二十五話 水流の剣
風の衝撃波が迫る中、突如眼前に現れた一人の老剣士。おそらく彼が、カミルの言っていたチャドと呼ばれる人物だろう。
「本当に来てくれたわ……」
正直我ながら賭けの部分が大きかったので、大声で呼んで本当に駆け付けて来てくれた事に驚いている。
一方、ニアを庇う様に構えていた父は体の力が抜け、不甲斐なさ気に奥歯を噛んでいた。
その様子をちらりと横目で見た老剣士、チャドがノーマンの顔に視線を向けながら。
「アンタがその女の子の親父かい……んなみっともねぇ顔すんじゃねえよ。無茶して死んだ方がその子悲しむだろうがい、つかあのままだったらアンタ絶対死んでたぜ」
「え……?」
「弱っちい癖に娘を身体張って守ろうとしただけで充分に立派だ。身の丈に合わねえ事すりゃ良いってもんじゃねえんだよ、自分がダセーとか考えんな。アンタぁよくやったよ」
「……っ」
父の考えていた事を見透かした様に、老剣士はぶっきらぼうながらもその行動を労ってくれていた。
まずは助けて貰ったお礼をしなければと、立ち上がり老剣士に助けてもらった感謝の意を伝える。
「あの、チャドさん……よね? ありがとうございました」
「あぁ、礼なんざ後でも良い。カミルなら向こうの俺の家に居る……古い木造の家で、近くにカミルの馬が繋がれてっから見つけたら分かると思う」
「! 分かりました、ありがとうございます」
「行くならさっさと行きな」
「――すまない、爺さん。おいニア、急いでこっから離れるぞ!」
「う、うん、お父さん! 気をつけて、チャドさん! ベルモンドは強いわ!」
「へいへい」
心強そうな援軍が現れ事態が好転しかけていたその時、ジッと立っていたベルモンドが表情から笑みを消しながら冷たい敵意を放ち
「待ちなさい。逃がすと思っているのですか?」
「――! 来るわ!」
ベルモンドの周囲に膨大な魔力が発生し、それは無数の風の散弾となり襲い掛かって来た。
――が
「んな攻撃、通すわきゃねぇだろが」
老剣士チャドは腰に携えていた刀を目で追えぬスピードで鞘から引き抜き、魔力を刀身に纏わせながら高速で回転させ
「魔法剣、渦巻」
その一言と同時に、360度に回転する巨大な水の渦が発生して、術者と背後の二人を守る盾となって無数の風の散弾を防ぎ切る。
「凄い……!」
涼しい顔でやってのけた老剣士に感嘆しながら、父と共にカミルの元へ向かう為駆け足でその場から離れて行く。
戦闘に詳しい訳では無い自分から見てもあの老剣士ならば、ベルモンドと充分に戦えるだろうと確信出来た。
「行こう、お父さん!」
「あぁ……!」
――――親子の姿が遠くに消え見えなくなり、瓦礫の山と化している住宅街に残ったのはベルモンドと老剣士チャドのニ名のみになった。
ベルモンドの放つ散弾や衝撃波を全て魔力を纏わせた刀一本で防ぎ切り、親子が逃げ切れた事を確認した後、反撃体勢に入る。
「そこを、どきなさい!」
表情から余裕の無くなって来たベルモンドが再び放つ衝撃波が向かって来る――それが衝突しかけた直後、チャドの姿は消えた。
「な――!?」
驚愕に声を漏らしたと同時に、チャドは超人的なスピードでベルモンドのすぐ背後まで回っていた。
「ふんっ!!」
脚を狙った刀の一閃を、ベルモンドは風魔法で自身の身体能力を底上げさせながら地面を蹴って跳躍し回避。
直撃は免れたが、脚に薄っすらと切傷が出来上がる。
「くぅ――っ」
「はんっ。どうした兄ちゃん、最初の余裕が無くなって来ちまってるぜ」
「この、ジジイ……が、調子に乗るなよ」
「ほらよ、もう一発行くぜ!」
追い詰めれて来た影響か、口調までもが乱れ始める。しかしその後ベルモンドは薄っすらと凶悪に笑みを浮かべて、攻撃を再開し接近するチャドを睨みつけた。
「まだ回復しきってはいませんが、仕方ないでしょうね」
手袋を外しその直後、眼前まで瞬く間に接近していたチャドを魔力の雷が襲いかかる。
「ぬおっ!?」
雷魔法ならばどれだけ肉体を鍛えようが関係ない。筋肉では雷の威力を抑える事は不可能だからだ。
チャドは苦痛に足が止まり、そのすきに更にもう一撃雷魔法が降りかかる。
「またかよ! いってぇな、クソボケッ!!」
発動した前振りも無く突然発生し襲い来る雷魔法に鬱陶しげに文句を吐きながら素早く後退し距離を置く。
ベルモンドは余裕の表情が戻って来たかの様に笑いながら。
「ハハハ。どうです? いくら貴方でもこれは防ぎ切れないでしょう? その御老体で何度も受けるのはオススメしません。大人しく負けを認め……」
「なるほどな、分かった」
「……はい?」
「厄介だが、避け方は分かったぜ」
チャドはニヤリと笑みを作り、そう言い放った。
ベルモンドからは再び表情が消え、怒りの含まれた様な声で言い返す。
「適当な事をほざかないで貰いましょうか!? やれるものならばやってみてくださいよ!」
「あぁ。兄ちゃんこそやってみろよ」
チャドは刀を構えながら、地面を蹴って一気に距離を詰めて行く。一方ベルモンドは義手の左手を向け、雷魔法を放つ。
「これは直接対象者にぶつかる魔法なんですよ、避けられる訳が――」
「よいしょぉっ!」
空気中に突如雷が発生したと同時に、対象者であったチャドはその場から超人的な速さで離れ雷魔法を回避した。
「――っ!? た、たまたまに決まって……!」
更にもう一発、雷魔法が放たれた――が、それもまた見切られた様に避けられ
「魔法剣、『霧雨』!」
水流の様に柔らかく、時に激しい動きで懐まで入り込んだチャドは刀に水の魔力を纏わせながら音速の如きスピードでベルモンドの全身に細かい切傷を付けて行く。
チャドの目的はベルモンドを殺す事では無く戦闘不能にし話を聞き出す事だ、だから殺すわけにはいかない。
――本気で殺しに来ていたら先程の剣技で全身を深く切り刻まれ死んでいた。その事実に気が付いたベルモンドは屈辱に塗れた様に顔を歪ませて
「ここまで、屈辱を感じたのは、久しぶりですよ!!」
「そうかよ」
ベルモンドから放たれる強い殺気を大して気にもとめず、刀身に魔力を込め放つ。
「『逆波泥流』」
勢い良く振り上げられた刀身をベルモンドは全神経を集中させ回避に成功する――しかし、剣撃と同時に放たれた水流の塊が降りかかりベルモンドの体に重たい波が押し寄せる。
「ぐぅ、あぁぁっ!」
押し寄せる波の威力に耐えきれず、ベルモンドは眼鏡が割れ、体を吹き飛ばされた後地面に体を打ち付け吐血する。
チャドは刀を構えたまま地に伏すベルモンドを見下ろした。
「死なれちゃ話が聞けねえ。そろそろ終わりにしねぇか?」
「ふ、ざ……けるな……ッ!」
眉間に皺を寄せ、怒りのこもった声でチャドの提案を却下する。
――ここまで屈辱的な事などほとんど無かった。これまではずっと、自分が見下ろす立場だったのに……今はこうして会ったばかりの老人に見下されている。屈辱だ、何故自分がこんな目に会わなければならないのかと、恨み言が脳裏を支配していった。
「認めない……あんな、情けなく、みっともなく大声で助けを呼ばれただけで、ここまで追い詰められるなど、ふざけているだろうがぁ……っ!」
「そうか? どうしようもねぇ時は助けを求めるのは別に普通だろう」
「うるさい! 私を、見下ろしたまま、喋るなぁっ!!」
ベルモンドは体を起こしながら怒鳴り散らし、服の中から小さなカプセルの様な物体を二つ取り出した。
「別の作戦に使うはずだった手札を今ここで切らせた事を、後悔しなさい!!」
「――ッ!」
そのカプセルの中から何か異様な気配を察知し、迂闊に近寄らない方が良いと本能が訴えかけて足を止める。
そしてベルモンドがカプセルを投げた同時、目には見えないドス黒い気が発生している事を感じ取った。
直後、カプセルの投げられた二つの地点それぞれに出現したのは顔を青くし苦しげな表情で倒れる二人の人間の男女だった。
その二人から感じた気配は、戦闘力の無い普通の人間。おそらくただの一般市民だ。
「オイ、ベルモンド、そりゃあ何だ……どういうつもりだ」
「まあ、見ていてくださいよ」
刀を構え警戒していると、ベルモンドは笑みを作りながら指を一回鳴らす。そして、
「グッ、アッ、アァっ!?」
地面に倒れていた二人の男女は顔全体に皺を刻みながら苦しげに叫び始める。
「オイ、アンタらどうした!?」
何が起きたのかと、咄嗟に倒れて叫び始める者達に近寄ろうとした直後。二人の体内から黒く邪悪な気配が膨れ上がって逝くのを察知し、危険を感じ取ったチャドは足を止めた。
「――!」
「ウァァァアアアガアアアァァァァァァッ!!!」
断末魔を上げながら、二人の男女の身体がドス黒い魔力と共に変貌していく。
やがて、元の人間の原型も、意識も全てが無くなり、全くの別物へと生まれ変わった。
――それは、漆黒の鎧を纏った姿をした、二体の異形。
「何が起きたってんだよ、オイ……」
「これは実験の結果失敗作だった様ですが、まあ兵隊としては使えます。戦闘用に少し改良も加えました……覚悟してください」
「いきなりまた余裕ぶりやがって……あの二人は、どうなった?」
「見ての通りですよ。もう人間には戻れません」
「クソヤロウが」
舌打ちしつつ、再び刀を構えて戦闘態勢に入る。
「貴方は私を本気で怒らせた……ここで死になさい」
「死ぬわけにゃいかねぇんだよ、ボケが」
脳裏に過ぎるのは、今はただ一人の家族である孫の姿だった。
――――老剣士チャドには昔、傭兵として活躍していた時代、一人の娘が居た。
しかし、娘が15歳になった頃、傭兵の仕事で他国に派遣されていた間に、妻は殺され、娘は連れ去られて、行方知れずとなっていた。どこを探しても娘は見つからず、長い時が流れて行き――
やがて、仕事へ向かう道中に再会したのが、娘の生んだ子供……つまり、孫のマチルダだった。
マチルダは娘の顔と特徴がよく似ていた。母の名や特徴を尋ね、答えを聞き、確信する。彼女はチャドの娘が生んだ子供で間違いないと。
一方のマチルダも、幼少期、母からよくチャドの話を聞かされていたらしく、すぐに祖父だと信じてくれる様になった。
――妻は死に、娘も最期を看取る事すら出来ず目に見えない所で死んでしまった。もう、娘の残した一人の孫しか自分には居ないのだ。だから
「俺は絶対に死ねない。そして……孫も絶対に、助けなきゃならねぇんだ」