プロローグ
「ハルゥー、もうあさだよー!!」
ハルと呼ばれた少年は爽やかな春の風に微睡み、ベットの中で朝の気だるさと戯れていた。
何か不思議な夢を見ていた。漠然とそんな感覚だけが残っている。
「あんた朝だって言ってんでしょー」
派手な音を立てて開いたドアから、淡い黄色のワンピースを着た少女が飛び込んできた。
日向の草原のような清廉で乾燥した香りがハレの鼻腔をくすぐる。
グレーがかった銀髪を腰まで伸ばした彼女は、ベットの近くまでくると、夏の湖のような優し気な碧眼でハルを見下ろしている。
そして、
「朝だっつてんでしょ」
肘打ちでハルを叩き起こした。
「ぶっ」
クリティカルにみぞうちに入った容赦のない一撃により、彼の意識は急速に覚醒する。
「げふげふげふ…お…おはよう…シルヴィ」
「おはようじゃないわよ、何度起こしたとおもってんのよ、もぅ。今日は星送りのお祭りなんだから、しっかりしてよー」
シルヴィはそう口早に言うと、忙しそうに外へ駆け出していく。
そうだ。今日は祭りなのだ。
ベットから降り、塔のように積まれた本を崩さないように、手早く寝間着から着替え、身支度をする。
ハルはこのアルヒ村に住む、今年で16になる少年だ。
夜の空を映したような黒髪に良く合う茶色の瞳は、まだ眠たげな雰囲気を醸し出している。
背は年齢相応よりやや低めで、狩りで生計を立てている割には線が細い。
両親は物心つく前に他界しており、祖父に育てられたが、その祖父も一昨年天寿を全うし、今はハルひとりで暮らしている。
そのため、先程のように隣に住む幼馴染のシルヴィが様子を見に来てくれるようになっていた。
「祭りって言っても、俺はやることあんまりないんだけどなぁ」
祭りの日は夜に行われる祭事に備えて、村人全員で準備するのがこの村の習わしだ。
自分だけ怠けている訳にもいかないので、とりあえず外へ出る。
ふと見上げた大空はいつも通り<綺麗な波模様を描いて>おり、雲ひとつない快晴。
強く吹き抜ける春風は、まばらに並んだ木造の民家の間をすり抜け、ハルを煽ってくる。
「ちょっとハル!あんたも手伝いなさい」
近所の知り合いに朝の挨拶をして回っていると、早速、水桶を手に持ったシルヴィに捕まってしまう。
「わかったよ。水運んでくればいいの?」
「そう。今日はたくさん使うのよ。だから、いつもより多めに!」
シルヴィの両親の家業は井戸の管理だ。
澄んだ湧き水を泉から井戸まで運ぶのはなかなかの重労働である。
大昔に滅んだ<旧文明>の頃は、人々は何の苦労もせず、循環する清潔な水を手に入れることが出来た、と本で読んだ事がある。
しかし、なぜ人々がそのような便利な生活を捨ててしまったのかについては、今となっては定かではない。
カガクという知識を行使することでその再現が出来ると主張する書物もあったが、教会から禁書指定されているので、真偽は怪しい。
ハルもそんな夢のような生活は、今の生活からかけ離れすぎていて、現実的ではないと考えていた。
少なくともこの時の彼は、そう考えていたのであった。
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蒼い壁が空を拒んだ世界で、人知れず、一人の少年の物語が始まろうとしていた。
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