二十九話 火と闇の戦い
鉱山の街クリストの東に位置する避難所を目指し、全速力で馬車を走らせる。
到着した時には既に避難所の扉は破壊されていて、中からは住民達の悲鳴が聞こえ強く醜悪な気配も漂って来ていた。ニアは直ぐに荷台から降り、闇の魔力を高めながら走って目的地の中へと入る。
以前も一度見たことのある、黒い鎧で全身を纏った怪物が住民に襲い掛かろうとしていた。あれは、この前公園で遊んであげていた子供と、その母親だ。
――絶対に手を出させる訳にはいかないと、『影糸』を伸ばし黒い怪物の影を捉えその動きを無理矢理停止させた。
「やらせないわよ」
何とか間に合う事が出来たが、ほっとしていられる余裕は無い。直ぐに『影糸』を力一杯に後方へ引き寄せて、近くに人が居ない事を確認してから壁へと叩き付ける。
「これ以上好きにはさせないわ、ここからは私達が相手よ!」
啖呵を切ったと同時に、眼前の黒い怪物は気味の悪い笑い声を発しながらその身体を起こし、こちらに顔を向けて来た。
「クヒ、ヒヒヒッ、ヒヒッ」
「ちゃんとお話も出来そうに無いわね……」
以前見た同様の怪物もそうだったが、やはり会話は通じなさそうな相手らしい。せめて住民は狙わない様にしてほしいと話せたら良いのだが恐らく無理だろう。
魔法を発動する準備を始めていると、すぐ目の前に二本の剣を両手に握り締めたもう一人の影が新たに割って入って来る。その名を口にしながら心配気に声を掛け
「マチルダさん、本当に大丈夫なのよね?」
「問題、ない……っ」
マチルダはつい先刻まで意識が目覚めたばかりで、その後も何かと格闘するかの様に苦しんでいた。
今はだいぶ落ち着いた様子だが、表情はまだ苦しげで息も荒い。雰囲気も喋り方も変わりどこか刺々しくなっていて、彼女の体からはまだ邪悪な負の魔力の気配が残っている。
「お前を殺して、次はベルモンドだ」
マチルダは憎悪を纏った様な声で、敵対者に切っ先を突き付けながら宣言した。
心配で彼女にあまり無理はしてほしくないのだが、自分一人ではあの怪物を倒せる力量など無いのも確かだった。今は戦力が足りない、住民達を守るためには、マチルダの協力も必要不可欠だ。
黒い怪物の戦闘方法や特徴は、馬車で移動する最中に出来得る限りの説明はした。だから不意打ちを受ける事は無いだろう……と、思いたい。
その時、黒い怪物の背後から醜悪な負の気配が高まるのを感じ取った。
「――! マチルダさん、触手が来るわ、たぶん!」
「ニアさんはあっちの人達を」
「分かった!」
マチルダの指示通り住民達の方へ駆け寄ったと同時に、黒い怪物の背中から十本の長い触手が八方に伸ばされた。
マチルダは、両手の剣に魔力の炎を纏わせ身体に回転を加えながら触手を瞬く間に次々と切り落としていく。
更に、そのうち三本の触手が住民達の居る方角へと向かって来た。背後には怯えた顔の人々――あの黒い怪物だけでなく、魔女である自分にも、恐怖を滲ませた顔を見せている。胸の痛みをグッと堪えて、皆を守る為に魔力を高め迎撃する。
「影の鞭!」
先端の鋭利に尖った触手が刺さる前に、自らの影で生成した鞭でその動きを捕らえ叩き落とした。しかし触手の勢いは収まらず、影の鞭だけでは防戦一方が限界だった。
「あっ!」
襲い来る三本の触手の内一本が、影の鞭による防御を潜り抜けて住民の方へと向かう。怯えて動けない住民の声が耳に届き、咄嗟に身体が動いて行った。
「ひぃ――っ!」
「駄目ぇっ!」
自分の身体を盾に、狙われた住民の前へと割り込んで左肩に触手が突き刺さる。庇われた住民は呆然とした顔で動けずに居たが、無事だった。
「くぅぅっ!」
痛みを堪えて触手を無理矢理引っこ抜き、影の鞭を再び叩き付け押し返した。
「お姉ちゃん!」
「!」
背後からあの少女の呼ぶ声が聞こえた。肩の傷を見て心配そうにしているのが分かって。
「これくらい大丈夫よ、全然いたぁっ!」
「痛いの!?」
「痛くないわ!」
つい声に出てしまうほどに痛いが、少女を心配させないために強がってみせる。不安がっている人を、これ以上不安がらせてはいけない。
「マチルダさん、そろそろお願い!」
「分かってる!」
ニアの声掛けに返答した後、触手を切り落としながら接近していたマチルダは両手の剣に魔力を込めて一気に斬り掛かった。
「ケキャキャ! お前モ、美味ソウ!!」
一方、笑い声を発しながら黒い怪物は両手から黒い槍をそれぞれ一本ずつ生やし飛び掛かる。
怪物の言葉は一切無視しつつマチルダはそれに即座に対応し、計二本の槍を切っ先で受け止め弾いて行く。
「なるほど、話通りいきなり生えるのか。あらかじめ聞いてなかったら危なかった」
黒い槍を一本切り払い、もう一本は右腕を掠りながら回避して、一気に懐へと飛び込んだ。
「『爆砕破』!!」
魔力を纏わせた刀身を黒い怪物の腹部にぶつけて、相手の鎧を斬るより前に炎を爆発させる。炎の魔力による爆風で黒い怪物は避難所の外まで身体を吹き飛ばされて行った。
「やったわ!」
避難所の外まで追い出せれば、もう住民を気にして戦う必要も無い。
吹き飛ばした黒い怪物の元へと向かうマチルダを追い、自分も避難所の外へと走り出す。
呼吸を整え魔力を集中させながら避難所の外へ出ると、黒い怪物は相変わらず気味の悪い笑い声を上げながら立ち上がっていた。
「キヒ、キヒヒヒ、オナカ、スイタ……」
「それなら人じゃなくてパンとか食べなさいよ!」
空腹を訴える黒い怪物に指差しながら言い返した直後、すぐ目の前に佇んでいたマチルダに異変が起きる。
「――え?」
マチルダは何かを気にする様に、自らの右腕を左手で触れていた。何かあったのかと心配になり
「マチルダさん? どうしたの?」
「右腕の感覚が、無くなって行ってる」
「――!?」
突然の事態に驚きを隠せず、何が起きたのか分からずに居るとマチルダは右腕の小さな傷へ目を向けながら冷静に呟いた。
「さっき黒い槍で受けたこの小さい傷から、嫌な気配も感じる。たぶんこの傷のせいだ」
「嘘……そんな、前に戦った時はそんなの無かったのに。ごめんなさい……」
「ニアが戦った時より改良を加えられてるんだろうね。謝らなくていい、こればかりは仕方ない。私も警戒が足りなかった」
念の為に触手が刺さった左肩を確認する、凄く痛いが感覚が無くなってしまった訳では無い。絶対に受けてはいけない攻撃は、あの槍だ。何が含まれているのかは知らないが危険なものである事は間違いないだろう。
「マチルダさん、気を付けてね」
「もうあの槍は受けない」
右手首から指先までの感覚はあるようだが、右手に持っていた剣を地面に落として置き、左手の剣を強く握り締める。
「守ってる余裕は無いと思うから、自分の身は自分で守って」
「分かったわ!」
「オナカ、スイタアアァァァ!」
黒い怪物は突如叫び声を上げながら背中の触手を十本一気に伸ばして来た。マチルダは左手に剣を構え、素早い動きで触手の刺突を躱しながら炎を纏わせた刃で切り払っている。
ニアは、『黒い霧』による認識阻害効果で自分の気配を掻き消しながら移動していた。どうやら触手はニアの存在をしっかり感知出来なくなった様で、迷った様な動きになり尽く狙いを外している。
――が、黒い怪物の目はしっかりこちらを見ていた。
つまり、触手は黒い怪物の意思とは無関係に独立して動いているという事。
「マチルダさん、あの触手はそれぞれ独立した動きをしているわ!」
「そう、気を付けて!」
「私が心配されちゃった」
マチルダを心配して伝えたのだが逆にこちらが注意を促されてしまった。
とりあえず彼女の負担を減らすべく、認識阻害を解除し触手を何本かこちらへ引き付けた後、再び黒い霧を発動――と繰り返しながらマチルダを援護する。
その最中、黒い怪物は両手から槍を伸ばしてマチルダを狙い突撃した。彼女は今、左腕しか使えない。一本の剣だけで触手と二本の槍を受けるのは非常に厳しいはずだ。
「えい! 影縫い!」
『影糸』を伸ばして黒い怪物の影を捉えその動きを止める。力量差のある相手にはほんの数秒しか効果は無いが、マチルダ達ならばその数秒の間でも有効に使ってくれるだろう。
思惑通り敵の動きが停止している間に、左右からそれぞれ一本の矢が飛び交い黒い怪物の胸部と胴体に鎧の上から突き刺さる。それは、左右から機を窺っていたカミルと父ノーマンによって放たれた矢だ。
そして鎧に刺さった矢の先端は赤く発熱し、二つの爆発が一斉に起きた。
「グギャッ!」
チャドの家の蔵に保管されていた「雷火石」と呼ばれる希少な石で作られた矢らしい。あの黒い怪物にも効果はあった様だ。
遠くからカミルは『後は任せました』と目配せし、そこへ続けてマチルダは相手の行動を許す前に、剣に溜め込んでいた炎の魔力を一気に解き放つ。
「魔法剣――『火柱』」
地から天へと向かって刃を振るい、剣閃と同時に一本の炎の柱が立ち昇る。それは黒い怪物を巻き込み激しい勢いで燃え上がっていた。
刃の一閃により黒い怪物の表面の鎧は割れ、内側の露出した人工魔晶石と肉体の部分をも炎が侵食し焼いていく。
「ヒギャッ、ギャギャアッ!!」
苦しげに悶え叫ぶ声が響き渡った後、十本の触手が苦痛にのたうち回り暴れる様にして四方八方へと飛び掛かって来た。
急いで避けようとしたが、突然の事に身体が上手く追い付かず暴れる触手に鞭の様に叩きつけられ、地面へ倒されてしまう。
「きゃっ!」
幸い先端の鋭利な部分に刺されはしなかったが、叩き付けたるだけでも充分に脅威だ。動くと触手で打たれた部位が痛む――それでも急いで態勢を立て直そうと立ち上がり、黒い怪物とマチルダが今も交戦している場へ目を向けると。
「――っ! マチルダさん!」
そこで目に入った光景、暴れ回る触手に横腹を薄く抉られ、更に左脚には一本の黒い槍が突き刺っているマチルダの姿だった。
あのままでは脚まで使えなくなってしまい、マチルダの命が危ない。すぐ助けに向かわなければと足を踏み込もうとした、その時。
表情一つ変えずに居たマチルダは、黒い怪物を睨みつけたまま冷徹さを感じる低い声で振り絞る様に剣技を放つ。
「『不知火』」
マチルダの全身は激しく燃え盛る炎の魔力で覆われていき――その次の瞬間、彼女の姿はその場から音も無く消え去っていた。
「――っ!?」
何が起きたのか分からずに居ると、一秒にも満たない一瞬の間にマチルダは剣を構えたまま黒い怪物の背後まで移動していた。
燃え盛る炎が全身を纏うマチルダは呼吸が乱れており、足をふらつかせながら左手の剣を地面に落として――背後の黒い怪物を睨みつけた。
「戦えなくなる前に、全ての魔力を使い果たした……これが、私の最後の技だ」
言い終えてから地面に膝を付いたと同時、怪物の露出していた人工魔晶石に大きなヒビが一気に入り、盛大に音を立てながら真っ二つに割れた。
黒い怪物は断末魔の様な声を上げのたうち回り始める。
「ギ、ギ、ギャィァァッ!!」
だが、まだ気を抜いてはいけない。暴れ回る怪物の触手を影の鞭で応戦し、マチルダに向かって行くモノにも影を伸ばし叩き付けて引き止める。
断末魔と触手の暴走は段々と勢いが弱まっていき――やがてピクリとも動かなくなり、完全に行動を停止させた。
黒い怪物が静まった事を目視で確認し、マチルダの元へと駆け寄って行く。
「マチルダさん! 大丈夫……じゃないわよね、すぐ手当しなきゃ!」
「怪我してるのは、アンタもでしょ……」
確かに自分の肩も凄く痛いが、一番近くで交戦していたマチルダの傷の方が心配だ。遠くから様子を見ていたカミルがこちらへ近付いて来たので、彼に手当をお願いする。
「カミルさん、マチルダさんの怪我を見てあげて!」
「了解しましたが、ニアさんも怪我を早く手当しないと!」
「私は自分で止血するから」
「自分じゃやりづらいだろ、俺に見せろ!」
「お父さん……」
父も反対側から不安そうな顔でこちらへ駆け寄って来る。父には住民達の様子も見て来て欲しかったのだが、ニアの傷が心配でそれどころでは無いらしい。
――と、そこへカミルが黒い怪物を指差しながら一つ疑問を呟いた。
「あの怪物、本当に倒したんですよね? まだ消滅する気配が無いんですが」
「え?」
目を向ければ、確かに黒い怪物の姿はまだ健在なままだった。前回戦った個体は、倒した後はドロドロに溶けていき消滅していた――
「けど、今回も魔晶石はちゃんと壊したし、あの怪物から出てた負の魔力の気配ももう無くなって……」
そう言い掛けた直後、ニアは黒い怪物の体内から一つの気配を察知した。新たな邪悪な気配が黒い怪物の中で、少しずつ大きくなっているのを感じた。
「――っ!? 気持ち悪い気配が、また大きくなっていってる!」
「なんですって!?」
「全部の力出し切ったのに……復活、するっていうの?」
「いや、違うと、思うわ」
怪物が復活しそうな気配は無い。ピクリとも動かないし、傷が再生したりもしない、ただ邪悪で気持ち悪い気配だけがどんどんと膨れ上がっていて――
「――まさか」
嫌な予感が脳裏を過ぎった。
負の魔力を体内に入れてしまったウルガーの師匠、レオンは体の中を焼かれる様な苦痛に襲われたらしかった。もし、その負の魔力を爆弾として使われたら――広範囲に同様の被害が及ぶ。
周囲への巻き添えを全く気にしないベルモンドならば、周りを全て巻き込む爆弾を最後に用意していても不思議ではない。
予想でしか無いが、想像通りになればこの場所に放置するのは危険だ。
「皆、あの怪物に近づかないで!」
周囲に呼びかけながら、ニアは単身で黒い怪物の元へと近付いて行く。
「どういう事なのニア、説明しなさい!」
「もしかしたら、負の魔力が爆発するかもしれないの! 巻き込まれたら危険だから、私が遠くまで連れて行く!」
「!?」
「待ってください、それじゃあ貴方が危険ですよ!」
「でも、そうするしか――」
黒い怪物を背負い走って離れようとしたその時、肩を掴まれ止められる。振り返れば、それは父だった。
「やめろ。――俺が、やる」
「え……」
父はニアから無理矢理怪物を引き剥がし、止める暇も無く抱えて走り出す。
「待って、お父さん! だめ!」
体中が痛んで思う様に身体が動かず、父の体を引き止める事が出来なかった。
父はこちらへ目だけを向け、静かに口を動かす。
「ニア、お前は……生きろ」