二十七話 もう一つの戦場
場所は鉱山の一角。もうすぐ、力が完全に回復しそうなのが感覚的に分かった。
早く拘束を解き、急いで下山しなければならない。しかしそれをするには先ず、目の前で黙ったまま佇みこちらを見る水色髪の青年――アーレと戦う事になるだろう。
ほんの短い時間だが彼から聞いた記憶の内容が、脳裏で反芻される。
彼の記憶には、黒髪の明るく優しい少女の姿……つまり、ケイトとの記憶もあったのだ。
そして小さい頃、ウルガーとアランで夜遅くまで球遊びをして祖母に怒られた事。
その他にも海で釣りをしに行き大物を釣り上げる事に成功して喜び合ったり、山の中で獣の群れに追い掛け回されたりした事……そんな懐かしい数々の記憶も、アーレの中にはぼんやりと存在していたらしく。
もう、受け入れるしか無かった。彼は島に住んでいた頃の年上の友人――アランの記憶を引き継いでいる。
戸惑うウルガーに、アーレは冷静な声でこう言った。
「僕は確かに、君の友人の記憶を持っているかもしれない……だが、あくまでも僕とその友人とは別ものだ。同じ記憶があるだけの、別の生き物だよ」
それはウルガーへ対する気遣いの様にも感じられた。確かに彼の言う通りなのだろう、だが、感情はそう簡単には割り切ってくれなかった。
――戦いで甘さは捨てろと、師のレオンから教わった。
しかし、島での思い出が思い出される毎に胸の痛みも生じ迷いが脳裏を過ぎってしまう。
いつまでも時間は待ってくれない。ベルモンドを止めなければならない。今も街ではニアが、カミルが、マチルダや街の人達が、危機に瀕しているかもしれないのだ。
早く、行かなければならない。覚悟を決めなければ――
脚の力が完全に回復する数秒前、すぐ横から少女の呆れた様な声が耳に届いた。
「何その情けない顔、ダッサ。詳しくは知らないけど、話聞く限りアーレの元になったのがアンタの知り合いっぽいらしいね。アハ、傑作」
「てめぇの話なんか聞いてる余裕はねぇよ」
高木の幹に背を預けているリシェルの毒しか無い発言にいちいち腹を立てている余裕すらない。相手にする気は無いと目も向けず一蹴した。
「そうやって迷ってる間にさぁ……大事なモノはあっさりと失われてくよ」
「あ?」
「ま、誰が死んでもリシェルちゃんには関係ないんだけど。アハッ」
「……」
先刻のリシェルの発言だけは、どこか真剣で、後悔の混じった様な音色に感じた。
リシェルに何があったかなど微塵も興味は無いが、迷ったままでは腕が鈍り守りたい人達も守れずに失われてしまうであろう事は否定出来なかった。
自分の甘さのせいで罪の無い人間が犠牲になるなど、あってはならない。
「――時間だね」
アーレはこちらに目を向けながら、静かにそう呟く。
身体に力が戻った――あとは決断するだけだ。
刹那の沈黙の後、足を「獣人化」させて拘束していた錠を紙細工の様にグシャグシャに引き千切りながら立ち上がる。
アーレに鋭く視線を突き付け全身から炎の様に闘志を発しながら、真っ直ぐ、力強く歩を進めて行って。
「そこを、どいて貰うぞ」
「そういう訳にはいかない。通りたいのならば、僕を倒してからだ」
アーレは冷たい声でそう言い放ち、スライムの性質を持つ右腕を刃の形状へ変化させて立ちはだかる。
――目の前に立つ敵、アーレは、アラン本人では無い。同じ記憶をたまたま持って生まれただけの作られた生命体。アランとは、全くの別物だ。
そう自分に言い聞かせながら、獣人化した両足に力を込め、咆哮する。
「邪魔すんなら、ぶっ倒して無理矢理通ってやらぁ!!」
「それなら来るがいいさ、ウルガー」
もう、眼前の青年と交わす言葉など無い。話せる事は話せる間に話し、気になる疑問ももう聞いた。
友だったアランとは別の生き物だと言い切られ、もう自分に出来る事は何も無い。あとは……邪魔をするならば、戦うだけだ。あとはただ、力を交わすのみ。
全ての迷いを闘争心と、ベルモンドや魔導会に対する強い怒りで無理矢理上書きし、立ちはだかる敵を倒す――その一点のみをひたすらに考え飛び掛かる。
「はあぁァァッ! 」
獣人化により速度、強度、パワーが凄まじく上昇した足に更に加速を付けスピードを上乗せしながら渾身の一撃を振り上げる。
振り上げられた容赦の無い蹴りは、アーレの右腕が変形した刃と衝突。勢いを止めず向けられた刃を真っ向から蹴り砕くも足の軌道はわずかにズレる。
頭部を狙った一撃は、刃の防御で軌道をずらされた事により青年の肩へと激突。骨の砕ける音が響き、そのまま身体ごと吹き飛ばし背後の高木へと背中から衝突させた。
高木は激しく揺れ、葉が大量に舞い落ちる。そんな中で、アーレはすぐに立ち上がり肩の様子を確認している。
骨を砕いたはずの肩は、もう既に完治した様に動かせていた。
「ダメージは、しっかり与えたはずだ……」
「スライムの自己再生能力が全身に使われているんだよ。まあ、人並みに痛みや苦痛もあるんだけど……ただ、これでよく分かっただろう? 僕は人間じゃないって」
「普通の人間相手の戦い方じゃ、駄目って事かよ」
もう少し戦い方を考える時間が欲しい、が、勿論そんな猶予は誰も与えてくれない。思いついたものから片っ端に試していくしかない。
獣人化した両足を思い切り踏み込みながら地面を蹴り、一気に距離を詰め――
「――毒牙草」
「!?」
アーレが何かを呟いた直後、彼の左腕が変貌し三本の太いツルが生えて伸び、迫るウルガーを迎え撃つ。
伸びたツルの先端には花弁の様な部分が付いており、その中央から獰猛な獣の様なおぞましい口が出現しウルガーを狙って襲い掛かってくる。
本能的に危険を察知し、いったん攻撃の手を止めて回避に専念する。
「ぅおっ!」
次々と牙を剥き出しにしながら突撃し噛み付いて来るツル――即ち『毒牙草』の猛攻を獣人化させた足で蹴り潰し避けながら距離を取る。
しかし、潰された『毒牙草』は瞬く間に再生していき、更に右脚に微かな異変を感じた。
『毒牙草』の牙が刺さり、傷を負った箇所が黒く変色している。動けなくなる程では無いが痛みと痺れも感じた。
頑丈な獣人化させた部分に牙を喰らってこれだ。生身の人間の部分にあの毒の牙が刺さればどうなるか分からない。
「こんなもんまで仕込んでやがったのか!」
「魔女の女の子……ニアと言ったかい。これであの子まで巻き込むのは気が咎めたから、あの時は使わなかったんだ」
「そうかよ……」
まだ他にも隠している力があるかもしれない。警戒しながら、獣人化させた両足に出来得る限りの力を込めて、一気に踏み込んだ。
その速度は音速の域に達し、道中三方向から伸びて迫る『毒牙草』を瞬く間に蹴散らしながら一瞬の間にアーレの懐へと入り込んで
「超硬化」
「――ッ!」
獣人化させた足は硬い何かとぶつかり、重たい衝撃音が一帯に鳴り響く。
心臓部を狙った音速の蹴りは、右腕を変形、硬質化させ生成された高い強度を誇る盾によって防がれていた。
盾にヒビを入れる事は出来たが、相手の身体にまでは攻撃が届いていない。
「僕に出来る最高の硬度まで高めたのに、ヒビを入れるなんて」
「クッ、もう一発だァ!」
もう一撃与えれば盾は破壊出来るはずだ。背後から毒牙草が再び襲い掛かってくる前に完全に破壊しようと、風を切りながら脚を振り上げる。
「解除」
超硬化の盾は形を崩しスライム状に変化していき、それと同時、アーレは地面から足を離し凄まじい勢いで遥か数十メートル上空へと跳躍して行った。
「なッ!?」
「北の雪国に生息する羽根兎の跳躍力だ――君の攻撃もこの位置なら届かないかな?」
そう言った後、アーレは空中で右脚で動かし空気を蹴りつける。その直後、大きな風圧の波が頭上から落ちて来るのが分かった。
「ぐぅっ!」
咄嗟に着弾点から離れ直撃は避けたが、風圧の波は地面と衝突し周囲に強風を巻き起こした。身体は強風に吹き飛ばされ、地面の上を転がって行く。
更に、地面に倒れるウルガーの真上から、アーレが右腕を刃の形状に変えながら落下して来るのを察知した。
身体を回転させながら上空から迫り来る刃の一閃を回避して、そのままの勢いで地面に足を付け身体を起こし立ち上がる。
「相手の方が手数が多い……こっちには接近戦しかねぇ。厳しいな、クソ」
「だあー、もう、痛ったいでしょうが、このバカ野郎っ!」
巻き込まれたのか、遠くからリシェルの怒鳴り散らす声が聞こえる。
しかし気にしていられる余裕などは無い。すぐに態勢を立て直しアーレへと意識を集中させ。
「――心臓の部分を狙った攻撃は、全力で防いでた」
思い出していたのは、師と共に暮らしていた街での戦闘――あの時戦った人工魔晶石で出来た黒い怪物の弱点は心臓の位置にあった。
先刻、アーレの心臓を狙った攻撃は防がれてしまったが、頭部を狙った時よりも防御に入れる力が強かった事に気が付く。
それが、直撃を受けたくない部分だったからなのだとしたら――
「そこが、弱点だな」
「分かった所で、破壊出来なければ意味は無いよ。ウルガー」
眼前に佇む青年は淡々と、冷静にそう答える。
スライムの形状変化、硬質化の性質を持った右腕、左腕の『毒牙草』、羽根兎の脚、それらがアーレの武器だ。
それらを駆使した攻撃を掻い潜らなければ、弱点を破壊し勝利を掴む事は出来ない。体力の温存を考えながら戦って勝てる相手では無いだろう。
その中で一瞬脳裏を過ぎった迷いをすぐに振り払って、右腕に力を集中させた。
瞬く間に右腕を覆う銀色の体毛、猛獣の太く鋭い爪が生え、銀狼の右腕がそこに発現する。
「行くぜ、アーレ。俺も全力でやってやらぁ」
――――その頃、街の一角。住民達の避難所として扱われている広い建造物。
そこに居る人々はほとんどが生気を失った様な暗い表情で、子供の泣き声や嘆く大人達の声、住民同士で言い合う声も聞こえて来る。
先日は人喰い蟻に襲われ、それらに家も喰い荒らされ、恐怖を味わった。
だがそれにしても、皆の様子がどこか異常な事に気付いていた幼い少女が一人居る。それは、ウルガーとニアの二人に遊んで貰い、その翌日では命を救って貰った少女だった。
彼女も一度、何かが身体に突然入り込んで、強い恐怖と絶望が心の中をグチャグチャに潰し掛けた。けどそんな中で頭に浮かんだのは、ウルガーとニアの顔だった。
あの頼りになる人達なら何とかしてくれるはずだと、助けてくれるはずだと、強く願い……願い続けたおかげで、突如訪れた強い絶望の底まで打ちのめされる事は無かった。
それでもやはり、恐怖や焦燥感は常に心の中を付き纏っている。折れない様に気持ちを保つだけで、精一杯だ。
隣に座っている母の手をギュッと握る。
すると母は不安を察して優しく握り返してくれた。
「大丈夫よ。お母さんが、付いてるからね……」
「うん……」
「――あの銀髪の少年と、赤い髪の魔女さえ来なければ、こんなことにはならなかったのに……」
「……!」
そう、母も、街の人達も、皆何故かウルガーとニアの二人をこんな風に敵視している。最初は説得しようとした――けれど、誰も話を真に受けてはくれず、恐怖で混乱しているせいで正常な判断が出来なくなっていると思われてしまっている。
「魔女が悪者で不幸を呼ぶって、本当の事だったのね……単なる迷信だと思っていたけれど」
「ち、がう……それは、違うもん」
「大丈夫よ、怖がらなくていいわ。お母さんが魔女から守ってあげるから」
母はそう言いながら慈しむ様に抱きしめてくれた。
もう何も言えなかった。どうすればいいのか分からなかった。目から涙が溢れ始め、母が指で拭ってくれる。けれど、涙は止まらない。
――そんな時だった。避難所の扉が、突如音を立てながら紙細工の様に破られる。
「――ッ!?」
その突然の破壊音に、避難所の住民達は怯えながら一斉に同じ地点へ目を向けていた。
そこに立っていたのは、黒い鎧の様なもので全身を纏った、異様な雰囲気を放つ化け物。その黒い化け物は、奇妙で恐怖心を煽る笑い声を出しながら物色する様に周囲を見渡して。
「キヒヒヒヒヒ! 十人なら、食べていいって言われた、誰を食べようカナ……ヒヒヒヒ!」
避難所全体から一斉に悲鳴や叫び声が上がる。混乱が広がり、強い恐怖心に心を支配されて、誰もがただ怯えるばかりで体が動けなくなってしまっていた。
そんな中、母は精一杯勇気を振り絞る様に抱きしめて来る。
「娘は、娘、だけは……っ」
すると、黒い化け物はこちらに顔を向けて来た。――いや、あの化け物が見ているのは、母の方だった。
「お前、美味そう。女だし、キヒヒヒヒヒャッ!」
「!?」
「決めた、お前から食べル!!」
黒い化け物は狙いを定めた様に、母を目掛けて飛び掛かる。
「ヒッ――!」
母は強い恐怖心で足が動かなくなってしまっていた。
それでも、娘を守ろうとする姿勢だけは変えずにいて――
「だめぇ!」
つい、体が前に出てしまった。母の腕を潜り抜けて、庇う様に母の前に立つ。怯えて動けない母を守れるのは自分しか居ないから。
「やめてー!!」
母の悲鳴が聞こえる。黒い化け物が前から迫って来る。
そして、黒い化け物の手に、顔を掴まれ――
「――やらせないわよ」
掴まれ掛けた寸前、新たに現れた少女の声と共に黒い化け物の動きが止まった。自分の激しい鼓動の音に、今更ながら気が付いた。
直後、動きの止まった黒い化け物は何かに引きずられる様にその場から離れていき、周囲に誰も居ない壁へと飛ばされ衝突した。
「――ッ!?」
悲鳴の様な声を上げる黒い化け物に、もう一つの新たに現れた人物が近付いて行く。それは、ずっと待ち望んでいた助っ人の姿だった。
黒いローブを羽織った赤い髪の少女――ニアは、黒い化け物を睨みつけ指差しながら言い放つ。
「これ以上好きにはさせないわ、ここからは私達が相手よ!」




