十一話 悲鳴
薄暗い洞窟。響き渡る悲鳴、断末魔、飛び交う血飛沫。赤く染まる景色。眼鏡に紫髪の男、ベルモンドの悪意が無い笑み。笑顔の消えた島の住民達。
何度も見た悪夢。何度見てもそれは、脳を、精神を、心を、グチャグチャに擦り潰そうとしてくる。
大事な幼馴染の、家族の、友人の、島の皆の名を叫ぶ。だがそれはどこにも届く事は無く、ただ闇の中に消えて溶けていく。
――その時微かに、どこからか小さな熱を感じた。優しさを、慈愛を感じる、小さな熱だった。
勿論、それだけでこの悪夢が終わるわけでも消え去るわけでも無い。
それでもそれは、どこか温かく感じられた。
ケイトの、祖母の、島の皆の、平和だった頃の姿が思い返されて行く。少年は拳を強く握り締め、再び誓う。
敵を打ち砕き、奪われた魂を、必ず取り返すと。
「――――ぅ」
緩やかに意識が覚醒していき、ウルガーは目を覚ます。ベッドが汗に濡れている、悪夢を見たあとはいつもこうだ。
それでも今日は、目覚め方は普段より比較的マシだったが。
夢から意識を切り替える為、両手の平で自分の頬を一発叩く。すると、匂いに気付いた。
「ん……これ。ニアの匂い、か?」
自分の右手に付いた匂いを嗅いでみればそれはあの赤髪の少女ニアから感じた匂いと一致した。
更にベッドの下からも同じ匂いが微かにした為、そこへ視線を向ける。すると、床には一本の長く赤い髪の毛が落ちていた。
そして、夢の中で感じた小さな熱を思い出す。
「――俺がうなされていたのに気が付いて、手ぇ握ってくれてたのか?」
わざわざここまで肩を支えて送ってくれる様なお人好しだ、恐らくうなされているのを聞いて心配したのだろうと察した。
ふと時計に視線を向ければ、時刻はもう夕方を過ぎていた。そろそろレオンが帰って来る時間だろう。
ベッドから立ち上がり、先ずは汗を洗い流す為に入浴部屋まで向かう。
部屋を出れば台所の方角から食材を煮込む匂いが漂って来る。これはレオンの好きな料理の匂いだ。
危険な仕事に出ていたのがよっぽど心配だったのだろう、などと思考を巡らせながら入浴部屋の扉を開ける。
――すると、既にそこに居たニアと視線が合い、更に彼女は衣服を身に着けていない下着姿でそこに佇んでいた。
そして少女の顔面は一気に真っ赤に染まる。
一瞬、頭に理解が追い付かず思考停止していると、悲鳴と共に投げられた桶が顔面にぶつかり視界が真っ暗になる。
「キャアーッ! ばかっ、痴漢ー!」
「悪い! わざとじゃねえんだっ!」
頭に桶を被ったままウルガーは急いで入浴部屋の扉を閉めその場から離れようとすると、今度は横から肩を叩かれ止められた。
その方向へ目を向ければ、そこには黒髪の青年テッドが居り、哀れむ様な視線でこちらを見て。
「若い男子なら、女性に対し興味が湧くのは分かりますが……それはいけませんよ、ウルガー君? あと私が許しません」
「いや、わざとじゃねえんだってば!」
突然の出来事に頭が混乱しかけて居ると、猫の耳と尾を生やした亜人のミリーも、悲鳴を聞きその場へ駆け付けて来ていた。
ミリーは困ったような顔をしながら
「ウ、ウルガーくん……そういうのは、良くないと思う」
「だから違うんだって……!」
自分の失態に顔を赤くしながらその場にうずくまる。まさかニアが先に入浴部屋に居たとは、というかまだこの二人組が家に居た事が予想外であった。
「まさかアンタ達がまだこの家に居るとは思わなかった」
「君が疲れて寝た後も、ニア様とミリー嬢が話している間にすっかり意気投合した様子でして」
「それで、今日はニアちゃんもテッドさんも一日ここで泊まる事になったの」
「そうだったのか……迂闊だった」
その時、入浴部屋の扉の開く音が聞こえる。ばつが悪そうにそちらへ視線を向ければ、ニアが不安気な表情で恐る恐る顔を覗かせこちらを見ていた。
ウルガーは自分の頭に被さった桶を取りながら、彼女に対し先刻の非礼を詫びる。
「さっきは、本当にすまん」
「それは……わざとじゃないみたいだから、もう別にいいのよ。けど」
「けど?」
その後、ニアはばつの悪そうな表情をして数秒後、申し訳無さそうに口を開き。
「人の家の桶を投げてごめんなさい」
「それで不安気な顔してたのかよ!?」
「だってそんなの行儀悪いじゃない!」
更に怒られるかと思いきや、想定外の謝罪発言にウルガーは呆気に取られるしか無かったのであった。
その場も何とか丸く収まった所で、ウルガーは入浴部屋で全身を洗い流し、台所と繋がった居間へと出る。
ミリーはニアと楽しげに会話しながら、料理の仕方を彼女に丁寧に教えていた。
居間の床ではテッドが座り、愛用の騎士剣を丁寧に磨き手入れしている。
その隣にある木製の椅子に座り、剣の手入れをする青年へと声を掛けた。
「相当大事に使ってんだな、アンタの剣」
「えぇ。軍に属していた頃からずっと共に戦ってきた、私の友人とも言える剣ですから」
「友人ねぇ」
青年の目から、その剣を本当に大事にしている事がうかがえた。
そういえばレオンも、テッドが元軍人だった事は言っていた。何故、今はこうしてあの少女と共に旅しているのかは知らないが。
「――それにしても、少し遅いな。レオンのオッサン」
「そうですね」
外はもう真っ暗で、窓の向こうには輝く月が見える。もう、夜が更けてくる時間帯だ。
――その時、窓の向こう……外の林道の方角から、馬車の走って来る音が聞こえた。
これは仲介人であるカミルの馬車の音だ。
「……帰って来たみたいだな」
ミリーも優れた亜人の聴覚でその音に気が付いたらしく、窓のある方向を向きながら安堵の表情を浮かべていた。
そしていったん料理の手を止めて。
「お父さんをお迎えに行って来るわね」
「良かったわね、ミリーさん。ちゃんと帰って来てくれて」
「俺も行くよ」
ニアとテッドを部屋に残して、ウルガーとミリーの二人は家の玄関前へと出る。
そして、仕事から帰って来たレオンを迎えようと――
「大変です、ミリーお嬢さん! ウルガー!」
――が、馬車を操る緑髪の青年、カミルの顔は今にも泣き出しそうな絶望に染まった顔で、悲鳴の様な声を上げていた。
その顔を見て、只事では無いとすぐに察した。レオンの身に何かが起きたのだと。
そして青年は、必死の形相で言葉を続ける。
「レオンさんが重傷です、早く治療を! そして、ボスと名乗っていた男がもうすぐ――この町まで襲撃に来ます!」