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プロローグ

よろしくお願いします。

 深い森を貫いて王都へと伸びる街道を五頭の馬が駆けていた。

 街道上は初夏の日差しが降り注いで眩しいほどだが、視線を横に転じれば鬱蒼と樹々が生い茂り薄暗かった。


 特に問題が起こりそうな気配もなく、予定より早く帰れそうだと考えていた時、私の馬とほぼ並走していたバートの馬が突然足を止めた。

 急いで手綱を引いて振り返ると、バートはさらに後方を見つめていた。


「どうした?」


「視界の端で何かが動いた」


「このあたりは動物などいくらでもいるだろう」


「いや、違う」


 言いながら、バートは馬首を返して道を引き返していった。


 彼が向かう先の森の縁にひとりの娘がぽつんと立っているのが見えた。十四、五歳といったところか。

 私と他の者たちも馬を返した時には、バートは娘の前で馬を降りていた。


「こんなところで何をしているんだ?」


 バートの問いかけに娘は応えなかった。あのバートを目の前にして怯え固まっているのだろう。

 バートは気にする様子もなく再び尋ねた。


「ひとりか? 連れは?」


 娘はぎこちない動きで首を横に振った。


「王都から来たのか?」


 娘は今度は頷いた。


「迷子か」


 私がそう口にすると、バートが振り向いた。


「一緒に連れて行って構わないか?」


「こんなところに置いていくわけにはいくまい」


 バートは再び娘に向き直った。


「家まで送ろう。ちょうど私たちも王都に戻るところだ。ああ、それは預かる。両手を空けておいたほうがいいだろう」


 バートが差し出した手を娘は不思議そうに見つめた。

 しばらくして、ようやく自分が手の中に小さな白い花々を握りしめていたことを思い出した顔になると、バートの手に花を渡した。


 バートは花を剣帯に挟んでから娘を抱き上げて馬の背に横座りで乗せ、自分もその後ろに跨った。

 娘は乗馬の経験がまったくないようで、言われるままバートの身体に身を寄せて彼の服に両手でしがみついた。

 バートも片腕をしっかりと娘の身体に回すと、五頭の馬が再び動き出した。


 娘は初めのうちは落ち着かない様子を見せていたが、体格の良いバートに支えられていることで安心感を覚えたのか、徐々にその身体の強張りが緩んでいくのが見てとれた。


「バートの目が良くて助かったな」


 私が声をかけると、娘はバートに向かって頭を下げた。


「ありがとう、ございます」


 初めて娘の口から発せられた声は弱々しく掠れていた。


「何だ、話せたのか」


 私と同じようにバートも、娘は話すことができないのではと考えていたようだ。

 娘は肩を竦めた。


「ごめんなさい」


「いや、私はこんな顔だからな、仕方ない」


 自嘲の笑みが浮かんだバートの顔、その額の中央あたりから左瞼を通って頬までを、太筆で刷いたような黒い痣が走っている。

 真っ直ぐにバートの顔を見上げた娘の身体が、小さく震えだした。


「痛みますか?」


 バートは不意を突かれたような表情になった。


「痛みはない。これは生まれつきのものだ」


 娘がホッとしたように表情を緩めた。その笑みを見て、バートが目を瞠った。


「私が怖くないのか?」


 なぜそんなことを訊かれるのかわからないというように、娘は首を傾げた。


「ええと、バート、様?」


 バートが、そうだと頷いた。


「バート様は怖くありません。とても優しい方です」


 小さな声ではあったがきっぱりと言いきられて、バートが何とも言えない表情を浮かべた。

 彼との付き合いが長い私にはその心の内がよく理解できた。


 そもそもバートは獅子か熊に喩えられるほど強面で体格も良い。そのうえ、さらに顔に痣があるせいで多くの女子どもに怖がられてきたのだ。

 もちろん娘が優しいと言ったのはバートの顔ではなく中身、というか態度のことだろうが、そもそもそのあたりがわかるほどバートに近づこうとする女など滅多にいない。


 今回は非常事態だったとはいえ、各々馬に乗った男が他に四人もいたのだから必ずしもバートでなくてもよかったのに、娘は嫌がる素振りも見せずにバートにその身を預けた。

 今になって思えば最初に固まっていたのも知らない男が突然目の前に現れたからで、バートの顔のせいではなかったのかもしれない。


「先ほどの言葉を訂正しよう。バート、その娘を見つけて良かったな」


 からかい半分に言うと、バートは照れ隠しであろう顰めっ面をこちらに向けてから、表情を和げて娘を見下ろした。


「名前は?」


「セシリア、です」


「愛称はないのか? 家族には何て呼ばれているんだ?」


 途端にセシリアは表情を曇らせて俯いた。愛称はない、ということにしては違和感のある反応だった。

 バートがことさら穏やかな声で言った。


「それなら、セシーだな」


 セシリアがゆっくりと顔を上げた。


「セシー?」


「私はそう呼ぶ。嫌か?」


 セシリアが首を振った。


「嬉しいです」


 恥ずかしそうに微笑んだセシリアに、バートが目を細めた。


「それで、セシーは森で何をしていたんだ?」


 少しの間の後で、セシリアは言いにくそうに応えた。


「綺麗なお花が咲いていると聞いて、摘みに来ました」


「花? これか?」


 ベルトに挿した花にチラと視線を送ったバートに、セシリアが頷いた。


「ここまでひとりで来たのか?」


「馬車で送ってもらいました」


 王都から近いとはいえ、娘の足で歩いてくるには無理のある距離なので、当然そうだろう。


「今日は平日のはずだが、マリーヌ校はもう長期休暇に入ったのか?」


 我が国タズルナの貴族の娘は概ね14歳になるとマリーヌ校という学校に通う。

 今の時期なら学年末試験の結果が出て、もうすぐ迎える長期休暇の予定が教室で話題になっている頃だ。


「いえ、違い、ます」


 セシリアの視線が空を彷徨っていた。嘘は吐きたくないけれどすべてを語るつもりもないという雰囲気だ。

 学校をサボって森にいたくらいだから、何かしらの理由はあるのだろうが。


 また表情が暗くなってしまったセシリアを慮ってしばし逡巡していたバートは、彼女から詳しく事情を聞き出すことを諦めたらしかった。


「とにかく、気をつけたほうがいい。森で迷ったら何に出会うかわからないからな」


 森の中には人を襲う獣も棲んでいるし、そうでなくても若い娘がひとりで歩いていれば何が寄ってくるかわかったものではない。


 セシリアがパッとバートを見上げた。


「そういうお話、読んだことがあります。でも、本当に出会えるとは思っていませんでした」


 バートが眉を寄せた。


「森の中で何かに会ったのか?」


「バート様に」


 セシリアは目を輝かせてそう告げた。


「バート様はまるで私が好きな物語に出てくる騎士様みたいなんです。あ、でも、その物語では王子様と騎士様は最初からお友だちで、森の中だけでなく色々なところを旅するんですけど」


 どうやらセシリアの中では森で出会うものの解釈が私たちと違っていたようだ。

 しかし、そちらもバートには通じた。


「もしかして、『真の王冠』か?」


「そうです。バート様も読んだことがあるのですか?」


「ああ、私も好きだ。子どもの頃にあれを読んで、私も騎士になろうと思った」


「それなら、バート様は本物の騎士様なのですね」


 今日のバートは腰に長剣を下げていたから、騎士かもしれないとセシリアは思っていたのだろう。


「いや、騎士の訓練も受けているが、本職は一応文官だ」


「謙遜することはないだろう。バートの剣の腕前は未だに騎士になるよう誘われるほどだが、文官としてもかなり有能だ」


 セシリアに尊敬の眼差しを向けられて、バートはくすぐったそうな顔をした。


 そのままバートとセシリアはそれぞれ『真の王冠』の好きな場面について語り合い、さらにセシリアが森で妖精に出会う物語について語った。

 最初はなかなか話そうとしなかったことが嘘のようにセシリアの口は滑らかに言葉を紡ぎ、私までその物語に興味を惹かれるほどだった。


 だが、しばらくして声が聞こえてこなくなったので見れば、セシリアは目を閉じていた。


「見かけによらず豪胆だな。おまえの腕の中で眠るとは」


「疲れていたのだろう」


 バートは汗で濡れて頬に張りついたセシリアの髪をそっと除けた。

 一見すると小動物を捕らえた肉食獣のようだが、バートの顔に浮かぶのは私も初めて見るような柔らかい表情だった。


「珍しいものを見せてもらって、やはりセシリアには感謝だな」


「それで、どう思う?」


 バートが訊いたのはもちろんセシリアのことだ。


 セシリアが着ているドレスは質の良い高価そうなものだった。が、どこでつけてきたのかあちこち皺や汚れが目立つ。

 デザイン的には華やかすぎて、あまり手を入れていない感じの垂らしたままの髪と、まったく化粧をしていない可愛らしくも素朴な顔立ちには不釣り合いだった。


 たくさんの本を読める環境にいて、マリーヌ校に通えて、栄養状態が悪くなさそうなことからしても、セシリアが貴族かかなり富裕な平民の娘なのは間違いないだろう。

 そんな娘が、どんな方法でやって来たにしろ、なぜひとりで森にいたのか。

 バートの剣帯に挟まった花は確かに綺麗ではあるが、王都のあちこちの庭園でも見かけるものだ。


「マリーヌ校で新しいまじないでも流行っているのかもな。誰にも見られずに森の中に咲く花を摘むと幸せになれる、とか」


 バートが深い溜息を吐いたが、私とて本気で言ったわけではない。

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