17 思わぬ場所で
王都に戻った私の心は虚ろだった。
机に向かって仕事をしていても、気になるのはセシーはどうしているかということばかり。
アデルとリタからセシーはほぼ屋敷に閉じ込められていたと聞かされたが、ウォートン嬢がいなくなれば外出もできるようになるのではと思いウォートン家を見張らせていたものの、まだセシーが外出した様子はなかった。
姉を排除するだけでは、ウォートン家におけるセシーの扱いは変わらないのだろうか。
幸いなのは、テニスンもウォートン家を訪れていないらしいこと。
とはいえ、油断はできない。あの男がセシーの婚約者である事実は変わらないのだから。
しかし、私はふとあることを思いついた。
オーガスト・テニスンと義理の兄弟になるのは気が進まないとでも言って、ウォートン伯爵にそれとなくテニスン家との婚約解消を迫るのはどうだろうか。
お祖母様には間違いなくまた叱責されそうな姑息な手だが。
とりあえず、その案をレイに話してみた。
「前公爵の意見に同意だな」
「まだお祖母様には話してもいないが」
その言葉はさらっと無視された。
「それに、フレデリカを領地にやったうえ、ウォートン家とテニスン家の婚約に口出ししたとなれば、ふたりの関係に気づいたおまえが嫉妬のあまり引き離したと社交界で噂になるぞ。それこそ、フレデリカを嫌うおまえにとっては不名誉なことではないか?」
「あの男をセシーから引き離せるなら不名誉など甘んじて受ける。何なら、テニスン家への慰謝料をラトクリフ家で持ってもいい」
セシーにさらに勘違いされることだけは辛いが、彼女だってあの男との婚約など望んでいないはずだ。
「いやいや、待て待て。公爵不在中におまえがそんな勝手な真似をするのはさすがに拙いだろ。せめてウォートン伯爵に不快感を匂わせるくらいにしておけ」
「……まあ、そうだな」
レイに聞いてもらったことで冷静さを取り戻した私は、結婚式の招待客を確認してもらうことを理由としてウォートン家を訪ねた。
急ぎ適当に作ったリストをいつもの応接間でウォートン伯爵に示しつつ、いくつか意見を交わし合う中で、できるだけ感情の込もらない声で告げた。
「正直、オーガスト・テニスン殿のような人間と関わるのはあまり気が進まないのですが、将来の義弟を呼ばないわけにもいきませんからね」
やや大仰に溜息を吐いてみせると、ウォートン伯爵は複雑そうな表情を浮かべた。
テニスンを跡継ぎにするのは伯爵の本意ではないように見えた。
やはり、娘の我儘を叶えてしまった結果の婚約なのだろう。だとすると、ウォートン嬢はすでに両親の手に負えていなかったのではないか。
「そういえば、最近、セシリア嬢はいかがですか?」
ついでを装って一番知りたかったことを尋ねると、伯爵は目を泳がせて明らかな動揺の色を見せた。
私の口からセシーの名前が出たからか、それとも、後ろめたいことがあるからか。
「セシリア、ですか?」
「ええ。病弱だと伺いましたが、健やかに過ごしていますか? 次期伯爵夫人となれば今後は外に出て社交をする必要もあるでしょうが、耐えられそうですか?」
「ああ、はい。今すぐには無理ですが、徐々にとは考えています」
となると、今は急いで淑女教育を施しているといったところか。
もうしばらくすれば、セシーが社交場に姿を見せることもあるのかもしれない。
やはり、この日はセシーの影も形も見えなかった。
お祖母様から手紙が届いた。「婚約者ときちんと顔を合わせて話をしなさい」という内容だ。
領主館でウォートン嬢を迎えた夜の私の言動がお祖母様に伝わっていないはずがないが、本人に会ったうえでお祖母様が彼女の存在を受け入れているらしいことが解せなかった。
あのお祖母様の前で、ウォートン嬢が完璧に猫を被り続けられるとは思えない。
一週間ほどたって届いた手紙も同様の内容で、むしろお祖母様はさらにウォートン嬢の肩を持つことにしたようだった。
ウォートン嬢が、あのお祖母様によほど気に入られる何かを持っていたとでもいうのだろうか。
ウォートン嬢にはクリスマス休暇には私も領地に帰ると言ってあったが、例え会えなくてもセシーの近くにいたくて、このまま王都で年を越すつもりだった。
しかし、ウォートン嬢のことをお祖母様任せにしておくと、さらに私の望まない方向に進みそうだ。
仕方なく、休暇になったら帰るとお祖母様に返事を出した。
クリスマス三日前、私は再び王都を出発した。
ラトクリフ領までの二日の旅は、ひたすら気の重いものだった。
セシーがこの時期、王都のあちこちで開かれるパーティーの一つにでも参加することができれば良いとは思うものの、テニスンにエスコートされる姿や他の男の目に映ることを想像すると、すぐに王都に引き返したい気持ちでいっぱいになった。
この旅の先に待つのが、ウォートン嬢ではなくセシーなら良かったのに、彼女と私の距離は遠くなる一方だった。
もはや、セシーをこの腕に抱いて口づけたことが夢だったようにさえ思えてきた。
あれこれセシーのことを考えているうちに、馬車は予定どおりラトクリフ領主館に到着してしまい、今回もお祖母様に出迎えられた。
「お帰りなさい」
お祖母様がにっこり笑っていることが逆に怖かった。
「ただいま帰りました」
私は少し休みたい気分だったが、「いらっしゃい」と先に立ったお祖母様が向かうのは居間のようだった。
今さら抵抗しても多少の時間稼ぎにしかならないのはわかっているので、大人しくついて行きながらその背中に尋ねた。
「ウォートン嬢はいかがですか?」
「一言で言うなら、とっても良い娘ね」
「良い娘?」
ウォートン嬢を評すにまったく似つかわしくない言葉に、思わず顔を顰めた。
「真面目で素直で知識欲が旺盛だから、こちらも教えがいがあるわ。礼儀作法が拙いのは気になったけれど、キティをつけたらどんどん上達しているし。あとは、本を読みはじめるとあまりに集中して周りの声が聞こえなくなってしまうのが問題かしら。でも、あの娘ならきっと将来は良い公爵夫人になるはずよ。私が保証するわ」
そう言って、お祖母様は居間へと入った。何かが引っかかるのを感じつつ、私も後に続く。
「お祖母様なら彼女に騙されることなく、本性を見抜いてくださ……」
お祖母様が歩いていく先にここにいるはずのない愛しい人の姿が見えて、一瞬、頭の中が真っ白になった。
王都にいた時も領地までの道中も、彼女のことばかり考えていたせいで、今度こそ幻覚を見ているのだろうか。
「どうして君がここにいるんだ?」
ようやく絞り出した声は震えていた。
申し訳なさそうな表情で肩を竦めている彼女の代わりに、その隣に立ったお祖母様が応えた。
「私が強引に客間から引っ張り出したのよ」
自分が扉の前で完全に足を止めていたことに気づき、私も彼女のほうへと近づいていった。
「違います。私が訊きたいのはなぜ彼女がラトクリフ領にいるのかということです」
お祖母様が呆れた様子で眉を寄せた。
「自分で次期公爵夫人教育のためと言って招いたのをもう忘れたの?」
「ええ、確かに招きました、フレデリカ・ウォートン嬢を。ですが、ここにいるのはセシー……、セシリアです」
「セシリア嬢? バートが本当に結婚したいという?」
混乱する頭では、もはやお祖母様の口から出た言葉の意味も、それを聞いたセシーが目を瞬かせている理由も深く考える余裕などなく、ただ頷いた。
「そうです。そのセシリアです」
「やっぱりそうだったのね」
お祖母様があまりにあっけらかんと言ってのけるので、私は思いきり目を剥いた。