番外編 家族紹介
ラトクリフ領から王都に戻った日、バート様がお屋敷の中を案内してくれた。
「ここは前にも見たな」
そう言ってバート様が扉を開けたのは居間だった。
「はい。あの時は本当にお世話になりました」
ほんの一月ほど前のことが懐かしく思えるのは、私の境遇に劇的な変化があったからだろう。
バート様も同じように感じているのがその表情から窺えた。
「私は自分のやりたいことをしただけだ」
バート様が私を大切に想いあれこれ気にかけてくれていることを、今では日々実感している。
居間自体はあの日と何も変わっていなかった。
あの日のように暖炉に火が点っているのは、あの日私が寝かせてもらったソファに今はお祖母様が座っていらっしゃるためだ。
こうして改めて見ると、この部屋はとても温かく落ち着いた空間だった。
きっとラトクリフ公爵家の方々の人柄が反映されているのだろう。
暖炉と反対側の壁一面にはたくさんの絵が飾られていた。
玄関ホールや応接間でも有名な画家の手による豪華な絵画を何枚も見せてもらった。
でも、居間に並ぶ絵はどれも優しい雰囲気だった。すべて肖像画だ。
そのうちの一枚に、私は目を止めた。
画面いっぱいに描かれたていたのは、まだよちよち歩きの赤ん坊。ぷくぷくと健康そうなその顔の額から左頬には黒い痣があった。
「この男の子、もしかしてバート様ですか?」
「ああ、そうだ」
「可愛い」
「……セシーにそう言われるのは複雑だな」
「あ、こちらはお祖母様ですよね。ということは、隣の方がお祖父様でしょうか?」
おそらく三十代くらいのご夫婦の肖像画だ。
「そうよ」
お祖母様がソファから立ち上がり、私の横に来られた。
「バート様はお祖父様似なのですね」
「ええ、あの人はバートほど大きくはなかったけれど」
絵の中のお祖父様を見つめて、お祖母様がフフッと笑った。少しだけ寂しそうに。
「せっかくだから、他の家族も紹介しておくわ。まず、これがバートの両親よ。結婚してすぐの頃ね」
お父様はどことなくお祖母様に似ていらっしゃった。現在は、やはり公爵らしい威厳を纏っておられるのだろうか。
お母様のほうはおっとりと柔らかい印象を受けた。
「次に、私の娘たち。ちょうどあなたに貸したドレスを着ていた頃かしら」
バート様からすると、伯母様と叔母様がおひとりずつ。
なんと叔母様のほうは王弟殿下に嫁がれているそうだ。
つまり、バート様がドレスについて教えてもらおうとしていた従姉妹たちの半分は王家の出身。今は皆様ご結婚されて王族ではないというけれど、どちらにせよ畏れ多いことには変わりない。
「それから、こちらが私のお父様よ。おそらく、今のバートと同じくらいの歳ね」
そう、お祖母様のお父様が元王子殿下なのだから、そもそもラトクリフ家は王家との距離感が近いのだろう。
いつか『貴族名鑑』で見た初代ラトクリフ公爵の肖像は素描だった。
それを抜きにしても、こちらの絵のほうがお人柄がよく伝わってくる。
見た目はまさしく『真の王冠』の王子様だ。寄り添っているのは騎士様の愛馬のような黒い馬、腰にも立派な剣を差しているけれど。
真っ直ぐこちらに向けられた笑顔はとても柔らかい。
「バート様の髪や瞳の色は曾お祖父様譲りなのですね」
「顔立ちはまったく違うのに、不思議だよな」
「バート様はお会いしたことはあるのですか?」
「幼いうちに亡くなったからぼんやりとしか覚えていないが」
「バートのことをとても可愛いがっていたわよ」
お祖母様がその光景を思い出してか、目を細められた。
「そして、母方のお祖父様とお祖母様。母がこちらに嫁ぐ前だから、四十代かしら」
「確か、お祖父様が『真の王冠』をタズルナ語に訳してくださったのですよね」
エルウェズ王家の血を引く公爵もやはり威厳たっぷりなのだろうかと思いながらその肖像に視線を向けて、目を見開いた。
一目で男性だということはわかるが、物凄く綺麗な方だ。
「あとは、エルウェズの伯父様伯母様たちに、従兄弟たち」
やはり綺麗な方が多い。
ちなみに、お祖母様の従姉にもエルウェズの王族に嫁がれた方がいるそうだ。
半ば呆然としていた私は、ふと疑問を覚えた。
「曾お祖母様の肖像画はないのですか?」
曾お祖父様のご親戚の肖像がないのは、王族だからだろう。でも、エルウェズの曾お祖母様のご親戚は揃っているのに。
「ああ、お母様はここよ」
お祖母様が示したのは他の絵に比べてひときわ小さな絵で、私はますます首を傾げた。
「家族の絵はよく描くのに、自画像はあまり描きたがらなかったのよね」
「では、ここにある絵は曾お祖母様が描かれたのですか?」
「そうよ。なかなかのものでしょう?」
「はい。どれも優しい雰囲気で」
その根底にあるのは、家族への愛情なのだろう。
特に曾お祖父様の絵。あの笑顔は、画面のこちら側にいらっしゃったのが曾お祖母様だったからこそ描けたものに違いない。
「私もお会いしたかったです」
できれば私も肖像画を描いていただきたかった、というのはおこがましいだろうか。
そんな私の気持ちを読んだように、お祖母様が微笑んだ。
「きっと生きていれば嬉々としてバートとセシリアの並んだ姿を描いたでしょうね。だけど、絵だけではないのよ。女主人の仕事はもちろん父の仕事も手伝うという以上のことをしていたし、自分でも物語の翻訳をしたし、乗馬も好きだったし」
「乗馬をなさったのですか?」
「ええ。乗馬なら私も経験があるわよ」
女性でも乗馬できる方がいるのは本で読んで知っていたけれど、実際に会うのは初めてだ。
「私でも、できますか?」
「やってみたら良いわ。バート、教えてあげなさい」
「私がですか?」
「私はもうしばらく乗っていないし、他人任せにするより自分でしっかり教えたほうが安心でしょう」
「まあ、そうですね」
バート様が渋々といった表情なのは、過保護ゆえだろう。
初めて会った時のようにバート様の馬に乗せてもらったほうが楽で安全だと私も思う。
でも、実はバート様と馬を並べて走らせるところを想像したことが何度もあった。
それはもう叶わぬ夢ではないのだ。
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