2-4
ハルにも分かっていた。
何度やっても勝てるわけがないのだ。
勝てない。勝てない。実力差がありすぎる。勝てるわけがないんだ。
ブランが手加減してくれているので、目立った負傷はない。
だが、そんなハルを見て、時折シルヴィとアステルは心配そうに気遣ってくれる。
リュイは何も言わない。
これまでの経験から、こういうときのリュイは「自分で考えて何かを掴み取れ」と暗に言ってくれているのだとわかる。
「もう諦めたら?別にあの人に勝たなくても旅は続けられるでしょ」
10回目を超えて、さすがに見かねたシルヴィがそう提案してくる。
「うん、そうなんだけどさ」
ハルは納得できない。
「相変わらず頑固だわね」
そもそもなぜブランはここまで自分に構うのだろうか?
自分が間違っているのだろうか。
旅を続けて、アステルを治すことを望むのがいけないことなんだろうか。
『分不相応だから、出来もしないことは辞めてしまえ』。ブランは自分にそう伝えたいだけなのかもしれない。
でも、シルヴィの姉ケーラのときのように、無力でなにもできず、大切な人が居なくなってしまうのなら。
何も守ることができないなら。何も成すことができないなら。
挑み続けて力つきるほうがまだマシなんじゃないか?
自分は間違っているんだろうか。わからない。わからない。
ハルが目を覚ますと、いつの間にかベットに寝かされていた。
おそらく、14回目の敗着で気絶してしまったんだろう。
窓から外をみると、すっかり闇に包まれている。だいぶ眠ってしまっていたようだ。
ハルは寝なおすにも寝付けなくて、顔を洗いに街の井戸まで散歩することにした。
井戸につくと、少し離れた石壁に腰掛ける人影をみつける。
優しく夜の帳を照らすぼやけた月の下に、月よりも白い少女が佇んでいた。
アステルだ。
「やあ、アステル。どうしたの?」
「うん、ちょっと寝付けないんです」
「そっか。実は俺もそうなんだ。どうかしたの?」
「えっと、自分でもよくわからないんですが、わたし怖いんです」
怖い。彼女の事情を鑑みれば怖いのは当たり前だろう。
だが、それはハルの予想していたものとは少し違っていた。
「ハルさんが、わたしを吸血鬼の国に連れて行ってくれると言ってくれたの、すごく嬉しかったです」
そのままアステルは続けた。
「でも、ボアの前で倒れたハルさんを見たとき、ハルさんが死んじゃうかと思って、すごく後悔したんです」
「えっ?」
「こんな事、わたしがお願いするのはおかしいのはわかっているのですが、それでも、わたしはハルさんに死なないでほしいの」
「いや、俺だってなにもみすみす死ぬつもりは・・・」
「そうじゃなくて!ハルが死ぬぐらいなら、吸血鬼の国なんて行かなくていい!わたしの病気のことなんて放っておいてもいいの!!」
アステルのよそ行きの丁寧な言葉遣いはいつの間にか消えていた。
最初、ハルは彼女の気持ちがわからなかった。
アステルを助けるためだが、これは自分が勝手にやっていることだ。むしろアステルは巻き込まれている側といってもいい。
それでも、彼女は今「自分のことはいい」とハレに訴えている。
そこまで理解したとき、ハルは自分の中で、停滞していた氷塊が溶けだす気配を感じた。
今はまだ、完全にはわからない。でも、少しだけわかった気がする。
「ありがとうアステル。でも、俺もう少し頑張ってみるよ。もうちょっとの間だけでいいから、見ててもらえないかな?」
「ハル・・・」
「それと呼び名と言葉遣い、そっちのほうが俺は嬉しい」
ハレは照れ隠しで笑う。
「えっと・・・うん、わかった」
アステルは無意識だったのだろう。一瞬なにを言っているかわからないという表情をしていた。
それから二人は何も言わずに、しばらく月明かりに身を任せていた。
静寂に優しく吹き抜ける春の匂いは夜の闇に溶けてゆく。
翌朝、ハルが目を覚ますと、ほかの皆はすでに各々の作業をしていた。
アステルとシルヴィは洗濯。リュイは旅用品の買い出しだそうだ。
ブランの姿は見当たらなかった。
ハルは今日の決着をつけることに決めていた。
秘策がある。うまく行くかはわからない。だが、きっと大丈夫だ。
ブランを探しに行こうと外にでると、すぐに彼を見つけた。
リュイと一緒に買い出しから帰ってきたところのようだ。
「もう一回だけお願いします」
ハルはブランの目を見据え、最後のチャンスを頼み出る。
「はっ、しょうこりもなくまた来たか。いいぜ、どっからでもかかってきな」
騒ぎを聞きつけたアステルとシルヴィも外に出てきて、リュイと合流して見守る体制にはいっている。
ちょうど、1回目の戦いのときと同じ構図だ。ブランとの間合いは15mほど、これぐらいが<ちょうど良い>。
ハルは剣を<さやに入れたまま>右手にもつと、ブランに向かって全力で駆け出した。
また真っ向から勝負してくるように思ったのだろう。ハルの目にはブランが明らかに落胆しているように映った。
それで、いいさ。
本当の勝負はここからだ。
十分に助走が取れたあと、ハルは両膝を地面につける。膝は地面の摩擦で熱を持ちながら、そのままブランの方へと進んでいく。
「ほう・・・」
今までとは明らかに違うハルの気迫に、ブランは一歩身を引き、警戒態勢を取り始めた。
ハルはそのまま、右手に持った剣を天にかかげ、水平に持ちならが左手を添える。それは奇しくも、祈りの姿に似ていた。
そしてーーー
助走の勢いも切れ、緩やかに止まると、フランの眼前で<自分の額と両手を地につけた>のである。
「弟子に、してください!!!!」
ーーー見事なスライディング土下座が決まった。
土下座。それはハルの生まれた村に伝わる最上級の謝罪及び、お願いの儀礼である。
その起源は<旧文明>の古代にまで遡ると言われているが定かではない。
「お、おめぇさん、それ何の真似だ?まさか、頭の打ちどころが、悪かったんじゃねぇだろうな」
ブランが何やら変な心配をしてくれている。さすがの彼も少し混乱しているようだ。
リュイは声をあげて爆笑。シルヴィは額に手をあてて空を仰ぎ見ていた。
アステルだけは訳が分からず、きょとんと首をかしげる。
「ブランさん。俺に生き残るすべを教えて下さい。自分の守りたいものを守る力を下さい!」
それがハルの出した、ハルなりの解答だった。
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ブランは<困惑していた>。
ここまで困り果てたのは息子アンバーの出産に立ち会ったとき以来だ。
ブランの目には今、地に伏して弟子入りを懇願するハルが映っている。
現状を再確認してもやはり、ブランは困惑していた。
ハレの向こう見ずな考え方を変えてやりたいとは思ったが、まさかこんなことになるとは。
だが、これは身から出た錆だ。
弟子は取らない主義だったが、責任は取ろう。
不思議と悪い気はしない。
ハルは、ある意味、ブランが想像した以上のバカだ。いや、大バカだ。
だが、そこに、何か大きなことを仕出かしそうな可能性をハルに予感していた。
こいつに乗っかってみるのも面白い。年甲斐もなく、そんなくだらない事を考えてしまった。
「おう」
だからこそ、ブランはハルの懇願に対して、そう短く答えるのがやっとだった。
気を抜けば、大声で笑いだしてしまいそうだったから。
こんな晴れやかな気持ちはいつぶりだろうか。
自分がまだこんな感情を持ち合わせていることに対して、ブランは<困惑していた>のである。
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翌朝、ハルたちはヴィダ村を後にした。
「それじゃ、いくか」
驚くべきことにブランも付いて来てくれると言う。
今更ヴィダ村にはなんの未練もないので、旅をしながらハレに稽古を付けてくれると、昨日のうちに申し出てくれた。
ハレにとっては願ってもない幸運だ。ありがたく彼の温情を受けることにした。
「次も北を目指せばいいと思うのだけど・・・」
だが、ハレは未だに目的地の位置すらつかめずにいた。
「はぁ・・・小僧、しっかりしろよ。おめえら帝国に行くんだろ?」
「帝国ってなんです?師匠」
「そりゃぁおめえさんが言ってた、吸血鬼の国だよ。正式にはフィニス帝国だとか言ったかねぇ」
「へぇ、そんな名前だったのね」
シルヴィも食いついてきた。
「場所どころか名前すら知らずに乗り込むってぇ・・・小僧。おめえさんはバカか大バカのどっちかだな」
「ははははっ・・・そりゃ違いないぜぇ」
リュイが腹を抱えて笑っている。
「どこに・・・いけばいいんでしょう?」
心配そうにアステルは首をかしげる。
「おめえらなぁ・・・。まぁ、それなら次の長耳族の里を目指すべきだな」
「長耳族?」
アステルにとっては聞きなれない言葉だったのだろう。
「あぁ、人間とかわんねえ見た目だが、耳が長げえ森の種族だ」
長耳族。生まれたときはそうでもないが、成長する過程でその耳が長くなるのが特徴的な亜人族だという。
人と外見こそ変わらないが、森での生活に特化した生態をもつ。その中でも異常なほどの耳の良さが特に有名だ。
ハルは一度だけ、長耳族の行商人に会ったことがあるので、その存在については知っていた。
「オラァ若いころ一度だけ、その里を訪れたことがある。そこの長から帝国の話を聞いたんだがな」
ブラン自身、帝国の位置自体は知らないようだ。
いずれにせよ、ハレたちはその手掛かりを頼りにするしかない。
師匠も旅の仲間に加わり、旅の進路も決まった。
このとき、ハレはようやく自分の旅がはじまったことを確かに感じていた。
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夏の訪れを予感させる爽やかな日差しに後押しされるように、少年の旅は始まった。一歩ずつ、だが着実に。
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