十話 まだ諦めない
街の大通りの整備されていた地面は次々と傷が付き、抉れ、立ち並ぶ樹木は幹や枝を折られ、風に吹かれながら葉が空中を舞う。
「さあ、死んじゃいなよっ!」
有角人種の亜人リシェルは魔力による風を起こし、刃の形に変えて幾度となくウルガーに向けて放ち頬に掠れ出血した。
「チッ――!」
風魔法による目に見えない攻撃の数々は厄介だ。それだけに意識を集中出来ればまだマシなのだが、姿の見えなくなったスライムの気配にも気を配らなければならない。
一方、リシェルは笑顔を凶悪に歪めながら再び両手に風の魔力を生成し始める。
「もういっぱぁぁつ!」
先刻までの攻撃の数々より更に大きくした風の魔力の塊を手の中に生成し、両手を眼前の敵対者へと向けた――その時。
「やらせないんだから!」
突如、リシェルの真後ろからニアが現れた。
――否、他者からの認識を阻害し気配を消す闇魔法の一つ、『黒い霧』で自らを覆い背後に周っていたいたのだ。
ニアはリシェルの背中に全力で飛び付き、自分の体諸共に地面の上へと押し倒した。そのすぐ後、更に闇魔法『影縫い』でリシェルの影を拘束し動きを止める。
危ない事をしないでほしいという気持ちもあったが、助かったのは事実。この状況なら相手もスライムを呼び出さなくてならなくなるはずだ。
「今よ、ウルガー!」
「よくやった、ニア!」
恐らくニアの力ではリシェルの身体を抑えられるのは一瞬だけだ、即座に地面を強く蹴り駆け抜けて一気にリシェルとの距離を詰めていく。
状況に危機感を抱いたリシェルは一度舌打ちした後。
「あー、もう! スライムちゃーん!」
拗ねた様な呼び声による合図と共に、隣に立っていた建造物の二階からスライムが、ゼリー状の身体でガラスに体当りし突き破りながら落ちてきた。
位置はウルガーの頭上、そして嗅覚が微かにニオイを捉えた。
鼻に突き刺さる様な刺激臭……スライムが体内から分泌する『溶解液』のニオイと同じものだ。
次の瞬間、スライムのゼリー状の身体から一滴の大粒な液体が地面に向かって落ちる。
「――ッ!」
危険を察知し、地面を蹴りながらその場を離れる。その直後、落ちた体液は一気に地面を溶かしそこには拳一つ分の大きさの穴が空いていた。
「ッぶねぇな!」
こんなものを脳天に食らっていたら抵抗する暇も無く即死だったろうとゾッとする。
ニアも心配だ、と即座に視線を向ければ、その少女の身体がすぐ目の前まで飛ばされて来ていた。
「わブッ!」
「きゃわぁっ!」
ニアの身体を胸と両腕で受け止め、何とか止める事に成功した。すぐさま彼女に怪我が無いかを確認し
「怪我は、大丈夫みたいだな」
「えぇ、風で飛ばされちゃっただけだから……!」
ニアの無事を確認し、即座に視線を切り替えリシェルとスライムの次なる行動を警戒する。
それと時を同じくして、周囲の空気が揺れリシェルの両手の平へと魔力を帯びた風が収束して行き。
「お喋りしてる暇はないよー!」
「――ッ!」
正面からは風魔法の塊、横からは液体状へとスライムが素早い動きで地面を這いながら迫って来る。
どちらを優先的に対処するか、答えを出す前にニアが動いた。
「ウルガー、スライムは私が止めるわ!」
「溶解液には気をつけろよ!」
「うん!」
自らの足元から影の糸を伸ばし、スライムの影を捉えその動きを止める。どうやらアレにも『影縫い』は効くらしい。だが、スライムの力が強いのかニアの顔は少し苦しげだ。
しかし他人の事ばかり気にしていられる余裕も無い。正面から迫る、リシェルから放たれた風魔法の塊――回避すればニアにも当たりかねない。
「なら、こうだッ!」
自分の魂の奥底で眠る存在――銀狼の力の一端へと触れる。
直後ウルガーの右腕に肩から指先に掛け銀色の毛が生え渡り、筋肉が何倍にも膨張し、鋭く太い爪の伸びた狼の腕へと変貌を遂げる。
そして、銀の狼と化した右腕に握り拳を作り、振りかぶって、その一撃を風魔法の塊へとぶつけ風を周囲に散らし破壊した。
「アハッ、何それスゴッ! ねぇ、君のそれなになに?」
リシェルは興味津々にこの腕を眺めているが、相手にしている暇など無い。相手からの質問を無視し、そのまま狼の拳を叩きつけるべく接近して――
「スライムちゃん! 爆ぜろ!」
「!?」
その時リシェルがスライムに出した命令――『爆ぜろ』の言葉を耳にし、嫌な想像が脳裏を過ぎった。直ぐにニアの立つ方へと振り返って。
「ニア、そっから離れろ! どこでもいいから隠れるんだ! マチルダさんも……」
「え――」
「もう遅いよ」
ニアは言われた通り逃げようとしたが、間に合わない。そう判断したウルガーは地面を強く蹴り背後へと引き返す。
その直後、スライムの身体が一気に膨れ上がり――音を立てながら盛大に弾けた。
「――――ッ!」
スライムの体を形成していた液体状の物質が四方八方に飛び散り、あの鼻につく刺激臭もそこら中に飛んでいく。
建造物の壁、植木、道、街を構成する様々な箇所にその液体はぶつかり、触れた部位を一瞬で溶かして行った。
「く……グゥ……ッ」
咄嗟に動きニアを腕で抱き締め、地面に伏せさせながら飛び散る溶解液を避け、彼女の身を守る事には成功した。
マチルダの戦場は離れていた為、幸いにも向こうまでは飛んでいない。
背後を振り返れば、体を再生途中の赤い核を露出させたスライムの姿と、無傷のリシェルがそこに立っていた。
スライムにトドメを刺すなら核が露出している今が好機だ、早く立ち上がり反撃して……立ち……
「ウル、ガー……ごめん、なさい……」
「あ……?」
ニアの顔を見れば、彼女の目からは涙が零れていた。絶望した様な表情で、申し訳無さそうに、声を震わせながら謝罪して。
ニアは視線を動かし、ウルガーの足がある場所へと向けながら
「足、足が……! ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいで……っ!」
「足?」
両足が、動かそうとしても動かなかった。異変を感じ、咄嗟に自分の両足へと目を動かして、目を疑った。
「ぅ……」
ウルガーの両足の膝から下が、無くなっていた。スライムの溶解液によって溶かされていたのだ。それに気が付いた次の瞬間、激しい熱と痛みが両足から全身へと掛けて襲い掛かる。
「ぐぅぅあぁッ!?」
「ウルガー!」
まずい、これはまずい、足が無ければ動けない、ろくに戦えない、どうする、どうする、どうすればいい――!
「あ〜あ、痛いよね? 苦しいよね? 別に他人が苦しんでるとこを眺める趣味はリシェルちゃんに無いし、さっさと楽にさせてあげるよ」
リシェルはそう言いながら風の刃を生成し始め――足が立てない立てないウルガーを、今度はニアが庇うように前に立ち眼前の敵を睨みつけた。
「やらせないわよ! 私が、一人でも、相手してやるんだから!」
「や、やめろ……無理だ……!」
「じゃあ、どうするのよ! 私だけ逃げるなんて嫌よ、助けられて、ウルガーがこんなになってて、庇われてばっかりなんて嫌!」
「……ニア……」
二人の様子とやり取りを見ながらリシェルは静かに溜め息をつき、ニアへと視線を向け冷たく言い放つ。
「ねぇ、赤い髪の君さぁ、魔女でしょ? 私、魔女って嫌いなんだよね……あんたらのせいで私がどんな目にあって来たか」
「……魔女の、せいで? どういうこと? 何かされたってなら、代わりに謝るわ……貴女にも街の人達に謝って欲しいけれど」
「まあ、直接何かされたわけじゃないんだけど……風評被害っていうの? うちの種族は女だけに特別な力があってさ、思いっきりそのせいで魔女扱いされて迫害受けてきたわけ」
「……それは同情するけれど、私が謝るのは違う気がするわ」
「ま、そうだよね。ただの一方的な憎しみだもん。アハッ」
リシェルはそう言いながら、右手に風の刃を生成し始める。
数秒後には、ニアへと容赦の無い一撃が放たれるだろう。
「これで死んじゃいなよ、魔女」
「ニア……ッ! 俺はいい、逃げろ!」
「嫌っ!」
ニアは頑なに離れようとしない。避ければ、ウルガーに風の刃が当たるからだ。腕だけでも身体を動かそうと地面に両手を付いた時、ニアが静かに呟いた。
「私はまだ諦めない……私を信じて」
その次の瞬間、リシェルの右手から風の刃が放たれ――その動きが止まった。
「影縫い」
「もう! 小賢しい真似っ!」
魔法を放とうとリシェルの右手は、影縫いで止められていた。しかし、リシェル相手では数秒の足止めが限界だろう。
「こんな弱い魔法でリシェルちゃんは止められないよぉ!」
リシェルの声と同時に、ニアが右手の指先を前に向け構える。そして、先刻まで一切感じなかった魔力の気配が彼女の指先に収束しており、そこには小さな黒い魔力の弾丸が完成していた。
「うそぉっ!?」
「当たってー!」
ニアの指先から黒い弾丸が放たれ、それはリシェルの腹部へと直撃し、闇の魔力が爆発する。
「あぁぁ――っ!?」
その威力にリシェルは身体を吹き飛ばされ地面の上を転がって行った。
――――リシェルと会話している間に伸ばした影糸による『影縫い』と、魔力の弾丸の生成。そのどちらも普通に使えば簡単に見抜かれてしまっていただろう。
そして魔法を二つ以上同時に発動させる事も、今まで苦手で出来なかった。
だが今回ニアは、気配を消す『黒い霧』で影糸と弾丸を覆い二つの魔力を消すという、土壇場での賭けに出た。
「成功したわ、魔法同時発動……!」