十五話 一時休戦
ウルガーの意識は深い闇の中にあった。
全身の感覚は無く、意識だけの存在となって、物心がついてから出ていくまでの島での思い出が、凄惨な記憶が、大陸へ渡ってきてからの日々が、走馬灯の様に凄まじい勢いで呼び起こされて行き――
一年ぶりに相対したベルモンドの姿が蘇る。
強い怒りを、やるべき事を思い出した。
全身に血の巡りを感じる。霧がかかった様にぼんやりとしていた意識と感覚が段々と覚醒し始める。
草花の匂いが嗅覚を刺激して、虫や鳥の鳴き声と二人の少女らしき話し声が耳に入ってくる。ゆっくりと閉ざされていた瞼を開ければ、目の前には雲がゆったりと流れる青空と囲む様に生い茂る木々が見えた。
動かなくなっていた四肢は動く、五感もハッキリしており支障は無い。何故意識を失っていたのかを思い返し、近くに居たニアと、マチルダや住民達の安否を確認すべく急いで腰を上げた。
「皆は!?」
声を上げ周囲を見渡すと、そこに居たのは生え渡る雑草の上に尻を付けるニアで――更に隣には、全身が血塗れで片足が見るに堪えない惨状になっているリシェルの姿があった。
リシェルは無言のまま冷たい視線を突き刺して来ているが、今は皆の安否確認が優先だ。
目覚めた事にニアは安堵の表情を見せて、こちらの疑問に答える。
「良かった、目が覚めて……マチルダさんや私達の周囲に居た街の人達は、大丈夫……」
「本当か? それなら、一先ずは良かったが」
「えぇ、リシェルも、今回の魔導会の目的は殺戮じゃないって言ってたし」
「……それは、信用できる言葉なのか? コイツも平気で他人を傷付けられる敵だ。そもそも何でこの女が居るんだよ」
今回の不自然な相手の動きを見れば、目的が殺戮で無い事は何となく理解できた。しかし、平気で命や尊厳を奪うことも出来るのが今の魔導会の現状だ。
そしてリシェルはつい先刻まで戦っていて、街を地獄に変えた張本人。その人間性を信用出来るとは思えなかった。
敵意と警戒心を分かりやすく剥き出しにしている表情に、目の前で木の幹にもたれ掛かっていたリシェルは不愉快気な冷たい視線を一層強め言い返して来る。
「あのさぁ、リシェルちゃんが助けてやったのにその言い草は無くない? 感謝は? ねぇ、恩は感じないの?」
「敵に助けられたなんざ信用出来るわけねぇだろうが」
「待って待って、駄目! 今は喧嘩しちゃ駄目!」
「う……」
二人の間にはち切れんばかりの険悪な空気が流れる中、咄嗟にニアが割り込んで止める。
別に喧嘩までするつもりは無かったのだが、もう少し落ち着いて話を聞き出してもいいかもしれない。
「まあ、お前に感謝なんかするつもりは無いがな。街の人達に何をしたかもう忘れたとは言わせねぇぞ」
「たぶん死人は出てないはずだから別に良くない? そもそも街の奴等がどうなろうとリシェルちゃんには関係ないし」
「怪我したら痛いし、生きてたって一生の心の傷になるかもしれないんだよ! よく平然とそんな発言出来るなお前は!」
「うっさいなぁ、ウザいウザいウザい、アンタの自己満足の正義感押し付けんな!」
「コラ、喧嘩は駄目って言った側から! リシェルもいちいち棘のある言葉言わないの!」
「いや、喧嘩のつもりは無かったんだが……ごめん」
「魔女が偉そうにリシェルちゃんに説教垂れないでくれる?」
「何でそんな言い方しか出来ないのよ……」
「……分かった。俺が突っ掛かって悪かったから。俺達を助けた目的を教えてくれ」
「フン。仕方ないなぁ……慈悲深いリシェルちゃんはちゃんと普通に聞いてくれたら答えるんだよ」
「コイツ……」
恐らくリシェルとは根本的に人間性が合わない。発言の一つ一つに怒りを覚えるが、今はそれを噛み殺して話を聞くことに徹する。
「リシェルちゃん、こんな身体でしょ? 生き残ってる小さい鬼土竜ちゃんも戦闘はまだ出来るほど強くないし――私が生きてる事は始めからバレてただろうから、ベルモンドなら私を逃さない様に逃走に使いそうなルートを徹底的に潰していくはずだよ」
「――何で、あの衝撃波を間近で受けて生きてんだお前」
「ベルモンドの衝撃波は風魔法の一つ。だから全開でリシェルちゃんの風魔法を身体に纒わせれば……まあ、少しは威力を相殺出来るの。ベルモンドは気付いてただろうけどさ」
「それと俺達を助けた事にどう関係があるんだよ」
「分かんないの? 単純な事なのに。アンタ達、ベルモンドに敵意を向けてるんでしょ? だから……私が逃走するまでベルモンドの目を引き付けて囮になって欲しいの」
「……は?」
助けた理由など絶対にろくでもない事だとは思っていたが、想定の斜め上にろくでもない理由だった。
自分が助かりたいから、ベルモンドと敵対するウルガーとニアを利用する。分かりやすく、悪人らしい思考回路だと感じた。
「心配せずとも、優しいリシェルちゃんはしっかりメリットも用意してる。嘘偽りなく、今回の作戦やベルモンドの弱点に関しての情報は渡してあげるよ。アンタ達は情報を手に入れて戦いやすくなるし、私は逃げやすくなるしアンタらならどうなっても私の心は痛まない……お互いに有益でしょ?」
「お前……本当に性格悪いな」
「流石の私もあんぐりとしちゃったわ」
「リシェルちゃんにどうでもいいと思われるアンタらが悪い」
最早言い返す事すら馬鹿馬鹿しく感じて、呆れた様に溜息をつく。
ここまで包み隠さず悪意を剥き出しにされるのは、却って裏が無く今の話に関しては信用出来ると言えなくも無いが……
「いや、やっぱり信用出来るなんて言いたくねぇ、こんな奴に」
「は? リシェルちゃんこそアンタに信用出来るとか言われたくないんですけど。同類の反吐が出る正義くんだと思われたくないし」
「だからいちいち突っ掛かるのやめなさいよ」
取り敢えず、リシェルの目的は分かった。人間としては信用出来ないが、恐らく裏は無いと思われる。
リシェルに言われなくとも、ウルガーは始めからベルモンドに再び挑むつもりだった。だから、情報をくれるならそれはありがたく頂戴しよう。
利用するのが目的なら、こっちもリシェルを利用し返すのだ。
「アイツがどう動くか分からないし……カミルさんや街の皆、マチルダさんも心配だ。オイ、早く知ってる事を全て吐け」
「は? 何様?」
「……知ってる情報を聞かせて欲しいんだが」
「アハッ。慈悲深いリシェルちゃんが教えてあげちゃうー」
「クッソ……!」
今にも噛みつきたい気持ちを抑え込み、情報を聞き出す事に集中しようとして――
その直後、背後から一つの足音が耳に届いた。
「――ッ! 誰だ!?」
「え?」
嫌な予感がして、咄嗟に背後を振り返る。横でその反応を見ていたニアも、何事かと同じ方向を振り返り――
ウルガーの嗅覚を、よく知る懐かしい匂いに似たニオイが刺激した。
「な……」
視線を向けた先に立っていたのは、先日一瞬だけすれ違った、白いローブを全身に纏い顔を隠した人物だった。
それを同じく見ていたリシェルは、歯を食いしばり――
「アーレ……! リシェルちゃんを、始末しに来たっての!?」
「――そんな所だね」
白いローブの、アーレと名を呼ばれた人物は一言だけ返しながら、顔を隠したフードを降ろして……その素顔を明らかにする。
フードの下から出てきたのは、二十代近いくらいの年齢の青年。水色の髪の毛を生やしていて――
「嘘、だろ……?」
髪の毛の色も背丈も顔の作りも違う。だが――目と、声と、ニオイは、ウルガーのよく知る人物と酷似していて。
そんな事は信じたくない、考えたくもない、嫌な想像が思考を、感情を、グチャグチャにしてしまいそうだ。
それでも、確認せずには居られなかった。
「お前、アラン……か?」
口から出たそれは、一年前死んだはずの、島での友人だった青年の名。
眼前に立つ白いローブの青年は無言で、ただこちらを見つめ返していた。
 




