十七話 前夜(前編)
日は沈み、虫の声が響き渡っている真っ暗闇の林道。空から差す満月の光と亜人特有の視力を頼りに、同行している少女に歩く速度を合わせながら二人でゆっくりと進んで行く。
現在その二人は、今夜分の水と食料の調達の為に隠れ場所である洞窟の外を出歩いていた。
「大変な事になっちゃったわね、ウルガー」
隣を歩く少女、ニアが元気のあまり感じられない声でそう呟いた。何か気の利いた事を言えないものかと悩みながら、先程の言葉への返答をする。
「あぁ……ベルモンドの目的が鉱山の入手だとはな。まあ確かに、ヘタに街中で虐殺を起こすよりは、住民の信頼を得る方が確実だろうが」
アーレとの戦いから逃走し、鬼土竜の力で地中を伝って鉱山の横に立つ小山の洞窟へと逃げ込んだ。
そこで、一時的に休戦状態となっているリシェルから様々な情報を受け取った。
ベルモンドの目的……そして街の住民に異変を与えたモノと、アーレと呼ばれていた青年の正体。
アーレは『占術師』と呼ばれていたが、それは真っ赤な嘘であった。
『まあ、本物の占術師も魔導会にいるけどさ。リシェルちゃんもあんま関わりたくないくらいにはヤバい人だけど』
リシェルの話によれば本物もどうやら居るらしかったが、今はそのことは問題ではない。
アーレと呼ばれていた青年……その正体は、人工魔晶石と様々な生物の細胞に、人間の身体と魂を組み合わせ――そこに『特別な魔法』を加えて完成した人工的な生命体だというのだ。
――あの青年は何故かウルガーの名を知っており、そのことに彼自身も混乱していた。嫌な予感が、考えたくも無い想像が、どんどん膨らんで脳裏を支配していった。
「いや、まだ、分からねぇ。次会ったら、しっかり確かめねぇと……」
口の中だけでそう呟き、自分を無理矢理奮い立たせる。
――そして最後の一つ。街の人々を狂わせたモノの正体。
ウルガーは途中で気を失っていたため詳しいことは分からなかったが、ニアの話では、住民達を醜悪な気配のする『何か』が纏いそれの影響で人々の感情が極端に暴走したり思考力が奪われたりしていたらしい。
更にリシェルが言うには、それには古代魔晶石が関わっていたらしく
『世界各地から奪った古代魔晶石に溜まってる負の魔力を少量だけ抽出して、ソレを散布したんだよ。精神状態の乱れた人間が吸ったら簡単に思考回路や感情をめちゃくちゃにされちゃうよ、ヤバイよね。アハッ』
街で続け様に事件を起こしたのは、そうして人々の心を支配するのが目的だったのだろう。非情で残酷なやり方に、怒りで感情が爆発してしまいそうだった。
隣に居るニアもその話を思い出し、悔しさを滲ませるように拳を握りしめ
「魔力を抽出して散布するのは、以前お母さんがやっていた研究よ……。でも、お母さんのやろうとしていた事は、自分の『癒やしの力』をもっと多くの人に届ける事であって――そんな酷いやり方の為じゃないわ!」
「ニア……」
「お母さんの思いを踏み躙る様な行いをして、絶対に許せない!」
「――許せねぇ、よな。敵は俺も同じだ……手伝ってほしいことがあれば、いつでも協力する」
「うん」
「けど、大丈夫か? お前……無理してないか?」
「え、何で?」
ニアは、久しぶりに会った父とは複雑な出会い方と別れ方をして、それに加えて母が魔導会に所属していた頃行っていた研究が悪用されている事までが明かされてしまった。
今の彼女は、辛さや悲しみを必死に堪えている様な顔に見えて。
「今にも、泣き出しそうな顔してるからよ……正直心配にもなるだろ」
「バレちゃってたか、我慢してたつもりなんだけど」
「そりゃ分かるよ」
「……泣きたくも、なるわ……お父さんも心配だし、お母さんも、今どうしてるのか……」
今にも決壊しそうな、震える様な声で両親の身を案じていた。
しかし彼女は溢れかけた涙を指で拭い、その後緩み掛けた涙腺を抑える様に自らの両頬を手の平で一発叩き、自分を鼓舞する。
「けど、泣いて悲しみに暮れていたって、事態は解決しない! 動かなきゃ何も変わらない! だから、戦うしか無いの!」
辛い出来事に遭い泣きそうになっても、心まで折れる事は決して無い。その目には悲しみだけでなく、真っ直ぐで強い意志も感じられた。
ベルモンドと戦う事は危険だ。あの男の強さはこの身で受けてよく知っている。
だから出来れば、基本的に戦いの得意で無い人間は巻き込みたく無いのだが……ニアは、それでもベルモンドに挑もうとするだろう。
そして強い復讐心を持つ自分が偉そうに、戦おうとするニアに止めろなどと言えるわけも無い。
「……強いな、ニアは」
「別に、強くは無いわよ。大きな岩とか持ち上げられないし」
「そういう意味じゃ無いが……まあいいや。勝負を付けるのは明日だ、一緒に頑張ろう、ニア」
「そうね。先ずはこの街の人達を、必ず助けてみせましょう!」
「あぁ。けど、なるべく近くに居てくれよ。流石にニアが一人は心配だし、いざって時はお前を守ってやれるからな」
もう、島での惨劇と同じ様な光景は見たくない。また周りの人間を守れずに、何も出来ずに殺されるのは嫌だった。
だからせめて、街に居る人達や、共に来たカミル、そしてニアだけでも守りたいと、強く胸に誓う。
そんなウルガーの発言を聞いたニアは、視線をそらし微かに顔を赤らめながらボソボソと呟いて
「う、うん。……恥ずかしげもなくそういう事言うのね……守るとか……」
「え、俺なんか変な事言ったか?」
「変な事は言ってないけれど……まあ、そういう所がウルガーのいいとこでもあるかしら。ありがとう」
――食料と水の調達が終わり、隠れ先の洞窟へと足を踏み入れ真っ暗闇の道を進んで行った。洞窟内の地面は整備もされておらず道が悪い。
亜人特有の視力を頼りに歩き、隣を共に歩くニアがつまずいて転けないよう彼女の片手を握る。
「オイ、手ぇ握るぞ」
「ひゃい!? な、ななな、何でいきなり!?」
「何だその反応。下がゴツゴツしてて危ないからだよ」
「あ、そっか、なるほど……わかりました」
慎重に道を確かめながら足を進めて行けば、やがて微かな灯りがちらほらと見え始める。その光源の正体は、洞窟の岩の壁に張り付いている『発光虫』と呼ばれる虫によるものだ。
その光が最も多い空間に、一つの人影が見える。地面に尻をつけ座るリシェルだった。彼女はこちらに視線を向け不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら
「ちょっと、帰って来るの遅くない? しかも男女で仲良くお手て繋いで帰って来るとかふざけてんの?」
「く、暗かったから仕方ないでしょ! 手を繋いでたのは!」
「俺もお前に文句がある。お前の力で発光虫一匹くらい俺達に付けてくれても良かっただろうが」
「何でアンタらの為に使わなきゃいけないの?」
「お前なぁ……ッ!」
「ウルガー。ここまでで言い返すのは止めにしときましょう」
「そうだな……ムキになったって仕方ねぇや」
溜息をつき、地面の上に胡座で座り込む。隣にはニアもしゃがんで、眼前のリシェルと視線を合わせた。
「さて、話の続きを聞かせて貰うぞ。明日の魔導会の動きについてだ」