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9 不本意な婚約

 私は「セシリア・ウォートン嬢を妻にしたい」と両親に告げた。


 父上も母上も喜び、すぐに動き出したようだった。

 私も気にはなったが仕事が忙しく、ふたりに任せきりにしていた。


 その結果、久しぶりに帰った屋敷で両親から告げられたのは信じがたい言葉だった。


「無事におまえとフレデリカ・ウォートン嬢の婚約がまとまったぞ」


「は? 私が望んだのはセシリア・ウォートン嬢ですが」


「あなた、どこかで名前を取り違えたのではない? フレデリカ嬢はマリーヌの一年生では首席、二年の中間試験も首位だったとかで、社交界でも才色兼備のご令嬢と有名よ。セシリア嬢のほうは病弱だからマリーヌへの入学も社交界デビューもさせていないとあちらが仰っていたし、実際、先日のお茶会で聞いてみても誰も彼女を知らなかったの。だから、バートがマリーヌの花道で見初めたのはフレデリカ嬢に間違いないわ」


「……なぜ私がマリーヌの花道に行ったことを知っているんですか?」


 レイにしか話していないのに。


「誰が花道を見に来たかなんて、マリーヌ生の口からあっという間に広まるに決まっているじゃない」


 見ていたつもりが、こちらも見られていたわけか。あれだけの数の令嬢がいたのだから、誰かしらに私の名も知られていただろう。

 眉唾物だと思っていたブラックリストも、案外どこかに存在するのかもしれない。


「私はマリーヌに結婚相手を探しに行ったのではなく、以前知り合ったセシリア嬢が在校していると思って会いに行ったのです。彼女はいませんでしたが」


「あら、そうだったの。だけど、ウォートン伯爵はセシリア嬢には婿を取らせて手元に置いておきたいそうで、少し前に婚約したと仰っていたわ」


 どうやら一歩遅かったようだ。

 私は自分でも意外なほどに気分が沈むのを感じた。


「セシリア嬢が駄目ならこの話はなかったことにしてください」


「それは無理だ。もう王宮に届けてしまったからな」


 つまり、すでにフレデリカ・ウォートン嬢との婚約は成立しているということで、私は愕然とした。


「どうして届を出す前に話してくれなかったんですか?」


「バートが忙しいからって屋敷に帰ってこないからでしょう。長期休暇も迫っているのに」


 王太子殿下の側近である私は王宮内に部屋を与えられている。

 もちろん実家の自室に比べて狭くて殺風景でベッドも小さいが、センティアでの三年間の寮生活に加えてやはり三年間の騎士団所属経験もある私は大して気にならなかった。

 ゆえに最近ではほとんど実家に帰らず、そこで寝泊まりしていた。


 とはいえ、父上だって王宮に仕えているのだから呼び出してくれればよかったのに。あるいは手紙で伝えることだってできたはずだ。


「そういうことで、週末にうちで両家の顔合わせをするから、忘れるなよ」


 息子にきちんと確認せずに婚約を結んだことを両親も多少は気まずく感じているのだろう。

 父上は早口にそう言ってこの話題を締めてしまった。


 私は自分の部屋に戻ると、書棚から一冊の本を取り出した。セシーも好きだと言っていた『真の王冠』だ。

 あの日の別れ際、セシーからお礼にと一輪渡された白い小さな花が捨てるにしのびなくて、この本の中に挟んであった。

 その頁を開き、しばしセシーを想った。




 翌朝、王宮に出仕した私は、挨拶もそこそこに尋ねた。


「レイは私がセシーの姉と婚約したことを知っていたのか?」


「昨夜、父上に聞いた。めでたいことだ」


「めでたくないだろ。私と姉が婚約すると聞いて、セシーがどう思っているか……」


「別にあの日に将来を誓ったわけではないのだろう? それに、セシリアはすでに他の男と婚約しているのだから仕方あるまい。そもそも、セシリアもおまえを覚えているとは限らないしな」


 レイの言うことは一々もっともで、私の胸を抉った。


「しかし、レイにはセシーが学校にも通えないほど病弱そうに見えたか?」


「いや、そうは見えなかったな。ああ、病弱というのは言い訳で、本当は経済的な理由かもしれん。マリーヌ校の学費は決して安くないから、一度にふたり分を払えなかったのだ。どちらかひとりなら当然、良い成績を修めそうなほうを選ぶ。フレデリカは首席を取るほどの才媛なのだろう?」


 あの時のセシーの身なりも考えると一理あるような気もするが、納得はできなかった。


「セシーだって、マリーヌに入学していればかなり優秀だったと思うが」


 森で妖精に出会う物語について事細かに語って聞かせてくれたことといい、王都に着いてから私の腕の中で眠っていた彼女を起こして現在地を伝えただけで屋敷への道筋を正確に説明してみせたことといい、少なくともセシーの記憶力は抜群に良さそうだった。

 レイもそこは同意してくれた。




 週末、私は重い気持ちを抱えてウォートン家との顔合わせのために再び屋敷に帰った。


 私にとっては不本意であろうとも、貴族の婚約が家と家との契約である以上、婚約者になった令嬢を無碍にはできないという次期公爵としての責任感ももちろんあった。

 だが、もしかしたらセシーに会えるかもしれないという淡い期待を捨てられなかったことが一番の理由だ。


 ウォートン一家が到着すると、私は両親とともに玄関で出迎えた。

 やって来たのは、ウォートン伯爵夫妻とフレデリカ・ウォートン嬢だけだった。


 私の顔を一目見た瞬間、ウォートン嬢の目にまたも嫌悪の色が浮かんだのを私は見逃さなかった。

 その後、ウォートン嬢はずっと恥じらうように微笑んでいたが、もはや私には彼女が母上の言うような美しい令嬢にはまったく見えなかった。

 その顔や声がセシーによく似ていることは認めるが、だからこそウォートン嬢に生理的な拒絶を覚えてしまうのに、向かいに座っているのでどうしても視界に入ってくる。

 私は溢れそうになる溜息を何度も飲み込んだ。


 もともとラトクリフ家が縁談を申し入れたのがセシーだった事実などなかったことにされたようで、彼女が話題に上ることは一切なかった。

 私自身、この場で下手にセシーの名を出すべきでないと思い、彼女について尋ねることは自重した。




 週が明け、私はさらに気持ちが重くなったのを感じながら王宮に向かい、レイに顔合わせのことを報告した。

 マリーヌの花道でウォートン嬢を見かけた時に向けられた嫌悪の目のことはレイにも話していなかったが、顔合わせでのことは話した。


「まあ、フレデリカもそのうち慣れるだろう」


 家族や親戚などは別として、私とどうしても顔を合わせねばならない立場の女性もいる。

 例えば王太子妃殿下もそのうちのひとりだと言える。妃殿下は最初こそ怯んだ様子だったが、何度か会って言葉を交わすうちに普通に接してくれるようになった。

 我が家で新しく女性の使用人を雇った場合もほぼ同様だ。


 しかし、ウォートン嬢の目に込められていたのは私に対する怯えなどではなく蔑みの感情だった。


「ウォートン嬢は慣れればどうにかなるという感じにはとても思えない。それ以前に、私のほうが彼女では無理だ」


 吐き出すように言うと、レイが難しい顔をした。

 私だって、自分しか気づかなかったあの視線だけを理由に婚約を解消できるとまでは思っていない。


「そう言えば、セシリアの婚約者がわかったぞ」


 貴族の婚約は必ず王宮に届けることになっている。レイなら簡単に調べられるので、頼んでおいたのだ。


「誰なんだ?」


 レイの表情で、あまり良い相手でないことは窺えた。


「オーガスト・テニスン」


 私は目を瞠った。


「よりによってあんな男がセシーの婚約者なのか?」


 テニスン子爵家の次男オーガストは、社交界で有名な男だ。いわゆる遊び人として。

 女性受けする整った顔で甘い言葉を囁き、多くの令嬢を口説き落としてきた。もちろんオーガストが本気だったことはなく、泣かされた女性も少なくないらしい。


「ウォートン伯爵はいったい何を考えているんだ?」


「同感だ。これがウォートン家にとって利のある縁組だとはとても思えない。テニスン家は他家からどうしても関係を結びたいと求められるものなど持ってはいないからな。つまり、ウォートン家が経済的に困ってはいないということでもある」


 私はハッとしてレイの顔を見つめた。


「セシリアの周辺について、もう少し調べてみたほうがよいかもな」 

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