21 クリスマスマーケット
歩き出して間もなく見えてきたクリスマスマーケットにはたくさんの屋台が出ており、大勢の人で賑わっていた。
「やはり混み合っているな。絶対に私から離れるなよ」
繋いだ手の力を強めると、セシーは無邪気に笑った。
「でも、バート様は背が高いから、逸れてしまってもすぐに見つけられそうです」
「そんなことを言うとは、あんな風に抱き上げていたほうが良いか?」
私たちの前方で腕に抱いている幼い娘と何やら楽しそうに話している父親を示して軽い口調で言えば、セシーは顔を曇らせてしまった。
「バート様にとって、私はやはりまだ子どもですか?」
「子どもだと思っていたら求婚などしていない。ようやくこうして一緒にいられるようになったのに、わずかな時間でも見失うのが怖いんだ」
実際のところ、私たちには侍従のデリックやメイドのベラなど数人がついているからセシーと逸れることはまずないだろうが。
セシーは私の手をぎゅっと握り返すと、真剣な面持ちでこちらを見上げた。
「絶対に離れません」
そんな様子さえ可愛いくて、本当に抱いて歩けたら安心なのにと考えてしまう。
これでは駄目だと視線を周囲に向けた。
広場に並ぶ屋台には、クリスマスらしい雑貨類を扱うところと、温かい食べ物や飲み物を売っているところとがあった。
セシーは綺麗な装飾品や置物などに目を惹かれている一方、どこからともなく漂ってくる美味しそうな香りにその可愛い鼻を小さく反応させていた。
「セシー、何が欲しい?」
「何も要りません。もうドレスをたくさん買っていただきましたから」
予想どおりの応えだが、私はドレス選びであまり役に立てなかったことをここで面目躍如しなければならない。
「あれとこれとは別だ。ほら、あそこはどうだ?」
やや強引にセシーの手を引き、先ほど彼女が横目で見ていた装飾品の屋台の前に立った。
台の上に並べられたアクセサリーは、高級な品ではない。クリスマスマーケットは平民が多く利用するので、彼らが手を出しやすい価格帯の商品が並んでいるのだ。
次期公爵夫人に相応しいアクセサリーはおいおい買うとして、今はセシーに初めてのクリスマスマーケットの雰囲気を味わってほしい。
セシーに似合いそうなものをいくつか手に取って見せると、彼女の目がキラキラして見えた。
その中からセシーが選んだ雪の結晶のような模様が彫り込まれたブレスレットを左手首につけると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
支払いを済ませると、すぐにまた別の屋台へとセシーを導いた。
こちらには冬らしいふわふわした髪飾りが並んでいた。
「どれが良い?」
「バート様、ブレスレットだけで十分です」
これまた想定内の応えに、私はセシーの耳元で囁いた。
「私が一軒の屋台にしか金を落とさないのは色々よろしくないと思わないか?」
特徴的な外見をしている私がラトクリフ家の嫡男であることを、屋台の者や周囲にいる者たちに気づかれないはずがない。
それなのにクリスマスマーケットで買ったものがブレスレット一つだけだったとしたら、次期領主はケチだと噂になるだろうし、先ほどの屋台が他から妬まれる可能性もある。
聡いセシーはそのことを瞬時に理解してコクコクと頷いた。
私の本音がひたすら彼女にこの場を楽しんでほしいだけだということは気づかれなかったようだ。
「これなどセシーに似合うのではないか?」
白い髪飾りを指差すと、セシーがそれを手に取って髪にかざしてみせた。
「どうですか?」
「良いな。だが、こちらも似合いそうだ」
赤、さらに緑と目につくままセシーに勧めていく。
結局、セシーは初めのものとは別の白い髪飾りを選び、私がそれを彼女の髪につけた。
屋台の間を抜けて広場の中央に向かうとクリスマスツリーが飾られていて、セシーが小さく歓声をあげた。
王都ではもっと大きなツリーを見ることもできるが、セシーは見たことがなかったのだ。
同じような反応を、今日だけで何度見ただろうか。
セシーはずっと狭い世界で生きることを余儀なくされてきて、私が当たり前に見聞していたことも彼女にとっては本の中の物語に等しかったのだ。
セシーの輝くような笑顔を見つめながら、今まで彼女ができなかったすべてを実際に経験させることが私の役目だと決意した。
次には食べ物の屋台のほうへと足を向けた。
セシーは屋台に並ぶものやすれ違う者たちが手にしているものを物珍しげに見つめた。
「何が食べたい?」
「どれも美味しそうに見えて………」
「気になるものはすべて食べてみればいい」
「そんなことをしたら、夕食が食べられなくなってしまいます」
セシーの心底困っているような表情に、思わず笑った。
「それなら、私が適当なものを見繕おう」
「はい、お願いします」
私はセシーを連れていくつか屋台を回り、クリスマスマーケットの定番だろうものを買い求めた。
焼いたソーセージや厚切りの豚肉、マッシュルーム、ナッツと砂糖たっぷりの焼菓子、ホットワインにホットチョコなどなど。
歩きながらはセシーには難しそうだったので、広場の一角にある花壇のそばで食べることにした。
セシーはまだ悩ましげな様子だったので、私が先に豚肉を食べてみせると、セシーもソーセージを手に取った。
「美味しい」
「それは良かった。こっちも味見するか?」
私が豚肉をセシーのほうに差し出すと、彼女は戸惑う顔になった。
確かに貴族社会では眉を顰められる行為だ。
「ここでは皆が普通にやっていることだ」
折良く、そばにいた家族連れが何かを挟んだパンを分け合って食べていた。
一つのカップを交互に口に運んでいる若い男女の姿もあった。
彼らを見て納得したらしいセシーが、その小さな口を開いて豚肉にパクリと噛みついた。その顔が輝き、ゆっくりと味わうように咀嚼する。
「まあ、お祖母様が見ていたら間違いなく叱られただろうが」
わざと後から言い足すと、セシーは目を丸くした。
「やはり、そうなのではありませんか」
豚肉をしっかり飲み込んだセシーに恨みがましい目を向けられたが、愛しさしか覚えない。
「美味くなかったのか?」
「とても美味しかったですけれど」
「だろう? 誰もお祖母様に言いつけたりしないから大丈夫だ」
ソーセージを持っているセシーの手を引き寄せ、私もそれを口にした。
「うん、これも美味い。セシーと一緒だから余計にだな」
そう言って笑えば、セシーの表情もまた緩んだ。
食べ終えた頃には、冬の空はすっかり暗くなっていた。
それでも、広場はあちこちに設置されている角灯のおかげでだいぶ明るい。
昼間とは違いどこか幻想的でいながらさらに華やいだ雰囲気にうっとりしているセシーを連れ回し、陶器の鳥や青い宝石箱などなどを買った。
十数軒目に足を止めた屋台には本が並んでいた。ここは間違いなくセシーが好きそうだと彼女を窺えば、やはりその目が釘付けになっていた。
どれもクリスマスに関連した内容のようだ。
「好きなだけ選べ」
それだけ告げて隣で見守ることにすると、セシーは前のめり気味に本を眺めはじめた。
私が彼女の手を解放し、代わりに腰に腕を回したのにも気づかず、気になるらしい本を両手に取っていく。
しばらくして、セシーは一冊の本を私に見せた。
「これにします」
「一冊でいいのか?」
「一番読みたい一冊です」
セシーはどこか誇らしげだった。
昨日お祖母様に聞いた、セシーが初めて領主館の図書室に行った時の話を思い出した。
彼女はやっと自分の望むものを選べるようになったのだ。本もドレスも。
「面白そうだな。後で私にも読ませてくれ」
考えるより先に手を伸ばして彼女の頭を撫でてから、また子ども扱いしたと思われるだろうかと心配になったが、セシーはただ気持ち良さそうに目を細めた。
ふたりきりなら絶対に口づけていたところだ。
絵本や物語が多い中、『クリスマスの起源』などという本を選ぶのがセシーなのだなと改めて認識しつつ、支払いをした。
「そろそろ帰るか」
少々名残惜しさを感じながら言うと、セシーはむしろ嬉しそうに「はい」と頷いた。
「疲れたか? ずいぶん歩かせてしまったからな。悪かった」
「いえ、少し疲れましたが、とても楽しかったです。だけど、それ以上にバート様と同じ場所に帰れることが幸せで」
くしゃりと笑った彼女をここで抱きすくめるわけにもいかず、ただ内心で悶えた。
いや、セシーの言うとおり、これから彼女と同じ場所に帰るのだから……。