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1 ウォートン家の姉妹

暴力描写があります。

 フレデリカと私は双子で顔立ちこそ似ているけれど、性質はまったくと言っていいほど違う。

 明るく賢いフレデリカ、愚図のセシリア。


 そのせいで、物心ついた頃には両親の愛情はフレデリカに大きく偏っていた。

 愛らしい笑みを浮かべて甘えるフレデリカが望むままに様々なものを与えられる一方、その様子をぼんやり見ているだけの私は放置されていた。

 両親に「セシリア」と名前を呼んでもらえることさえ滅多にない。


 幼い頃は乳母のメラニーが私の面倒を見てくれていたけれど、彼女がいなくなってからは私にメイドが付けられることはなく、身支度などは自分でするようになった。

 フレデリカには常に数人のメイドが付いていた。


 両親からほとんど何も与えられなかった私の部屋は、いつしかフレデリカの部屋以上にたくさんのもので溢れていた。

 フレデリカが「私のお気に入りを貸してあげる」と言って置いていくから。

 小さくなった服、ほつれたリボン、腕のとれかけたぬいぐるみ、頁が折れたり破れたりしている本などなど。

 両親は優しい姉だとフレデリカを褒めた。


 双子なので体格に大差はなく、フレデリカに小さい服は私にも小さかった。

 それでも私はその中から自分の体が入りそうなゆったりしたデザインのものを選んで着るしかなかった。


 一度だけ思いきって、「私も新しいドレスが欲しい」と両親に言ってみたが、どこからともなく現れたフレデリカに背中を強く抓られてすぐに取り消した。


 食事に関しても同じようなものだった。

 好き嫌いの激しいフレデリカは隣に座る私のお皿に自分の嫌いなものを放り込み、好きなものを奪っていく。

 足を踏みつけられないよう、私は自分のお皿にのせられたものを黙々と口に運んだ。




 私たちが成長すると家庭教師が雇われたが、その講義を受けたのもフレデリカだけだった。

「愚図が一緒では足を引っ張られて勉強の進みが遅くなってしまう」とフレデリカが主張したのだ。

 私は家庭教師から学べることを楽しみにしていたけれど、フレデリカに反論することはできなかった。

 抓られた腕が痛かった。


 講義を受ける代わりに私は本を読むようになった。

 フレデリカが置いていく物語や子ども向けの本の中にも面白いものはたくさんあったけれどそれだけでは物足りなくなって、父の書斎にこっそり入ってそこに並んでいたものを手当たり次第に読んだ。


「愚図と一緒に出かけたらきっと問題を起こして自分たちが恥をかくことになる」とフレデリカが言い張るので、両親が姉だけを連れて出かけ、私は屋敷に置き去りにされるのもいつものことだった。

 領地へ行く時だけは私も一緒に馬車に乗せてもらえたけれど、フレデリカと同じ狭い空間にいなければならないのだから、私にとっては苦痛な時間でしかない。


 その日も両親とフレデリカだけで外出したので、私は姉の部屋に入り、家庭教師が教本にしている書物を手に取った。

 教本を夢中で読んでいると、いつの間にか戻ってきたフレデリカに見つかってしまった。


「愚図が本なんか読んだって何の役にも立たないでしょ」


 フレデリカはその本で力任せに私を打った。


 でも、その後も私はフレデリカが不在中に部屋に忍びこんでは教本を読んだ。


 ある時には、机の上に置きっぱなしになっていた紙に書かれていた問題を解いてみた。

 やはりフレデリカに見つかって打ち据えられた。

 自分の出した答えが正しいものかどうかは確認できなかった。




 私は十四歳になってマリーヌ校に入学する日を心待ちにしていた。

 しかし、「こんな愚図が妹だと知られたら自分まで馬鹿にされる」というフレデリカの言葉で、入学できなかった。


 家庭教師による講義が終了した途端、フレデリカは教本をあっさり手放したので、私は自分の部屋でそれを好きなだけ読めるようになった。

 教本を心ゆくまで読んでしまうと、次にはまたフレデリカの部屋に入り込んで、マリーヌ校の教科書を読んだ。

 もちろん、その日にフレデリカが授業を受けない教科書しか読めないが、平日はほぼ毎日読めるので嬉しかった。


 フレデリカは入学直後の実力試験で三位、さらに中間試験では五位と上位の成績を修め、両親を喜ばせた。


「この調子だと首席も目指せるな」


「でも、私が首席を取ってしまったら、公爵家や侯爵家の方々に睨まれてしまうかも」


「それは困るわね」


「まあ、このくらいの成績のほうが婿も探しやすいか」


 当然のことながら、両親はフレデリカに婿を迎えてウォーレン伯爵を継がせるつもりだった。

 両親は私については何も言わないが、フレデリカによれば「結婚できるはずのない愚図は修道院に入るしかない」ということだった。


 このまま姉のいる屋敷で暮らすよりは修道院に入ったほうがずっといいように私には思えた。




 フレデリカは結局、マリーヌ校一年生の首席をとった。


 学年末試験の結果が出た直後、両親とピクニックに出かけたフレデリカは、屋敷に帰ってくるとその様子を自慢げに私に話した。

 都からすぐの森の中に小さな池があり、その畔には可愛らしい白い花がたくさん咲いていてとても綺麗だった、と。

 私は興味のある振りをしてそれを聞いていた。


 その数日後だった。


「あの花が欲しくなったの。私が学校に行っている間に摘んできて」


 フレデリカの言葉に嫌な予感しかしなくて、私は首を振った。


「あの景色を妹にも見せてやりたいという私の優しさを無碍にするの?」


 私はフレデリカに腕をきつく掴まれて半ば強引に馬車に乗せられ、森の中へと連れて行かれた。


「この先でございます」


 御者のビルの少し震えているように見える指が差すほうへと歩き出した時には、私はもはや諦めていた。

 間もなく本当に池が見えてきたことにむしろ驚いたくらいだ。

 そこにたくさん咲いていた小さな白い花を何本か摘んだ時、背後から馬車が動き出す音が聞こえてきても、私は追いかけようとはしなかった。


 フレデリカから繰り返し言われた言葉を思い出す。


 ーーお父様とお母様の娘は私だけでいいのに、どうしてこんな愚図まで生まれてきたのかしら。


 要らなくなったものを次々と私の部屋に置いていったフレデリカは、とうとうもっとも必要のない妹を森に捨てたのだ。

 フレデリカにしか関心のない両親は、私がいなくなったことに気づきもしないに違いない。


 私自身、「はい、フレデリカお姉様」と「ありがとうございます、フレデリカお姉様」以外の言葉を口にすることも許されない場所にどうしても帰りたいとは思えなかった。

 私は花を握りしめると、馬車から降りたところとは反対のほうへと歩き出した。


 森の中で魔法使いや妖精やドラゴンに出会ったり、異世界に通じる扉を見つけるという物語を何冊か読んだことがあった。

 そんなことが自分の身に起こるはずがないのはわかっていても、もしかしたらという空想でもしていないと歩く力を失ってしまいそうだった。


 そうして、森の奥へと向かっていたつもりだった私は街道に辿り着いてしまい、そこでバート様に出会った。

 それまで家族と屋敷の使用人たちくらいしか知らなかった私が初めて出会った他人。

 なのにバート様の眼差しも、「セシー」と呼んでくれた低い声も、厚みのある硬い手もとても温かかった。

 彫りの深い精悍な顔立ちと、私を軽々と抱き上げ馬上でしっかりと支えてくれた大きくて力強い身体は、まるで何度も読み返した『真の王冠』に登場する騎士様のようだった。

 その顔にある黒い痣も、バート様が特別な存在だという証に見えた。


 バート様が私を連れて行ってくれたのは遠い異世界ではなく両親とフレデリカのいる王都だった。

 裏門からこっそり入りたかったので屋敷から少し離れたところで馬から下ろしてもらい、こんな私に優しくしてくれたバート様に心からのお礼を言い、花を一輪渡して別れた。


 マリーヌ校から帰ったフレデリカは心底驚いた顔をして、私が差し出した花を勢いよく払い落とした。


「こんなもの要らないわよ」


 フレデリカは私を突き飛ばし、床に落ちた花を踏みつけて去っていった。

 どうせこうなるなら、花はすべてバート様にあげてしまえばよかったと後悔した。


 フレデリカはしばらくは私を避けている様子だったけれど、じきに以前よりも癇癪を起こしやすくなった。


 私は領地でいつも以上に身を小さくして過ごしながら、バート様のことを想った。

 読書をする以外にも瞬く間に時間が過ぎることがあるのだと初めて知った。

 修道院に入る前にもう一度だけでもバート様に会えるよう願った。




 長期休暇が明けてフレデリカの登校が再開すると、私はホッとした。


 社交界デビューも果たしたフレデリカは、才色兼備の令嬢として注目されているようだった。

 もちろん私は相変わらずの日々を送っていた。


 二年生の中間試験でも学年一位になったフレデリカは、テニスン子爵の次男との婚約が決まった。

 かなりの美男子らしく、「この婚約が発表されたら多くの令嬢たちに妬まれる」と、フレデリカは嬉々として語っていた。


 ところが、テニスン家と正式に婚約を結ぶ直前になって、テニスン子爵子息の相手はフレデリカから私に変更された。

 ラトクリフ公爵家から嫡男とフレデリカの縁談が持ち込まれたためだ。


 数日前までテニスン子爵子息のことばかり話していたはずのフレデリカは、「次期公爵から是非にと望まれたのだから断ることなどできない」と笑った。

 ラトクリフ次期公爵は貴族の子息たちが通うセンティア校を首席で卒業し、王太子殿下の側近をなさっているとても優秀な方なのだとか。


「私のような姉を持ったことを感謝するのね。おかげでおまえみたいな愚図が結婚できるんだから」


 それから間もなく、私はテニスン子爵子息オーガスト様と婚約した。

 初めて会ったテニスン子爵子息は私に「よろしく」と笑いかけた。その顔はフレデリカの部屋の本棚に並ぶ恋愛を主題とした小説に出てくるヒーローのようだった。


 その後、テニスン子爵子息は時おり屋敷にやって来ているようだったけれど迎えるのはいつもフレデリカで、婚約者のはずの私には会わずに帰っていった。

 テニスン子爵子息と会ってしばらくはフレデリカの機嫌が良いので、私に不満はなかった。




 マリーヌの二年目を終える直前にフレデリカもラトクリフ次期公爵と婚約した。

 両家の顔合わせの場に私は呼ばれなかった。


「口数は少ないけど何度も私を見つめられて、熱い気持ちをひしひしと感じたわ」


 そんなフレデリカの言葉を証明するように、長期休暇が明けるとラトクリフ次期公爵が頻繁にウォートン家を訪れるようになった。

 しかし、フレデリカがラトクリフ次期公爵に妹を紹介することはなく、私も姉の婚約者がどんな方なのかほとんどわからないままだった。


 何年か前に、私は父の書斎でタズルナのすべての貴族家の当主や歴史、領地などについて書かれた『貴族名鑑』という本を読んでいた。

 改めてそのラトクリフ公爵家の頁を思い出してみた。


 ラトクリフ公爵家は、三代前の国王陛下の王子が臣籍降下して興された。

 初代公爵は主に外交面で活躍され、特に隣国エルウェズから迎えた夫人とともに両国の文化的交流の促進に貢献した。

 初代公爵夫人はエルウェズ王家の血を引いていたそうなので、ラトクリフ次期公爵は二国の王家と血縁があることになる。

 本には初代公爵の肖像も載せられていたが、まるで『真の王冠』の王子様が歳を重ねたようなお顔だった。

 フレデリカの婚約者もあのような顔なのかもしれない。




 私が将来の義兄の顔を実際に目にする日は永遠に来ないのだろうと思いはじめた頃になって、突然フレデリカから婚約者に会わせると言われた。


「私の妹にどうしても挨拶したいと仰るから会わせてあげるけど、挨拶したらさっさと消えなさいよ」


 フレデリカは私の背中を抓りながら何度も念を押した後で、応接間へと私を連れて行った。


 その中で待っていた男性は、私たちが部屋に入っていくと一瞬目を細めてから立ち上がり、笑みを浮かべた。


「セシリア・ウォートン嬢ですね。初めまして。ヒューバート・ラトクリフです」


 ラトクリフ次期公爵の、王子様ではなく騎士様のような顔を見上げて呆然としていると再び背中に痛みが走った。

 私は慌てて淑女の礼をした。


「初めまして。セシリアと申します」


 その後、ラトクリフ次期公爵の一緒にお茶をという誘いを断って、私は逃げるように自室へと戻った。

 フレデリカに言われていたからではなく、姉の婚約者を前にして平静を装い続ける自信がなかったからだ。


 本棚から出してきた本を膝に乗せたままソファに座りこんでぼんやりしていると、フレデリカが部屋にやって来た。


「よくもヒューバート様にあんな失礼な真似ができたわね。ジロジロとお顔の痣を見つめるなんて、絶対に気を悪くなさったわ。おまえのせいで婚約破棄なんてことになったらどうするのよ」


 私の膝にあった本を取りあげて繰り返し打ちつけてくるフレデリカに、誤解だとは言えなかった。痣も見たが、痣だけを見ていたわけではないと。

 私はただ目の前でどこかよそよそしい笑顔を浮かべたあの方が、本当にもう一度会いたいと願っていたバート様なのかを確かめたかっただけなのだ。


 しばらくして、ようやく気が済んだらしいフレデリカは本を私に投げつけて部屋を出ていった。

 床に落ちた本を拾いあげて、その表紙に刻印された『真の王冠』の文字を指でなぞっているうちに、堪えきれなくなった涙が次々と頬を流れ落ちていった。

 姉に打たれた肩や背中よりも、心が痛みを訴えていた。

 バート様が私をまったく覚えていなかったことが、どうしようもなく悲しかった。

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