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11 浮き沈み

 再びセシーに会えない日々が続いた。

 ウォートン嬢がセシーを私の前に出さないようにしているのだと思いたいが、セシーが薄情男の顔を見たくないだけかもしれない。


 そんな中、無事エルウェズの都に到着した両親から結婚準備の進捗状況を尋ねる手紙が届き、領地のお祖母様からはウォートン嬢に小包が送られてきた。


 お祖母様の小包の中身は次期公爵夫人になる孫の婚約者に是非読んでほしいという数冊の本で、私も以前に薦められて読んだものだった。

 お祖母様らしい贈り物ではあるが、まだ十代半ばの娘が読みとおすには少々骨が折れるだろう。




 ある日、ウォートン家を訪れると、玄関の前でひとりの男と出会した。

 セシーの婚約者であるオーガスト・テニスンだ。


 私に気づいたテニスンは、その整った顔に笑みを浮かべた。

 女性なら胸をときめかせてしまうに違いない。セシーもそうなのだろうかと考えた私の胸には痛みが走った。


 この男と顔を合わせていても気分が悪くなるだけに決まっているので、挨拶だけしてさっさと別れようと思ったが、向こうが話を続けた。


「婚約者のもとに通い詰めているそうですね」


「君も婚約者に会いに来たのだろう?」


「ええ、もちろん」


 テニスンの笑顔に私への優越感が混じったように見えた。

 この男が私の本心を知っているはずがないのだから、私が会いたいと焦がれ続けているセシーにいつでも会える彼女の婚約者に対する醜い嫉妬心がそう見せているだけかもしれないが。


「正直、結婚など面倒だと思っていましたが、婚約してしまったからには将来の妻を可愛がってあげないと」


 この遊び人がセシーをどんな風に可愛いがっているのか。

 想像もしたくない場面が頭に浮かびそうになり、私は拳を握りしめた。


「そのとおりだな。私も早く彼女に会いたいので失礼する」


「引き止めてしまって申し訳ありませんでした」


 テニスンと別れてからいつものように玄関で呼び鈴を鳴らした。

 出てきたウォートン家の執事に応接間へと案内されながら手のひらを確かめると、爪の痕が残り何箇所かは血も滲んでいた。


 応接間のソファに座り、先ほどまでここにセシーがいたのかもしれないと彼女の姿を思い浮かべた。一緒にいたはずの男のことは、とりあえず無視だ。

 しかしふと、あそこでテニスンに捕まっていなければあるいはセシーの姿を一目くらい見られたのではと気づき、再び拳を握ることになった。


 しばらくして応接間に現れたウォートン嬢に、恋敵に関する情報も仕入れておこうと尋ねた。


「先ほどテニスン子爵子息にお会いしました。彼もこちらによく来るのですか?」


「ええ。あの妹と婚約してくださっただけでもありがたいのに、さらに色々と気にかけてくださって、オーガスト様には本当に感謝しております」


 セシーと婚約したくてできなかった私の内に、たちまちドス黒い気持ちが蘇った。


「名前で呼ぶほど彼と親しいのですか?」


 姉が名前で呼んでいるなら、セシーも当然そうなのだろう。


「ええ、もうすぐ義弟になる方ですから。よろしければ、ラトクリフ次期公爵のこともお名前で……」


「私は正式に結婚するまではきちんと線引きしたいと思っています。ウォートン嬢も今までどおりでお願いします」


 苛立ちを抑えられず、ウォートン嬢の言葉を遮ってぴしゃりと言い切った。


「わかりました」


 ウォートン嬢の笑顔が、わずかに歪んだように見えた。




 私が次にウォートン家を訪れたのは三日後だった。


 いつものごとく応接間で待たされ、ようやく扉が開いた瞬間、会いたいと切望するあまりとうとう幻覚を見たのかと我が目を疑った。

 しかし、「お待たせしました」とやや拙い淑女の礼をしたのは間違いなく私が恋い焦がれていたセシーだった。

 たちまち胸の内に歓喜が湧き上がり、全身へと広がった。


 今日こそセシーと呼びかけようと口を開いたが、そばにメイドがいることを思い出して急いで言い換えた。


「セ、ん日の君も可愛いかったが、今日は一段と可愛いらしいな」


 前二回の時とは異なり、セシーは汚れも皺もついていないドレスを纏い、髪を結い、化粧もしていた。

 ドレスはやはりセシーの雰囲気に合っていなかったが、だからといって彼女の愛らしさは少しも損なわれない。


 なぜかメイドが早々に部屋を出て行ったので、私はセシーと完全にふたりきりで向き合った。


 セシーも緊張しているのか、どこか落ち着かない様子であちこち視線を彷徨わせていた。

 そんな姿も可愛らしくて、いつまででも見ていられそうだった。


 しかし、向かい合っているのでセシーの可愛らしさを堪能することはできるが、彼女との距離を遠く感じてしまうのも否めなかった。

 ふたりの間に横たわるテーブルが憎い。せめて隣に行きたい。

 それに、セシーの声ももっと聞きたい。あの時のように本を話題にすれば、饒舌になってくれるだろうか。


 あれこれ考えていると、紅茶をコクリと飲んでカップをソーサーに戻したセシーと目が合い、自然と頬が緩んだ。

 セシーの顔にも笑みが浮かんだ。が、それは明らかに強張ったものだった。


 私はようやく気づいた。

 私がセシーと森で出会ったことを覚えていないという彼女の誤解をまだ解いていないではないか。

 つまり、セシーは内心でこの薄情男は何をニヤニヤしているのかと思っていたのだろう。


 私は慌ててセシーに謝った。


「セ、ん日はすまなかった」


 セシーと口にしそうになったが、こんな薄情男に愛称を呼ぶ資格などないと自重した。


 彼女の赦しを得るためなら次期公爵としての矜持など投げ捨てて、いくらでも頭を下げるつもりだった。

 だが、どうやらセシーが誤解しているというのは私の思い込みだったようだ。彼女は私が止むを得ず初対面の振りをしたのだときちんと理解してくれていたのだ。

 それでもセシーがどこか悲しそうに見えたのは、私がセシーではなく姉の婚約者だからだと考えるのは自惚れだろうか。


 私はまたもセシーと呼ぶのを躊躇った。


「セ、きを移っても構わないだろうか?」


 セシーが頷いてくれたので、私はそそくさと彼女の隣に座り直した。

 恥じらうようにこちらを見上げたセシーの顔がすぐそこに見えた。


 あれほど焦がれたセシーが、もはやほんの少し手を伸ばせば触れられる場所にいる。触りたい。

 いや、さすがにそれは駄目だ。初めて会った時もセシーは私に触れられることを嫌がらなかったぞ。あの時と今とでは状況が違うだろ。


 セシーに聞こえるのではと心配になるくらい、心音が煩くなっていた。

 今、セシーと口に出したら、出てきてはいけない別のものまで溢れてきそうだ。


 こちらの葛藤を知ってか知らずか、セシーは真っ直ぐに私を見つめていた。

 何かを訴えるように、求めるように。


 その視線に誘われてそろそろと手を伸ばし、セシーの滑らかな頬に触れた。

 初めて会った時にも触れた場所。彼女は眠っていたが。


 セシーの反応を窺いながら、さらに彼女の顔のあちこちに触れていった。

 彼女は私にされるがまま、ただ頬を染めた。時々漏らす吐息が私を徐々に煽っていく。


 最後に紅を引いて色づいている唇に触れた。セシーの吐息が直接指に当たり、その熱がもっと欲しくて堪らなくなった。


 気がつけば、セシーの唇に自分の唇を重ねていた。少しずつ角度を変えて何度も何度も繰り返す。

 目を開けて彼女の表情を確かめたが、私を見つめ返した瞳に拒絶の色は浮かんでいなかった。

 安堵してセシーの身体を抱き寄せ、ひたすらに彼女の唇を求め続けた。


 いつまででもそうしていたかったが、私は王宮に戻らなければならなかった。

 今日ばかりは仕事の合間に出てきたことを後悔しつつセシーにそれを伝えると、彼女も寂しそうな表情になったので、思わずもう一度抱き寄せた。




 普段より王宮に戻るのが遅くなったうえ心の内で小躍りをしていた私に、レイが何かあったなと勘付くのは自明の理だった。


「セシリアに会えたのか?」


「ああ」


 私はレイにウォートン家での出来事を話した。

 とはいえ、浮かれきった頭でもセシーとの間にあったことすべてを口にすべきではないことくらい判断できたので、せいぜい報告できたのはセシーの身なりが普通だったことと彼女に勘違いされていなかったことくらいだ。


 私の話を聞いたレイは、怪訝な顔をした。


「今まで影も形も見えなかったセシリアが、なぜ突然おまえの前に現れたんだ?」


 言われてみると、確かにおかしなことだった。それに、今日はウォートン嬢に会っていないと初めて気がついた。


「ああ、そうか。きっと行き違いがあって、セシリアは応接間にいるのはオーガストだと思っていたんだ。珍しく身支度が整っていたのは婚約者に会うため。ところが行ってみたらバートで、だが知らぬ仲でもないから仕方なく相手をした、と」


 レイの推測を聞いて瞠目した。

 改めて思い返せば、私と向かい合って座りながらセシーは困った様子を見せていなかったか。メイドがすぐに出ていったのも、手違いを誰かに知らせるためなら納得できる。

 もしそうなら、私に触れられて彼女は不快だったのでは。口づけてもセシーに拒まれなかったというのは私の勘違いで、本当は怯えて固まっていただけかもしれない。

 あるいは、私は無意識のうちに彼女を力づくて抑え込んではいなかったか……。


 私が愛しいセシーにそんなことをするはずがない、彼女は私を受け入れてくれていたのだと思い直そうとしたが、あまりに舞い上がっていたためふたりで過ごした間の記憶が所々曖昧で確信を持てなかった。


 レイはどこまで察したのか、机の上で頭を抱えた私にさっさと仕事をしろと冷たく言い放った。

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