一話 島の少年
この広大な海の広がる世界には、古代より長く続く四つの大国が在り、それ以外にも小さな国々が計五十以上点在している。
地図上で南側に位置する場所に、どこの国にも属さない島があった。人口は少なく、そんな孤島の中に存在する小さな村で、その少年は暮らしていた。
「ウルガー。お前に外の世界はまだ早いわい。大人になってからでもええじゃろう」
口癖の様に「島の外へ行きたい」と繰り返す少年に対し、老婆は毎度そう答える。
外の世界では良い事も勿論あるが、厳しく辛い事も同様にあり――人同士の争いも大規模に起こる事がある。
それをずっと言い聞かせ続けているが、少年の好奇心は日に日に増して行く一方にさえ思えた。
その少年の名はウルガー。
銀色の髪に青い双眸を持つ、亜人と人間とのハーフだ。外見はほとんど普通の人間と同じで、知らない人ならば亜人だとは気が付かないだろう。並外れた五感が唯一分かりやすい亜人の血の流れている証拠だ。
自分が亜人である事は小さい頃に祖母から聞かされており、島の皆もこの事は知っている。
少年がまだ赤子だった頃、小舟の上に乗せられた状態で島の砂浜に流れ着いていた所を老婆に拾われたと聞いた。
お互い血の繋がりは無いが、ウルガーからすれば大事な祖母で家族である事に変わりはない。
別に島の外への渡航は禁止されていないのに何故かしつこく止めてくる事だけが少し不満だが、それだけ大事に想ってくれているのだろうと思う。
少年にとって島での生活は、不自由も無ければ村での人間関係も良好であり平和な日々を送っている。だから、ここで暮らす毎日に不満は無い。
だが、それだけでは何かが物足りないのだ。この島は、その少年の持つ強い好奇心には狭すぎた。もっと、もっと広い世界を知りたいと毎日の様に考えている。
そして何よりも、小さい頃から脳裏をたまに過ぎる声。
――自由に世界を回れる、そんな人生を送って欲しいの。
それが誰の声なのか、分からない。だが何故か、その言葉を以前にどこかで、誰かから聞いた気がするのだ。
そんな事をまた考えながら、亜人の少年ウルガーは村を囲む森を抜けた先にある、高い崖へと向かっていた。
そうして崖の端っこで地面に尻を付けながら座り、水平線まで見える広大な海を眺める。
「ふう……」
――今日は良い天気だ。
肌に当たる風が心地よく、波が崖下を打つ音が聞こえた。
青く広がる空には、水平線へと向かって飛んで行く鳥が見える。
「お前らはいいなぁ……自由に飛べてよ」
空を見上げ呟きながら、雑草の生い茂る地面の上に背中を預けて寝転がる。その直後、森の方角からゆっくりと近付いて来る一つの足音に気が付いた。
誰が近付いて来ているのかはもう分かっている為あえて何も言わずにして居れば、その足音はすぐに頭の近くで止まり。
「わあっ! へへへー、ビックリした?」
いたずらっぽく声を上げながら顔を覗かせてきたのは、小さい頃からよく遊んでいた、近所に住む黒髪の少女ケイトだ。
彼女と視線を合わせ、ウルガーは頭を掻きながらゆっくりと腰を上げる。
「あー。全然気付かなかったよ。ビックリしたビックリした」
「絶対ウソだ。来るの分かってた反応だよね、それ」
そんなやり取りを交わした後、ケイトは「よいしょ」とウルガーの隣に座る。
「ここは海が綺麗によく見えて、気持ちいいねぇ」
「だな」
「――ねぇ……大人になったら、本当に行っちゃうの? 島の外に」
「あ? そんなの当然だろ。昔から言ってるじゃ――」
言いながらケイトの横顔を見れば、彼女がどこか寂しそうな表情をしているのが分かった。
昔からの友人である自分と離れ離れになるのが寂しいのだろうと、どこか申し訳無い気持ちも湧き上がって来る。しかし、この好奇心は止められないものなのだ。
それでも何か言ってやるべきだろうと不器用ながら返す言葉を探して。
「……ケイトは将来、家の仕事を継ぎたいんだろ。だからずっと、とは言えねぇが。大人になったら……一年くらいだけでも一緒に行くか? 島の外に」
その返答にケイトはキョトンとした顔でこちらに視線を合わせた後、目を細め口元を緩ませた。
「いいの? それなら私も一緒に行きたい」
「いいよ。まあ、俺はその後も何年か外に居るだろうけど」
「ん〜、そっか……」
「――ここが、俺の大事な故郷だ。いずれは、ちゃんと帰る」
「うん……本当に、待っていれば帰って来てくれるんだよね? 約束だよ」
「あぁ、約束する。まあ、まだだいぶ先の話だろうけど」
「私達もう16だよ? 成人の儀式やるのが18歳だから……もうすぐだよ」
「まだ二年もあるじゃねぇか」
「たった二年だよ!」
どうやらお互いの間で二年という時間に対する認識が違うらしい。ウルガーの場合は、早く外に出たいという気持ちが強いから長く感じるのだろうが。
「心配すんなよ。大人になって、遠くに離れたって……俺とお前はずっと友達だ」
「ん……そうだよね。大人になっても、ずっと。友達……」
ケイトは噛み締める様に静かに呟いて――刹那の沈黙の後、突然ウルガーの頭を叩かれ軽い衝撃が入った。
「いったぁ! 何だいきなり!?」
実際は大して痛くないのだが、いきなりケイトから叩かれた事に困惑し彼女へと視線を向ける。
すると頬を膨らませ見るからに不機嫌な様子に変わっていた。
「大人になってもずっと友達って何それ! 小さい頃にした約束も忘れちゃったんだ!」
「あ……? 小さい頃の約束、って……どれの事だ?」
普段は怒ってもあまり怖くないケイトだが、今日は普段以上に表情に怒りを見せており、顔を真っ赤に染めながら声を上げた。
「大人になったら結婚するって言ったじゃない!」
そう叫んだ後、再びケイトは顔を真っ赤にして自分の口を手の平で咄嗟に抑える。
「あー」と納得した様にウルガーは答えて、自分もつられて顔が赤くなった。
「え、アレ、覚えてたのか……」
小さい頃、ケイトと遊ぶのが楽しくてずっと一緒に居たいからと「結婚しようぜ」と口走った事があった。
当時の彼女も笑顔でその言葉を承諾していて……
「ふん、どうせウルガーは適当にそんな事言ってただけなんだ……私は嬉しかったのに……どうせただの友達……」
「いや。ケイトとなら、結婚してもいい」
「……ふぇ? え? ……はい?」
「結婚してもいい」
「にっ、ニ回言わなくていいからぁ! ま、またそうやって適当に……っ」
「適当じゃねぇ、本気だ。俺はお前が大事だ」
「ひゃあぁ! 待って待って、正面からいきなりそう言われるとやっぱり凄く恥ずかしい! あと顔近い!」
少年の勢いに、ケイトが赤面しながらたじたじになっていると、海から大きな汽笛の音が響き渡って来た。
ウルガーはその音が聞こえた方角へと視線を向けて。
「船……島の外からの来客か?」
「ねえ。目の前の男の人が、このやり取りの最中で船に気を取られてる私の気持ちも考えて?」
「普通の船を装った盗賊だったらマズいな……海岸まで様子を見に行ってくる!」
「本当に私の事を大事に思ってくれてるのかな……」
「はあ? 大事だから海岸まで見に行くんだよ。島の皆は勿論、ケイトにも何かあったら俺は耐えられねぇ。いざとなったら守ってやんなきゃいけねぇだろ!」
「堂々とそういう発言するのやめてぇ!」
ケイトが恥ずかしげにそう声を上げた時には既にウルガーは森の方角へと駆け抜けていた。
――高木と草花の生い茂る森の中を駆けて行ったその先には、小さな山々に囲まれ、木造の民家や畑がそこかしこに点在している集落が存在する。
ここでウルガーは、祖母に育てられ、幼馴染みのケイトや村の人々に囲まれて生きて来た。
そしてそれまでの人生の中でも自分が記憶している限り、十数回は盗賊が上陸して来た事がある。
だから、外から船がやって来る毎に毎回様子見へ行く様になったのだ。
村道を走る道中、田んぼに居る中年の男性がこちらに気が付き、声を掛けられる。
「おい、ウルガー。さっき海の方から汽笛が聞こえたなぁ」
「あぁ、知ってる! だから一応見に行くんだ、盗賊だったらいけねぇからな!」
「こんな朝っぱらから来ないと思うがなぁ」
「分かんないだろ!」
盗賊は基本、夜などの人気が少ない時間帯にやって来るが、例外が無いとは言い切れない。だから警戒しておくに越した事は無いと思っている。
再び走り出し、次は村道で遊ぶ子供達から囲まれ捕まった。
「あ、ウルガー兄ちゃんだ! 今日も球蹴りしようぜ〜!」
「悪ぃ! 遊ぶのはまた後だ!」
「え〜! つまんな〜い!」
球遊びをねだる幼い少年の頭に軽く手を置いた後、村の奥に架けられている大きな橋を目指して向かう。
それを渡れば海岸沿いの集落があり、外からやって来る船もそこにある砂浜へと着くのだ。
ウルガーは橋を抜け、海の方角を目指して駆けて行く。
そして海岸近くまで到着し、砂浜に面している木々の中へと飛び込んだ。息を殺しつつ木の陰に隠れ、来訪者の様子を伺う。
砂浜では、島の中に居る衛兵と、海岸沿い集落の代表者が来訪者を出迎えている。
一方、船からは紫の髪をした細身の青年を先頭に、計十人ほどで構成された集団が降りて来ていた。
「はじめまして。私達は大陸から来た、歴史研究をしている一団です。この島には何やら珍しいものが色々有るとお聞きしまして。他の地には生息していない動物や虫に、米と呼ばれる希少な食材など……」
先頭に立つ若い青年が、集落の代表者に何やら話し始めた――ウルガーは耳を澄まして会話を聞き取る。
「そして、この島に存在する古代魔晶石。私達はそれを見せていただきたく、参上致しました」
そう、柔らかい音色で挨拶する青年の声が耳に届いて来た。
 




