は先刻交戦した時よりも弱まっていた。回避し衝撃波が地面に直撃するが、抉れる程の破壊力は無くなっていた。
義手の左手から感じていた魔力も、今はもう感じない。
おそらくベルモンドと戦い、力を削ぎ落としてくれた功労者が居るのだろう。
「誰がやってくれたかは知らねえが、助かるぜ。まあ、俺も人の事は言えないが……」
力が万全で無いのは自分も同じだった。それでもやるしかない、ベルモンドを倒して、この街を、皆を助ける為に――
「ウルガー君、君の憎悪が、今なら私にもよく分かる! 殺したい、君を殺したい! さあ、憎しみのままに、お互い殺し合おう! そして復讐も遂げられないまま、無様に死ぬ所を私に見せてください! 君も私の死体が見たいんでしょう? アハハハハ!」
「――何で楽しそうなんだ、お前」
「はい?」
「確かに俺はお前が憎いよ、お前なら殺しても何とも思わねえだろう。けど――」
島での平和な日々が脳裏に思い起こされる。だが今では憎い奴を憎んで生きて、日々を普通に過ごして良いのかも分からずに倒すべき敵を倒す事だけを考えて生きてきて――
楽しくなんて無かった。平和に過ごしていたあの頃の方が断然楽しかった。
「――憎い相手と戦える事が、君は楽しくないんですか? 嘘はいけませんよ、私は今、楽しくて仕方ない……君もそうでしょう?」
「楽しい訳ねぇだろうが、ひたすら不愉快だっつの! 顔も見たくねぇよ! 平和に暮らしてる方が、楽しかったに決まってんだろ! 歪んだテメェと一緒にすんじゃねぇ!!」
愛しい人を殺されて、親しい人を殺されて、全てをめちゃくちゃにされて、その恨みで心を支配されるのが、楽しい訳がない。
皆が生きて笑ってくれている方がいいに決まっている。だが、もう、死んだ人間は生き返らない。
「その楽しかった思い出も全て、お前が、お前達が奪ったんだ!!」
「は――」
ベルモンドは自分の思いを否定され、ショックを受けた様に呆然とし、一瞬の隙が生まれる。
その瞬間を見逃しはしない。地面を強く蹴りつけて、一気に懐へと接近する。
「っらあぁァァァッ!!」
残る力を振り絞り、拳を振り上げて顔面に叩きつける。そのままベルモンドの体は勢い良く吹き飛ばされ、地面に背中を打ちつけた。
「ガハッ、カッ! ハァッ!」
苦痛に顔を歪めるベルモンドを見下ろしながら、真っ直ぐに脚を進めて行く。
そして脳裏に、ウルガーだけでも幸せに生きて欲しいと案じていたアランを――夢を応援してくれて、一緒にいるだけで楽しかった少女ケイトの顔を思い浮かべる。
――アランが、それを望むなら。かつて一緒に外の世界を旅しようと約束したケイトの分も、生きていいのなら。
「いつか、全てが終わったら……俺は、世界を旅して回るんだ。憎しみだけで、生きてやらねぇよ」