九話 暴力の天才
マチルダは血と暴力の世界に生きていた。
彼女の生まれは、山脈に囲まれた中に存在する小さな国の貧困なスラム街。
その国を統治する政府の人間は自分達の利益しか考えておらず、その中でも特に劣悪な地域でマチルダは育った。
街の中はろくに整備もされておらず、毎日の様にそこかしこで暴力、強盗、殺人などの犯罪が起き、街を歩けば死体が道端に転がっている事は珍しく無い。知り合いが突然次の日には死体になっている事もあった。
マチルダは、体を売り日銭を稼いでいた母との二人暮らしで、食べるものが無く虫や雑草を食べてしのぐ日も多かった。
この街では、力のあるものが絶対だ。
母は力のある男達に気に入られる様に振る舞う事で娘との生活を何とか守って来たが、マチルダにはそんな才能も無ければやり方も分からなかった。ただ一つだけ、生まれつき頑丈な肉体と身体能力に関しては自信があった。
そして12歳になった年、その事件は起こる。
ボロボロで屋根もない住処に戻ると、壁や床に血が散乱し……床には血塗れの母が倒れ死んでいた。
娘の身体を売れとしつこく迫られ、断り続けた母が相手から怒りを買い殺されたのだ。
周囲からは十人の男が捕らえようと一斉に迫ってくる。
――頭が真っ白になった。その日、生まれて初めて涙を流し……母から護身用として貰っていた短剣を抜き手に取る。そして
屋内に響き渡る複数の非鳴、断末魔、飛び交う血飛沫。それは一瞬の出来事だった。
一分も経たぬ内に、マチルダの足元には十人の男の死体が転がっていた。
「――――」
母が死んだ。これからは、一人で生きていかなければならない。これからどう生きていけばいいのか……考えていると、男達の仲間が集団で現れた。
彼等は恐れる様な目でこちらを見ていた。――自分に出来る生き方は多分これしかない。力を持つ男を更に上から圧倒できる強さを持てばいいのだ。
その日から少女マチルダは、荒くれ者達の一部を暴力で従えさせ、一つのグループのボスに君臨した。
その日からはただ血と闘争の中に生きた。スラム街や、国内の様々な犯罪グループと抗争し、その毎日は血に塗れ、心はますます荒んで行く。
それでも、「子供を泣かせない」「一般市民には手を出さない」という思想だけは徹底し、決まりを破る人間には制裁を加えていった。
……そしてある日、『ベルモンド』と名乗る優しげな表情をした青年から協力を申し込まれた。
マチルダは長年悪意の蔓延する中で生きてきたし、生きていく術として本来の性格を隠し明るい人を演じる事もあった。だから一瞬で勘付いてしまう。
『ベルモンド』と名乗った青年は表面上を偽り、腹の中ではドス黒いものが渦巻いているのだと。
だから考える事も無く、その即座に申し出を切り捨てた。が……
――それが二回目の、自分の大事なものを失った瞬間だった。
ベルモンドは断られた瞬間に目の色を変え、冷酷な殺意を向けたその直後、その場には凄惨な殺戮が繰り広げられる。
多く居た部下が次々と頭を潰されながら死に、ボスであるマチルダの身を守ろうとした多くの者が死んでいった。
ずっと、部下のほとんどの事は嫌いだったし、自分も嫌われていると思っていた。
頭が悪く、暴力で解決するしか能が無く、平気で人も殺せる。力で上から抑えつけていなければ何をしでかすか分からない。
中には気に入った人間も居たが、大半の者の事は正直見下していた。
だがそんな者達が、自ら身を犠牲にし、マチルダを守ろうと必死になっている。
何年ぶりだっただろうか――その目にはまた、涙が浮かび上がっていた。そのまま声にならない叫び声を上げて、ベルモンドに飛び掛かり
「アアアァァァ――――ッ!!」
その刃は通ることが無く……急所への直撃は防いだものの、身体中の骨を粉々に粉砕され意識を失った。
――――昔の事を思い出していた。
祖父と初めて出会い、普通の人生を送ろうと誓った時よりも、前の事を。
思い出した原因は痛みだ。右の肩から腕にかけて突き刺された数本の鋭い爪による激痛……あのとき、腕を粉砕してきた『ベルモンド』の姿が脳裏を過ぎった。
背後では少年が、怯えた顔で、声を上げる事も出来ず、全身を震わせながら尻を付いている。
痛みは意識しなければなんとかなる。口から出血しているが、衝撃で自分で噛んでしまっただけだ、問題ない。
左手と足で『鬼土竜』の身体を受け止めながら、後ろを振り返り、優しい笑顔を作って
「大丈夫です、泣かないでください! 私が全力で守りますからね!」
「お、お姉ちゃん……っ」
この喋り方は昔、部下に居た女から真似たものだ。最後はマチルダを庇い死んでしまった部下の一人。……彼女ともう少し、話をすれば良かったと思う。
全てを失った後に出会った祖父と誓った、もう暗い場所では生きないと。明るい場所で、弱き者を守る為に……生きていくのだと。
「ッだあぁぁぁ――っ!!」
鬼土竜を全力で蹴り付け、その場から無理矢理に引き剥がす。しかし、モグラはすぐに爪を地面に引っ掛け二メートル程離れた位置で体を静止させ、再び爪と牙を剥き出しにしながら襲い掛かって来た。
「タァぁッ!」
鬼土竜の振りかざす爪を、身体を捻らせながら最低限の動きで回避していく。そして瞬く間に懐まで接近し
「中から焼けちまえ!!」
鬼土竜の左目に火を纏わせた一振りの剣を突き刺し、その切っ先から一気に魔力の炎を爆発させた。
「――――――ッッッ!?」
目を貫かれ、内側から炎で焼かれる苦痛に鬼土竜は大きな悲鳴を上げ暴れながら後退し、怒りの色を滲ませた残った右目を向けて来る。
マチルダは呼吸を整え深く息を吐き、向けられたその目に視線を合わせて。
「失礼。先刻ちょっと口が汚かったですね」
口の中の血を吐き出しながらそう言い、再び剣を構えた。




