十三話 反逆者
炎と銀閃と大量の血が飛び交い、猛獣の断末魔が一帯に響き渡った。マチルダと交戦していた鬼土竜はその巨体を地に伏せて、完全にその命を絶たれる。
マチルダは鬼土竜の巨体に両足を付け、傷と返り血で染まった顔を拭い、離れた場所で身を隠していた住民の少年の元へと駆けて行った。
先刻、覚醒した銀狼の脚で蹴り飛ばしたリシェルもまだ動く気配は無い――が、まだ街全体に大量発生した人喰い蟻が残っている。
「クッ……ソ、まだ、終わって……ねぇのに……!」
身体が鉛の様に重い。呼吸が苦しく、頭が鈍器で殴られているかの様に痛い。耳は段々と遠くの音を拾えなくなってきて、鼻からは血液が吹き出し視界はぼやけ始めた。口だけはまだ、かろうじて動かせる。
ここまで重い症状になるのは初めての事だった。一度銀狼の力を使い体力が切れた後、続け様に新たな力を引き出させた影響だろう。
しかし、まだ力尽きて倒れるわけにはいかない。ヒトの状態に戻った脚を、無理矢理動かそうと全力を込める。が、身体は全く言うことを聞いてくれなかった。
その痛ましい姿に見兼ねて、すぐ近くに居た少女が肩に手を置き止めに入ってくる。
「もう駄目よ、ウルガー……もう休んで……」
「こんな状況で、休んで……られっかよ」
「駄目って言ってるでしょ!」
「……っ」
制止に入った少女、ニアの今にも泣き出しそうな程に不安気な顔を見て、思考が少し冷静さを取り戻した。
こんな全身ボロボロの状態で無茶をしようとするのはかえって周囲に迷惑、他人の余計な心配事や仕事を増やすだけになるだろう。
不安ながらも冷静に叱ってくれた事に内心で感謝し、ニアと視線を合わせて。
「悪い……。――俺は、ここに放っておいていい。だから……」
ニアも複数の傷を負っているが、何とか立って動けるくらいには回復したらしい。だから、マチルダと協力して住民達の安全の確保を頼もうとした、その最中。
もう一つの、怒りに満ちた声が横から割って入って来る。
「ちょっとぉ……まだリシェルちゃんは、終わって無いんですけどぉ……?」
「な、に……ッ!」
リシェルは早くも意識が回復し、殺気を全身から放ちながらゆっくりと、歩いて近付いて来ていた。
呼吸は荒く、動きづらそうに足を進めている。相当のダメージは入ったのだろう。しかし、戦闘不能に追い込むにはまだ足りていなかった。
「テメェ、まだ……立てるのかよ……ッ!」
「アハッ。言っておくけど、こっちはもう……呼吸するだけで痛いんだからね。スライムちゃんに、鬼土竜ちゃんまで殺して、本当、やってくれるね……リシェルちゃん泣きそうだよ、マジで!」
勢い良く捲し立てながら全身に風魔法を纏わせ始めた。それを察したニアは庇うようにして再びウルガーの前に立ってその直後、リシェルの姿が消えた。
風の魔力で限界まで速さを上げたリシェルは、瞬き一つの間にニアのすぐ目の前まで接近していて――
大きな衝突音と共に、そこを中心として周囲に風が吹き荒れる。
「――!」
リシェルとニアの間に、もう一人の少女が割り込む。
駆け付けて来たマチルダが両手の剣を盾の様にしてニアを庇い、風を纏った一撃を防いだのだ。
「チィッ!」
右手に切傷を負ったリシェルはいったん後退し、再び魔力を高め始めた。
対するマチルダは二振りの剣を両手に握り、炎で纏わせながら、背後の二人へと指示を出す。
「ニアさんは、ウルガーさんと向こうにいる子供を連れて安全な所へ! 彼女の相手は私がします!」
「助かった……マチルダさん」
「その傷は大丈夫なの!? 血だらけよ!?」
「八割くらいは鬼土竜の返り血なのでお気になさらず!」
「お喋りしてる暇はないんですけどぉ!」
直後、リシェルが新たに風魔法を発動し、巨大な風の塊が放たれ三人を襲い掛かる。
マチルダは一度大きく息を吐き、二振りの剣に魔力の炎を纏わせ、地面を蹴った。そして両手の剣と剣を合わせ、それらを纏う炎が一本の鋭く長い槍の形へと変化する。
二振りの剣を覆う一本の炎の槍が、放たれた風の塊を迎え撃つ。
「魔法剣、一角!」
炎と風が衝突し、凄まじい音と共に互いの魔力が爆発し相殺された。
リシェルは舌打ちした後、再び両手に魔力を生成し始める。
「魔力の扱いも剣技も優れてるとか、厄介過ぎないアンタ?」
「厄介だという言葉はそっくりそのままお返ししたいですね!」
現在、ウルガーはニアに連れられながら住民の少年の近くへと向かっている。その様子をマチルダは横目で確認し、すぐに視線を目の前の敵へと戻していた。
「次でアンタのトドメを刺すから!」
「やってみてくださいよっ!」
リシェルが次なる攻撃に移ろうとして――リシェルとマチルダの、お互いの動きが唐突に止まった。
「……え?」
リシェルは違和感を感じた自分の左脚へと視線を移す。すると曲がってはいけない方向に脚が曲がり、血が溢れ、見るに耐えない惨状となっていたのだ。
「は? 何これ、何これ、ちょっと……ねぇっ!」
リシェルは本気で混乱し、目の前の敵の身に突然起きた惨状にマチルダも呆然としている。
あの雰囲気から察するに、敵の罠では無い。しかし、あの酷い破壊の仕方には見覚えがあった。ウルガーの記憶に蘇ってくる、忌まわしい光景――
思い出したくないモノが脳裏に蘇る最中、忌まわしい記憶の中の憎たらしい声が、この耳に届いてきた。
「この街は、私がお守りいたしましょう」
「――――は?」
幻聴ではない、幻覚でもない、反射的に視線を向けた先に居た人物、それは……紫色の髪と眼鏡の青年――この世で一番、憎い男。
「ベル、モンド……」
ウルガーがその名を口にしたのと、リシェルが怒りを込めた叫びを上げたのは同時の事だった。
「ちょっと、待ってよ! こんなの聞いてない! 話と違う! 説明してよ!」
何かを叫ぶリシェルに、青年――ベルモンドは柔らかい表情を崩さずに近寄って、顔を近づける。
「わ、私を殺すのは……演技だって……言ってたはずじゃっ」
何かを訴えようとするリシェルの耳に口を近づけて、ベルモンドは小さな声で囁いた。
「ごめんなさい、貴女は初めから殺す予定でした。だって、いずれ私達を裏切ろうと裏で企んでいたのでしょう? ねぇ、リシェル」
「――――」
何かを囁かれ、リシェルの顔から表情が消えて無言になった後、ベルモンドの手の平が彼女の胴体へと当てられる。
「街を襲った悪魔として死んでください、リシェル」
「――いつか、ぶっ殺してやるから」
恨み言を溢した後、リシェルの居た場所に強烈な衝撃波が発生して――その体は建造物の向こう側に並ぶ木々の奥まで飛ばされて行った。
あの男が、ずっと追い掛けていた男が、大事なものを破壊していった男が視界に入る場所に現れた。当時の怒りが再び湧き上がってきて、憎悪を口に出し叫び出しそうとした――その直後。
最初に怒りに声を震わせ叫びながらベルモンドに攻撃を仕掛けたのは、マチルダだった。
それは普段の自分が知るマチルダのものとは違う、憎悪と、闘争心の滲んだ瞳と音色で。
「ベルモンドォォォッ!!」
マチルダの両手の剣を激しい炎が覆い、殺意に満ちた一撃でベルモンドへと斬り掛かる。
「――あぁ、貴女でしたか。生きてたんですね」
大して興味もないといった声でベルモンドは視線を返した後、人差し指をマチルダへと向け、衝撃波を放つ。
マチルダは衝撃波の迫る軌道を読み、片手の炎を纏わせた剣で受け止め、爆発音と爆風が生じる。
「くぅ――!」
受け止めた結果彼女の剣が少し欠けヒビが入る。その光景は、ベルモンドの放つ衝撃波の驚異的な威力を物語っていた。
「良いんですか? 私に斬りかかって来て……せっかく街を助けに来たというのに」
「うるさい! お前の言葉など聞く耳持つかぁ!」
マチルダからは普段の言葉遣いが消え、明らかに冷静さを失っている。
衝撃波を一撃受け止めただけで剣はあの惨状だ。恐らく彼女でもベルモンドには勝てない。――今はベルモンドへの激しい憎悪を抑えて、マチルダを生存させるために冷静になるよう努め、声を張り上げた。
「マチルダさん、アンタじゃ勝てない! 今は退いてくれ!」
その言葉が届いた様で、マチルダはその足を止め目には冷静さが蘇ってくる。そのことにホッとしていると、次はベルモンドがこちらに気付いた様で、穏やかに笑みを浮かべながら語り掛けて来た。
「おやおや、君達も居たんですね」
ウルガーは黙って睨み返し、ニアは警戒心を剥き出しにしながら、青年へと言葉を返した。
「貴方が、あのベルモンドね……はじめまして。何をしにここへ来たの?」
「何をしに、とは……先程言いましたが。この街を救いに来たんですよ」
「ふざけないでよ!」
ベルモンドという名前だけはニアも知っていた。今まで多くの人を不幸にしてきた組織のNo.2である男が『街を救いに来た』など、ふざけているとしか思えない。
「テメェ、本当の事を言いやがれ」
痺れを切らしたウルガーも、ベルモンドを問い詰める。
すると青年は鼻で笑いながら、穏やかな表情を崩さずに再び口を開いて。
「街を救いに来た事がそんなに不満なんですか? 私はただ人々の為に動きたいだけ。貴方達は私を……どうするつもりなんですか?」
しらばっくれる様な物言いに、ウルガーもニアも抑えていた怒りが段々と込み上げて来る。
そこに追討ちを掛けるように、ベルモンドは穏やかに笑いながら、言葉を続け。
「私を、どうしたいんですか?」
ウルガーとニアは、その問い掛けに対し一斉に答える。
「テメェだけは、いつか俺が殺してやる!」
「とっ捕まえて色々と吐き出させたいに決まってるじゃないの!」
二人からの返答を聞き、ベルモンドは静かに笑みを浮かべて、周囲へと視線を移しながら、言った。
「皆さん聞きましたか? 彼等は、街を救いに来た私を殺そうとする極悪人……正義への反逆者です!」
「あ……?」
ウルガーは同じ様に周囲に視線を向ける――
するとそこには、建物の陰に隠れ顔を出し、こちらの様子をうかがう住民達の姿があった。