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10 恋い焦がれる

 長期休暇が終わると、両親がエルウェズへと旅立っていった。「来年には必ず帰国する」と言い置いて。

 両家の間で、ウォートン嬢がマリーヌ校を卒業する直後に結婚式を挙げる予定が決められてしまっており、それに向けての準備を進めるようにとも厳命された。




 私はウォートン家に足繁く通いはじめた。

 婚約者に会いに、というのはもちろん建前で、一目でもセシーの姿を目にしたいのが本音。

 さらに、ウォートン家の様子を少しでも探るためというのもあった。


 こちらは前触れを出してから訪ねているのに身支度に時間がかかるとかで、毎回ウォートン嬢に待たされた。


「ごきげんよう、ラトクリフ次期公爵」


 そう言って淑女の礼をするウォートン嬢は、申し訳なさそうな素振りさえ見せない。


 ソファで向き合ってからは、私が黙っていてもウォートン嬢があれこれ勝手に喋った。

 その話題といえば流行のドレスや菓子、最近読んだ恋愛小説にどこぞで耳にした醜聞話などで、マリーヌ校の同級生ならともかく私が聞いても退屈なばかりだった。

 才媛というのはどうやら教室の机上だけのことらしい。


 ウォートン嬢の二年生の学年末の成績が十二位だったということは、長期休暇前にウォートン家から義務として我が家に伝えられていた。

 ウォートン伯爵は授業内容が難しくなったようで、社交界デビューして忙しくなったようで、などと理由にもならない言い訳を並べていたが、ウォートン嬢本人は私に会っても成績について口にすることは一切なかった。

 正直、私もあまり興味が湧かないのでどうでもよかった。


 部屋の隅にメイドが控えているとはいえ、この婚約者とふたりで長い時間を過ごす気にはなれず、仕事の合間に訪ねて早々に屋敷を出るのもいつものことだった。


 社交シーズンも始まっていたが、ウォートン嬢には仕事が忙しくてしばらく行けそうにない、ということにした。

 彼女は残念だと口にしていたが、内心ではホッとしていただろう。両親に連れられて、あちこち出かけているらしい。


 私がどうしても出席しなければならないのが、シーズン最初の王宮の夜会と終盤の我がラトクリフ家の夜会だ。

 王宮の夜会のほうは王太子殿下の護衛役を命じてもらって切り抜けたが、さすがに我が家の時はウォートン嬢をエスコートして婚約者として披露しなければならない。

 そのうえ、両親がいないので私が仕切らねばならないのも気が重い。




 いくらウォートン家を訪ねてもセシーには会えず、それどころかウォートン嬢は妹の存在を匂わせることさえしなかった。

 ウォートン嬢とウォートン家に対する不信感と、セシーは果たして無事でいるのかという不安が募った。


「他にいなかったから結婚を申し込んだと言っていたが、今のおまえはセシリアに恋い焦がれているようにしか見えないぞ」


 レイにはそう言われた。


 確かに、セシーに初めて会った時に特別なものを感じたことは否定しない。

 だが、決して恋情ではなかった。私がそういうものを向けるにしては、セシーは清らかすぎた。


 妻にと望み、再会を期待してから、一年前にはなかったはずの感情が私の中で徐々に膨らんできていることも自覚していた。

 しかし、セシーに再会できていない状況で、その感情がどういった種類のものなのか見極めることもできなかった。

 ただ私がセシーとの再会に焦がれていることだけは間違いなかった。




 痺れを切らした私は、とうとうウォートン嬢の前でセシーの話題を出した。


「両親からあなたには双子の妹がいると聞きました。きっとよく似ていらっしゃるのでしょうね。一度、会わせていただけませんか?」


 私が縁談を望んだ相手がセシーであったことも、彼女と知り合いであることもおくびにも出さず、あくまで婚約者の妹だから興味があるのだと装った。

 ウォートン嬢が驚きの色を見せたのはごく一瞬だった


「正直に申しますが、妹は病気がちなので両親も甘やかしてしまって、貴族の令嬢らしい教育をほとんど受けていないのです。そのうえ、使用人たちを遠ざけて、身なりにもまったく気を使いません。とてもラトクリフ次期公爵にお会いできるような子ではありませんわ」


 ウォートン嬢が妹に加えて両親をも責めてみせることで、自分はこの家族の被害者なのだと同情を誘っている、というのは穿った見方だろうか。


「どんな方であろうとも、あなたの妹である以上、私の未来の妹でもあります。是非、挨拶だけでもさせていただけませんか?」


「……わかりました。お連れしますので少しお待ちください」


 ウォートン嬢が立ち上がって部屋を出て行ってから、私は逸る気持ちをどうにか宥めた。

 ひとりで戻ってきて何だかんだと理由を並べ、やはり無理だと言われる可能性もあるのだからと。

 だが、どうしても胸が高鳴ってしまった。


 やがて扉が開き、ウォートン嬢が応接間に戻ってきた。そして、その後ろにもうひとり、顔立ちだけはウォートン嬢とよく似た令嬢が。

 私は身体の内から溢れそうになった悦びを押し戻し、喉元まで上がってきたセシーという呼びかけも呑み込んだ。

 ウォートン嬢の存在を意識して次期公爵らしく紳士の顔を作り、セシーに挨拶をする。


 私を真っ直ぐ見上げてくる澄んだ瞳に間違いなくあのセシーだと、彼女も私を覚えていてくれたのだと胸を熱くしたのも束の間、その表情に翳りが見えた。

 だが、それをはっきり確かめるよりも先に、我に返ったらしいセシーは私に挨拶をするとすぐに部屋から出て行ってしまった。


 内心で大いに残念に思っていると、ウォートン嬢が頭を下げてきた。


「妹のご無礼を代わりにお詫びいたします。大変申し訳ありませんでした」


「失礼なことなど何もされていませんよ」


 淑女らしい洗練された振る舞いをするウォートン嬢と違ってセシーの礼はぎこちなかったが、本当に令嬢としての教育を受けていないのだとしたら、むしろよく身につけたと思えるくらいだった。


「いいえ、あんな不躾な視線を向けたりして、本当にお恥ずかしいかぎりです。後で必ず言い聞かせておきますので、どうぞお許しください」


 なるほど、セシーが私の顔を見つめていたことを言っているのか。あれを私が不快に感じるはずがないのに。

 自分のことを棚に上げてよく言えたものだ。いや、自分がそうだから妹も同じはずだと思い込んでいるのだろう。


 セシーがもう一度戻ってくることはないと判断し、気にする必要はないとウォートン嬢に重ねて伝え、ウォートン家を後にした。




 王宮への帰路、馬車の中で私は目の当たりにしたばかりのセシーを思い返していた。


 一年前に森で会った時にも可愛らしいとは思ったが、あれほどだっただろうか。

 少しだけ背が伸びて、少しだけ顔が大人びて、だが私を見つめた瞳は以前のままだった。

 笑顔が見られなかったのは残念だ。途中で表情に翳りを帯びてしまったのはなぜなのだろうか。


 そこに至って、私ははたと気づいた。

 まさか、セシーは私が一年前のことを覚えていないと勘違いしてしまったのだろうか。ウォートン嬢の前だからと私が初対面の振りをしたせいで。

 もしもセシーが私を忘れていたら、私だってかなり落ち込んでいたはずだ。


 それにセシーの様子からして、どうやら姉の婚約者が私であることを知らなかったようだ。

 森で出会った後、屋敷まで送ったことで私はセシーがウォートン家の娘だと知ることができたが、私のほうはセシーにバートという愛称しか名乗らなかったから。

 おそらくは、この縁談がもとは自分に来たものであることも聞かされていないだろう。


 つまり、セシーから見た私は自分のことをきれいさっぱり忘れたうえに姉に求婚した薄情な男、だ。


 やっと会えたセシーを無自覚のまま傷つけてしまった己の愚かさに、私は馬車が王宮に到着するまで項垂れていた。




 王太子殿下の執務室に戻った私は自分の机に向かい、いつものように集中して割り振られた書類に目を通しはじめた、はずだった。

 ふいとわずかに気を緩めた瞬間、セシーの悲しそうな顔や己の不甲斐なさが頭の中に蘇り、思わず机に肘をついて頭を掻きむしった。


「おい、書類に皺がよるだろ。やるなら床の上にしろ」


 私は視線を上げ、レイを睨みつけた。

 そのへんの男なら震えあがらせることもできただろうが、レイにはどこ吹く風だ。


「まあ良かったじゃないか、セシリアに会えたんだから」


「どこが良いんだ。完全に失敗したと言っただろう」


 苛立ちを隠すつもりもない私に、レイがやれやれと溜息を吐いた。

 わかっている。これはただの八つ当たりだ。

 レイに言われたとおり、本当は床の上を転げ回りたい気分だった。


「おまえが薄情な男でがっかりしていた以外に、セシリアに気になるところはあったのか?」


 このままでは鬱陶しいから付き合ってやるかという顔のレイに尋ねられ、私は改めてセシーの姿を頭に思い浮かべた。


 ウォートン姉妹は顔立ちも体型もやはりよく似ていたが、その身なりはまったく異なっていた。

 隙なく身支度を整えて婚約者を迎えたウォートン嬢と、部屋にでもいたところを私のせいで慌しく連れ出されたであろうセシーとでは違って当たり前だが、それにしてもあまりに違いすぎた。


 美しいドレスを纏い、化粧をし、髪を綺麗に結ったウォートン嬢。

 それに対してセシーは森で出会った時と変わらず化粧っけがなく、髪は垂らしたまま、皺や染みの目立つドレスを着ていた。

 セシーは好んでそういう姿をしているというのがウォートン嬢の言い分だった。


 だが、ウォートン嬢とセシーが並んでいたからこそ私でも気づけたことがあった。

 セシーのドレスをきれいな状態に戻したとしても、それを彼女が着ていることには違和感がある。しかし、ウォートン嬢に着せたとしたら、セシーよりずっとしっくり来るのではないだろうか。


 そこまで話したところで、レイが結論を口にした。


「セシリアのドレスはフレデリカのお下がりなのか」


「おそらく」


 同じ歳で体型も変わらないのにお下がりというのはかなり無理があるが。


「ウォートン家では姉と妹で扱いが異なるのは間違いないようだな。それにしても、よく似た顔で淑女として隙なく着飾ったフレデリカと並んでいたというのに、セシリアのほうが良いのか?」


「中身がまったく違う」


「セシリアとはたった二度会っただけで、今日は挨拶しかしておらぬのだろう。言うほどに、おまえはセシリアのことを知らぬではないか」


「そのとおりかもしれない。だが私はセシーを……」


 そこで言葉に詰まった。私が次に続けるべき言葉は何なのだろう。


 レイがこちらをじっと見つめて私が応えるのを待っていた。

 わかっている。この幼馴染は、ある意味では私の心の内を私自身よりも正確に把握している。

 もう一度、一目だけでもセシーに会いたいという望みは叶ったはずなのに、会う前よりもさらに胸が苦しかった。


「私はセシーにどうしようもなく恋い焦がれている」


 言葉にして口から出した途端、もう膨らみきったと思っていたセシーへの想いがさらに大きくなったように感じられた。


「やっと認めたな」


 レイはニヤッと笑った。

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