20 初めて街へ
バート様と再会して思いがけず気持ちが通じ合ったことに加えて、生まれて初めての買い物のための外出が決まり、その夜、私は興奮してよく眠れなかった。
だけど、翌朝には同じ理由で早くに目が覚めてしまった。
カーテンを開けて窓から眺めた光景は前日までとほとんど変わらないはずなのに、泣きたくなるほど美しく見えた。
身支度が整って間もなく、客間にバート様がやって来た。
私は今まで誰かにエスコートしてもらったことがなかったので、早く慣れるようできるだけ練習しておきなさいとお祖母様に指示された。次期公爵夫人になる以上、今後は社交の場など人前にも出なければならないからと。
そのため、昨夜は食堂に移動する時も客間に戻る時もバート様がエスコートしてくれて、今日もこうして来てくださったようだ。
朝からわざわざ申し訳ないと思ったけれど、バート様はまったく気にしている様子のない柔らかい笑顔を浮かべていた。
「おはよう、セシー」
「おはようございます。バート様、こちらに来てください」
私はバート様を手招いて窓際へと連れて行った。
「ラトクリフ領都はとても美しいところだと本で読んで、ここに来て初めてこの景色を見た時には想像以上だと思いました。でも、今朝が一番綺麗に見えます」
バート様の笑顔を見た瞬間、私は彼にこのことを伝えたくなっていた。
「セシーの言うとおりだな。ここはこれほど美しい場所だったのか」
そう呟きながら、バート様は私の肩を抱き寄せた。
「これから君といれば、きっと同じように思えることが何度となくあるのだろう」
バート様が同じように感じていることが嬉しくて見上げれば、私の緩んだ口を彼が塞いだ。
「こういうことは、朝からして良いものなのですか?」
戸惑って尋ねると、バート様は妖しく笑んだ。
「想い合う婚約者となら、時間は関係ない。誰も見ていないしな」
確かに、先ほどまで部屋にいたベラはバート様と入れ替わりに出ていったので、今はふたりきりだ。
恋愛小説の中にも、朝から仲良くしている場面があった気がするけれど、結婚後だったような。
考えこんでいると、再びバート様の唇が降ってきた。
「君が嫌なら、朝はこれで最後にする」
「……もう一度ください」
自分の欲求に逆らえず、私は素直に彼の言葉を信じることにした。
朝食をいただいてから改めて身支度を整え、バート様とお祖母様と一緒に領都の街に出かけた。
馬車がドレス店の前に到着すると、先に降りたバート様が私とお祖母様が降りるのに手を貸してくれた。
周囲にいた人々の視線がこちらに向けられるのが感じられた。
馬車にはラトクリフ家の家紋が描かれているのだから、そこから降りてきたのが前領主と次期領主であると皆すぐに気づいたはずだ。
彼らの目に私はどんなふうに映っているのだろうと気になり、自然と背筋が伸びた。
私はこの日もお祖母様からお借りした外出用のドレスと上衣で身を包んでいた。
ベラが整えてくれた姿を見てお祖母様は頷き、バート様は「今日も可愛い」と言ってくれたから、私の見た目に特に問題はないと思うのだけど、やはりドキドキした。
バート様が差し出してくれた腕に手を絡めた。上衣の上からでもわかる太くて逞しい腕と、私を見下ろす優しい眼差しに安心感を覚える。
来店することは知らされていたようで、ドレス店の中に入ると店員であろうふたりの女性が待ち構えていた。
お祖母様は彼女たちに私をバート様の婚約者と紹介してくださった。
「噂には聞いておりましたが、若領主様がこんなに可愛いらしいご婚約者を連れていらっしゃるなんて」
「彼女のドレスがほしいのだけど、年明けに必要だから仕立てる時間はないの。似合いそうなものを見せてもらえるかしら」
「かしこまりました」
「セシリア、彼女がここの店主のマリアよ」
お祖母様が店員のひとりを示して仰った。
「この店にあるすべてのドレスを把握しているから、選ぶのを手伝ってもらいなさい」
「はい。マリアさん、よろしくお願いします」
事前にお祖母様にいただいた助言によると、ドレス店でドレスを選ぶのも図書室で本を選ぶのとそう変わらないそうだ。
自分がどんなドレスを着たいのかを考え、それにもっとも合うものを見つける。
図書室で困ったらお祖母様に相談するが、ここではマリアさんに訊けばいいわけだ。
そして、ドレスは顔立ちや体型、髪の色、雰囲気などによって似合う似合わないがあるので、試着してしっかり確認しなければいけない。
とにかく、婚約者としてバート様の隣に立っても彼に恥をかかせないドレスを選ぶことが私に与えられた課題だ。
クリスマスらしい華やかな飾り付けがされた店内には、様々な色形のドレスが並べられていた。
でも、私はドレスが所狭しと店中を埋め尽くしている光景を思い描いていたので、想像より少なかったことに少しホッとした。
ところが、昨日から考えていた私が着てみたいドレスのイメージをマリアさんに伝えると、彼女は店の奥へと入っていき数着のドレスを手に戻ってきた。
パッと見た印象だけで、店内に並べられたドレスより奥から運ばれてきたもののほうが数段質が良いのがわかった。
どれが良いかと私が見比べている間に、マリアさんはもう数着運んできた。
そのうえ、もう一度往復した彼女に「このあたりもお似合いになりそうですわ」などとさらに数着勧められた。
どれも素敵なドレスばかりを前に悩みに悩んで五着にまで絞り、試着をさせてもらって最終的に二着を選んだ。
私のイメージしていたものによく似たドレスと、マリアさんが勧めてくれたドレス。
無事に課題を終えて安堵と軽い疲労を覚えていると、もうひとりの店員と話していたお祖母様がやって来た。
「なかなか良いのを選べたわね。次はこちらを着てみてちょうだい」
笑顔のお祖母様の横には十着ほどのドレスが並んでいた。
結局、合計で五着ものドレスを買っていただいた。
それぞれ私の身体に合わせてサイズを直してもらい、後日、領主館に届けられることになる。
店の外に出ると先ほどより多くの人がいるようだったので、また背筋をシャンと伸ばして歩き馬車に乗り込んだ。
「思ったより時間がかかってしまったわね。次の店に行く前に昼食にしましょう」
お祖母様の言葉が御者に伝えられ、馬車が走り出した。
「バート、あなたは見立てに自信がないとか言っていたけれど、それ以前の問題じゃない」
ドレス店で私がバート様にどれが良いかと尋ねると、全部買えば良いとの応えだった。
お祖母様は離れたところにいたけれど、しっかり聞いていらっしゃったらしい。
バート様は眉を下げた。
「仕方ないではありませんか。セシーは何を着ても可愛いのですから」
「その中でも特にこれというものを見つけるのよ。それに、あなた自身の好みだってあるでしょう。妻を着飾らせることが義務だと言うなら、あなたも結婚前にもっと勉強なさい。さもないと、今後、セシリアのドレス選びに一切関わらせないわよ」
「わかりました。王都に戻ったらさっそく従姉妹の誰かに、……いや、王太子妃殿下に教えを請います」
おふたりの会話を黙って聞いていた私は、そこで慌てて言葉を挟んだ。
「ちょっと待ってください。私のドレスのことでわざわざ王太子妃殿下を煩わせるなんて駄目です」
「しかし、私は王宮に行けばたいてい妃殿下にお会いするから、従姉妹たちに会いに行くより早いんだ。ドレスについてかなりお詳しいだろうし」
バート様が王太子殿下の側近だという事実を改めて思い出しつつ、首を振った。
「そうだとしても、畏れ多すぎます」
「それほど堅苦しく考えなくていい。気さくな方だ。セシーもお会いすればわかると思うが」
私は目を瞠った。
「私が王太子妃殿下にお会いするのですか?」
「もちろん、今後はそういう機会もある。そういえば、王太子殿下がセシーと婚約したら連れて来いと仰っていたな」
「王太子殿下が?」
思わず身を強張らせると、バート様は目を細めて笑った。
「緊張する必要などない。君ももう言葉を交わしたことがある。初めて会った時、私と一緒にいたから」
そう言われて、急いでバート様と初めて森で会った時のことを頭に思い浮かべた。
確かに馬上でもうひとりの方とお話した記憶がある。
「もしかして、隣にいらっしゃった方ですか?」
バート様が「そうだ」と頷いた。
「申し訳ありません。お顔をぼんやりとしか覚えていません」
バート様の他に四人の方がいたことは覚えているけれど、私がお顔まではっきり覚えていたのはバート様だけだ。
バート様が私の特別だったから。
「気にしなくて大丈夫だ。それに、王太子殿下ではなく私の友人に会うんだと気楽に考えてくれ。私は普段は敬語を使わないし、レイと呼んでいる。セシーのことでは色々と相談にも乗ってもらった」
王太子殿下のお名前はレイモンド・ウォルフェンデン様。
私にとっては物語の登場人物以上に遠い方だと思っていたのに、バート様は愛称で呼ぶことを許されるほど親しいのだ。
「他にも三人いらっしゃいましたよね?」
「ああ、彼らはレイの護衛、つまり本物の騎士だ。あの時は王家直轄領に急遽視察に行った帰りだったんだが、お忍びだから人数を抑えるために私も護衛役を兼ねていたので長剣を下げていた」
「そう、でしたか」
話しているうちに、馬車は湖に面して建つレストランに到着した。
案内されたのは大きな窓辺の席だった。高台の領主館よりずっと近くに湖面を臨めて、思わず感嘆の声をあげた。
ここでお祖母様と私がいただいたのは揚げた川魚に野菜ソースをたっぷりとかけたもの。バート様は鹿肉のシチューだった。
どちらも、以前、お祖母様から伺ったラトクリフ領の名物料理だ。
レストランでの食事を終えると二軒目のドレス店に向かい、また五着のドレスを買っていただいた。
最初のお店と同様の流れで選んだ中、今度はバート様も「先ほどのドレスのほうが似合っていた」とか「私はこちらのほうが好みだ」と意見を言ってくれたので参考にした。
「とりあえず最低限は揃ったかしら。本当はもう一軒くらい見たかったけれど、あとは王都に行ってからにしましょう」
お祖母様の言葉に、私は密かにホッとした。
「私はちょっと疲れたから、一足先に帰るわ。あなたたちはせっかくだからクリスマスマーケットも見て来なさい」
お祖母様が一番お元気そうに見えていたから、私たちに気を使ってくださっているのかもしれない。
一旦、三人で馬車に乗ってクリスマスマーケットが開かれている広場の近くまで行き、そこでバート様と私は降車して館に戻るお祖母様を見送った。
「では、私たちも行くか」
「はい」
先ほどまでと違い、バート様はその大きな左手で私の右手を握ってゆっくりと歩き出した。