十一話 音速の一撃
正直言って意外だった。
戦闘は苦手だろうと思っていたニアが、自分の力を振り絞り、一撃を与えた――あの少女の実力を低く見積もっていた自分が恥ずかしくなってくる。
が、今は目の前の敵に意識を集中させるべきだろう。まだ戦いは終わってはいない。
リシェルが態勢を崩し、まだスライムは再生途中、今が好機だ。
「ニア、俺をスライムに向かって投げ飛ばしてくれ!」
「――! 分かったわ!」
スライムの溶解液により失った両足を見てニアは一瞬痛ましく申し訳無さ気な顔をしたが、すぐに思考を切り替えて『影糸』を使い、ウルガーの影を絡め捉えてその身体ごと投げ飛ばした。
「気を付けてね!」
「おうッ!」
銀色の体毛が生え渡った状態の狼の右腕に握り拳を作りながら、宙を移動していく。
対するスライムは体の再生がいったん止まる。次は攻撃に移るのであろう事を察して、五感を集中させる――視覚が、聴覚が、今まで違う動きを捕捉した。
直後、スライムはゼリー状の体の一部を長く伸ばし先端を鎌の形で硬質化させ、迎撃した。硬質化させた伸びる鎌は計三本、そのいずれもがウルガーへ向かい接近してくる。
「やらせないんだから!」
その内一発は、ニアが後方から発動した『影の鞭』で叩き落され地面に突き刺さる。二発目は銀狼の右腕で受け止め鎌が深く突き刺さる。
そして残る三発目はニアが影糸の動きを操作し頭部への直撃は免れたが、肩の表面を掠り薄皮を抉られ、皮膚の下の肉に火傷のような痛みが走った。三発目の鎌には溶解液も含まれていたらしい。
奥歯を噛んで痛みを堪え、勢いを緩めず、銀狼の右腕を大きく振り上げて――一気にスライムの核へと拳を叩き落とす。
「だあぁぁァッ!」
放たれた一撃の拳はスライムの赤い核を上から叩き潰し、地面と共に粉々に破壊し、粉砕した。
激しい一撃と同時にスライムの体に含まれていた溶解液により銀狼の右腕も再生せずドロドロに溶け、原型が無くなっていく。
やがてその下からは人間時の通常の右腕が現れ、全身から一気に力が抜けた。――時間切れだ。
力尽きた様に地面に伏した様子を見たニアはすぐに近くまで駆け寄って。
「ウルガー! もう休んで体も手当してもらった方がいいわ!」
「まだ、だ……まだ、あの女が……ッ!」
「……!」
近付いてくる足音が耳に入り、その方角へと視線を移した。
顔や手足に痣を作り、服も傷ついたリシェルが、怒りを宿した表情でゆっくりと歩いて来ている。
そしてニアがリシェルから庇うように咄嗟に地面に伏すウルガーの前に力強く立った。
リシェルは途中で立ち止まり、グチャグチャの液体へと変わり果てたスライムへ目を向けて。
「あーあ……スライムちゃん死んじゃった」
身体が動かない、だが、まだ戦う事をやめるわけにはいかない……ニアが一度諦めずに立ち向かったのだ。自分は諦めるなど、格好悪い選択などしたくはない。
ゆっくりと腕を動かしていき、溶けてドロドロになっている膝で、痛みを堪えながら無理矢理立とうとする。
動け、動け、今、動かなくて、どうする――!
「無理はやめなよ、痛いでしょ。後で殺して楽にしてあげるからさ」
リシェルの静かで冷たくなった声が耳に届いて、その次の瞬間。
先刻までリシェルの居た地点から彼女の姿は消え、瞬き一つの間にニアの目と鼻の先にまで移動していて。
「え――」
「魔女、君の事はもう甘く見ないよ」
そのまま目では負えぬ程の速さで、風の魔力の込められた拳を数発ニアの身体へ打ち込んでいく。
あまりの早業に、対応できない。痛みに表情を歪め、苦鳴を漏らしながら膝を崩し、その直後腹部へと一撃の蹴りを受け吹き飛ばされる。
「かはっ! ――ぁぐっ!」
「ニアーーッ!!」
そのままニアは地面を転がりながら、全身を襲う苦痛に倒れ込んだ。致命傷ではないが、あれを受け続けるのは危険だ。
早く助けに入らなければと必死に身体を動かそうとするが、力がほとんど入らない。心を焦燥感が支配していく。
動けない事がわかったのか、リシェルはウルガーの横を無視して素通りし、ニアへと狙いを定めたまま。
「風の魔力を身体に纏わせるだけなら、魔力を高める時間も要らない。君に魔法を使わせる時間はもう与えないよ」
「ゴホッ、ゴホッ! はぁっ、はぁ……!」
ニアは咳き込み、痛みに手を震わせながらも、ゆっくりと指先を動かす。それをリシェルは見逃さず再び超人的な速度で一気に接近し、動いた指を踏み潰し悲鳴が轟く。
「ああぁぁっ!」
「魔法は使わせないって言ったじゃん?」
「クソっ、オイ待て! もうニアは戦えない、やめろ! 戦えない奴をそれ以上痛めつけんじゃねえ!! もう攻撃する必要ねぇだろうが!!」
一方的に蹂躙される姿に激しい怒りを覚え、力の限りウルガーは叫ぶ。
だがリシェルは心外と言わんばかりの呆れた様な顔で振り返り。
「あのさあ、リシェルちゃんに嗜虐趣味があるみたいな言い方やめてくれない? 魔女の魔法は何してくるかわかんないから慎重に攻めてるだけ。さっきも油断して一撃貰っちゃったし」
そう言いながら次は魔力の込められた足をもう片方の手の上に乗せて、再び踏み潰そうと構える。
無抵抗になった人間が蹂躙される姿など、見ていられない。怒りが、相手への……何も出来ないで居る自分への怒りが、激しい感情が、止まらない。
そして脳裏に蘇るあの記憶――目の前で惨殺されていった島民達、親しくしていた者――愛していた者。
このままではニアは殺される。何も出来ずに、目の前で、また誰かが殺される。そんなものはもう見たくない。認めない。許せない。
まだ諦めるな。諦めるな。立て、立て、立て――――ッ!!
「オオオォォォォーーッ!!」
空気を震わせる程の咆哮と共に、魂の奥底から新たな力の沸き起こるのを感じた。
体温が上昇し、全身を激しく血が巡り、感情を怒りと闘争心が支配していく。
その異様な気配にリシェルはニアへの攻撃を中断し、背後を振り返る。
「な……、何あれ」
溶解液により溶けて無くなっていた両足から、新たな二本の足が生えてくる。更に足全体を銀色の体毛が覆っていき、大きな狼の足へと変貌を遂げた。
「これ以上やらせるかよーー!!」
新たに生えてきた銀狼の足で地面を蹴り、音速の域に達する速度で刹那の間に距離を詰める。
その激しい闘志にリシェルは反射的に迎撃態勢を取ろうとしたが――間に合わない。
「喰らいやがれぇッ!」
放たれた音速の回し蹴りに対応する暇も無く、それはリシェルの横腹を直撃し容赦の無い一撃が襲い掛かる。
悲鳴をあげる事も出来ぬままリシェルは建造物の壁に叩きつけられた。
「ハァぁッ、ハァ……! ……ニア……」
リシェルが動けない程のダメージを受けた事を確認し、ニアの怪我の様子を確かめる。
負傷は大きいが、命に別状はないし、意識もあった。彼女はゆっくりと顔を動かし、視線を合わせ。
「う、ウル、ガー……ありがとう……」
ニアは全身の痛みを堪えながら、出来る限りの笑顔を作り、そう伝えた。