幕間 闇の魔女
これは島の外――広大な海に点在する小国の一つ。
その国内の、とある町に訪れている二人組の男女の話だ。
「宿を求めてやって来たはいいけど、雰囲気の悪い町ね。防犯対策とか大丈夫なのかしら? まあ、いざとなればテッドを一日中寝かせず護衛に付かせるけれど」
「人使いが荒いですよ、ニア様」
「冗談に決まってるじゃないの〜」
ニアと呼ばれたのが、赤い髪を長く伸ばし黒いローブを羽織った少女。隣に居る騎士姿の黒い髪をした青年がテッドと呼ばれた男だ。
二人は旅をしている途中でありここへは宿探しにやって来た。
しかし、町の中ではガラの悪い酔っ払いから絡まれたり、明らかに詐欺な商売を道の真ん中で堂々とやっていたりゴミが散乱していたり、見るからに治安の悪そうな町であった。
宿もあったとしてあまり良い場所では無いかもしれない。
「まあ、一日眠れるならいいのだけど」
美味しいご飯が出れば満点なのだが貧しい雰囲気のある町で求めすぎるのも良くないだろうと、ニアはそれは言わないでおいた。
そんな道中、酒場の前を通り過ぎようとした時。
「きゃーっ!!」
酒場の中から子供の悲鳴が聞こえ、咄嗟にニアの意識はその方向へと振り向く。
「……テッド、私は、目立ってはいけない立場だからあまり荒事に関わらない方が良い。そうよね?」
「そうですね」
今、ニア達は犯罪組織『魔導会』を追い掛けているが、こちらの動きはなるべく奴等にはバレてしまわない様にしたい。
だから目的を優先するなら見て見ぬふりが一番だ。しかし、見て見ぬふりなどニアの一番嫌いな事である。
「だけどね、テッド。恩は売り付けておいて損はしないわ。だからこれは人助けで無く私に利益があるからやる行為であって決して……」
「はいはい、いつも通り助けたいんですね、ニア様。そうやって頑張って理由探さなくても大丈夫ですから」
「もう、最後まで聞きなさいよ〜!」
――と、酒場へ向けて走りながら喋っていたニアは、そのまま店のドアを勢い良くこじ開ける。
そして眼前に広がるのは、誰に味方すればいいのか一目ですぐに分かる光景。
ガラの悪いチンピラといった風貌の男が大きな包丁を持って、客の子供と思われる幼女を人質に店長を脅迫していた。
「今までここで払わなかった飯代全部チャラにしろ! じゃねえと今ここに居る客を一人ずつ殺すぜ!」
「そ、そのお客の子は関係ない……包丁を降ろしなさい! 働いて後で金を払うという言葉を信じていたのに、あなたは……!」
「うるせえ! 俺が餓死するよりマシだろうが!!」
「コラあんた、何してんのよぉー!?」
途中から入り端から聞いているだけでも理解出来るチンピラのめちゃくちゃな発言に、ニアの怒りは頂点に達し今にも爆発してしまいそうだ。
その上、真っ先に弱い子供を人質に取るなど凄く許せない。絶対に許せない。
ニアの言葉に反応したチンピラは、眉間に皺を寄せながら殺意と悪意に満ちた視線をこちらへ向けて来る。
「あぁん? 何だよ姉ちゃん、文句あんのかぁ、コラァ!?」
「文句大有りのありまくりよ! その女の子を離しなさい!」
「ハハッ、近づいてみろよ、このガキの首が落ちるぜ!?」
「うわあぁぁぁん!!」
「やめてください、お願いします! 私が代わりになりますから!!」
脅迫するように幼女の首へと包丁を近づけ、子供は泣き、その両親二人は子を助けようと懇願する。しかし、あのチンピラはそれらを受け入れる気は毛頭ない。
この状況ではテッドの実力でも女の子が殺される前に救出に間に合うか分からない。少しでも動けば、あの子の首に深い傷が付き、死亡してしまう可能性が高い。
あのチンピラにバレずに、助ける必要がある。
「――私が、やるしかないのね……」
「あぁ? 一歩でも動けばガキは死ぬぜ? どうすんだよ? まあ姉ちゃんが脱いで全裸になってくれりゃ許してやってもいいがな! ヒャハハ!!」
「汚い声を出さないでもらえるかしら」
ニアは声を冷たくし、そう言い放ちながら足を一歩前に踏み出す。それにチンピラの男は不愉快気な顔を見せて。
「脅迫が嘘だと思ってんのか!? ガキの首落としてや……っ、あ……あれ? 手が、動かねえ……!?」
「影縫い」
チンピラの男は身体を動かせなくなっていた。否、動けなくされていたのだ。
床を見れば、ニアの影が男の影にまで伸びていた。それが原因で、男は身動きを取れなくされている。
「か、影を……操ってる……、何だよコレ! こんな魔法知らねえよ! まさか、お前……!?」
「罰を受けなさい、外道!」
ニアは人差し指と中指をくっつけて、前方の男へと向ける。その直後、指先に魔力を集中し黒い弾丸が生成され、放たれる。
「ぐああぁぁっ!!」
黒い弾丸は男の頭部に直撃し、そのまま床に倒れて気絶した。それを店長はすぐさまロープで縛り上げ捕まえる。
店の中では、暴漢が撃退され子供が助かった喜びの声と、ニアへ感謝を伝える声、または困惑の表情を向ける顔と声が入り乱れていた。
「あんな魔法一般的なものに存在しないわ……もしかして……魔女じゃないの?」
「でも、子供を助けてくれたぞ」
「ただの気まぐれかもしれないじゃない。魔女にはあまり関わらない方がいいわよ」
世界では魔女は、千年前に世界を地獄に導いた魔族の末裔として恐れられている。
その話が本当なのか分からない、けど、大昔からこの噂は世界各国に存在している。魔女の刻印を持って生まれたからには、他人から拒絶の意志を向けられる事も覚悟しなければならない。
勿論、納得は出来ないけれど。
「――あまり長居は出来ないわね。行きましょう、テッド」
「そうですね、ニア様」
暴漢は捕まりもう暴れられないから大丈夫だろう。ニアはテッドに声を掛けて出口扉へと振り返り、酒場を後にする。
そして今後の行き先を考えようとしていたその時、
「待って、お姉ちゃん!」
先刻助けた女の子が必死に走りながらこちらへ近付いて来ていた。
「あら、どうしたの?」
「あ、あのね、ありがとう! お姉ちゃん! 本当にありがとう!」
泣きながら感謝を伝える少女にニアは腰を落として視線を合わせながら頭を撫でる。
「当然のことをしたまでよ。無事で良かったわ、本当に」
「うん。凄く、カッコ良かった……私もお姉ちゃんみたいになりたい」
「ん〜……私みたいにかぁ」
「お父さんとお母さんは、お姉ちゃんを魔女だって言ってたけど。お姉ちゃんのちゃんとした名前が、私は知りたいな」
本当はあまり名乗らない方がいいかもしれない。それでも、わざわざ聞きに来てくれた少女に不誠実な対応は取りたくなかった。
「――仕方ないわね、教えてあげる」
ニアはそっと立ち上がり、舗装された地面の上に堂々と両足を付けながら、精一杯の笑顔で答えた。
「私の名前はニア。闇の魔女よ!」