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「おつかれさん。そう言えば、ハル、あの話聞いた?」
ハルが水汲みから戻るとシルヴィが話しかけてきた。
あの話じゃわかるわけないだろと内心思いつつ、尋ねる。
「なに?なにかあったの?」
「あたしもさっき聞いたんだけどね。今日、隣村から忌子様が来るんだって」
目に見えてシルヴィの表情が曇っているのがわかる。
「忌子様…か…」
アルヒ村とその周辺の集落には稀に、不治の病を患った子供が生まれてくる。
齢15ぐらいまでは普通の子供と変わらないのだが、ある日を境に<四肢が青白く、特に爪が青く>変色してしまい、発症後3年もしないうちに死んでしまう。
また、その子供たちを忌子様と崇め、家族から引き離し、隣村に移して奉るのが古くからあるこの地方の風習だった。
「おねぇちゃんは…きっともう……」
そして、3年前この村から選ばれた忌子こそがシルヴィの3つ上の姉ケーラであった。
「やめろよ…そんなの分かんないだろ!」
ハルにとってもケーラは大切な存在だった。そのため、つい声を荒げてしまった。
初恋、そう表現するのが一番近いのだろうか。
「いや、ごめん。辛いのはシルヴィの方なのに…」
「ううん。でも、でもね。今日来る忌子様にはいっぱい楽しい思い出を作ってあげたいと思うわ」
「そう…だね…」
ハルたちに出来る事なんてたかが知れている。少なくともこの時のハルはそう思っていた。
昼過ぎ、ハルが狩りに使う商売道具であるロングソードの手入れをしていると、村の広場の方が騒がしくなっていることに気づいた。
急いで広場に駆けつけてみると、ハルの背の高さほどある黒い御輿から忌子が降りて来るところだった。
先程とは打って変わって、静まり返った広場に降り立ったのは、15歳の少女だ。
夜の帳が下りたような黒髪は透き通るように白い肩まで艶やかな曲線を描き、前髪は紫がかった瞳に掛からないほどに揃えられている。
質素な白のローブのスリットからは肩と大腿が露出していた。
そんな、ある種の神性さえ感じる少女を見て、ハルが抱いた印象は既視感だった。
もちろん、どこかで出会った記憶はない。ただただ不思議な感覚だ。
少女は村の人々に一礼するとこの村の村長である白髪の老婆に連れられ、村の裏手にある社へ向かっていった。
「すごく綺麗な子ね」
見送りを終えたシルヴィが近づいてくる。
「あぁ…」
「お祭りきてくれるのかな?仲良くなれたらいいなぁ」
「どうだろうね、着いて早々だから疲れてるかも」
「そっかぁ」
シルヴィにそんな答えを返しながら、ハルは全く別のことを考えていた。
どうにかして、あの少女に祭りを見せてあげたい。
なぜだかそう思う自分のことが、自分でもよく分からなくなっていった。
その夜、予定通り祭事が行われる。
星送りの祭事は、村の広場になるべく煙を起こさないように火を付け、それを囲んだ村人たちが空に向け、水を飛ばすというものだ。
やはり、ハルの予想通り、広場には少女の姿はない。
ハルは祭りに目もくれず、社へと向かう。
社に到着すると、皆祭りで出払っているのか従者は一人も居なかった。
忌子の社は、黒に塗られた角材で出来ており、少し高床式になっている。
一人一人が入るのがやっとの大きさの建物だ。
「そこに誰かいるんですか?」
か細い、透き通るような声が社の幕越しに聞こえた。
「えーっと、この村のハルってものなんだけど」
「あ、わたしは…名前がもうないの…でも、よろしくおねがいしますハルさん」
そうだった。忌子は家族との縁を断ち切るため、名前を失うのだ。
「そっか、じゃぁえっと…君は星送りのお祭りには来ないの?とても綺麗だよ」
「村長さんがここから出ないようにって」
「そうなんだ。もし良かったらさ、少しだけ見に行ってみない?しばらくここには誰も帰ってこないしさ」
「そんなことしたら、あなたは怒られたりしないの?」
「平気さ、怒られるのには慣れてる」
幕の向こうの彼女が微かに笑った気がした。
「それじゃ、ちょっとだけ…」
社を潜って出てきた少女は月明かりに照らされ、昼間見た時よりも幻想的に見えた。
だが、ハルは薄暗いながらも彼女の目が赤く腫れている事に気づく。きっと泣いていたのだろう。
向かい合ってみると、身の丈はハレと同じか、もしかしたら少女のほうが少し高いぐらいかもしれない。
「それじゃここからすぐの、祠の前までいこうか。高台になってるから広場が見渡せるんだ」
ハルは少女に近づくと、彼女に向かって手を差し伸べる。
夜の静かな空気の中に、この少女のものだと思われる蜜のように甘い香りが漂っているのを感じた。
「ありがとうございます」
少女は少し迷った素振りを見せて、その手を取った。
彼女の手はひんやりとしているが、滑らかでとても柔らかく手触りが良い。
しかし、その手は月明かりでも、はっきりわかるほどに真っ白で、爪がうすい青色に変色していることがわかった。
祠の前の高台まで歩くと、広場が赤く燃え上がっている様子がよく見えた。
時折、打ち上げられた水に火の光が反射して煌めいては消える。
「わぁ、本当に綺麗…」
少女が先程よりも年相応の表情をしているように感じ、少しハルは満足する。
「このお祭り、星送りって言うんですよね?なにか由来があるんですか?」
「これはね。<今はもう見えなくなってしまった>、本来の夜空に浮かぶ『星』の代わりなんだ。
俺たちが生まれるずっと前は、夜になると星という光が空に無数に輝いていたらしいよ。って、全部受け売りなんだけどね」
「すごい…でも、なんで見えなくなってしまったんでしょう…」
「詳しいことは分かっていないけど、昔の人が空に魔法をかけたってんだって」
これはハルも本で読んだ知識でしかない。
「魔法…?」
少女は可愛らしく首を傾げる。
「そう、魔法。<昔の月は今のようにボヤけていなかった>し、
<昔の太陽は今のように直接目で見ることが出来ないほど眩しかった>、
そして<昔の青空には波打つような模様はなかった>みたいだよ」
「なんだか不思議な感じですね」
そこまで話して、ハルは一つ思いついてしまったことがあった。
「あっ、そうだ、いつまでも『君』と呼ぶのは申し訳ないないから。呼び名を付けてもいいかな?」
困らせてしまうだろうか。
「…はい」
少女は少し悩んで返事する。以前の名前について思い出していたのだろう。
「じゃぁ、アステルなんてどう?昔の言葉で『星』って意味なんだけど」
「アステル…アステル…うん、なんか変な感じだけど、気に入りました」
「じゃぁアステル、改めてよろしく」
「…あの、でもハルさん、わたし、もうすぐ死んじゃうんですよね。どうして、こんなに良くしてくれるのですか?」
ハルは返答に迷ってしまう。自分の中でもその答えが出ていないのだ。
その時だった。
ハルたちの後ろ、祠の中から何か物音が聞こえることにハルは気づいた。
「祠の仲に…なにかいる…?」
アステルを連れて確かめるのは得策ではないし、かといって置いていくのもあまり良くはない。
だが、そんな理性よりも好奇心が勝った。
あるいは、アステルの問いに答えられなかった自分を誤魔化すためだったのかもしれない。
「ちょっとだけ見てきていい?」
「あ、あの…わたしも行きます」
ハルは結局、アステルも連れて、ハルの身長ほどある祠の入り口に入ることにした。