十五話 混沌の声
月明かりに照らされている森の中。
首を狙い振り上げた騎士剣が切っ先で受け止められ、それを打ち払われた直後すぐに反撃の剣閃が心臓を目掛けて飛んで来る。
瞬時に腕を引き、刺突を剣身で受け止めて勢い良く打ち返した。
常人では目で追えぬ速度の銀閃が飛び交い、刃と刃とがぶつかり合う音が森の中に響き渡っていく。
剣閃をぶつけ合う二人の男は、地面を蹴って距離を取りお互いに相手の出方を窺っていた。
軍服に金髪の男フレデリックには、二箇所程度の浅い傷しか付いておらず、表情にはまだ余裕がある。
一方、黒髪の青年テッドは身体中の至る所に十箇所近い切創が刻み込まれていた。
浅い傷で済み、致命傷にはならない様に敵の剣を抑え流してはいるが、このまま同じ様に続けるだけではやがて押し負けてしまうだろう。
初めから分かっていた事ではある、眼前に立つ敵はかつて騎士団長として活躍していた男。その剣技も強さも嫌という程に間近で見てきた。
テッドとフレデリックとでは、実力差があまりに違うのだ。
しかし、それでも立ち向かわなければならない。テッドは呼吸を整え、態勢を正して、騎士剣をフレデリックに向けて突き付ける。
その様子にフレデリックは唇を緩めながら呟く。
「テッド、私はお前を昔から気に入っていた。自分よりも遥かに高い実力を持つ相手にも、真っ向から挑もうとするその意志の強さを」
「そうですか、それは光栄です」
テッドは思考を巡らせる、どうすればあの男に勝てるのか。フレデリックは強い、今の自分では、剣技のぶつかり合いでは勝てない。
せめて、撤退に追い込む事さえ出来れば――
「だが、俺も暇では無い。そろそろ決着をつけるとしよう」
考えがまとまる前に、フレデリックが剣を構え動き始める。
一瞬でも気を抜けば瞬く間に急所を貫かれて死ぬだろう、動きながらでも勝ち筋を探せ。
「来い、フレデリック!」
次の瞬間その場では再び剣戟が開始され、刃のぶつかり合う金属音が響き、激しい火花が舞い散っていた。
――時を同じくして、ウルガーは怒り狂う漆黒の異形と向かい合い、銀狼の右腕を呼び起こしていた。
少年の右腕の突然の変化に、背後で魔力を高めていたニアが驚愕の声を発する。
「え、何それ!? 獣の腕……よね?」
「無駄口叩いてる暇はねぇ。また援護は頼んだぞ」
「それはそうよね、援護は任せて!」
本当ならば時間を掛けて作戦を練りたい所だが、現状がそれを許してはくれない。
狼と化した右腕の圧倒的な力で、敵の鎧ごと胸の弱点らしき部分を叩き潰して破壊する。それしかない。
「シニナサイ! クサイ! ブッコロシテヤル! イタイイタイイタイヤメロ!!」
漆黒の異形は醜悪な悪臭を発し、支離滅裂な叫び声を上げながら、二十本近くの黒い触手を一斉に伸ばして来た。
「影の鞭、倍っ!」
背後のニアが叫んだと同時、先刻までは多くても二本だった影の鞭を四本に増やして、相手の触手を受け止める様に伸びて迎撃する。
彼女の顔には疲労の色が見え、無理をして影を増やしているのだろう事が察せられた。
ウルガーは銀狼の右腕で残る黒い触手を力任せに叩き潰し、鋭く太い爪で切り裂きながら、真っ直ぐに前進して行く。
そのまま懐まで接近し、相手の胸の位置に視線を突き付けながら狼の拳を強く握り締め――
「――っぁぐ!」
その時、右腕と左肩に鋭いものが突き刺さる感覚が通る。
それは、漆黒の異形の両手から突然伸びて放たれた二本の黒く鋭い槍だった。
「キャハハッ! チガデテルヨォ、チ、チダァ!」
突き刺さり出血する姿を見て、愉しげに笑っている。
歯を食いしばり痛みを堪え、ウルガーは銀狼と右腕に精一杯の力を込め、勢い任せに動かした。
「ウオオォォォッ!!」
苦痛に脂汗を滲ませて、咆哮し、自ら肉を引き裂きながら、右腕を槍から引き剥がす。凄まじい出血だがまだ腕は繋がっている、このまま攻撃の手を緩めはしない。
瞬間、背後から迫る複数の黒い触手の気配――それを横から割り込んだ別の気配が捕らえ動きを止めていた。
ニアが、影を操り触手を止めてくれている。この機を逃さない。
再び前方から襲い掛かる黒い二本の槍の内一本を身体を捻りながら避けるが、もう一本の槍は回避に間に合わず横腹に刺さり貫通する。
「アアアァァァッ!!」
咆哮し、激痛を堪えながら、右腕を止めずにそのまま眼前の漆黒の異形の弱点である胸部を狙い、真っ直ぐ拳を打ち込んだ。
銀狼の拳による圧倒的な破壊力で、漆黒の鎧は粉砕され下の肉体が露出し、心臓のある位置に埋め込まれて外側に露出している黒い石――人工魔晶石が見えた。
その右腕は鎧を打ち砕くと共に、人工魔晶石をも拳で叩き潰す。黒い石の破片が宙に舞いながら、漆黒の異形は殴り飛ばされ背後の大木の幹へと激突した。
「アッ、アッ、アァァァ! イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイイイイイイイイッ!!」
「――ッ!」
苦しみ叫ぶ漆黒の異形は、まだその活動を停止させていない。胸の人工魔晶石を見てみれば、ヒビが入り石の表面が陥没し欠けた部位もあるが……完全には破壊されていなかった。
「もう……一発、やらねぇと……!」
右腕の傷は少しずつ再生しているが、肩と横腹に受けた傷は今もなお激痛が走り、出血もしている。
次で決めなければならない、と足に再び力を込めた直後。
「シニタクナイ、マダシニタクナイワ! オレハニゲル!」
「なっ……!」
漆黒の異形は、黒い触手を引っ込めてその場から逃げようと高く跳躍した。
今の身体で、追い掛けるのは厳しい、マズイ、逃がしたら駄目だ、あんな怪物を逃がすのは駄目だ、また、被害者が出て……
「逃さないわよ」
背後から少女の声が聞こえた。そしてその次の瞬間、跳躍し森の中へと逃げ込もうとした漆黒の異形の身体は何かに引っ張られる様にして元の場所に引き戻され、地面に落ちる。
「グギッ、ギィッ!?」
「影縫い。そこで止まってなさい!」
ニアが相手の影を引っ張り動きを止めさせてくれていた。また、彼女に助けられた。
「ありがとう!」
「うん、やっちゃいなさい、ウルガー!」
地面を蹴り一気に距離を詰める。迎撃として放たれる黒い触手を引き千切り、打ち払い、右腕に残る力を全て込めて――次こそは、完全に破壊する。
「トドメだあぁぁーーッ!!」
叫びと共に、露出した人工魔晶石へと銀狼の拳を叩き付けた。衝撃と共に盛大にヒビ割れ、魔晶石は音を立てながら粉々に砕かれる。
そして、そのまま数メートル先まで殴り飛ばした。
人工魔晶石を粉砕された漆黒の異形は全身を震わせながら動きを停止させ、全身の鎧が泥の様に溶け、肉体がボロボロと崩れ去り、目と鼻と口から血を垂れ流しながら、残る力を振り絞る様にして叫ぶ。
「イヤヨ、マダシニタクナイ! セカイヲコワス、コノセカイガニクイ! イヤアァァ、オトーサン、オカーサンヤメテェェッ! マダ、コロシタリネーヨォッ! ワ、たしが……世界を、支配してぇ……!」
漆黒の異形は断末魔を上げながら、全身を灰の様に変え消滅していった。
「……生物のしていい死に方じゃ、ねぇな……」
その光景にウルガーは、ただそれだけ呟いていた。