二十四話 助けて
ウルガーから頼まれた事を放棄するつもりは無い、早くカミルやマチルダとの合流を果たすべきだろう。
しかし、ここで父を無視していけば後悔してしまいそうな気がした。
地べたに尻を付けていた父はゆっくりと立ち上がり、声を震わせながら、安堵と罪悪感の混じった様な表情でこちらに顔を向ける。
よく見れば、彼も負傷している様で包帯を巻かれている箇所があった。
「ニア……お前も、無事、だったんだな……」
「うん。お父さん、その怪我は?」
「あ、あぁ……、まだ痛むが、問題は無い」
「それなら良かった」
父からは、先日の様な毒気は完全に抜けていた――が、今回はバツの悪そうな顔をしていて、何から話せばいいのか分からない様子だった。
父は私を嫌いな訳ではないはずだ、と自分に言い聞かせながら少しでも歩み寄ろうと話を続ける。
「お父さん、出来ればゆっくり話したい所だけれども……今はあまり時間が無くて。カミルさん……っていう緑色の髪の若い人を見てない?」
「……一緒に居たあの冴えない顔した奴か? 逃げるってんなら、これ以上街をうろつくのはやめろ。お前一人でもいいから早く街から出て行け――」
「違うわ。私は、まだ戦うから……そのために合流したいの」
「な……!?」
まだ戦う、との言葉を聞いた父は一気に顔を青ざめさせた。そしてそのまま、感情のままに大声でまくしたて
「バカな事言ってんじゃねえ! もういいから、お前だけでも逃げろよ! 今の魔導会を敵に回したら、人生も、人の命も、簡単に奪われちまうんだ!!」
「う……。で、でも、私は、皆を助けたい!」
「カッコつけてんじゃねぇよ! もう無理なんだよ! 駄目なんだよ! これ以上関わるな、ニアだけでもさっさとここから出て行け!!」
怒鳴りつける様に言い放つも、その表情は悲痛の色を濃くしていた。
喚き散らす様に叫んでいるが、彼もただ身近な人間の犠牲を増やしたくないだけなのだろうと察した。ましてや自分達は、血の繋がった実の親子なのだ。
みっともなく逃げてでも生きて欲しいと思うのは、至って当たり前の事だと思う。
「……ごめんなさい。それでも、私は逃げたくないの。町の人達も……ウルガーやカミルさんにマチルダさん、そして、お父さんも……無事に生きて欲しい。困っていたら、助けたい」
「――ッ!」
父は一瞬表情を悲痛なものへと変化させた後、そこから険しく顔を歪ませながら叫ぶ。
「逃げれば良いんだよ、バカ! 仕方ないんだ、誰も文句は言わねえ! これ以上アイツに反抗しようとなんてするな、無謀な事はやめちまえよ!」
「……!」
息を荒げた後、言い過ぎたと後悔した様に表情を変化させ視線を俯かせた。
何も言えずに固まっていると、父は何か腹を括った様に歯を食いしばり、顔を上げて怒鳴りつける。
「お前、なんか、……目障りだ! 街の中に居られても鬱陶しいんだよ! さっさとここから出て行け!! 今すぐ目の前から、消えろ!!」
――同じ言葉を聞いたのが先日ならば、酷く傷付いていただろう。だが今は、驚きながらも冷静に父の顔を見る事が出来た。
暴言を吐いた自分の心が傷付いているのが、その目を見ていれば分かった。悪者になってでもここからニアを逃がそうとしているのだと察せられる。
父の必死な形相に胸が痛む。
脳裏に生じた迷いを、助けたい人達の姿を思い浮かべる事で掻き消し、覚悟を決めて父と真正面から視線を合わせる。
そして、宣言した。
「本当にごめんなさい、お父さん。やっぱり私は逃げる事は出来ない。皆を助ける為に戦うって……決めちゃったから」
その言葉を聞いた父は呆然とした表情へと変わった後、力が抜けた様に両膝を地面に付け、自らの髪をグシャグシャに掴みながら
「なん、で、だよ……、何でそこまで、真っ直ぐな目で、戦うなんて言えるんだ、逃げりゃ良いじゃねぇかよぉ……!」
父は絶望したように、そう溢している。
頭に浮かんだのは母アンネリーの顔と、困っている人がいれば魔女と忌み嫌われようととにかく助けに入ろうとする姿だった。
「――この場にお母さんが居たなら、きっと。この街の惨状を無視するなんてしないと思うから……」
「……」
それを聞いた父は完全に沈黙し、膝を地面に付けたまま動かなくなってしまった。
これではいけないと駆け寄って、父の肩に手を触れながら同行を求める。
「お父さん、その、私と一緒に行こ? 何かあったらいけないし……」
「……一人で行けよ」
父は冷たい声でそれだけ返し、立ってくれない。
もし父がベルモンドに見つかったらどうなるか分からない、どうにかしなければと焦りながら思考を巡らせていると、父は「あー、もう!」と言いながらこちらに顔を向けて
「行くなら一人で行けって! 俺一人ならアイツに見つかったって問題ねぇ、お前と一緒に居る方が危ないんだよ!!」
「え、そう……なの?」
「あぁ。情けない話だが、俺はわざと生かされてるんだ。だから殺される事はねぇ。無駄に一緒に居たって足手纏いになるだけだ……だから、行くなら一人で行け」
「……」
父は嘘は言っていないと思う。ベルモンドに見つかっても何かされる訳で無いのは本当なのだろう。
だが、おそらく父は何かしら脅されていると思う。詳しい事までは話そうとしないのはその影響だと思う。
脅されているのだとしたら、ニアと一緒に行動している所を見られればそれこそベルモンドに敵意を向けられ父が殺されてしまう可能性がある。
殺されなくても、父を人質に取られたりしたら……何も出来なくなってしまうかもしれない。
せっかく出会えた父と、一緒に居たい。けど、ベルモンド相手に甘い考えで勝てるとは……思えなかった。
ぎゅっと拳を握り、父の言葉に従う事にする。
「分かったわ……一人で、行って来る。お父さん、無事で居てね。今度はもっと色々と話したいから」
「……」
父は顔を俯かせ何も答えなかった。
心配だが、今は急いで目的の場所へ向かおうと体を回し走って行こうとした――その時だった。
「カミルとかいう奴なら……この路地裏を抜けて東の住宅街の方で見た」
「!」
背後から、父の声でそう聞こえて来た。振り返り、父の姿を見れば彼はこちらを見ながら続けて口を動かし
「……無事に帰って来い。ニア」
「――うん!」
『黒い霧』の持つ認識阻害の効果で物音や気配を遮断し身を潜めながら、父から教えて貰った場所を目指し駆け足で進んで行く。
東の住宅街へと入って行き、周囲は人喰い蟻の牙で破壊されたボロボロの住宅のが立ち並んでいる。
人通りは一切無く、マトモに住める状態でも無いため元居た住民達は別の場所に避難しているのだろう。
何か手掛かりは無いかと、周囲を見渡しながら歩みを進めていたその道中――すぐ後ろから、足音がして。
「おやおや、ニアさん。こんな所で何をしていらっしゃるのですか?」
「――ッ!」
背後から聞こえたその声に背筋が凍り足が止まってしまう。ゆっくりと振り返れば、そこには穏やかな笑みを浮かべたベルモンドが佇んでいて、こちらへ視線を突き付けていた。
全身に冷や汗が浮かび、ウルガーの身に何かあったのかと不安が押し寄せて来る。
「とりあえずその魔法解いたらどうです? 気配がしないので探すのに苦労しましたが……この距離ならばもうわかります」
「く……っ」
バレてしまったならば、もう『黒い霧』も意味は無い。全身を覆っていた認識阻害の霧を解除し、振り返る。
「ウルガーは、どうしたの?」
「安心してください、死んではいないですよ。生け捕りにして連れて帰りたいので」
「そんな事、させるもんですか!」
死んでいない事にはとりあえず安堵するも、このままでは不味いと焦燥感が支配していく。
生け捕りという事は捕まっている……ウルガーも助けなければならなくなった。
よく見ればベルモンドは身体中に傷や土汚れがついていて、頑張って戦ってくれたのだろうと分かる。
ウルガーと、あといきなり現れたリシェルの頑張りに報いるためにも、ここで全てを台無しに終わらせてはいけない。
「そう、睨まないでくださいよニアさん。私は慈悲深い……鉱山での提案を飲むのであれば傷付ける事はしません。さあ、今が最後の選択のチャンスですよ」
「ふざけないで。そんな話に乗るわけが無いでしょう」
「それは残念ですね」
直後、ベルモンドから放たれる冷たい殺気が肌に刺さる。気圧されそうになるも歯を食いしばりながら気合で耐えて、ベルモンドが魔法を放つより先に魔法を発動した。
「いけぇ!」
会話しながら密かに影を伸ばし潜ませていた、認識阻害の霧を纏った『影の鞭』がベルモンドの四方から囲む様に出現し、襲いかかる。
ベルモンドは感心した様にそれらを見ながら
「ふむ。認識阻害の効果を持つ魔法と攻撃魔法を組み合わせたと……接近してくるまで気付きませんでしたよ」
影の鞭は青年を叩きつけ攻撃する直前に、合間を潜り抜ける様に回避され、ベルモンドの衝撃波による迎撃で撃ち落とされてしまった。
「う――っ!」
「なかなか良い手でしたが、まだ練度が甘い」
やはり正面から戦っても勝てない。何とかしてベルモンドの目から逃れ早くここから離れなければ……そのためには、どうすればいい。
「全く、ウルガー君といいリシェルといい……今日は暇じゃないんですよ」
ベルモンドの両手に魔力が集中し膨大していくのを感知した。対応しようと咄嗟に『影の鞭』を発動し迎撃体勢に入る、が――放たれた魔法は想定していた形とは違っていた。
「!!」
「逃がしはしません」
放たれたベルモンドの魔法は風の塊による衝撃波ではなく、無数に飛んで来る風の散弾だった。
数の差に加えて、軌道を変えながら迫り来る無数の風の散弾は、影の鞭だけでは防ぎきれず肩から足へ掛けて全身の数か所へ被弾する。
「くぅっ!」
全身を襲う散弾の痛みに耐え、地に付きそうになる膝を気力で無理矢理立たせながら黒い魔力の弾丸を指先から放ち反撃。
しかし、その一撃も見切られベルモンドには当たらなかった。
――力量差が、違い過ぎる。
「分かりましたか? ニアさん。無駄な抵抗はもいたやめたらどうです」
「それ、でも……ッ!」
魔導会に大人しく従い利用されるなんて嫌だ。この街の人達を、ウルガーを、お父さんを、お母さんを、皆を不幸に陥れた相手に頭を垂れて負けを認めるなんて、嫌だった。
どうすればいいのか分からない、この状況を打破する方法が思い付かない、それでも、このまま抵抗もせずに終わるのは、絶対に――
「絶対に、アンタの言う通りにはやらない!」
「……愚かですね」
ベルモンドは呆れた様に溜息をつき、魔力の塊を生成する。そしてそれを放とうと腕を構えた、その時だった。
「やら、せるかよぉ!!」
低い声と共にベルモンドへ剣を構えながら襲いかかる人影が見えた――それは
「お父さん!?」
ニアの父、ノーマンがベルモンドに背後から斬り掛かって行く。しかし、それは目を向けることも無くアッサリと避けられ、衝撃波の一撃で剣をへし折られてしまう。
「チィッ!」
「ちょっと、駄目よっ! 危ないから離れて……」
父の身を案じ呼びかけると、彼はこちらを向きながら声を上げ
「いいから早く行け! 俺じゃ何分も持たねえから!」
「――っ!」
父が、時間稼ぎしようとしてくれている。だが、ベルモンドと戦ったら、父はどうなる。目を離したすきに殺されでもしたら――
「行けって言ってんだろ! ちったぁ父親らしい事、俺にもやらせろ!!」
「う……」
父は自分の為に、身体を張ろうとしてくれている。迷いが生まれた、父の意思を尊重し逃げるべきか、父と共に戦うか……
「お父さん……」
父は手も足も震えている。それでも身体を張ってベルモンドに挑もうとして……早く決断しなければいけない。
ここは父を信じて、自分はこの場から早く逃げるべきだ。頭では分かっていても、辛かった。唇を噛み、父の為にも早くこの場から離れようと足を動かし――
「……あ」
その時、脳裏に浮かんだのはカミルだった。
この街に住んでいるチャドと呼ばれる強い剣士に協力を頼むのも目的の一つだった。そして彼がこの住宅街に来たらしい目的が、チャドに協力を求める為だったら。
その協力者は今、近くに居る可能性は高い。
次に、兄の様な存在である黒髪の騎士テッドを思い出す。
強く頼りになる剣士であった彼は、感覚も鋭く、遠くからの呼び声にも反応したりしてくれていた。
強者であれば、ここから呼べば気づいてくれるかもしれない。
この場から走り去ろうとした足を止め再び振り返れば、父とベルモンドが向き合っていて。
「ノーマン、貴方が近くに居たのは気づいてましたが……まさか邪魔をするとはね」
「――娘を見捨てる程、クズにはなれなかったんだよ。ちくしょう……!」
「はぁ……面倒ですねえ」
父は折れた剣を構え、そこにベルモンドが風の魔力を集中させ衝撃波を放ち――
「影糸!」
衝撃波に当たり掛けた父の影を伸ばしたニアの影の糸で絡め取ってから思い切り引っ張り、寸前の所で風の塊に直撃せずに回避出来た。
急に体を引っ張られた父は驚いた顔をした後、ニアへと怒りの形相を向けながら怒鳴りつける。
「お前、バカが! 俺は逃げろって――」
「チャドさあああぁぁぁぁぁぁんっ!」
「!?」
突如、知らない名前を叫ぶニアの姿に父ノーマンは呆然とした表情になる。
「ニアさん、貴女急にどうかしましたか?」
「チャドさん、助けてえええぇぇぇっ!」
呆気に取られていたベルモンドとノーマンは、すぐにニアの目的に勘付く。
仲間を呼ぼうとしている事に気が付き、ベルモンドはすぐさま魔力を集中させニアに狙いを定める。
ニアはベルモンドの魔法を迎撃しようと魔力を溜める――が、この瞬間は声を上げる余裕は無かった。集中を欠けば、ベルモンドの魔法に抵抗出来なくなってしまう。
そんな時、父がニアよりも更に大きな怒鳴り声で叫んだ。
「早く!!! 助けに来てくれええぇぇぇっっ!!!」
風の衝撃波と影の鞭がぶつかり、魔力が爆発し一帯に暴風が吹き荒れる。ノーマンの大声は魔力の爆発に掻き消える事なく、周囲へ響き渡って行く。
「そんな幼稚なやり方で……上手く行くと思ってるんですか?」
ベルモンドは呆れた様に呟きながら間髪入れず風の衝撃波を放つ。
「きゃあっ!!」
影の鞭による防御が弱まっており、相殺された魔力の衝撃が強風となってニアの全身へとぶつかり吹き飛ばされてしまう。
地面を転がり、手と額に掠り傷が付き……瓦礫に脚の表面を削られ出血する。
「くぅっ!」
「おい、ニア!」
「だ、大、丈夫……お父さん」
駆け寄る父にそう言いながら、脚の痛みを我慢し急いで立ち上がろうと膝を上げたその時、既に新たな風の衝撃波を放つ準備が終わっていて
「クッソ!」
「お父さん!?」
ニアはもう防御に間に合わないと察した父は庇う様に娘の前に立ち塞がる。
「お父さん、駄目! やめて、私は、大丈夫だから!」
「大丈夫じゃねえだろうが!」
その二人の姿に、ベルモンドは愚かな者を見下す様に笑いながら
「そのまま仲良く、体を破壊してあげましょう」
巨大な風の衝撃波が空を切りながら放たれた。
父は覚悟を決めた顔でベルモンドを睨みつけ、ニアは何とかして衝撃波を止めようと魔力を高め『影の鞭』を発動するが――このままでは、間に合わな
「――え?」
間に合わない、と脳裏を過ぎりそうになったその瞬間。信じられない光景が眼前で起きる。
迫って来ていたはずの魔力の塊が消滅している。風の衝撃波が、突如として掻き消えたのだ。
父は何が起きたのか分からないといった顔で立ち尽くし、ベルモンドも目を見開き立ち止まっていた。
――ニアの眼前に立つ父とベルモンドの間に割り込む様に、新たな人影がそこに佇んでいた。
「うるっせぇ声で呼ばれたから来てみりゃ……どういう状況だい、こりゃあ」
新たに現れた人物は金髪の老人……腰には一振りの剣を携えていた。彼は伸ばされた自分の髭を弄りながら背後の二人へ目を向けた後、ベルモンドへと鋭い視線を突き付けながら。
「ま、兄ちゃんがやっぱり悪党だったってのは、確からしいな……ベルモンド」