番外編 彼女の部屋
ウォートン家で働いていたメイドたちから聞いたセシーの部屋がもので溢れているという話は比喩ではなく事実だった。
「改めて見ると、やっぱり酷いですね」
セシーが恥じるように呟いた。
クローゼットや本棚もあるにはあるが小さくて、そこに収まりきらないものが部屋中を占拠していた。
ソファやベッドの上にかろうじてひとりが座ったり寝たりできるくらいの隙間は見えた。
もちろん、セシーなら可能ということで、私には無理だ。
足の踏み場もないとはこういうことかと唖然としていると、セシーが迷う様子もなくポンポンと部屋の中に足を進めていった。
どうやら足の踏み場も一応あるらしい。
セシーが正式に私の婚約者になって数日、彼女と一緒にウォートン家の屋敷を訪れた。
ウォートン伯爵がセシーを跡継ぎとする届を王宮に出すということで、その書類の確認のためだ。
予想より早かったのはこちらの心象を少しでも良くしたかったからだろう。残念ながら、特に変化はないが。
ウォートン嬢がマリーヌ校にいるはずの時間を狙って来たので、応接間で私たちを迎えたのは伯爵夫妻のみ。
意外にも、ウォートン嬢はきちんと登校しているようだ。
書類の確認が済むと私は隣のセシーに声をかけた。
「セシー、他に用事はあるか?」
セシーは私を見上げ、それから伯爵夫妻のほうを向き、だが俯き気味に口を開いた。
「いくつか持ち帰りたいものがあるのですが、部屋に行っても構いませんか?」
それはただ両親に対しての問いかけだ。
私に訊いたところで否と返すはずがないのをセシーはもうわかっている。
伯爵は強張った顔で「構わない」と応え、私は応接間に留めてセシーひとりで部屋に行かせようとした。
もちろん私はセシーとともにソファから立ち上がった。
どおりで、伯爵が私にセシーの部屋を見られたくなかったはずだ。
部屋があるのは屋敷の二階で日当たりも悪くない。
埃が溜まっているということもないから、セシーがいなくなってもメイドたちが掃除をしていたのだろう。
だとしても、こんな雑然とした部屋に閉じ込められていたら、それは本の世界にでも逃避するしかなくて当然だ。
案の定、セシーはドレスの山には見向きもせずに、本の塔の前で膝をついた。
そこから次々に抜き出した本で、新しい塔を築いていく。
私も意を決して部屋の中に足を踏み入れた。絨毯が現れている場所を探して慎重に進みながら、周囲を眺めた。
やはりドレスはどれも汚れや皺がついていた。きれいなものもあるかと思えば、セシーが着られない小さなものばかりだ。
壁際の一角には壊れたおもちゃや人形、棚の上には折れたペンや髪飾り。
すべてを片付けてなかったことにされてしまう前に目にすることができて良かったと思う。
溜息を堪えてセシーに近づくと、気づいた彼女が振り向いた。
「ごめんなさい。何冊かだけのつもりだったんですが、いざとなるとあれもこれもと思ってしまって」
「別に選ばなくても、全部持って帰れば良い」
「でも……」
「ウォートン嬢に買い与えた本が誰の部屋に置かれていて、誰が読んでいたのか、君の両親が知らなかったはずがない」
それを直接セシーに手渡すことはできなかったのかと思うと腹が立つが、ここでは飲み込んだ。
「それに、君はウォートン次期伯爵だ。つまり、この屋敷も将来は君のものになる。姉上に何の遠慮もする必要はない」
セシーがコクリと頷いたので、私は開いたままの扉の外に声をかけた。
「この部屋にある本をすべてラトクリフの屋敷に運んでくれ」
そこにはメイドを中心にウォートン家の使用人たちが集まっていた。
皆、セシーのことを心配していたのだろう。安堵したような明るい表情が並んでいる。
セシーがウォートン家を継ぐことになって喜んでいるのも伝わってきた。
「かしこまりました」
すぐに使用人たちに指示を出しはじめたのは、あの執事だ。
今日も最初に玄関で顔を合わせた執事は、「私どもの願いを叶えてくださり感謝いたします」と頭を下げた。
「本以外のものは処分してもらえるかしら」
セシーがやや硬い表情で言うと、執事は「承知いたしました」と穏やかに応えた。
「では、そろそろ帰るか」
その前に、ラトクリフ領までセシーを送り届けてくれた御者にも会わねばならないが。
「あ、一冊だけ持って行って良いですか」
言いながら、セシーは本棚に手を伸ばした。抜き出したのは『真の王冠』。
私の部屋にあるものと同じ本だ。
セシーがペラペラと頁を捲り、半ばほどで手を止めた。
横から覗き込むと数輪の小さな白い花が挟まれているのが見えて、自然と口元が緩んだ。
「この花、覚えていますか?」
「もちろん。私も『真の王冠』に挟んである」
セシーは目を瞬いてから、可憐な花のように微笑んだ。