十六話 知らない記憶
一年前、故郷の島で死亡したはずの青年の名を口にする。
刹那の沈黙が流れた後、白いローブの青年は表情一つ変えず視線を返しながら答えた。
「アラン……とは、誰かは分からないけど。僕の名前はアーレだよ。まだ一週間前に生まれたばかりだから、君と知り合いなはずは無いけれど」
「……」
「生まれてまだ一週間……だと?」
「ど、どういう事? あんなにハキハキ話して大きな赤ちゃんなんて見たこと無いわよ?」
ニアのどこかズレた反応にローブの青年――アーレは微かに笑って
「フッ。赤ちゃん……では無いね。僕は一週間前に、この体を与えられ生を受けた。あの御方の力によって」
「あの御方、ってのは……ベルモンドの野郎の事か?」
「いや、違うよ。ベルモンドさんは正直、あまり好きじゃないんだ。あの御方と一緒にしないで欲しいな」
「……」
一週間前に生まれ、自分の体を与えてくれたらしい『あの御方』とやらを心底信頼している様子だった。
島での友人だったアランでは無いと、否定されはしたが……何故か、無関係だとは思えなかった。
続けてニアが真剣な面持ちで一歩前に出ながら、青年に対し問いかける。
「もしかして、『あの御方』さんは、魔導会の一番上に立つ人の事?」
投げ掛けれた疑問にアーレは何も答えず、ただ視線だけを返して
「いけないな、僕は少しお喋りなのが欠点なんだ。これ以上のお話はやめよう。大して面白くも無い仕事を、早く終わらせたいしね」
「――ッ!」
次の瞬間、アーレの全身から異様な気配を感じ取る。
この感覚は以前に見た『人工魔晶石』と同じもの、しかし、それだけでは無かった。
大きな負のエネルギーに強大な魔力、ヒトのニオイ、獣のニオイ、様々なものが混沌と混じり合う気配を感じ取り、その中から更に一つのニオイが膨れ上がって行くのを感知して。
「――これは、スライムのニオイか!?」
「よく気付いたね」
直後、青年のローブの下から現れたヒトの右腕が液体状へと変化、変形し一瞬にして長い槍の形へと移り変わり、鉄の如く硬化した。
硬度は鉄、伸縮自在の槍と化した右腕を、高木に背中を預けるリシェルに刃を向け一気に伸ばす。
「チッ――!」
「危ない!」
伸びて来た槍を、刃となっている部分を避けながら両手で掴み止めて、その間にニアは身動きをとれずにいたリシェルの影を『影糸』で捉えその場から引き離した。
「魔女なんかに礼は言わないからね!」
「はいはい」
「ニア、その女が死んだら情報を聞き出せなくなるから、ソイツの側に付いててくれ! でも無理はするなよ!」
「ええ、分かったわ!」
リシェルを守りながら戦うのは癪だが、今は仕方ない。無策で挑んでベルモンドに勝てるなど、思っていないからだ。
『銀狼』の力を使い果たしてから経過した時間は、太陽の位置から計算するに恐らく三時間くらいだ。まだ体は本調子では無い。
表には出していないが、ニアもかなり消耗しているのは分かる。万全で無い状態での連戦は正直言って厳しい。
――そして、嗅覚が感じ取り続けている、アランに酷似したニオイ……
「あー、クソ! 余計な事は、今は考えんな。この状況を何とかしねぇと!」
迷いを頭から振り払い、地面を何度も蹴りつけながら走って行く。
アーレの右腕の槍が伸びて襲い掛かって来る。それを跳躍しなから回避し、続けて槍の柄に着地した。
そのまま細長い一直線の道を真っ直ぐ駆け抜けて、振り落とそうとアーレは槍を思い切り振るう。
それと同時に、槍の柄を蹴り全身を使って宙を回転しながらアーレの懐に飛び込んで行って
「っらあぁぁッ!」
回転で勢いを付けた足を振り、咆哮と共に胴体へ狙いを付けて蹴りつける。
「ぅ――!」
青年は苦しげに声を漏らしながら、それでも攻撃の手は緩めない。
右腕を変化させて作った槍の柄がUの字に曲がり軌道を変えて、ウルガーの背中を狙い飛んで来る。
「あっぶね!」
背後から襲い来る刃を感知し、体を捻り槍を回避した。更に伸びた柄を掴んで、膝を使いなからへし折った。
折れた先の部分は液体状へと戻りドロドロに溶け地面にこぼれ落ちて行くが、槍を折られた事を特に気にする様子も無く続けて液体状の右腕を新たに生成し始めた。
その一瞬のすきも見逃しはしないと攻撃の手を緩めず、アーレの懐へ飛び込み顔、胴体と一撃ずつ拳を打ち込んでいき――
三発目を放とうとした時、一瞬脳裏にアランの顔が過ぎり攻撃に躊躇が生まれてしまう。
一瞬の迷いを見せてしまった次の瞬間、腹部に鉄の塊をぶつけられた様な衝撃が走り、突き飛ばされた。
「ぅッ――がぁッ!!」
そのまま高木の幹に背中を打ち付けられ、呼吸も出来なくなる程の苦痛が襲いかかり地面に膝を付く。
痛みは堪える。迅速に乱れた呼吸を整えて、相手の右腕を確認した。
見た目は普通のヒトの拳。だが、スライムらしき能力で硬化されており鉄の如き硬度を誇っていた。
迷いが生じてしまった結果、大きなダメージを負ってしまった。だが、失態を悔やんでいる暇は無い。
足の裏を勢い良く地面に付けて、無理矢理体を起こした。
「チクショウ、まだ、負けっかよ!」
叫び、自らを鼓舞しながら立ち上がる。そして眼前の敵と視線を合わせ――
「……」
合わせると、眼前の青年、アーレは目を見開いてこちらに視線を向けたまま、無言で佇んでいた。
何かしてくるのか、と警戒し様子を注視していると……青年は口をゆっくりと動かし始めて。
「なん、だ……? この、記憶は……知らない。何故、知らない記憶の中に……君が居るんだ、ウルガー」
「あ……?」
「ウルガー? 何故、僕はその名前を知って……何だ、なんだ、だれだ、誰なんだ君は、誰なんだ、僕は!?」
突如、アーレは地面に膝を付き、両手で頭を抱え、表情を歪ませながら、何かに混乱し発狂し始める。
何が起こっているのか、訳もわからず呆然としていると、呼び掛けてくる少女の声が聞こえた。
「何ボサッとしてんの、バーカッ! 逃げるなら今の内でしょうが!!」
リシェルの毒舌に言い返す余裕も無く声のした方へ目を向ければ、そこには掘り返された地面から現れた小型の鬼土竜と、その隣に立つニアとリシェルの姿があった。
ニアは心配気な目でこちらの様子を見ながら
「ウルガー、大丈夫!? 動ける!?」
「――あぁ、大丈夫だ! 悪い、今行く!」
アーレの突然の発狂の原因と、彼の正体。どちらも気掛かりだが、今はそのことで足を止めていられる余裕は無い。
走りながら横目で再度アーレの様子を見て、その後すぐ鬼土竜の針金の様に固い体毛に手を伸ばし掴まった。
三人が体毛に掴まった事を確認して、鬼土竜は再び地中へと潜っていく。
「知らない、知らない、こんなの知らない! うぁああぁーーっ!!」
地中を高速で掻き分けながら進んで行く。
アーレの何かに苦しみ悶える声は段々と小さくなり……やがて消え、聞こえなくなった。




