番外編4 ローザside2
「なんで死んだはずのお前が?!」
そんなゼイムスの声に驚いて窓の方を振り返れば、突然そこに立っていたウィルと思しき男がゼイムスに向かって魔法をかけるのが見えた。
次の瞬間、ゼイムスが苦し気なうめき声をあげ、両手で顔を覆い蹲る。
「ゼイムス!!」
驚いてゼイムスの元に思わず駆け寄った。
しかし、恐る恐るゼイムスの様子を確認したところ、幸いな事にゼイムスはどこも怪我をした様子はない。
その事に安堵のため息を吐いた後ウィルが現れた方を見やれば、そこには開かれた窓と夜風に揺れるレースのカーテンがあるばかりで既に彼の姿はどこにも無かった。
今のは何だったのだろう?
ウィルが実は生きていて、ゼイムスに復讐を遂げに来たのだろうか?
それともウィルの幽霊を見たのだろうか??
考えが纏まらずただオロオロしていたら、ゼイムスが突然悪い夢から覚めたように顔を覆っていた手を下ろし、そのままスッと立ち上がった。
そうして立ち上がったゼイムスは私を見ると、首を傾げながら言った。
「キミは誰?」
最初は何の悪い冗談かと思っていた。
しかし、くだらないやり取りをウンザリしながら何十回と続けた結果、どうやらゼイムスは王太子教育が始まって少し経った、七歳以降の記憶を失ってしまった様に思われた。
翌朝、何食わぬ顔で侍女に着替えを手伝わせ、いつもの様に執務に向かおうとしたゼイムスを慌てて小声で呼び止める。
「どこに行かれるおつもりですか?!」
記憶を失う前のゼイムスは狡猾だった。
彼は普段はまるで慈悲深く思慮深い青年の様に人々の話に耳を傾ける振りをして、相手の意図や弱みを語らせ、毒の様に甘言を弄して、さも相手に自らその策に気づき動いてるかのように思わせて彼の思うがままに人を操るのが上手かった。
そんな彼を面白く思っていなかった面々にとって、今の子ども返りしたゼイムスは格好の餌食だろう。
動揺する私を他所に
「まぁ、見てなって」
そう言ってゼイムスは私が初めて見る、まるで絵本に出てくる王子様のような屈託のない笑顔を私に向けて見せたのだった。
慌てた私は周囲から不自然に見えないよう急いでゼイムスの後を追った。
冷や汗をかきながらゼイムスの行動を見守れば、王や宰相、その他の側近たちと会話を交わすゼイムスは普段と何ら変わらぬように見えた。
やはり、七歳以降の記憶がないというのは私をからかう為の芝居だったのだろうか?
しかし何の為に??
そう思っていたら、執務室のドアを後ろ手に閉めたゼイムスがいたずらが成功した子どもの様に楽し気にクスクス笑いながら言った。
「どう? 上手くいったでしょ」
「記憶が無いというのは嘘だったんですね」
そう言う私に、ゼイムスがさもおかしそうにクスクス笑いを続けながら言った。
「いいや、ボクはただ偉そうに話す父上の真似をしてみせただけ」
そしてまた首を傾げ言う。
「大体、そんな嘘をキミについてボクに何の得があるのさ?」
「……さぁ。殿下が何をお考えなのか、もとより私にはさっぱり分かりませんので」
どっと疲労を覚えながらそう返せば
「何で? 君は僕の妃になる人だろう??」
ゼイムスはそう言うと、まるで大切なぬいぐるみを抱き寄せるように私をその腕に抱くと私の頬にその大きく暖かな掌で優しく触れた。
戸惑いつつも顔を上げゼイムスの真意を探ろうと彼の方を向けば、透明度の高い翡翠の様な澄んだ瞳で真っすぐ目が合う。
これだけ肌を重ねておきながらこんな風にゼイムスが真っすぐ私の方を見るのは初めてだったから、どうしていいのか本当に分からなくなってしまい、思わずフッと目を逸らした。
「驚いた。キミは本当にボクの事をよく知らないんだね」
ゼイムスは少し寂しそうな声でボソッと呟いた後、
「行こう」
そう言っておもむろに私の手を引いた。
「行こうって? いったいどこにです??!」
驚く私の肩に侍女から受け取ったケープを優しくかけてくれながら、ゼイムスは屈託なく笑った。
そしてそれを見た私は
『あぁ、この人は本当はこんなに良く笑う人だったのだな』
と、大人だったゼイムスの、あの何かの感情を堪えたような苦い表情を、射殺さんばかりの真っすぐな視線を思い出してしまい、胸の奥に棘が刺さったような痛みを覚えたのだった。
ゼイムスに連れて来られたのは博物館だった。
ゼイムスに初めて手を取られ、まるでお姫様の様にエスコートされながら館内を進む。
完璧なエスコートに
「やっぱり記憶が無いと言うのは嘘なのでは?」
と疑えば、やはり周囲の貴族達がやっている事の真似をしているだけだとゼイムスはまた楽し気に笑った。
その得意そうな表情を見て、
『あぁ、本当に今のゼイムスはこれまでの彼とは違うのだ』
そうストンと腑に落ちて、胸の奥がまたチクチク痛んだ。
着いた先には何匹もの美しい蝶が飾られていた。
「これらは元々お爺様のコレクションだったんだ」
そう言って、ゼイムスが目を細める。
「あの右上にある大きな黒アゲハはお爺様が捕まえたもので、あの左隅にある少し触覚が折れてしまったものは父上がお爺様に習って捕まえたものなんだってさ」
ゼイムスはそう言うと、愛おし気にショーケースのガラスにそっと触れた。
かつてのゼイムスなら、そんな隙を見せる様な仕草、決してしなかっただろう。
そんな些細な事に、これまでのゼイムスがいかに孤高であったのかを思い知る。
そんな私の視線に気づきこちらを振り返ったゼイムスは
「退屈だったかな?」
と、失敗したとばかりに苦笑いを浮かべながら首の後ろを掻いた。
普段であればどう答えるべきか分からず、心の内を伝えることなく沈黙を守るところだが……。
今のゼイムスは七歳の子どもと変わらないのだ。
七歳の子が一生けん命背伸びをして私の為にしてくれたことを無下にするのは違うだろうと思い、
「いいえ、これまで知らなかった殿下のお好きな物や陛下の事が知れて楽しいです」
そう勇気を出して思った事を告げれば、ゼイムスがまた嬉しそうに白い歯を見せて破顔した。




