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12 温室にて

 早くセシーに会って今度こそ何を引き換えにしてでも彼女に赦しを請わねばならないのに、案の定、彼女はまた私の前に現れてくれなくなった。


 そのくせ、ウォートン家を後にするテニスンとは何度か出会した。

 顔を合わせるたび浮かぶ軽薄そうな笑みに、私の手のひらの爪痕が増えていった。




 仕事中も時おり深い溜息を吐いては空を見つめる私を、ある日、レイが執務室から連れ出した。


 彼について向かった先は、王宮の中庭にある温室だった。

 その中の茂みの陰にレイが座り込んだので、私も倣う。

 温室の中央にはソファやテーブルが置かれているが、そちらから私たちの姿は見えないだろう。


 すぐに温室に王太子妃殿下が現れた。

 レイが茂みから顔を出し、私も会釈すると、妃殿下は軽く頷いてこちらから視線を逸らした。レイと私も元の体勢に戻る。


「いいか、これから何を聞いても絶対に声をあげたり立ち上がったりするなよ。おまえがここにいると知られたら、聞ける話も聞けなくなるからな」


 レイに念を押されて間もなく、三人の令嬢たちが温室にやって来た。

 王太子妃殿下に挨拶するのを聞くに、妃殿下の従妹とその友人たちらしい。

 いずれも公爵家、あるいは侯爵家の娘だ。


 すぐにお茶会がはじまり、しばらくは世間話のようなたわいない会話が交わされた。

 だが、紅茶が二杯目になった頃、妃殿下がおもむろに切り出した。


「実は今日、あなた方を招いたのは聞きたいことがあるからなの」


「私たちにお聞きしたいこと、ですか?」


「ええ。王太子殿下の側近であり友人でもあるヒューバート・ラトクリフ次期公爵がフレデリカ・ウォートン伯爵令嬢と婚約したことは知っているわよね?」


「存じておりますわ。フレデリカ様は私たちの同級生ですから」


 ようやく私にも、レイが私をここに連れて来た理由が見えた。


「これまで浮いた話の一つもなかったラトクリフ次期公爵がようやく婚約して、しかも相手は才色兼備と名高い令嬢だと聞いて殿下も私も喜んでいたのだけれど、先日、フレデリカ嬢のある噂を偶然耳にしてしまって」


「まあ」などとあがった声を聞くに、ある噂がどんな類のものかを令嬢たちは察している様子だった。

 妃殿下が本当にどこかでウォートン嬢の噂を聞いたわけではないのだろうが。


「同級生のあなた方だけが知るフレデリカ嬢の為人を私に聞かせてもらえないかしら? もちろん、殿下にご報告する必要があったとしても、どなたに聞いたかまでは決して明かさないと約束するわ」


 沈黙が落ちた。どこまで話していいものか、令嬢たちが視線を見交わしている絵が思い浮かんだ。


「ラトクリフ次期公爵とフレデリカ嬢が婚約すると聞いて、あなた方はどう感じたのかしら?」


 妃殿下はさらに具体的に問いかけた。

 ややあって、まさかこの場にレイと私までいるとは想像もしていないだろう令嬢のひとりがゆっくりと口を開いた。


「私は、ラトクリフ次期公爵はあまり人を見る目をお持ちでないのだなと思いました」


 いきなりの私への辛辣な意見に、私が望んだのはフレデリカ・ウォートン嬢ではなくセシーだと反論したいのをぐっと堪えた。


 ひとりが話し出したことで気持ちが軽くなったのか、もうひとりも続いた。


「私もですわ。花道でフレデリカ様を見初めてしまわれるなんて」


「私は、フレデリカ様のお鼻が折れてしまわないかと心配になりました」


 三人目の言葉に、他のふたりが思わずといった様子でくすくすと笑い声をあげた。


「確かに、あの時のフレデリカ様はお鼻を高くなさっていましたわね。特に私たちの前では」


「ラトクリフ次期公爵からあれをいただいた、これをしていただいたなどと自慢げに仰って」


 こちらを窺ってきたレイに、首を振ってみせた。

 エルウェズにいる両親や領地のお祖母様はともかく、私自身が婚約者に贈りものをしたことはないし、特別に何かをした記憶もない。

 強いて挙げるなら会いに行く頻度だろうが、私からするとその相手はセシーだ。

 客観的に見て酷い婚約者だとは自覚している。


「本当に次期公爵夫人になるおつもりなら、慎みを身につけるべきですわね」


「フレデリカ様の場合、身につけなければならないことは他にもありそうですが」


「フレデリカ嬢は首席なのでしょう?」


「一年の時はそうでしたが、二年は中間試験は首位だったのに学年末には二桁にまで下がったのです。体調が悪かったなどと言い訳をなさっていましたが、むしろ首位を取った試験の時のほうが具合悪そうに見えましたわ」


「でも、入学した時からそれほど勉強なさっている様子には見えませんでしたよね。フレデリカ様が首席だったことが本当に意外でしたもの」


「今のご様子ですと、次の中間試験はさらに下がるのではありませんか」


「ご自分の成績がラトクリフ次期公爵の評判にも関わるということに気づいているのかさえ怪しいですね」


「せめて恋愛小説以外の本も読まれたらよろしいのに」


「いくら流行や醜聞に詳しくても、それだけでは将来、何の役にも立ちませんわよね」


「とりあえず、取り巻きの方々を満足させられればよいのでしょう」


「取り巻き?」


「ご本人は友人と仰っておりますけど、側から見るとそのような感じなのです。伯爵以下の家の方々ばかり周りに侍らせていらっしゃるのですもの」


「その方たちが私たちと少しでも仲良さそうにするのが面白くないようで、『そんなに馴れ馴れしくしたらきっと迷惑よ』などと陰で仰っているそうです」


「普通なら自分より爵位が高い家の方と親しくなろうとするように思うけれど、フレデリカ嬢は逆なのね」


「常にご自分が場の中心にいたいのではないでしょうか。私たちが一緒だとどうしたって気を使いますでしょう。例え私たちがそれを求めていなかったとしても」


「だから、次期公爵の婚約者になって、私たちと同等の位置に立てたと喜んでいらっしゃるのですわ」


「何だか、淑女らしさがまったく見えて来ないのだけど」


「いえ、一見すると本当に淑女にしか見えないような方なのです。だだ、私たちは同じ教室で長く過ごしていますから、微笑みの裏から時おり覗く本心に気づいてしまう機会も多いのです」


「取り巻きの方々も首席を取った直後はともかく、今は仕方なくお付き合いしている感じですわ」


「フレデリカ様はご自分の内心が表に出やすいことに気づいていらっしゃいませんよね。それ以上に、他人の本心を読むことが苦手のようですが」


「それこそ次期公爵夫人には必須の能力ではないのかしら」


「ですが、フレデリカ様の何がもっとも次期公爵夫人に相応しくないかと言えば……」


 そこで声が潜められて、束の間、私たちのところにまで届かなくなった。

 次にはっきりと聞こえてきたのは、驚いたような妃殿下の声だった。


「では、あの噂は本当のことだったのね」


「私たちも取り巻きの方々からお聞きした話なので確かではありませんが、フレデリカ様はラトクリフ公爵との縁談が出る直前には、あの方と婚約するようなことまで仰っていたそうですわ」


「フレデリカ様がラトクリフ次期公爵と婚約したのと同時期に、あの方がフレデリカ様の妹さんと婚約なさっているのですから信憑性は高いのではないでしょうか」


「いくらあの方のお顔が良くても、まともにお相手すべきでないことくらいわかりそうなものですのに」


「そう言えば、その妹さんのこともおかしいですわよね。フレデリカ様はずっと、自分はひとり娘だから婿を取らなければならないって仰っていたのですから」


「存在を隠していたのは妹さんに何か問題があるからなのでしょうけれど、だからといって、ご自分の恋人をその婚約者に据えるなんてありえませんわ」


 気づけば、また手のひらに爪痕が増えていた。




 ウォートン嬢に関する会話が一段落すると、王太子妃殿下と令嬢たちの話題は別のものに変わった。

 しかし、それでもレイと私はひたすら隠れているしかなかった。

 レイは懐から取り出した書類に目を通しはじめたが、私はそれを分けてもらう気にもなれなかった。


 しばらくしてようやくお茶会が終了し、妃殿下と令嬢たちは温室を出ていった。

 レイと私も茂みの陰から出て立ち上がり伸びをした。

 戻ってきた妃殿下が私たちの様子を見て可笑しそうに笑みを溢した。


「どうだったかしら?」


 妃殿下の問いに、レイも私を見た。


「すべて鵜呑みにはできないとしても、予想以上に有益な話が得られたのではないか?」


「ああ。妃殿下には感謝いたします」


「それにしても、女性の舌鋒とはやはり怖ろしいものだな」


 レイの嘆きに、妃殿下も苦笑した。


「あの娘たちはそもそもフレデリカ嬢を良く思っていなかったようだから余計でしょうけれど。敵とも見做していなかった相手に貴重な次期公爵夫人の座を一つ奪われてしまったところに、それを奪い返す機会を得たという感じね」


「夫になるのが私でも、ですか?」


「何を言ってるのよ。文武両道で王太子殿下の信頼厚い側近なんて、令嬢方にしたらとびきりの有望株に決まっているでしょう」


「はあ」


「先ほどの話でもわかったと思うけれど、すべての女性が男性の顔ばかり見ているわけではないわ。それこそヒューバート様が優しくて紳士的な方だってことは、少し接すれば理解できることですしね。むしろヒューバート様の場合、最初からどうせ自分は女性に好かれないと思い込んで、近づくなという空気を纏っていることが問題なの。それさえなければ、ヒューバート様とお近づきになりたい令嬢なんていくらでも現れるはずよ」


 妃殿下の思わぬ熱弁に、途中からレイの笑い声が重なった。


「鋭い指摘だが、少し遅かったな。ようやく唯一の相手を見つけた後で令嬢たちに囲まれても仕方あるまい」


「そうなのだけど、いつか機会があったら言いたいと思っていたのだもの」


 私は再度妃殿下に礼を述べてからひとり執務室へと戻った。




 妃殿下の言葉を聞いて、ふと思い出したことがあった。


 確か六歳か七歳の年、王太子殿下ーー正確には、その時は先代陛下の御代だったからまだ立太子はしておらずただの王子殿下だったーーと同じ歳頃の貴族子女が王宮に集められたことがあった。

 ようは王子殿下に同年代の子どもたちと交流を持たせる中で相性の良さそうな者を探そうということだったのだろう。

 すでに王子殿下と友人関係にあった私は他の子どもたちのように王子殿下を囲む輪に無理に入っていく必要もなく、離れた場所にいた。


 そこで私は、どうやら自分の顔が特に女の子たちには怖がられるらしいと初めて知った。

 そんな中、まったく平気な様子で私に近づいてきた女の子がひとりだけいた。


 その後も同じような機会が何度かあって彼女とすっかり仲良くなり、つまり私は彼女に好意を抱いたわけだ。

 そして私は思いきって彼女に告げた。「次は二人だけで会いたい」と。


 にっこり笑った彼女の応えはこうだった。


「王子殿下も一緒なら会ってもいいわよ。私、殿下みたいな素敵な方と結婚したいの。あなたみたいなお顔の方は嫌」


 もちろん、その後、私が王子殿下と彼女と三人で会うことはなかった。

 ちなみに現在の王太子妃殿下は王太子殿下や私より三歳下だからあの集まりの中にはいなかった。


 今になって思えば、変に期待させたりせずあの時点ではっきり言ってくれて良かったと思う。

 しかし、幼くして経験した初めての失恋の痛みはほとんど自覚のないまま小さな傷として私の記憶に残り、この歳になるまで私の女性に対する態度に影響を及ぼしていたのかもしれない。

 私は公爵家のひとり息子だったため、礼儀作法などは厳しく躾けられても、痣を含めて容姿やら何やらを貶されたことなどそれ以前にはまったくなかったのだ。

 ちなみに、お祖母様の「受け継いだ血筋の中から云々」は完全なる褒め言葉として口にされたものだった。


 初めて会った日にはセシーに特別なものを感じていたにも関わらず、無意識のうちに胸の奥に沈めてしまったのもそのためだったのだろう。

 さすがに森で拾った娘の前では近づくなという空気を纏わなかったのは幸いだった。




 しばらくして、妃殿下を部屋まで送っていったレイも戻ってきた。


 レイは椅子に腰を下ろすと、「さて」と私に視線を向けた。


「婚約前の色恋沙汰ならともかく、もし今も続いているなら大問題だ。しかも、相手があのオーガストなら肉体関係がないほうがおかしい。上手く不貞の証拠を掴むことができれば、ウォートン伯爵に婚約者をセシリアに変更しろと求められるな」


「証拠、か」


 温室で名前を聞きとることはできなかったが、令嬢たちの言うフレデリカ・ウォートン嬢の恋人がオーガスト・テニスンなのは疑いようもなかった。

 ウォートン嬢は私との婚約後もテニスンとの逢瀬を続けるために、セシーを隠蓑として利用しているのだ。

 今になって思えば、あの男がいつも漂わせていた優越感は「おまえの婚約者と寝てきたぞ」というものだったのだろう。


 それだけならレイの言うとおり、証拠を掴んでウォートン伯爵に突きつければいいだけだから私は一向に構わない。何なら「どうぞ、ご自由に」と言ってやりたいくらいだ。

 しかし、相手はよりによってあのテニスンだ。おそらく同時に複数の女性と関係を持つことなど何とも思わないに違いない。

 セシーのために急いで証拠を掴まねば。


 それにしても、テニスンはもちろんだが、自分の欲を満たすためにあんな男をセシーの婚約者にしたウォートン嬢に怒りが募った。


「あの男が好きなら大人しく婚約していればよかったものを、どうしてわざわざセシーへの縁談を横から奪ったんだ」


 妃殿下の言葉を借りるなら、ウォートン嬢は絶対に男の顔ばかりを見る女性だろうに。


「それはもちろん、次期公爵夫人の座に目が眩んだんだろ」


 レイは口角を上げたが、その目は少しも笑っていなかった。

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