六話 駆けつける者
顔面への直撃を受け倒れた女を見下ろし、気を失っている事を確認して、前腕と横腹の痛みを堪えながら拘束されているエルフの少年の元へと向かい歩いて行く。
早く傷口を止血したいが、先ずはあの少年の拘束を解いてやってからだ。
亜人の血が流れているからか身体はやけに頑丈で傷の治りも人より早いから、少し放置するくらいなら問題ない。
一方、エルフの少年は長時間あの目も口も塞がれ手足も動かせない状態で恐怖しているに違いないから……一刻も早く助けてやりたかった。
「大丈夫、か……?」
先ずは少年の目と口をそれぞれ覆う布を外してやる。彼はゆっくりと瞼を開き、緑色の双眸と目が合った。
中性的な顔立ちの少年で、外見年齢はウルガーより二歳下程度だろうか。
続いて手足の拘束を解いてやり、少年は安心した様に全身の力が抜け、しかしどこか不安気な目で、感謝の言葉を口にする。
「あ、ありがとう、ございます……助けに来てくれたん、ですよね……?」
「あぁ。どこにも怪我も無いか?」
「はい。僕は、商品……として扱われていたので、身体に傷はつかないようにされていて……全然嬉しく無いですけど……」
「そりゃあ、そうだろうな……オイ、顔色悪いし何かゲッソリしてねぇか? 大丈夫かよ?」
「魔力を抑える薬品を注射されていたのと……回復が遅れる様に、食事をあまり摂らせて貰えなかったからだと思います……」
「マジかよ。クソ共が……ッ」
どうやら拘束されていただけでなく、魔法を使えなくする為の薬を投与されたり、満足に食事を摂らせて貰えなかったらしい。
非人道的な仕打ちに強い怒りが込み上げてもう一度一人ずつ殴りたい衝動に駆られるが、自分は仕事で来たのだと何とか理性を保たせて、その衝動を呑み込んだ。
そうして自らの怒りを鎮めていると、エルフの少年が何かに驚いた様に声を上げ、
「うわぁぁっ!?」
「!? どうした!?」
何事かと聞き返すと、少年はウルガーの前腕と横腹にそれぞれ目を向け、声を震わせながら。
「怪我してるじゃないですか! しかも深い傷ですよ、どっちも! 早く手当しないと!」
「分かってるよ……心配してくれてありがとな。拘束解いたらちゃんと自分の手当もするつもりだったから……」
少年を解放し終えて一息つき、ウルガーは自らの衣服を脱ぎ破いて、布切れを作る。
その後、ポケットに突っ込んでいた薬草を擦り潰して傷口の周りに塗り布切れを巻き付けて止血した。
激しい運動さえしなければ直に傷は塞がるだろう。
「すみません……僕なんかの為に……」
そんな申し訳なさげな少年の声が聞こえ、ウルガーは彼へと振り向き、床に倒れる犯罪グループの男女へ指を差しながら答える。
「なんで謝んだよ、謝らなきゃいけないのはお前を拐って売ろうとしたコイツラだろ。俺の怪我なら気にしなくていいから、慣れてるし」
「慣れてるって……」
「あと、僕なんかって言い方はやめとけよ。そうやって自分を卑下すんの良くないぜ」
「……!」
エルフ族は、多くの亜人含む人類から避けられ、差別もされている。彼が自分を卑下するような発言をするのはそれが原因だろう。
しかし、ウルガーはそんな差別心など抱いていなかった。
エルフの少年は驚いた様な表情を浮かべた後、再び申し訳なさげに頭を下げて来て、
「あの、本当に、ありがとうございました。お名前を聞いてもいいでしょうか」
「俺はウルガー。お前は?」
「僕は、カイと言います。ウルガーさんは優しい人なんですね」
「いや……別に優しいとか、ねぇと思うけど……」
優しいと言われた事の照れくささで目を逸らし、ついでに先刻の自分の説教臭い一言に「卑下するなとかどの口で言ってんだ」と、自分で後から恥ずかしい気持ちになってしまい壁の方へと目を向け――
――その一瞬の気の緩みを狙っていたかの様に、背後の窓ガラスの粉砕される音が空気を震わせた。
それに対し反射的に振り返ったと同時、ウルガーに向かって一つの岩塊が、砲弾の如く速度と勢いで飛んで来る。
「な――っ!?」
回避すればエルフの少年カイに直撃する。ならばと、両手と全身で岩塊を受け止めた。重たい衝撃と受け止めた両手への痛みが駆け巡り、両足で強く床を踏みつけて脚を崩さず保たせる。
そして岩塊を窓へ向かって投げ返し、それは新たに飛んで来た岩塊の砲弾とぶつかり互いに粉々になりながら相殺された。
「ウルガーさん、大丈夫ですか!?」
「ちょっと痛いが、大丈夫だ」
カイに答えてから眼前を睨みつける――その先には、窓の内側に佇む一人の白髪の初老の姿があった。
初老の男は柔らかい笑みを浮かべながらこちらへ視線を返す。
突然の奇襲、最悪カイも死んでしまうところだった。ウルガーは湧き上がる怒りをギリギリで抑え込みながら、
「――テメェ、何考えてやる、カイも死ぬとこだったぞ。何者だ」
敵意に溢れた音色で投げかけられた問いかけに、初老の男は変わらず柔らかな笑みで答える。
「私の名前はゲドー。君の様な正義感溢れる子ならエルフの少年を庇うだろうと信頼しての事です。庇ったついでに死んでくれたら良かったのですが」
「穏やかな顔してロクでもねぇ発言しやがる」
突如現れたゲドーと名乗る男はウルガーを殺すつもりだったらしい。最早、疑いようもなく敵であることは間違いない。
拳を握りしめ戦闘態勢に入ろうとしたその時、背後に居るカイが初老の男を見ながら、声を震わせてウルガーに伝える。
「ウルガーさん……彼が、この悪い人達の、ボスです」
「なに? 報告じゃ、こいつらは三人だって……」
「いえ、四人です」
「……マジか」
レオンから聞いた情報では、敵は三人組だったはずだ。まさか長年この仕事をしているレオンが伝える数を間違えるとは思えない。
依頼主が数を伝え間違えたのか、そもそも存在を悟られない様に普段から姿を隠していたのか。
いや、今はそんな事はいい。今は目の前の敵に集中するべきで……
「うッ……あ!?」
突如、ウルガーの視界がぼやけ足がふらつき、膝が崩れかける。何とか倒れるのを防ぎ再び立ち上がるが、目眩が収まらない。
脂汗が噴き出し始めて、呼吸も苦しくなって来た気がする。
「ウルガーさん!?」
「なん、だ……これ……」
突如、自分の身に起きた異変に疑問が口に出る。すると、それに答える様に初老の男ゲドーが、穏やかな音色でその理由を説明し始めた。
「キルコの刃には死なない程度の毒が塗ってあるんですよ。君には効くのが遅かった様ですが……もしかして毒への抵抗力が強い亜人ですか?」
「……だったらなんだよ」
どうやらあの女に刺されたモノは、毒の塗ってある武器だったらしい。
このままではどんどん身体を毒に蝕まれて、やがて完全に動けなくなる。そうなる前に、早期決着をつけるべきだ。
「オオォッ!!」
毒に蝕まれる身体を咆哮と共に奮い立たせ、床をめり込む勢いで踏みつけながら前屈みの姿勢で全速力に突貫する。
ゲドーは微かに驚いた目を見せた後、口角を上げた。それと同時、ウルガーの腹部へと重たい衝撃がぶつかり激しい痛苦が押し寄せる。
「ヵハッ――!?」
下の床を砕きながら突き出し現れた柱状の岩塊がウルガーの腹部を直撃し、背後まで全身を吹き飛ばされた。
壁に背中から突撃し呼吸困難に陥り、直ぐに態勢を立て直そうと乱れる呼吸を回復させることに意識を集中させる。
「ハッ、ハッ……ハッ……!」
「今のは驚きましたよ、亜人くん。凄いスピードでした」
「チッ」
「君は素晴らしい身体をお持ちの様だ……おとなしく投降するのならば生かして差し上げますよ。亜人なら高額な商品になりそうですし、それならば私としてもなるべく生かしてあげたいところなんです。どうです、私の商品になってくれるつもりはありませんか? 君ほどの商品なら大事に大事に取り扱ってあげますよ」
「テメェら、そればっかだな。ベラベラうるせぇんだよクソッタレ」
相手の勧誘を迷わずに一蹴する。
最初の戦闘での疲労と傷、全身を蝕んでいく毒……その上、相手は戦い慣れしている魔法使いだ。万全な状態なら勝てる自信はあったが、今の状態では厳しい相手――
「――いや、まだ、負けねぇ……」
弱音を吐きかけた胸中を抑え込み、闘志でもう一度自らを奮い立たせ。毒による目眩が一層増し始めて脚が更にふらつき始めたが、まだ戦える。
そうして再び戦闘態勢に入ろうとするウルガーを、横からカイが引き止めた。
「もういいです、僕は置いて逃げてください! 立ってるのもやっとって感じじゃないですか!」
「いや、逃げねぇし、お前も渡さない。助ける」
「……!」
ウルガーの固い意志を聞きカイは戸惑いの表情を浮かべた後――そのやり取りを見ていたゲドーが静かに口を開き、その双眸には涙を滲ませていて。
「本当に、残念でなりません……死体になると、価値が下がるのに……」
そう語りながらゲドーは再び岩塊を砲弾の様に射出してウルガーの命を断とうと攻撃を再開し、その直後。迎撃に入ろうとしたウルガーとゲドーの間にカイが割っ入って来た。
「バカっ、危な――」
エルフの少年の行動を止めようとした直後、カイは両手から魔力で生成された水を発生させて一つの水球を作り出し、迫りくる岩塊へてぶつけた。
「やぁーーっ!」
放たれた水球は岩塊を飲み込み、打ち砕き、一瞬にして岩塊を粉々の砂粒へと変えていった。
「――!」
予想外の少年の強さに驚きの表情を浮かべた――が、カイは魔法を使用した直後、膝を崩して床に両手をつく。
「カイ!?」
「うぅ……駄目だ、やっぱり今の状態じゃ、一回魔法使うだけで、こうなる……」
そういえば以前、島の祖母から聞いた事があった。
体調が万全でない、魔力もほとんど残っていない状態で無理に魔法を使用すれば全身に強烈な負担と苦痛がのしかかり、最悪命を削ったり後遺症で魔法が使えなくなる事もあるらしい。
彼はウルガーを助ける為に、マトモに力が残っていない状態で魔法を行使したのだ。
「もういい、無理すんな! 自分の体を大事にしろ!」
「で、でも……」
「俺が、やる……!」
これ以上この少年に無理はさせられない。毒で最早数分しか戦えないであろう身体を構え、眼前の敵を睨みつける。
それに対しゲドーは微かに唇を緩め、拍手しながら、
「君のそのどこまでも折れない闘志、心意気、美しいと思います……敬意を表して死体となった後も全ての部位を高値で売り飛ばしてあげますよ」
「喋れば喋るほどクソみてーだな!」
拳を握りしめながら再び突貫し、同時にゲドーは土魔法を放つ。次の魔法は先刻までよりも更に殺意の増した攻撃方法――十本近い土の槍が中空に生成されウルガーの命を狙い降り注がれる。
襲いかかる目眩と身体の倦怠感、脚の重さを気合だけで抑え込みながらギリギリのところで槍を一本一本回避していき、壁や床が行き場の無くなった土の槍によってどんどんと破壊されていった。
「あぁ、危ない! 当たってしまいますよ亜人くん! 当たったら死んじゃう!!」
「お前が攻撃して来てるんだろうが!!」
人を舐めた発言を飛ばして来るゲドーに苛立ちを抱き、その直後。右脚を一本の槍が掠めて電流の様に痛みが走り歯を食いしばる。
「クソッ!」
僅かに動きが鈍り、その隙をゲドーは見逃さず岩の槍を新たに四本生成――間髪入れず撃ち放った。
「当たったら死んじゃうぅーー!!」
涙で双眸を濡らしながら男が放った魔法はウルガーへと一斉に襲いかかる。
一撃目を回避、二撃目を横から殴りつけて粉砕し、左腕が三撃目に抉られる。
「ぐァッ!?」
迫り来る四撃目――それは心臓を狙い飛んで来る。更にそこへ畳み掛ける様に毒の状態が悪化。目眩と倦怠感がより一層増幅して、膝が崩れかける。
「まだ、だァッ!!」
毒の苦痛に倒れかける身体を、更に上回る敵への怒りで無理矢理立ち上がらせて、直撃する寸前に土の槍の先端を両手で掴み床へ投げつけた。
敵が再び魔法を発動しようとした瞬間に、ウルガーを床を踏みつけて、風を切りながら一直線に駆け抜けた。
「は――!?」
その速度は周りから見ればほんの一瞬、瞬き一つの間にウルガーはゲドーの眼前まで接近しており、驚愕に手が止まる男は真正面から撃ち込まれた一撃の鉄拳を無防備にその顔面へと受ける。
「――ッ!」
声にならない痛苦を口から漏らしながら男は壁に叩きつけられ、同時にウルガーも膝から崩れ、身体から床に倒れ込む。
「ハア、ハア……ハァ……」
毒で全身が痛む、目が霞む、女に刺された傷口からまた出血し始めた、これ以上は戦えない。もう、立ち上がるな――そう、願っていたが。
視線を向けた先……先刻、男を殴り飛ばしたその位置に、折れた鼻から出血し呼吸を荒げながら立ち上がるゲドーの姿があった。
「フーッ、フーッ」
男は穏やかを装っていたその顔面に明確な怒りを露わにしており、表情を歪ませウルガーを見下ろしながら、怒声を放った。
「薄汚い亜人ごときが私を殴るとは何様だあぁ!? 貴様ら亜人はなぁ、奴隷の身分がお似合いなんだよぉ! おとなしく奴隷でいる奴は可愛いが、お前みたいな奴は可愛いくも何ともない!! 私の慈悲を理解出来ん頭の中まで汚れた亜人があぁぁっ!!」
理解不能な発言を叩きつけながら、男は新たに岩の槍を一本生成する。ウルガーを殺す事しか頭にない程の強い怒りを感じる。
「こんな、クソ野郎に、負けっかよ……ッ!」
既に身体は限界を訴えている。それでも、心に諦めは一切無かった。
皆を、祖母を傷つけ、大事なものを奪った敵を見つけ出す為に島を出た……焦る本心を抑えつけながら一年間力をつけて、ここまで来たのだ、こんな場所で、こんな奴を相手に躓いてなどいられない。死ねない、死ぬわけにはいかない、憎い仇を見つけ出すまで止まれない、目の前の敵を討ち倒し、先へ進む為ニ――メノマエノテキヲ、コロセ、コロセ、コロセ、ジャマヲスルヤツハ、ミンナ、コロセ。
「あと五秒やる! 土下座して謝れば楽に死なせてやろう! 謝らぬならば無様で無惨で惨めな姿にして殺す、そして死ね、亜人があぁーー!!」
最早眼前の男の声も聞こえているのに脳がその言葉を認識しなくなってきていた。
ウルガーの魂の奥底から湧き上がる激しい殺意、殺意だけが胸中を支配し始めた。そして先刻までの身体を襲いかかっていた苦痛と倦怠感が嘘の様に軽くなってきた。
まるで『別の人格』が支配したかの様に、ウルガーはその表情に強い殺意と――獰猛な笑みを浮かべて……
自分が何なのかすら、その認識さえも出来なくなりかけた、その時だった。
「コラァ! 待ちなっさーいっ!!」
この場の緊迫した、張り詰めた空気に全く似合わない、場違いな雰囲気を纏った少女の声が聞こえた。
その声が耳に届き、鼓膜を震わせ、胸中と脳裏を支配しかけていた『何か』は消し飛び、ハッとウルガーは我に返る。
声のした方向、部屋の扉へと目を向ければ、そこには二人の人物が居た。
一人は赤い髪と橙色の双眸、黒いローブが特徴的な少女、もう一人は黒い髪型と精悍な顔つきをした剣士らしき青年だ。
先刻、街の中で出会した二人組。
何故こんな場所に居るのかと疑問が脳裏を過ぎり、赤い髪の少女は大して怖くない怒り顔でゲドーを精一杯に睨みつけて、
「これ以上の悪事は見過ごせない! 狙うなら一般人や怪我人じゃなくて私みたいな元気でピンピンしてる魔法使いを――」
「五秒過ぎたぞ! 苦しんで死ね、亜人んんんっ!!」
「無視!?」
少女のまくし立てる最中で男は視線をウルガーへと戻し、殺意に満ちた怒声を再び浴びせかけて来る。
そして生成した土の槍を、ウルガー目掛けて突き立てようとした、その直後だった。
「ちゃんと人の話は聞きなさい!」
少女が眼前に指を差しながら声を上げたと同時、彼女の影の一部が伸び漆黒の鞭の様なモノへと変化しながら飛びかかる。
伸びた漆黒の鞭は横から土の槍を弾き飛ばし、ウルガーへの攻撃を妨害する。
その横槍に、ゲドーは怒りの滲む顔に無理矢理穏やかな笑みを貼り付けながら赤髪の少女へと振り返り、
「お嬢さん、邪魔をしないでいただけませんか?」
「悪人のやる事なんて邪魔してやるわ、何度でもね!」
「そもそも、何ですか今の魔法は……影を操る魔法など六属性の中には無い……まさか……貴女は、『魔女』ですか?」
「だったら何よ」
『魔女』である事を否定されなかったゲドーは、怒りにその両手をブルブルと震わせて、殺意と憤怒に満ち溢れた表情をその顔に刻み込み、叫び始めた。
「薄汚い亜人に殴られたかと思えば、次は虫以下のドブ臭い魔女に邪魔されたぁ!? 何だこれは、最悪だ、今日は厄日だ!! 最低だあぁ!!」
「最低はあなたでしょ!」
「死にかけの亜人などいつでも殺せる、先ずは『魔女』から殺す!」
「やってみなさいよ、あなたなんか私一人でやっつけて――」
向けられる強い殺意、売り言葉に買い言葉で少女は言い返す。
が、ウルガーもこの一年の修行である程度他人の気配から戦闘能力を察せられる様になったので分かるが――あの少女よりゲドーの方が明らかに戦闘力が上だ。
咄嗟に少女を止めようと口を開き、言葉を発する直前に、隣に居た剣士の青年が少女の肩に手を置き止める。
「ニア様、貴女では勝てません。ここからは私にお任せを」
「分かったわ! 後はお願いテッド!」
意外にも素直に少女は引き下がり、テッドと呼ばれた青年が一歩前に出て鞘に収まった騎士剣の柄へと手の平を置く。
「ニア様を虫以下でドブ臭いと言った事、謝罪して貰いましょうか」
対するゲドーは青年へと敵意を切り替えて、六本の土の槍を生成し、一斉に放った。
「ドブ臭い魔女の味方をするダニ虫風情が、お前達は奴隷にする価値すら無い!」
「ここまで来ると呆れ返って怒りすら感じませんね」
殺意を乗せた六本の土の槍が青年の命を狙って降りかかる――が、彼は至って冷静な顔つきを保ったまま小さく息を吐き、騎士剣を引き抜いた直後、凄まじい速度の剣閃が空を駆けた。
「ふっ――」
放たれた六本の土の槍は瞬く間に六の銀閃により切り払われ、青年の身体へと掠りすらせずに地へと落ちる。
「なにぃ!?」
青年はそのまま床を蹴りつけ接近――二度目の魔法を放たれる前にゲドーの右肩へと騎士剣を突き刺した。
「ギャっ!!」
苦痛に男は悲鳴を上げて、右手に溜めていた魔力が掻き消える。
そのまま青年は間髪入れずに柄で側頭部を殴打し、男は声にならない苦鳴を発しながら床に倒れた。
が、それでもまだ怒気を発しながら手足を震わせる男――ゲドーは手の平を床の上に広げ、魔力を発生させる。
次の瞬間、部屋全体の床の至る場所から複数の岩の棘が無差別に次から次へと地上に突き出して来る。
「ニア様!」
「私は大丈夫!」
そう答えながら少女は棘から逃げる様に走り、黒いローブを掠めながら魔法を発動した。
「えーい!」
少女の掛け声と共にウルガーとカイの影と身体が何かに引っ張られる様にしてその場から動き、下から突き出て来た棘を回避する。
「大人しくしていろ!」
「フギィッ!!」
剣士の青年は岩の棘による攻撃を止めさせるべく即座にゲドーの手の甲へと剣を突き刺し、集中させた魔力を無理矢理散らした。
更にそこへゲドーの身体を漆黒の鞭が巻き付いて、その全身を拘束する。
「捕まえたわ、もう逃げられないわよ!」
それが赤髪の魔女の少女の手によるものだと気づいたゲドーは、苦痛と敗北感を浮かべていた顔に再び憤怒の表情を滲ませて、叫ぶ。
「こんな屈辱は始めてだ! 奴隷以下の魔女が、私の身体に、触れるなぁぁっ!! 汚らわしい! 汚らわしい!! けがらわぶぼ――っ!?」
罵声を浴びせかけるその最中、聞いていられなくなったウルガーは男を黙らせる為に一撃の蹴りを顔面に浴びせてその汚い口を止めた。
「お前もう黙ってろ」
よくぞここまで他人に罵声ばかり浴びせられるものだと感じながら、鼻血を噴き出し悶絶するゲドーを見下ろし、大きく息を吐く。
少し落ち着いたところで……先刻まであんなに身体が毒に蝕まれていたにも関わらず、早くも動ける程度には楽になっている事と、出血が止まっている事に気が付いた。
倦怠感、疲労は変わらず残っているが――それにしても、
「……早すぎ、ないか……?」
亜人の血である程度回復能力が高い自覚はあったが、それにしてもここまで異常な速度の回復は始めての事で――否、一度だけ、あった。
一年前にケイトや友人達を目の前で殺されて、その後の記憶は朧気だが、ウルガーは狼の獣人と化し暴れたらしい。
気づいた時には、重傷だったはずの四肢はほぼ元通りに回復していた。
あの時も今回も、まるで別の何かに頭と精神を乗っ取られた様な感覚が残っていて――
自身の再生力の異常性と、自分の中に潜んでいるらしき『何か』。それらに対しての懸念が胸中を駆け巡るが、今はいったん意識を切り替える事にした。
まずは助けに来てくれた二人に、礼を伝えるべきだ。
「アンタ達、ありがとう……助かった。けど、何でここに」
「どういたしまして。凄く必死な顔して走ってるおじいちゃんとおばあちゃんを見つけたら話を聞いてみたの。貴方は……あれ、何だか思ったよりも怪我が無いわね」
「あぁ……自分でも不思議だが……」
自分の事よりカイが心配だと彼の居る方向へと目を向けて、赤髪の少女も床に膝を着くエルフの少年の元へと駆け寄って行く。
「君も大丈夫……じゃ、なさそうね! テッド、魔力回復させる薬ちょうだい!」
「はい。……酷い状態ですね、これは」
そう声を掛けながら背中に触れる少女と、一センチ程度のサイズの薬を取り出しながら近付いて来る剣士の青年に、カイはどこか不安気な視線を向けながら――
「あ、ありがとう、ございます…………あの、ぼ、僕……エルフ、ですよ……?」
「だから何?」
「だから何って……」
「それよりこの薬飲んで! 顔色悪いじゃない!」
「は、はい」
エルフである事を微塵も気にする素振りを見せない少女にたじたじになりながら、おとなしく薬を口にする。
それは故郷の島でも何回か見たことがある、魔力を含んだ薬草を粉にし固めて作った薬だ。
服用して直ぐに回復する訳では無いが、時間の経過で良くなるだろう。
あとは犯人達を拘束し、身柄を依頼人の元へと届けるだけだ。
「う……っ」
ドッと身体から力が抜け、一気に疲労と倦怠感が全身にのしかかり膝が崩れる。
ここまで激しい倦怠感はほとんど経験が無い…………理由は自分でもよくわからない。
「君、動けないなら無理しちゃ駄目よ!」
「これぐらいなら別に――」
赤髪の少女が駆け寄って来て、肩を貸してくれる。そこへ反射的に「大丈夫だ」と続けて返そうとしたが――
『何でも一人で出来ると思うな』――という師の言葉が脳裏に蘇る。
振り返ってみれば、自力でまだ動けないカイは黒髪の青年が背負ってくれていた。
癖の様に強がってしまう自分を抑え込んで、少女へ返す言葉を変える。
「いや、ありがとう、助かる……」
「どういたしまして」
少女の肩を借りながら立ち上がり、その場を後にする前に、気絶させている犯罪グループの者達をどうするか考えようとした時。
家屋の玄関から足音が耳へと届いて来る。一瞬身構えたが、それが誰なのかは直ぐに分かった。
「終わったようだな、ウルガー」
その人物は部屋の中へと入って来て、ウルガーに厳つい視線を向けてくる。
獅子の獣人で、師であるレオンだった。
彼は腕を組み、威厳のある佇まいを見せているが、見てみれば頭髪の様なたてがみに一枚の葉っぱが絡みついているのが見えた。
その葉っぱは、この部屋の窓から少し離れた位置に見える木々から生える葉と同じ種類のものだった。
「レオンのおっさん……今回の仕事は俺一人に任せるって言ってたのに、もしかして向こうの木に隠れて見てたのか?」
「――今回はお前一人に任せたが、仕事で最も重要なのは私情ではなく依頼人だ。仮にお前が敗北し敵に逃げられてしまっては依頼人に申し訳が立たんだろう。決してお前が危機に陥り死にそうになれば助けに入ろうなどと甘い考えを持っていた訳では無い」
「うん、分かったよ。ありがとうなレオンのおっさん」
「むぅ……」
私情より依頼人を優先するというのも本心からだろうが、おそらく本音の部分ではウルガーがピンチに陥れば助けに入ろうとも考えていたのだろう。
彼は厳つい顔の割にそういうところがある。
レオンは赤髪の少女と黒髪の青年に協力の感謝を伝え、気絶した三人を太い両手に抱えながらもう一度ウルガーへと視線を向け、
「帰るぞ。今日はもう休め…………よくやった」
「あぁ」
想定外の事態はあったが、何とか誰も犠牲を出せずに解決できた。
これで終わった…………はずだ。




