番外編4 ローザside7
また別の者が口を開こうとしたときだった。
その様子をじっと見ていたブライアンが
「殿下、時間です。参りましょう」
そう言って再び馬車のドアを開きその者を制した。
「そのままではお風邪を召されます。せめてお召し替えを……」
コリュージュ伯の妻が慌ててそう言ったが、ブライアンは冷たい一瞥を以てそれも拒絶した。
馬車のドアが閉まり、また冷たい大粒の雨が降り始めたが、今度こそ住人たちは私達の為に道を開けた。
「殿下も魔術が使えたのですね」
ゼイムスが馬車の中に戻って来てドアが閉まる。
その安堵から思わずそんな事を話しかければ
「いや、オレにそんな力はない。知っているだろう」
驚いた事にゼイムスは口の動きを外の者達に読まれないようになのか、口をあまり動かさず小さな声でそう返してきた。
「でもさっき……」
「あれはただ、風の流れを見て、雲が晴れる瞬間を見計らってさも魔術で晴れにしたように見せかけただけだ」
子どものゼイムスならば、絶句する私の姿を見てきっとどこか自慢げに笑って見せただろう。
しかし、百戦錬磨の彼にとって今回のパフォーマンスなど取るに足りない物らしい。
前髪から雨水を滴らせるゼイムスが、外の者達には分からぬよう安堵ため息に似た吐息を小さく漏らした時だった。
コンコンコンコン。
思いもかけず再び馬車のドアが小さく叩かれ、ゼイムスが思わず警戒にビクッと指先を震わせた。
外を見れば、窓を叩いたのは七歳くらいの一人の女の子だった。
女の子は何かを雨から守る様に胸に押し抱きながら立っている。
ゼイムスは一瞬躊躇った後、警戒しながらゆっくりドアを開いた。
「殿下、妃殿下。この度はこんな遠くまでわざわざいらっしゃってくださって本当にありがとうございました」
きっと繰り返し練習したのだろう。
女の子は少し緊張した面持ちでそう言うと、チュニックの裾を掴んで一生懸命練習したのであろうすこしぎこちないカーテシーをして見せると、その手に持っていた物をゼイムスに差し出した。
「何を受け取られたのですか?」
走り出した馬車の中そう尋ねれば、ゼイムスはまた苦い顔をしてその手の中に受け取った物を見せてくれた。
ゼイムスの手の中にあった物は二対の組紐だった。
ゼイムスの愛を成就させたとして有名になったそれは、粗末ながらも翡翠色をした糸とロイヤルブルーの糸で丹念に組まれている。
ゼイムスと私の瞳の色を模し、心を込めて作られたものなのだろう。
今回はあんな事になってしまったが元々悪意を持って迎えられたわけではないのだ。
そう思えば強張っていた肩の力が抜けていくのが分かった。
「願い事をしないとですね」
そう言って手首を差し出せば、ゼイムスは酷く複雑そうな顔をした。
そしてゼイムスは
「……無理して着けなくてもいいんだぞ……」
そう言いながらもそれを自ら着けてくれた。
「無理などしていません。殿下と私の色が混ざった美しい物なので嬉しいです」
子ども返りしていたゼイムスと話していた癖で思わず本音を口にしてしまい、しまったと慌てて口を噤んだ。
いったいどんな嫌味が返ってくるのやらと思った時だった。
「ローザは何を願うんだ?」
ゼイムスが結ぶのに手間取っている振りをしながら、目線を落としたままそんな事を聞いてきた。
「そうですね……」
ゼイムスの意外な反応に困惑しながら、しかし再度
「これが切れないことでしょうか」
そう思ったままを口にして見れば
「そうか……」
ゼイムスは泣き出しそうな、でもどこか嬉しそうな複雑な表情を隠すようまた窓の方に顔を向けて黙ってしまった。
「殿下は? 殿下は何を願われるのですか」
窓のガラス越しに目を合わせながらそう聞けば
「『殿下』と呼ばれ続けること。砕けた口を利かれないこと」
ゼイムスはこちらを向かぬままそう言った。
ゼイムスの突き放すような拒絶の言葉にまた胸の奥が冷たく凍りかけた時だった。
「分かったか」
そう言われ
「はい、で」
『殿下』
そう言おうとした瞬間、黙る様に手で制された。
今度は何が気に障ったというのだろう。
涙が零れぬよう強く唇を噛み下を向いた時だった。
ゼイムスが、私に向けて組紐と共に手首を突き出した。
結べ。
そういう意味であっているだろうか???
訳の分からないままそれをゼイムスの手首に着ければ
「オレのも切ったら承知しない」
ゼイムスはそんな事を言った。
長い事ゼイムスの言葉の意味を考えた後で、
『子ども返りしていたゼイムスにしていたような口調と呼び方に戻せと言う逆説的な願いなのでは?』
とようやく思い至った。
「……分かったわ、ゼイムス」
恐る恐るそう返せば、ゼイムスが微かに左の眉を上げた。
……。
もしかして、今のは笑ったのだろうか?
大人のゼイムスは本当に分かりにくい。
やはり私には何も話してくれないけれど、でもきっとこの分かりにくさは沢山の辛い仕打ちから、彼自身の心を守る術だったのだろう。
子どものゼイムスは良く笑うのに対して、大人になったゼイムスはもうあまり笑わないのだと思っていた。
しかし自身を守る為、表出の仕方を変えただけで、自らの力で強く生き抜いてきた彼の本質は誰にも屈せず、歪められてなどいなかったのではないだろうか。
子どものゼイムスは、呪いを解く時
『キミとサヨナラするのは寂しいけど』
と言ったけれど、きっとあのゼイムスも今のゼイムスの一部としてここに確かにいるのではないか。
それが嬉しくて
「ねぇゼイムス、守ってくれてありがとう。……私、また貴方と一緒に博物館で蝶が見たい」
そんな思いを顔を上げて勇気を出して伝えれば、ゼイムスが
「分かった」
そう言いながらまた微かに左の眉を上げた。
前回の投稿から間が空いてしまったにもかかわらず、また読んでくださってありがとうございました。
最期にゼイムス視点を1話入れて再度完結に出来たらなと思っています。




