23 あるべき形
新しい年が明けた日、ラトクリフ領都に雪が降った。
積もるほどではなかったが、セシーはすぐに庭に出て無邪気な顔で空に向かって手を伸ばしていた。
私は少し離れた場所に立ってセシーの可愛いらしい姿を堪能してしまったが、彼女が凍えないよう後ろから抱きしめておくべきだったかもしれない。
二軒のドレス店からは、それぞれドレスが届けられた。
サイズもセシーの身体にピッタリ合わせられたドレスは、やはり彼女にとてもよく似合った。
それから数日後、早めの昼食をとってからお祖母様とセシーとともに王都に向かって出発した。
途中の宿場町で一泊すると告げると、セシーに尋ねられた。
「お祖母様がご一緒だからですか?」
お祖母様の視線が冷んやりするのを感じながら、セシーに正直に打ち明けた。
「すまない。これが通常の行程なんだ。君に無理な旅をさせたことは心から反省している。こちらに来るのはウォートン嬢だと思い込んでいたから……。いや、今後は誰に対しても王都からラトクリフ領までは二日の旅だと言うつもりだ」
セシーは目を瞬いてから口を開いた。
「あの時はバート様に会えると思って興奮していたので、少しも辛くなかったですし、むしろ旅が一日で終わって良かったくらいです」
だが、そうやって私のもとにやって来てくれた彼女を、私はあんな形で迎えてしまったのだ。
あれは何度謝っても足りない。
私が改めて落ち込んだことに気づいてか、セシーはにっこり笑った。
「バート様、今となってはもう、あの夜のことは笑い話ではありませんか。ですから、これ以上私に謝っていただく必要はありません。ただ、もしもあの時の御者に会うことがあれば労ってあげてください」
彼女らしい言葉に、私は頷いた。
「約束する」
「ありがとうございます」
お祖母様の目があるとはいえ、セシーと一緒の旅は心弾むもので、あっという間に王都の屋敷に到着してしまった。
馬車から降りると、セシーは感慨深げに屋敷を見上げた。
「またこちらに来られるなんて思っていませんでした」
「あの時とは違う。これからは君にとってもこの屋敷が王都で帰るべき家だ」
「はい」
そのあたりは我が家の使用人たちも心得たもので、セシーのことも「お帰りなさいませ」と迎えた。
屋敷にはいくつか知らせが届いていた。
王宮のレイからは、私の婚約者の変更に関しては国王陛下も承知されているので問題ないこと。
そして、ウォートン家を見張らせていた者からも。
「年末のパーティーにフレデリカ・ウォートン嬢が姿を見せ、オーガスト・テニスン殿相手に少々騒ぎを起こしたそうです。本人はセシリアを名乗っていたようですが、信じた者はほぼいないらしいのが幸いでしょうか」
そう報告すると、お祖母様は呆れ顔になった。
「本当に困ったお嬢さんね。家で大人しくしていられなかったのかしら。セシリアの姉だからできるだけ穏便に済ませてあげたかったのに、自分で自分の首を絞めるなんて」
「とにかく、予定どおり明日の朝、ウォートン伯爵に手紙を届けさせます」
すぐにあちらから反応があれは、明日中に決着がつくだろう。
「今度こそフレデリカ嬢に会えるのね。楽しみだわ」
そう言うお祖母様の満面の笑みはなぜか怖い。
「あの、ウォートン一家との対面の場にはお祖母様にも同席していただくつもりですが……」
「わかっているわよ。これはバートの問題なのだから、私は必要がないかぎり口を出しません」
「それでお願いします」
お祖母様がそこにいるだけで頼もしい存在なのは間違いないが、頼ってばかりでは情けない。
こちらでもセシーにはとりあえず客間を使ってもらうことになった。
落ち着いた頃を見計らってそこまで迎えに行き、彼女をエスコートして屋敷の中を案内した。
最後に私の部屋に招いてソファに並んで腰を下ろし、レイと見張りからの知らせやおそらく決着が明日になるであろうことを彼女にも伝えた。
セシーは穏やかな表情でそれを聞いていた。
「最初にバート様から私を婚約者にすると言われた時には現実感がないと思ったはずなのですが、バート様やお祖母様との生活にすっかり馴染んでしまって、今では実家で暮らしていたことのほうが夢だったようにさえ感じられます」
彼女はどこか遠くを見つめるようにそう言ってから、大事な秘密を打ち明けるように私に身を寄せ、声を潜めた。
「実は、皆様がバート様の婚約者として扱ってくれるので、まだ正式には違うということを忘れてしまいそうでした」
私は顔が緩むのを感じながら、セシーの頭を撫でた。
「私も、もうずっと前からこうしてセシーと一緒にいたような気がしているし、これからもずっと君と一緒にいられると何の疑いもなく信じている。もちろん、そのために必要なことはすべてするつもりだが」
毎日顔を見て、声を聞いて、触れることができるようになってもセシーを愛しく思う気持ちは変わらない。むしろ、ますます強くなっているかもしれない。
だが、セシーがそばにいる生活には何の違和感もなかった。
「きっと、こうしてふたりで一緒にいることが、私たちにとってはあるべき自然な形なのだろう」
「そうですね」
私の隣で幸せそうに笑ってくれるセシーを片手で抱き寄せ、もう一方の手をその頬に添え、口づける。
もはやこのくらいの行為は日常になってしまったが、やはり胸が高鳴る。
少しずつ角度を変えて何度か繰り返してから離れると、頬を染めたセシーが私を真っ直ぐに見つめて言った。
「私からも、バート様に触れて良いですか?」
「セシーは私に好き勝手触られるのは嫌か?」
質問に質問で答えると、セシーがブンブンと首を振った。
「いいえ、嬉しいです」
「私も同じだ。君に触れられて嫌なはずがない。だから、わざわざ許可を得る必要はない」
セシーはコクリと頷くと立ち上がり、私の正面、両膝の間に移動してきた。
そして、やや緊張しているような表情で徐に両手を伸ばすと、そのまま私の両頬に触れた。
思わず肩が跳ね、セシーは慌てた様子で手を引いた。
「ごめんなさい」
「いや、違うんだ。あまりにも躊躇いなく痣に触れるから、驚いた」
セシーは不安そうな顔になった。
「やはり痛むのですか?」
「そうではなくて、君はこれを厭わしいと思わないのか?」
「思いません」
きっぱりと応えた彼女は、不思議そうな表情を浮かべた。
そういえば、初めて会った時もセシーはこんな顔をして、「バート様は怖くない」と言いきったのだったか。
そんな彼女だから、正直に話してしまうことにした。
「そう思う人が多いんだ。気味が悪いとか、禍々しいとか。おそらくは君の姉も」
「私は、バート様が特別な方だという証なのだろうと思っていました」
セシーがどこか申し訳なさそうに呟いた言葉に私は毒気を抜かれた気分になり、気づけば笑っていた。
「なるほど、私がセシーの特別だという証か。これは君に見つけてもらうための印だったんだな」
両腕を彼女の背に回した。
「セシー、もっと触れてくれ」
彼女はまた頷いて、その右手の指先で私の左頬にそっと触れた。
一度離れた指は次には額の中央に降り、私が閉じた瞼の上を通って再び左頬へ。
目を開くと、セシーの顔が間近に見えて、咄嗟にまた閉じた。
先ほど指が辿ったのと同じ場所を、今度は彼女の唇が触れていった。
堪らずセシーを抱きすくめて、彼女の唇に自分のそれを押しつけた。
いつもより強引な行為にも動じず、受け入れるように私の首に両腕を巻きつけたセシーの腰を強く引き、彼女を片脚の上に座らせる。
初めてのことに驚いたのか逃げようとする彼女をしっかりと捕まえて、その口中に舌を差し入れた。
セシーの身体からすっかり力が抜けてしまってから彼女の唇を解放すると、真っ赤な顔の彼女が潤んだ瞳で私を見つめてきた。
「バート様」
セシーの声は少し掠れていた。それが何とも艶めかしい。
彼女に短く口づけた。
「セシー、バートと」
「バート?」
また、口づける。
「これからはそう呼んで」
「……バート」
「セシー」
二度目の深く長い口づけを終えた時には、セシーはクタリと私にもたれかかってきた。少しやり過ぎてしまったようだ。
彼女の頭に頬を寄せ、背中を撫でながら、私は心の内で早く結婚したいと呟いた。