番外編3 ウィルside3
時の流れとは残酷なもので、ようやくゼイムスからリリーを取り戻せるくらい強くなった時には、リリーはすっかりゼイムスの事を愛してしまっていたように思われた。
だから卒業式の夜、ゼイムスが結婚相手にローザを選んだのを聞いて一人静かに涙を零すリリーに僕は何と声をかけてよいか分かなくて……。
そうして手をこまねいているうちに、彼女の魔力が暴走を始め、あっという間に彼女を厚い魔力の壁の中に取り込んでしまった。
暴走した魔力の障壁に包まれるようにして、半ば眠る様に目を閉じるリリーは、まさに壁画に抱かれた天使そのものだった。
「リリー、キミを助けに来たよ」
思わずそんなリリーに魅せられ考えなしに手を伸ばせば、彼女を守るように巡らされている魔力の刃が僕の掌を裂いたから、絵画の様に美しい彼女を、僕の血なんかで汚す事は躊躇われて慌てて手を引いた。
『またゼイムスに盗られてしまうくらいなら、いっそずっとこのまま彼女をここに閉じ込めてしまえればいいのに』
そんな仄暗い誘惑を覚えたが、それはダメだと懸命に頭を振ってその思いを振り払う。
そうして彼女を助け出す為、手を横に薙ぎ僕の魔力で彼女を覆う障壁を壊そうとした。
しかし、金属質な高い音が反響するばかりで壁には傷一つ付ける事が出来なかった。
まるで昔リリーと二人で聞いたオルゴールの様な高い音の反響を聞いていると、それがまるで
『ゼイムスの事を思ったままこのままここで眠らせてくれ』
との彼女の心の叫びの様に思われて、また酷く胸が痛んだ。
「王妃になりたいのならば、その願い叶えて見せる。キミが世界を望むのならばこの世界を君にプレゼントするよ。もし君がゼイムスを望むのなら……アイツの首に枷をかけて君の前にひれ伏させたっていい。だからリリー、こっちに戻って来て」
リリーがそれほどまでにゼイムスを望むなら、アイツを魔術で傀儡にするのもいい。
でももし、優しいリリーがそれを望んでくれないならば、ゼイムスがリリーの理想の王子様を演じ続けるようこれからもアイツの下で死んでいる振りを続けてみせよう。
そう思い、傷を負うのも構わず再び壁に手を伸ばした時だった。
『私の願い……それはウィルの幸せを見守る事……』
不意にリリーの不思議そうな心の声が、触れた壁を通して伝わってきた。
「……僕の幸せ???」
思ってもみなかった言葉に、頭の中が真っ白になって、どうしたらいいのか分からなくなり、茫然と立ちすくむうちに、彼女と初めて会った日の事を改めて思い出した。
そうだ。
リリーは、最初から自分は転生者で僕を助ける為にこの世界にやって来たのだと言っていた。
ずっと、僕達の間に壁を築いているのはリリーだと思っていた。
『どれだけ言葉を尽くしてリリーへの想いを語っても、リリーは自分の心の周りに壁を作り僕の言葉など何一つ真面目に受け取ってくれない』
そんな風に全てリリーのせいにしていたけれど、彼女の言葉を真面目に受け取っていないのは僕も同じだったようだ。
まるでいつか彼女が僕を置いてどこか遠く離れてしまう事を恐れ、ずっと彼女を壁画の天使様として勝手に理想化して、何を話していいのか分からなくなった振りをして、彼女に嫌われるのが怖くて彼女への愛の言葉を惜しんで、彼女を孤独な壁の向こうに追いやっていたのは他でもない僕自身だったのかもしれない。
「……じゃあ、そこから出てきて。そして……あの日酷い言い方をして君を傷つけた事を許して欲しい」
ずっと押し殺していた思いを口にすれば
『ピシッ!』
という微かな音を立てて、壁に小さな亀裂が走った。
「リリーは僕のローザへの友情を恋心と勘違いしていたようだけど……。その目にもう一度映りたいとこの胸を焦がしたのも、もう一度触れて欲しいと思ったのも、生涯をともにしたいと願ったのも、リリー、誓ってキミだけだ」
僕の言葉に反応するように、壁に生じた亀裂がどんどん広がって行く。
「だからもしキミが僕の幸せだけを願ってくれるなら……。僕が幸せになるには絶対にキミが必要なんだ。僕はこれから先もずっとリリーとは話をしたいし、君に触れもしたい。だからリリー、もう『壁になりたい』なんて、『見守るだけでいい』なんてそんな……そんな寂しいこと二度と言わないでよ」
そう言って切ないばかりの思慕をもう隠す事を止めてリリーを見つめた時だった。
リリーが自由に動かない筈の手をこちらに懸命に伸ばした。
そして次の瞬間
ガシャン!!
ガラスが粉々に砕けるような音がして、障壁が崩れた。
その音に驚き目を大きく見開いたリリーは伸ばしたその手を反射的に引こうとしたが、僕はもう彼女と離れる事など二度と耐えられそうになかったから、彼女の手を強く握って攫うように僕の両の腕の中にきつくきつく抱きしめた。
「リリー、愛してる、愛してる、愛してる」
これまで言葉を惜しんできたせいで気の利いた他の言い回しが咄嗟に思いつかず、短いオルゴールが同じフレーズを繰り返すように、リリーを強く抱きしめたままその言葉を繰り返せば、リリーがおずおずと僕の背中に手を回してくれた。
その仕草は、天使というよりも年相応のただの不器用な女の子のそのもので、それがまた酷く愛しくて思わず笑い声を漏らせば、リリーの頬と耳がやっぱり初心な少女らしく真っ赤に染まった。
「『もしもの時は消し炭も残らないよう私の事倒してね』っていう願いを聞いてあげられなくてごめんね?消し炭も残らないようにするって願いを叶えて上げられなかったお詫びに、何でもリリーの他の願いを叶えてみせるよ。でも、この国の王妃になりたいだけなら王はゼイムスじゃなくて僕でもいいでしょ? 」
そんな事を言えば、リリーは王妃の座にもゼイムスにも全く興味はないのだと酷く困惑した表情を見せた。
そうして、
「じゃあさ、リリーがこの国に興味がないなら、今すぐ一緒にどこか遠くの国に行こうよ。僕もさ、この国は歪んでて好きじゃないんだ」
そんな荒唐無稽な僕の提案もあっさり呑んでくれたから
「別の国に着いたらそのご褒美に初めて会った時の様に一緒にお茶をしてよ。今度は僕が君の為にお茶を用意する。スコーンやサンドイッチだけでなく、ケーキもジャムも紅茶もフルーツもクッキーも、本当に食べきれないくらい用意しよう。そして昔みたいに一緒に沢山笑ったらさ……あの時してくれたみたいに、また僕の髪を撫でてよ?」
思わず口が滑ってそんな事まで言ってしまった。
言ってしまって、馬鹿な真似をしたと思わず自分の口を押えた。
初めて会った日のお茶会の思い出は僕にとっては掛け替えのないものでも、きっとリリーにとっては取るに足りない、きっとそんな事もあったかどうかわからないくらいの出来事だろう。
痛い時、消えてしまいたいくらい辛い時。
リリーと会う事が叶わなくなってからも、あの日あの時の事を思い出す事によって自分を保ってきた。
だから、あの日の僕の大切な思いを、例えリリー自身にだって
『何の話?』
『そんな事もあったっけ?』
そんな言葉で汚されたくなんてなかった。
本当に馬鹿な事を口にしてしまった。
そう思えば苦しくて、思わず目を伏せたその時だった。
「……うん、そうしよう。私もそうしたい! ウィルは今でも苺ジャムが好き? もしそうなら、苺ジャムは一番おいしいのを二人で買いに行こうね」
唯の女の子になったリリーが、変わらず眩しく笑ってそんな事を言った。
苺ジャム?
言われて初めて思い出す。
そう言えばあの日、僕はスコーンに苺ジャムを塗った。
選んだ理由は単純で、テーブルの上には色とりどりのジャムが綺麗に並べられていたが、どれも食べた事なんて無くて味の想像がつかなかったから、リリーの髪の色と同じ綺麗な赤に惹かれて苺ジャムを選んだのだ。
そう言われて思い出せば、リリーがお土産と称して持って来てくれる菓子の中には苺ジャムが使われたものが多かった気がする。
別に苺が特段好きな訳ではなかったが、リリーがくれる物は僕にとっては何でも特別で、いつだって大切に食べていたから、リリーに苺ジャムが好きだとずっと勘違いさせていたのだろう。
あの日の思い出は僕にとってだけの大切な思い出で、僕だけが全て大切に覚えているのだと思っていた。
それなのに、リリーは僕が忘れていた事までも覚えてくれていた。
そんな事がどうしようもなく嬉しくて、これまでゼイムスや双子達から植え付けられて来た恐怖心の一切が、残った雪が春の暖かな日に、陽だまりの中綺麗に溶けていくように消えてしまうのが分かった。
囚われていた幼い思考を脱却していろいろ冷静に思い返してみれば、僕に対して行って来たゼイムスのあの所業は到底子どもが自分で思いつき得るものでは無い事にあっさり思い至った。
恐らく、ゼイムスは自分がされた通りの事を、僕にやって見せていたのだろう。
だから、リリーと共に死んだように偽装した後、国を離れる前に僕は一人ゼイムスの前に姿を現した。
そして僕は復讐のため、そしてわずかばかりの同情を込めてゼイムスに魔法をかけたのだった。
ウィル編、書きあぐねてしまいupするのに時間がかかってしまいました。
それにも関わらず、引き続き読んでくださってありがとうございます。
お休みしている間も読んでくださった方、誤字報告くださった方、本当にありがとうございました。
次は魔法をかけられたゼイムスがどうなったかの話になる予定なので、もうちょい続きます。




