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15 彼女が森にいた理由

 メイドたちの話を聞いたことではっきりした。ウォートン家の執事は私の味方だ。

 いや、「お嬢様のことが好きならどうにか助けてくれ」と発破をかけられたというのが正しいか。

 あの日、私の前で執事が口にした「お嬢様」はセシーのことだったのだ。


 執事は私の気持ちが婚約者のウォートン嬢ではなくセシーにあると気づいてーーあるいは執事ならもともとラトクリフ家からの縁談がセシーへのものだったことも知っていたかもしれないがーーあのリストを渡してきたのだろう。

 今もウォートン家に仕える彼らが主家の事情を私に話すことはできない。だから辞めた者たちに代わりに話してもらおうと。


 ただ、厳密には、執事やメイドたちと元乳母とでは少し心情が異なっていた。

 元乳母にとっては、セシーもウォートン嬢も同じく大切な可愛いお嬢様で、責めるべきはふたりの扱いに差をつけたウォートン伯爵夫妻なのだ。


 本人は言葉を濁していたが、彼女の足の怪我はウォートン嬢に何かしらの原因があったに違いない。

 だからこそ息子の態度が頑なで、そして、おそらくはセシーが使用人を遠ざけた理由もそこにある。


 ウォートン家の歪みは確かに伯爵夫妻から始まったようだ。

 しかし、だからといってウォートン嬢がセシーにしていることはとても許容できない。まさか暴力まで振るっていたとは。


 今後、上手くウォートン嬢とテニスンの不貞の証拠を掴めたとしても、慎重にことを進めなければならない。

 私の婚約者を変更するとなれば、ウォートン嬢がセシーに何をするかわからない。

 できれば先にセシーを保護したいが、それこそこちらの不貞だと突かれかねないだろう。




 リストの最後のひとりは、王都から少し離れた村に住んでいるベンという老人だった。

 ウォートン家で二カ月ほど前まで庭師をしていたが、高齢のため後進に道を譲って引退したらしい。


 ウォートン家の屋敷で私を見かけたこともあったようで、侍従姿の私が「フレデリカお嬢様の婚約者」だと一目で気づかれた。

 ベンには正直に、ウォートン家の執事に教えられて訪ねたと告げた。


「ラトクリフ次期公爵がわざわざこんな場所までお越しになってお聞きになりたいこととは、やはりフレデリカお嬢様のことでしょうか?」


「思い当たることがあるのか?」


「いえ、思い当たるというか、ただちょっと見たことがあるだけで……」


「こちらもすでに察しがついているのだ。あなたの悪いようにはしないからはっきり言ってくれ」


 私がそう言うと、ベンは覚悟を決めた顔で口を開いた。


「フレデリカお嬢様とテニスン家のご子息が一緒に庭にいるところをよく見かけました。その、時には抱き合ったり、口づけたりなんかもしていました」


「それは、私との婚約後だな?」


「はい。その婚約も、もともとフレデリカお嬢様とテニスン様がと聞いていたんですが、突然フレデリカお嬢様はラトクリフ次期公爵と、セシリアお嬢様がテニスン様とって話に変わって驚いたんですが」


 元庭師の話だけで不貞の証拠とすることはできないが、少なくとも私とレイの仮説は正しかったと考えてよさそうだ。

 そう思い、礼を述べて帰ろうとした私にベンが尋ねた。


「ビルにはお会いになる予定ですか?」


「いや。その男もウォートン家で働いていたのか?」


「はい、御者をしていたのが、去年の夏に突然消えたんです。でも、この前、隣村に行ったら偶然見かけて、話しかけようとしたら顔色を変えて逃げてしまいました」


 去年の夏と言えば、ちょうど私がセシーを森で拾った頃だ。しかも、その男はウォートン家で御者をしていた。


 迷うことなく、隣村まで足を伸ばすことに決めた。




 隣村はベンの村より小さく、ベンがビルを見かけたというあたりで数人に尋ねただけで、彼の居所は容易に知れた。

 どうやらビルは、この村に住む親戚の家に居候しながら農作業を手伝っているらしい。


 やはり畑での作業中だったビルにそっと近寄っていった。


「ウォートン家で御者をしていたビルというのはあなただな? 聞きたいことがある」


 振り向いた彼はさっと顔色を変えた。


「お、俺は何もしていません。いくらフレデリカお嬢様の言葉でもあんなの聞けるはずない」


 ビルは震えながらそう言った。


「フレデリカ・ウォートン嬢の言葉とは?」


 私の問いに、ビルはハッとした様子で首を振った。


「何でもありません」


 私は少し考えてから、願望混じりの嘘を吐いた。


「私はヒューバート・ラトクリフという。セシリアの婚約者だ」


 ビルの表情がわずかに緩んで見えた。


「セシリアお嬢様の? なら、セシリアお嬢様は今もご無事なんですね?」


「ああ、もちろん」


「良かった」


 明らかに安堵したビルに、私は確信を深めた。


「実は、セシリアとは昨年の夏に森で出会ったことが縁で婚約したのだが、彼女はなぜ森にいたのかを教えてくれない。あなたなら、何か知っているのではないか?」


 再びビルの顔が強張った。


「あなたの身の安全はラトクリフ家が保証する。必要なら仕事も紹介しよう。だから、話してくれ。あなたはフレデリカ・ウォートン嬢に何を命じられて、何をしなかったんだ?」


 ビルが口を開いたり閉じたりしながら視線を彷徨わせる間、私は辛抱強く待った。


「セシリアお嬢様を森に連れて行って、池に突き落とせと。でも、とてもそんなことできなくて、だから、セシリアお嬢様が花を摘んでいる間に置き去りにしました」


 今度は私が怒りで震えた。


 騎士団に所属中、森で見つかった野盗の隠れ処を急襲する作戦に参加した時に聞いた話を思い出した。

 森の中にある池に落ちると、木の根に絡めとられて二度と浮かんでこられない。

 真偽は定かではないが、セシーがそうなったところを想像しそうになり、頭を振ってその光景を追い払った。


 あの日、セシーは汗に濡れてはいたが、水に濡れた様子はまったくなかった。

 改めて、広い森でセシーを無事に私と出会わせてくれた何者かーー神か、妖精か、あるいは彼女自身の強運かーーに感謝する。


「もちろん、それだってセシリアお嬢様が無事でいられるはずはないと思って生きた心地がしなかったですが、しばらくしたらセシリアお嬢様はひょっこりお帰りになって。安心したのと同時に、次は自分がフレデリカお嬢様に何をされるかわからない、また同じことをやれと言われるかもしれないと怖くなって、だから、ウォートン家から逃げ出したんです」


 泣きながら罪の告白をしたことで、ビルは憑き物が落ちたような顔になった。


「申し訳ありませんでした。まさか、ラトクリフ様がセシリアお嬢様を助けてくださっていたなんて、本当にありがとうございました」


「謝罪はセシリアにするべきではないか?」


「……合わせる顔がありません」


 セシーなら、ビルと再会すれば喜びそうな気もするが、それをここで言ってやるほど私は心の広い人間ではなかった。




 宮廷服に着替えて王太子殿下の執務室に戻った私は、知り得た情報をレイに報告した。

 あの日、セシーがひとりで森にいたのは姉に殺されかけていたからだと知り、さすがにレイも唖然としていた。


「あの頃は、ちょうどフレデリカはマリーヌで首席を取った直後なのだから、人生の頂点のはずだろう。それがなぜ妹を殺めようなどとしたのだ?」


「私にわかるはずないだろ。とにかく、あの女がセシーの命まで奪いかねないとなれば悠長なことはしていられない。すぐにふたりを引き離す」


「どうやって?」


「次期公爵夫人教育を受けてもらうためと言ってウォートン嬢を領地に呼んで、軟禁する」


 ビルと別れてから考えて、本来ならエルウェズにいる母上の代わりにお祖母様に王都に出て来てもらう予定だったのを変更することにしたのだ。


「そんなことをすれば不貞の証拠を掴みにくくなるし、何よりおまえがウォートン家を訪ねる理由がなくなってセシリアに会えなくなるぞ」


 再会してから一度も見ていないセシーの澄んだ笑顔が頭に浮かんだ。


「……それでも、セシーを守ることが最優先だ」


 私はぐっと下唇を噛んだ。




 早々に領地のお祖母様に手紙を書いて予定変更を伝えた。

 お祖母様からは「こちらは構わないが、フレデリカ嬢はどうなのだ」という内容の返信が届いた。


 ウォートン嬢はもちろん不満そうだった。


「次期公爵夫人教育は王都でというお話ではありませんでしたか?」


「はい。ですが、やはり領地を実際に見ていただいたほうが良いだろうと思いまして」


「それにしても、一週間後というのはあまりに急すぎます。準備期間を考えて、せめて年が明けてからではいけませんか?」


「年明けですとあちらは雪が降る日も多いので、移動が大変になるのです。マリーヌの中間試験が終了した今が良いタイミングだと思います」


 ウォートン嬢の中間試験の結果は16位。わずかながら下から数えたほうが早い順位だった。


「領地にはいつ頃まで滞在することになるのでしょうか?」


「とりあえずは結婚式までの予定ですが、教育の進み具合によっては結婚後も延長します。ああ、マリーヌは少しくらい休学しても試験さえ通れば卒業できるはずですから安心してください。私もセンティアを二か月ほど休学して騎士団の特別訓練を受けたことがあります」


 実際のところ、セシーの命を脅かす可能性のある限りウォートン嬢を二度と王都に戻すつもりはなかった。

 私が無事にセシーを保護したうえで婚約者の変更をできなければ、彼女はマリーヌの卒業試験を受けられない可能性が高い。

 次期公爵夫人の立場を失ってもウォートン嬢が今と変わらずマリーヌに通うかどうかまでは、私の与するところではない。


 ウォートン嬢に不信を抱かせないよう、ラトクリフ領都もクリスマスには盛り上がることや、お祖母様が会えるのを楽しみにしていることも伝えた。

 さらにメイドをひとり連れて来て構わないとしたが、これに関しては選ばれるメイドに対して申し訳なくあった。


 ともかく、一週間後にウォートン嬢は王都を離れると決まった。

 私自身もお祖母様への詳しい事情説明とウォートン嬢を迎えるため、彼女より一日早く領地に向かうことにした。

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